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●漫画・・ 「みどりの魔王」..(11)

 

 太古の昔、地球に漂着した宇宙人は、天上の宇宙から仲間に発見して貰うため、アマゾンの奥地にピラミッドを建てた。ここに守護神“みどりの魔王”を眠らせていた。何千年もの時が経ち、宇宙人は滅んでしまったらしく、主人がいなくて守護神の高性能ロボットだけが眠るピラミッドは、現代の探検隊に発見される。一方、この物語の主人公、日本人移民の子供、ワタル君は、両親を盗賊に殺され、天涯孤独の身になり、密かに盗賊への復讐を誓っていた。

 ピラミッドに眠っていた万能ロボット“みどりの魔王”を操縦できる、頭部に嵌めるワッカを、ひょんなことからワタル少年は手に入れた。ワッカを頭に嵌めることで、ワタルは自由にロボット・魔王を操ることができ、ワタルは魔王を使って盗賊たちを叩き、念願の両親の敵討ちを果たすことができる。

 無敵のロボット“みどりの魔王”の存在とその強さを知った、天才ロボット学者、ゴラム博士は自分の作ったロボットと強さを競わせようと考える。ゴラム博士の作る怪ロボットが、次々とワタル少年と魔王の前に送り込まれて来る。ワタルの操るロボット・魔王と、ゴラム博士の怪ロボットたちとの壮絶な戦いが続く‥。

 このゴラム博士の送り込んで来るロボットたちが、フォルムがカッコ良いんですよね。自分の作ったロボットたちを倒されてしまったゴラム博士はギャング団と組んで“みどりの魔王”を手に入れようと画策するが、ワタル少年と魔王に一網打尽にされてしまう。ここで物語は終わりますね。南米アマゾンのジャングルで始まった物語は、ワタル少年が日本に帰って来て日本でお話が終了します。

 後に週刊少年チャンピオンで連載されアニメ放送もされて大人気を得る、同作者の超能力·ロボットSF 活劇漫画、「バビル2世」と最初の物語設定が似ています。「バビル2世」も太古の昔、宇宙漂流の果て地球に遭難不時着した宇宙人が、砂漠にバベルの塔を建て、宇宙人の超進んだ科学力で超高性能コンピューターで塔を武装して守らせ、宇宙人は人間の祖先の原始人の女性と結婚するんだっけか?宇宙人の死後、自分の何十代か後の末裔に現れるであろう、はるか先の子孫の、宇宙人の遺伝子が発現した子孫の者に、資格有りと認定して、バベルの塔の超科学施設と三つのしもべを譲り渡すんだよね。で、困ったことに現れた資格保持者子孫が二人同時に出てしまった。これがバビル2世とヨミですね。二人の宇宙人の子孫が遺産相続権を争う物語。

 「みどりの魔王」も太古の昔地球に不時着した宇宙人の遺産である、無敵ロボットがテーマで、ワタル君とゴラム博士で宇宙ロボットの所有を争う訳だし。まあ、お話中、魔王が悪人の手に渡ることはないけど、ワタル君が悪人らに捕らえられて、悪人からロボットを動かせとか命令されたりするシーンはちょっとだけある。

 「みどりの魔王」も「バビル2世」も物語導入部の設定が地球に漂着した高度文明の宇宙人、というところが同じで似ている。宇宙人が残したものがピラミッドかタワーか、というくらいで。「バビル2世」にもポセイドンなんて巨人ロボットも居るし。ポセイドンは鉄人28号や“みどりの魔王”よりもひと回りふた回り大きいですね。そういえばジャイアント·ロボも大きかったな。

 「サンダー大王」も「みどりの魔王」や「バビル2世」にプロットが似てる、ってあったな。「サンダー大王」は幻のアトランティス大陸か。「サンダー大王」の初出雑誌連載は、1971年から72年の月刊冒険王か。僕も中三途中までは掲載の「夕やけ番長」と「虹をよぶ拳」読みたさに講読してたけど、71年はもう冒険王は読んでないなあ。冒険王は「夕やけ番長」や「虹をよぶ拳」が連載終了したあたりから連載漫画のレベルが低くなったからなぁ。レベルが低い、というのは誤解を招くが、要するに従来の少年向け児童漫画誌に戻ったというか、読者対象年齢が小学生程度に戻ったように思う。月刊冒険王はそれから直に、特撮ヒーローものなど子供向けTV ドラマのコミカライズ雑誌になってしまうからなぁ。

 「サンダー大王」は後に大人になって秋田漫画文庫版全二巻で手に入れるんだが、ちゃんと読まずパラパラやった程度だった。その内、「サンダー大王」の漫画本が何処かに行ってしまって、僕は「サンダー大王」はまともに読んでない。だからしっかりとストーリーを把握していない。まあ、大人になっちゃうと当時の小学生向けの児童漫画誌に乗ってた漫画を、いくら内容がロボットSF といっても、あんまり興味·関心が湧かなかったんですね。でも、その点、僕が漫画版の「バビル2世」を読んだのは三十代初めくらいで、このときは、秋田漫画文庫版全8巻を面白くてあれよあれよと二、三日で読み上げてしまった。当時、文庫版でまとめて読んだとき、「バビル2世」は文句なく面白かった。

 「バビル2世」の雑誌連載は週刊少年チャンピオンの1971年28号から73年47号までの長期連載で、後に少年チャンピオンコミックスで発刊されましたが、僕は「バビル2世」は秋田漫画文庫全8巻で一気に読みました。「みどりの魔王」の方の連載期間は小学館の学年雑誌「小学四年生」から「小学五年生」の1965年5月号から66年9月号までの月刊連載で一年4ヶ月の間ですね。

 拙ブログ「Kenの漫画読み日記」の中で、横山光輝先生のSFロボットバトル漫画「みどりの魔王」を取り上げて初めて書いた記事、「みどりの魔王」の第1回は2009年10月30日で、そこから第10回の2013年7月1日の記事まで、まぁ、何やらかんやら「みどりの魔王」が小学館の学年誌に連載されてた時代の、僕の小学生時代の思い出や「みどりの魔王」にまつわるコトゴトとかゴチャゴチャ書いて来た訳で、今回はその「みどりの魔王」シリーズの第11回です。第10回から実に9年もの間が開いている。第1回からは実に13年くらい経ってるんだなぁ。月日の経つのは早い。特に年寄りになると。

 上記に「みどりの魔王」のおおざっぱなあらすじをザッと書きました。シリーズ10回までの間に内容のおおざっぱなあらすじは何度も書いて来てますけどね。

 ということで今回も、僕の小学生時代の思い出を書いて行きます。「みどりの魔王」に関係した、あるいは「みどりの魔王」から連想される記憶やコトゴト。

 小学生時代の僕はときどき、小学館の学年誌や学研の「学習」を買っていた。少年漫画雑誌はしょっちゅう買ってたけど、「小学一~六年生」や「一~六年の学習」はタマにしか買わなかった。小学館の学年誌は当時のアーケード商店街入って直ぐの本屋さんで、学研の学習は小学校のクラスで担任の先生が予約注文を取っていた。

 夏場の小学館の学年誌や学研の学習に載っていた、夏の夜に家の窓を開けてたらいろんな虫が部屋に入って来るから観察しよう、みたいなイラスト図解記事を思い出した。大きな口絵みたく窓を開けて子供が部屋にいろいろ虫が入って来て喜んでるイラストに、細かく分類した数々の昆虫のイラスト。かぶと虫·くわがた虫からカナブンや蛾の種類までいろいろ。

 学研の学習の方が図版はカラー写真が多かったな。「学習」は本当に勉強関係に特化した“学習雑誌”って感じで、小学館の学年誌は漫画も四本くらい載ってたし、特に勉強関係に寄らない子供向けの記事も多かった。学年誌には子供向けの挿し絵イラストふんだんな小説も載ってたし、漫画ばかり三本くらい収録したB6 別冊付録も付いていた。「学習」に付いてた付録は学校の勉強関係の付録だったかな。

 学研の学習雑誌で付録といえば学研の「科学」だけど、小学生時代、僕は滅多に「科学」を買ったことなかったな。「科学」には魅力的な理科系の実験とかの組み立て付録とかが付いていた。クラスの向学心旺盛な、または親が教育熱心な、学校の勉強のよくできるアタマ良い子が買っていた。馬鹿ガキの僕は当然のように「科学」は買わなかった。

 新年特大号とか年に二回くらい「科学」に豪華付録が付いて、発売前にクラスの優秀な子たちの間で話題になってると、アタマ悪い子のカテゴリに居る僕も欲しくなり、アタマ良い子たちと一緒に注文するが、何しろ基本アタマ悪い馬鹿ガキだから豪華付録が組み立てられなくて、猫に小判状態で終わった。

 小学校当時、学校の勉強にほとんど興味のなかった僕は、「科学」を買って来てもほとんど読むことはなかった。まだ「学習」の方は活字は読まなくても図版の写真やイラストは眺めてたな。

 小学生時代の僕はとにかく活字を読むのが苦手で、学校の教科書もロクに読まないくらいで、漫画雑誌も活字で書いた記事なんてほとんど読まなかったと思う。でも“なぞなぞ”とか読んでたかなぁ。宇宙人や恐竜とか怪獣とかの興味を惹く記事はイラストばかり見て説明文はあんまり読まなかったなぁ。漫画も吹き出しのセリフは読むがセリフ以外の説明文は読まないで飛ばしてたなぁ。

 活字を読むようになったのは中学生になってからかなぁ。中学生になってから少年少女向けの探偵小説やタマにSF とか学校の図書館から借りて読んでたしなぁ。中学生になってもまだ漫画が主体で子供向け小説もそれほどは読んでないけど。

 考えてみると、小学館の学年誌も学研の学習も買ってたのは小一から小四くらいまでの間だなぁ。それもときどきだけど。小五·小六はああいう雑誌は買ってないと思う。

 小学校·中学校·高校と、とにかく僕は学校の勉強が嫌いで、学校の勉強をして来なかったなぁ。大人になってつくづく後悔した。やっぱり学校の勉強はやらないと駄目ですねぇ。脳を鍛えるという意味でも。学校の勉強も活字本の読書も、脳ミソの訓練ですね。脳の腕立て伏せや腹筋やスクワットなど、幼い頃から若い時代の、脳の基礎力を着けるトレーニング。普通の脳ミソしか持って生まれなかった人はやっぱり幼い頃~若い時代に脳の訓練やって脳の基礎力を着けないと駄目ですね。人間はできるだけ頭が良くなった方が良い。

 幸い僕は高校二年生の春から読書が習慣化したから助かったけど。読書の習慣化ったって、ほとんど娯楽小説しか読んで来なかったけど、それでも活字を追っている間は考えていて脳ミソを使ってますからね。例えどんな読み物でも活字本を読んで行ってると、行間を読むとかもあるし、やっぱ読んで行きながらイロイロ考えてますよ。それが例え娯楽小説でも軽いエッセイ本でも。

 若い頃に活字読書を習慣化すると、読書始めた頃から十年くらい経つと、最初の頃に比べてけっこう難しい本を読んでたりするし。そういう意味では頭良くなってますよ。論理的思考力着けるのは読書を続けて行くしかないと思うなぁ。

 幼少時から本好きで、勿論最初は絵本だったでしょうが、読書が習慣化してしまって本の虫になってしまった芦田愛菜ちゃんなんて、学業もとんでもなく優秀でしょ。結局、勉強って活字読んでやって行きますからね。教科書も参考書も基本、活字読むんだし。学問の探究も習得も基本は膨大な活字を読んで行くことだし。活字を読むのが全く苦にならずむしろ好きというか快感くらいにまでなったら強いですね。

 だいぶ前だけど芦田愛菜ちゃん本人が、自分は活字中毒だ、って言ってましたね。活字があったら商品の説明書でも何でも無意識にどんどん読んで行ってしまう、と。

 僕は小学校一年生のときの成績は5段階のオール1で、小二でオール2くらいになったんだろうか。まだ1があったのかな?小三からはオール3というのが一番良くて、小四~小六では主要科目が2の成績で母親に怒られてましたね。体育と図画工作が4のときがあったな。

 ま、要するに僕はもともと頭が悪いんですね。それが何とか人並みに考えることができるようになったのは、16歳から読書を始めて習慣化したからだと思ってます。まぁ、人並みでもなかったかなぁ、社会人になってからも難しいことは解らなくて自分で「俺、本当に頭悪いなぁ」としみじみ思ったことは何度もありましたしね。

 でも、16歳からのほとんど毎日の習慣的読書をやってなかったら、僕は生涯馬鹿で終わってたでしょうね。まぁ、そうでなくとも馬鹿で来てますけどね。読書ったって娯楽主体でしたけどね。

 

 今ではすっかり本も読まなくなりましたが。やっぱり目が悪くなったのが一番大きいですね。爺ィになって近眼乱視が加齢で目が、もっと悪くなると本当に駄目ですね。しかも左目は網膜剥離の後遺症で視力が本当に凄い悪いし。だから読書はキツい。

 ネット上のニュース記事やSNSをザッと読んで行くのはそうでもないけど、小説やエッセイ·評論は避けてしまう、本当に読まなくなった。加齢で脳自体も弱くなってるのかな。

 篠田節子さんの「コンタクトゾーン」上下巻は3年くらい掛かってる。3年掛かって下巻の半分過ぎまで来た。漫画は電子書籍でいっぱい読んでますけどね。

 やっぱ、僕みたいにもともと良質の脳ミソを持ってない人が、つまり頭悪い人が、少しでも頭良くなりたいと思ったら、もう読書しかないですね。習慣化した読書。そうして、インプットに対してアウトプットで鍛える、ということで日記でもSNSでもいいのですが、読んだ本や見た映画などの感想なりを文章で書く。もう、読むと書くしか頭鍛える方法ないな。

 動画で識者が、子供の頃からしょっちゅうゲームやってるのは、あれはあれで毎回毎回、即座の判断と決断が必要だから、そういう意味では何らかの能力を養って行ってはいるんだろう、みたいなコト言ってたけど、あぁ確かにそうなんだろうな、とは思いました。

 僕は全くゲームをやらないのでゲームのことはよく解らないけれど、ゲームを進行して行く中で、次々訪れるゲーム上の危機に、俊敏な判断と決断が必要とされる場面場面で、毎回対応して行かなくちゃならないし、やっぱクリアして進むには頭も凄く使ってますよね。あれはあれで脳のある部分は鍛えられているんだろうな、と思う。

 スポーツ選手でも一流のスポーツ選手はやっぱり頭も良いんだと思う。運動神経だけが抜群に良いだけで頭が悪かったら、どのジャンルのスポーツでも世界のトップクラスに立つようなスポーツ選手にはなれないだろうし。

 頭の良さってイロイロな面がありますからね。

 ただ、僕みたいに、頭も悪けりや運動神経もなくて、目が悪かったり鼻が悪かったり体力がなかったりで、何の取り柄もないデクノボウの不良品は、せいぜい毎晩、本でも読んで少しでも頭を鍛えるしかなかったんですよね。

 爺さんになってからは身体も悪いし、もう仕方ないけど、若い頃や昔は少しでも頭が良くなりたかったなぁ。

 まぁ、でも、何でも、長い時間掛けて夢中になったり一生懸命頑張って続けて来たコトは、その人に何らかの「力」を身に着けさせてますよね。長い間、夢中になったり、一生懸命頑張って続けて来たコトは、何にせよ無駄にはなってない。継続は「力」なり、は確かにそうですね。

 僕ら世代というか、昔の世代の人全般的に、子供の頃から若いとき~中年くらいになるまでインターネットがなかったから、ネットができてからもしばらくは中身が充実してなかったから、知識や情報ってイチイチ、書物や紙資料から得るしかなかった。代表例だと百科事典や辞書ですね。

 僕の子供時代、学校の勉強は大嫌いでも子供なりにイロイロ疑問に思うことはある訳で、周りの大人に聞いても解らないし訊き辛い。いつも睨まれて怒られてる学校の先生なんて絶対聞けない。僕なんて周りにそんな物識りな人なんていなかったし。家には百科事典なんてある訳ないし、あってもせいぜい国語辞典。だからといって図書館まで調べにまでは行かない。まぁ、いいや、で直ぐにそのことはどうでもよくなって忘れる。

 今の子供も若い人も良いですよね、インターネットが日常にあって中身も充実してる。疑問に思ったことは直ぐに調べられる。イチイチ、パソコン開かなくてもスマホかタブレットで直ぐに検索して即、知りたい情報が得られる。

 これは昔の子供と全然違いますよ。知的好奇心さえあれば、ネット検索して調べて行けばどんどん知識が得られる。知的好奇心と調べて読んで行くという、ちょっとの行動力だけですよ。

 僕は子供時代、学校の勉強は大嫌いで全くと言っていいくらい勉強やらなかったけど、ときどき恐竜のこととか忍者のこととか気になって知りたくなる。イロイロとどんどん深く知りたくなる。けど周りに知的な大人がいなかったし学校の先生は苦手で敬遠する。図書館で調べるとかもよく解らない。劣等生の僕の友達はみんな劣等生だったし。その内どーでもよくなって忘れる。その繰り返しで育って来た。

 今の時代の子供は、恐竜のことや忍者のことが気になったら、家にネット環境があればパソコンでもスマホでも調べて知識や情報を得て知的好奇心を満足させられる。小さなことかも知れないけど、その分頭も良くなる。

 疑問に思ったことを調べて知識や情報を頭に入れて行けば、脳細胞の神経ネットワークがイキイキと活動する。しょせん人間の頭の良さは脳細胞の神経ネットワークの働きですよ。そこに入ってる知識や情報は多ければ多いほど良い。また調べて知識や情報を入れるたびに考える作業も行われてるから、脳ミソの訓練も行われてる。頭を良くするトレーニングも行ってる訳ですよね。

 人間の、社会を渡って生き抜いて行くのに必要な「力」は、そんな本ばっかり読んで得て頭に溜め込む、知識とか情報とか教養だけじゃ駄目だぞ、と言う意見もあると思います。もっともですね。

 人間社会を渡って行く上で一番必要な「力」は、コミュニケーション力かも知れない。胆力もあった方が良いし強ければ強い方が良い。自信を持ってないとキャラが弱くてナメて掛かられたり馬鹿にされるしなぁ。社会の上位に昇ってる人は勝ち気で負けん気の強い人が多い。

 また世の中を渡って行く上での頭の良さというものもありますよね。よく言われる「地頭が良い」というのもこれですね。これは知識や情報や教養が詰め込まれた頭の良さとは全く違う、世間の中を、集団の中、組織の中を、人間社会を渡って行く頭の良さ。

 僕自身は元から何の取り柄もないトーヘンボクの馬鹿だったから、取り敢えず人間社会を渡って行く上での強さは、習慣化した読書と独りで運動して身体を鍛えるしか思い付かなかったし、それしかやって来なかった。

 しかし今の子供や若い人は、YouTubeの知的情報系の動画ばっかり見てたら賢くなりそうな気もするな。

 Kenの漫画読み日記。2010年5月13日の記事、タイトル:みどりの魔王(6)の中で書いていた、小学校時代のクラスメートMM君、彼が学校へ持って来た当時の「小学四年生」。この小学館の学年誌に掲載されていた、横山光輝のSF巨人ロボット活劇漫画「みどりの魔王」。学校へ持って来たのに、自分のお気に入りの友達にしか本を見せなくて、僕たちが「本を見せて」と頼んでも見せてくれないで、休み時間はその「小学四年生」を大事そうに両手で抱えて、教室の中をウロウロしてた。見せてもらえない僕たちが、MM君の抱える「小学四年生」の巻頭カラー掲載の、横山光輝の「みどりの魔王」のことを、「黄色い魔王、うんこ魔王」とか何とかちゃかして言うと、MM君は怒って、殴るような格好をして追い掛けて来たりしてた。僕たちは笑いながら逃げる。

 MM君は他の何人かのクラスメートには、自分の抱える小学四年生を見せて回っていたが、特に、MM君の家の向かいに住んでいる、幼馴染のHM君には念入りに本を見せ、それを少し離れたとこから見ている僕たちに、特に僕に、まるでHM君に本を見せていることをアッピールするような態度で、ときどきこちらを見て、僕らの、特に僕の様子を観察するように見ている。後々、このシーンを思い出して考えるに、MM君の態度は、幼馴染の友達のHM君には本をいくらでも好きなだけ見せるけど、僕には頑として本を見せない、という強い意思を伝えているようだった。

 MM 君がどうしてこんな態度取ってたのかよく解らなかったんだけど、後々あるコトに気が付いて「ああ、そうか」と僕なりに納得した。実はその前、一ヶ月前か三ヶ月くらい前か今となってははっきりしないんだけど、答えはMM 君の向かいの家に済むMM 君の幼馴染みのHM 君。僕がHM 君にした仕打ち。HM君は小学校六年間同じクラスで、中学では一年と三年のとき同じクラスだった、僕に取っても幼馴染みのような存在だった。HM 君は本当に良い子で、僕やMM 君はワルガキ·カテゴリーだが、HM 君は毎学年クラス委員に選ばれるような、学業成績も良くて、何ていうか子供でも品行方正で、クラスの中でもみんなと上手くやって、先生方の評価も高く先生にもクラスメートにも好まれる、とても性格の良い子で、まぁ僕みたいな馬鹿ガキの対極みたいな良い子だった。

 その品行方正な良い子の優等生HM君が、僕のような馬鹿ガキ劣等生とよく遊んでくれた。僕の家まで来て庭で泥遊びでも何でもして遊んでくれていた。ある日、僕んちの庭で遊んだあと、家の中で一緒に遊んでたら、当時僕が毎月購読している光文社の月刊児童誌「少年」 を、HM君が見つけた。ひょっとしたら性格最悪の馬鹿ガキの僕がその雑誌を見せびらかしたのかも知れない。そこのところはよく記憶してない。

 HM君が「見せて」と言った。僕は断った。そのあと彼は、もう一度くらい「ちょっとだけ見せて」とか言ったかも知れない。僕は断固として雑誌「少年」を見せなかった。これはホント、子供時代とはいえ愚かな行為だったなぁ。多分、当時の僕に取って雑誌「少年」は宝物で他の者には触らせたくない、みたいな気持ちだったのかな、後から考えたら馬鹿ガキのアホーな態度だった。

 後に、ちょっと経ってからHM君のお誕生日会が彼の自宅であって、彼の家の近所の同級生が何人も呼ばれていた。HM君の家の真ん前の家のMM君も呼ばれ、僕も呼ばれた。 

 お邪魔して上がり、部屋への廊下を通るとき、何か低い棚の上に雑然と雑誌「少年」が置かれていた。彼が見せてくれと言って僕が絶対見せなかった「少年」だ。それを見て、ちょっと驚いた顔の僕をHM君が横目で見ていた。何か冷ややかな目で見ていたと思う。

 このとき子供心に僕は、HM君は僕が雑誌「少年」を頑なに見せなかったことを恨んでいたんだ、と思ったのだと思う。

 何でもないような子供時代の友達との一つのエピソードだけど。これは小学校四年生くらいのときかな?小五にはなってないような気がする。HM君は確か山羊座生まれで、多分12月の終わり頃か1月前半の生まれじゃなかったかな?数十年前の記憶なのではっきりしないけど。

 それでね、MM君が小学舘の「小学四年生」か「小学五年生」を学校に持って来て、僕が見せてくれと言うのに絶対見せなかったのは、HM君と小学校上がる前から幼なじみの、家の真ん前に住むMM君が、HM君の仇を取ろうと僕が見せてと頼む雑誌を頑なに見せてくれなかったんじゃないかな、とまぁ、そう推測した訳です。

 まぁ、何てことない、それだけの話です。はい。まぁ、その当時、僕はもの凄く、横山光輝のSF巨人ロボットバトル·冒険漫画「みどりの魔王」読みたかったけど、小学舘の学年誌はなかなか読めなかったし、MM君は頑なに見せてくれなかったしで、何か悔しい思いのような残念な思いをしたという、小学校四年生頃の何でもないワン·エピソードですね。

 「少年」は65年新年特大号だったのかなぁ?あれ?66年新年特大号かな?まぁ、どっちでもいいことだけど。

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■「みどりの魔王」..(1) 2009-10/30

■「みどりの魔王」..(2) 2009-10/31

■「みどりの魔王」..(3) 2009-11/01

■「みどりの魔王」..(4) 2009/11/01

■「みどりの魔王」..(5) 2010-02/26

■「みどりの魔王」..(6) 2010-05/13

■「みどりの魔王」..(7) 2011-01/10

■「みどりの魔王」..(8) 2011-10/22

■「みどりの魔王」..(9) 2011-12/20

■「みどりの魔王」..(10) 2013-07/01

 

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