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「サタンボーイ シリーズ」-沢田竜治·作画-

 「サタンボーイ」シリーズは好きだったなぁ。憧れて大好きな劇画だった。僕は子供で貸本漫画だけど。貸本漫画の劇画作家-沢田竜治さんの作品だった。格闘と拳銃バンバン、カーチェイスや爆破·破壊などでの派手なスパイ·アクション劇画。

 サタンボーイは通り名で、日本の情報機関の凄腕のスパイ。確か“忍者”の末裔だったと思うけど。僕の子供時代に貸本屋で一泊二日で借りて来て読んだ貸本漫画だから、もう「サタンボーイ」シリーズのお話の詳細など忘れきっている。けど大好きな漫画だった。

 サタンボーイはカッコ良かったなぁ。忍者の末裔で忍者の能力を持ってて。跳躍力とかさ。忍者の末裔ったって別に黒装束着て背中に刀を差して手裏剣シュッシュッって投げたりする訳じゃなかった、と記憶するけど。シャツとズボンとジャケットの上着と現代人の格好してた。

 サタンボーイが所属するのは日本の諜報機関だったか、国際的な、対犯罪組織の大掛かりな機関の日本支部の腕利きエージェントだったか、当時のテレビドラマで言えば、輸入スパイアクションドラマの「0011-ナポレオン·ソロ」、日本のアクションドラマなら「キーハンター」とか「スパイキャッチャーJ3」とかに設定が近いかな。まぁ、この時代のスパイアクションものはみんなアメリカ映画の「007=ジェームス·ボンド」シリーズに影響されてるだろうけど。

 貸本劇画「サタンボーイ」シリーズのミソは日本のスパイらしく、忍者の末裔であり、忍者の体術などの能力がある、というところかな。007シリーズにも日本が舞台で東宝の浜美枝さんが“ボンドガール”を演じた「007は二度死ぬ」にも、ジェームス·ボンドに協力する日本のスパイ組織が、確かいにしえの忍者関係だったと思ったけど。違ったかな?

 映画「007は二度死ぬ」の中でジェームス·ボンドに協力する日本のスパイ機関は“公安”でした。公安調査局となってます。やはり、その公安の特殊部隊が忍者の装束で出動するらしい。“忍者”関係してました。

 「007は二度死ぬ」は僕が19歳頃、映画館でリバイバル上映を見てるんだけど、内容をほとんど忘れてます。

 沢田竜治さんのスパイ-アクション劇画「サタンボーイ」シリーズの主人公、超腕利きの日本人エージェントは、別にダークスーツを極めた格好じゃなくて、ラフな現代人の若者の格好してて、シリーズ第1巻ではメッチャ長髪でした。髪があちこち飛び跳ねてて垂れてて、かなりのロングヘアスタイル。第2巻からは当時で言うスポーツ刈りみたいな短髪になった。坊主じゃなくて角刈りでもなくて丸いアウトラインの短髪。

 貸本漫画の「サタンボーイ」第1巻が描かれたのって多分、1965年だと思う。当時の貸本漫画本出版社-東京トップ社からの発行ですね。「サタンボーイ」シリーズって全部で6巻くらい描かれたんだろうか。

 貸本漫画が終わったのって多分、1967年中のことだと思うんですけど、僕が貸本漫画を読み始めたのは1962年暮れ頃か63年初頭ですが、この時代の貸本漫画の発刊本のスタイルは、だいたいA5判128ページか136ページ本のソフトカバーでしたね。62年頃まではA5判でもっと分厚い150ページ以上の漫画本も出てたけど、63年以降はほとんど128P·136pに統一されてたように思う。中には日の丸文庫の「影」みたく180ページ以上の分厚い短編集もあったけど。

 僕が貸本漫画を読んでたのは1966年の4月いっぱい頃までで、「サタンボーイ」は3巻か4巻までしか刊行されてなく、だから僕は「サタンボーイ」の4巻か5巻以降は読んだことない。

 沢田竜治さんの貸本時代の代表作というと、シリーズが貸本単行本で全部で30巻くらい続いた「爆弾野郎シリーズ」ですね。「爆弾野郎」の主人公の青年は私立探偵じゃなかったかなぁ。ダークスーツに身を包んでネクタイ締めたタフガイで拳銃バンバン撃って悪者どもを退治する、ハード·アクション劇画。

 「爆弾野郎」の主人公は小生意気な男の子の子供と“お竜さん”ってイキの良いスタイル抜群の美女を連れて行動してた。3人連れでヨーロッパの都市が舞台になったりもしてたから、ロードムービーみたく旅して事件に捲き込まれていたのかな?何しろ数十年前に貸本屋で借りて読んだだけの漫画だから詳細は忘れきってる。

 60年代前半なんてまだまだ貧しい時代だったろうし、特に貸本漫画家なんて人気があったとしてもやっと生活できた程度じゃなかったかと思う。大部分の貸本漫画家は食うや食わずだったんじゃないかな。テレビドラマの「ゲゲゲの女房」でも貸本漫画家の貧乏さは描かれていたし。当時のモノクロテレビの海外紹介や雑誌の海外紹介グラフ記事はあったにしても、ヨーロッパとか海外なんて空想そのもので描いてたんだろうな。日本国の海外旅行自由化なんて1964年4月のことだし。

 この時代の貸本劇画の主人公の私立探偵たちは全員、普通の一般市民なのにみんな拳銃携帯してて、胸に提げたホルダーに拳銃が入ってる。日本国内の暴力団組織がまるでアメリカ暗黒街のギャングそのものに描かれていて、街中で拳銃バンバン撃ち合い、マシンガンでダダダダって機銃掃射する。警察の刑事も普通に拳銃持ってて即拳銃撃ちまくって応戦する。

 アメリカ輸入のギャング映画·ハードボイルド映画、50年代~60年代前半に“日活無国籍アクション映画”というシリーズがあって、この時代のこういう実写劇場映画の影響を多大に受けて、貸本劇画では、拳銃バンバン撃って格闘するアクション劇画が流行したんですね。

 この時代の貸本劇画の漫画家たちはみんな、自分たち独自のカッコ良い私立探偵ヒーローのキャラクターを作っていて、貸本漫画でその探偵たちのシリーズものを続けて描いてました。

 貸本劇画作家たちの作ったアクションヒーローたちは、一番多いのは私立探偵でしたが、ときには刑事や日本独自あるいは国際的な諜報機関日本支部のスパイ、テロ犯罪の防止や撲滅を目的とする機関のエージェントだったりしてました。でも例えば、ギター流しとかして日本中を旅する風来坊が、行った土地の暴力ざたに捲き込まれる設定もありましたね。土地の暴力団どおしの抗争に捲き込まれてしまうお話とか。篠原とおるさんの「万能屋錠シリーズ」は主人公の稼業は“泥棒”だった。

 “劇画”という名称は1957年頃に当時の貸本漫画家の辰己ヨシヒロ氏が作った、自分たちが描く漫画作品の作風の呼称であり、当時の大阪出身の貸本漫画家を中心とした、自分たち独自の漫画制作グループ“劇画工房”から隆盛に向かって行った。

 劇画工房が実質1年くらいで空中分解した後、劇画工房の1人だったさいとうたかを氏などを中心に今度は“劇画集団”という劇画制作グループが設立される。劇画集団には多数の主に貸本漫画で劇画を描く漫画家たちが参加した。その中の1人に沢田竜治さんもいました。“劇画集団”は“劇画工房”とは組織の内容が違っていて、もっとユルくて、貸本漫画の劇画作家たちの親睦団体の様相が強かったらしいですね。劇画集団参加者の1人、さいとうたかを氏は自分の劇画制作会社「さいとうプロダクション」を作って漫画制作と貸本誌の発行までやってたし。横山まさみち氏の「横山プロ」も同様ですね。

 貸本漫画自体、何ていうか、貸本漫画のシステムというか、戦後の国民が総体的に貧しかった時代の娯楽媒体「貸本」は、1959年頃に最盛期を極め、このとき日本全国で「貸本屋」が3万軒存在したと言われています。子供~若者が貧しくて本や雑誌が買えなかった時代に隆盛した貸本屋は60年代に入ってじょじょに国民の生活が豊かになって来ると、本や雑誌は借りて読むものではなくなり、特に雑誌などは読み捨てされるものになった。漫画本も買って読むものになって来る。貸本屋~貸本漫画システムは1965年の秋頃から66年春頃に掛けて衰退して来る。1966年は「貸本」が見る見る衰退して行った時期ですね。

 「貸本漫画」の終焉は1967年だと思います。67年のいつ頃かは僕にははっきり解らないんですが、貸本漫画の出版社というのはけっこういっぱいあったんですが、ほとんどが零細企業で、個人商店と変わらないくらいの規模の貸本出版社も多かった。60年代に入ってから倒産や撤退する貸本出版社は増えて行きましたね。1967年中には全部と言っていいほどの貸本出版社が貸本漫画の発行をやめた。中には比較的大きな貸本出版社で新書判コミックスの市販刊行で存続した出版社も幾つかありました。貸本出版社から普通の市販出版社になった訳ですね。町の貸本屋さんも66~67年までに全国で大多数が閉店して行ったと思いますが、中には市販·新書判コミックスを貸し出して貸本屋を続ける店もありました。

 貸本漫画には独自の流通形態があって、貸本専用の漫画本問屋が存在してたけど、それも多分、1967年中に貸本流通システムが崩れて問屋もなくなったんでしょう。67年以降の新書判コミックスや雑誌の貸本で商売して残った貸本屋は、貸し出す本を何処で仕入れていたのかな?普通の一般的な市販小売り書店で買って来てたんだろうか?普通の市販本の流通システムの問屋には貸本屋は入って行けなかったろうしな。まぁ、僕も「本の流通システム」に関して詳しい訳じゃないし。調べてなくてごめんなさい。

 昭和の時代は著作権法などがしっかりと整備されてなくて、市販の書籍·雑誌を貸し出して商売することが普通に通っていた。こういうレンタルの商売が法的に問題視され出したのは、80年代に入ってからの「レンタル·レコード」からですね。

 「貸本屋」という零細企業の保護のような意味で、漫画家·作家の“貸与権”というものが認められていなかったのが、2000年代以降、漫画本レンタルに大規模な企業というか、チェーン店展開の大手企業が参入して来て、漫画家·作家の貸与権が考慮され初め、2006年頃からか、レンタル本屋は貸与権として漫画家·作家に著作権料を支払わなければならないようになって行った。(貸与権とは著作権法が定める著作者の権利)。

 漫画喫茶の著作権料に関して調べたのですが、漫画喫茶は著作権料は払ってないようですね。漫画喫茶は本の貸し出しではなくて店内に置いてあるものを読ませているので貸与権が発生しない解釈なんだとか。床屋の漫画本の拡大解釈なのかな。

 話をぐんと戻して、多分、1967年中には消滅した昔ながらの「貸本」で、大勢の貸本漫画家たちは否応なく市販雑誌に流れて行った。市販雑誌の世界は厳しくてここでかなりの貸本漫画家は淘汰されたと思います。比較的、絵のうまい(漫画描写のうまい)漫画家は市販雑誌に移ることができた。

 でも市販雑誌に移っても生き残って行けた元貸本漫画家の人たちはそんなに多くはなかったですね。

 メジャーである少年雑誌の世界で漫画が描ける少数と、1967~70年に掛けてニョキニョキと雨後のタケノコように出て来た、創刊された青年コミック雑誌に、貸本で劇画を描いていた漫画家たちが仕事をするようになりました。それと昔からあった成人漫画雑誌で描く元貸本漫画家も出ましたね。70年代に入ると“エロ劇画誌”なるものがいっぱい創刊され始める。70年代には“劇画ブーム”が始まりますしね。

 

 「貸本」がなくなった後、沢田竜治さんは1969年に週刊少年マガジンに「ワッパ78」というコミカルなアクション漫画を描く。「ワッパ78」は連載ではなくて50ページ読み切りだったようです。69年の4月から7月の間に「ワッパ78」の読み切り短編を3回ほど間欠的にマガジンに載せてますね。僕は少年時代、長期に渡ってずうっとマガジンを購読していたので、この「ワッパ78」は記憶してます。ただ、マガジンの掲載形態だとかストーリーなど内容は忘れてしまっています。

 貸本劇画から市販雑誌に移行した沢田竜治さんは、マガジン69年の「ワッパ78」以外にも、60年代末~70年代初め、少年雑誌や青年コミック誌に作品を載せていると思いますが、僕自身は記憶にないです。何十年も昔のことだから忘れてしまってるということもあるけど、僕も70年代初め頃から77年頃まではあんまり漫画を読んでなかったからなぁ。

 70年代に入ると、というか70年代半ば頃からかなぁ、70年代後半~80年代前半に“三流エロ劇画ブーム”というものが起こります。70年代半ば頃から三流エロ劇画誌なるエロ漫画雑誌が零細出版社からいっぱい創刊される。

 70年代80年代の“三流エロ劇画ブーム”というと、一番売れていた「漫画エロトピア」が代表格で有名だけど、“三流エロ劇画誌”ご三家というと「漫画エロジェニカ」「漫画大快楽」「劇画アリス」ですね。この時代は他にもエロ漫画雑誌はいっぱい出てた。雑誌自販機でエロ漫画誌が売られ始めたのもこの時代ですね。

 あの当時、言われていたのは、60年代~70年代初めに学生運動にのめり込んでた若者たちが、大学卒業後にまともな就職先がなく、仕方なく零細出版社を立ち上げ、あるいは中堅出版社から創刊始めた、“エロ劇画誌”の編集~出版の仕事に集まった、という話でした。エロ劇画は70年代に起こった“劇画ブーム”の大きな波から派生した出版現象でしたね。

 僕はこの時代、日活ロマンポルノの映画はよく見てたけど、エロ漫画雑誌はあんまり読まなかった。というかだいたいほとんど読まなかったかな。あってもパラパラするくらいで。エッチな漫画でエロシーン満載の漫画なんだけど、ストーリー性に乏しくて、物語を楽しみたい僕には面白くはなかった。中には「女犯坊」みたいな劇画ストーリーのちゃんとしたエッチな漫画もあったけど、少数派だったな。

 僕はあの頃、1979年に新評社から発行された雑誌「別冊新評-三流エロ劇画の世界」を“熱読”しました。面白かったのを今でも覚えてる。勿論、内容の詳細は記憶してないけど。この時代、エロ漫画雑誌は“三流エロ劇画ブーム”に乗っかって僕もパラパラ読んでは見てたけど。

 “三流エロ劇画ブーム”でたくさん出版されたエロ劇画雑誌という社会現象も、ブームとしてはそんなに大きな波のうねりという訳でもなく一部のものだったかな。

 当時のエロ劇画雑誌の発行人や編集者などエロ劇画誌に関わっていた人たちは、学生時代に学生運動にのめり込んで就職先のなかった人たちだから、もともとは読書好きで知的な、本来は頭の良い人たちが多くて、理論派だから、この「別冊新評-三流劇画の世界」にもそういった人たちが寄稿していて、何事かイロイロ論じている。この時代、そういうあんまり役に立たないよーな、何かホントはたいして意味のないよーな評論を、ゴリゴリに理屈に理屈を重ねて論じているのを読むのがまた楽しくて、この雑誌や他の雑誌に掲載されてたエッセイやコラムを読むのが面白くて楽しかったな。

 勿論、この雑誌にも他の雑誌の掲載文でも、もう、何を書いていたかまったく覚えてないけど。読んだり味わう方としては楽しい時代だったな。

 エロ劇画ブームが終わるのは、エロ漫画雑誌にロリ漫画が登場して、エロ漫画誌の主役の座がロリ漫画に取って代わられてからですね。漫画としての表現描写=タッチの全く異なる、ロリ漫画の台頭とエロ漫画界の制圧。80年代初めに出て来て80年代後半かな。ロリコン絵のロリ漫画のブームはその後かなり長く続きましたね。

 僕自身は可愛いロリコン絵のロリ漫画にはあんまり気持ちを持って行かれなかったなぁ。ロリ漫画はあんまり興味·関心は抱かなかった。

 70年代80年代の“エロ劇画ブーム”の中で、僕は榊まさるさんの漫画が、とても絵がうまくてタッチが大好きで、榊まさるさんの“絵”と描写をリスペクトしてて、この時代、榊まさるさんのエロ漫画の単行本は買ってたなぁ。エロシーンが見たいというよりも榊まさるさんの絵のうまさに惚れ惚れしてかな。

 ここまで“エロ漫画”のことを書き込んで来たのは、貸本漫画で「爆弾野郎」「サタンボーイ」を描いてた沢田竜治さんが、70年代に入ってエロ劇画を描き始めたからです。70年代からは沢田竜治さんは完全にエロ劇画専門の漫画家になってしまった。

 沢田竜治さんのエロ劇画カテゴリで一番有名なのは、1974年に東映で多岐川裕美が主演で映画になった、雑誌·別冊アサヒ芸能コミック-連載の「聖獣学園」かなぁ。この漫画は勿論エッチな描写もいっぱいあるけどストーリーもちゃんとあった劇画。沢田竜治さんはここからエロ漫画ひとすじみたいになったかなぁ。

 沢田竜治さんの「エロ漫画」は今でもコミックス単行本が電子書籍にいっぱいあって、70年代以降、相当な作品数を描いてますね。紙の実物コミックス本はもうほとんど廃刊になってて、古書しかないと思うけど、さまざまな電子書籍ストアでいっぱい作品が売られてますね。沢田竜治さんの「エロ漫画」のタッチはやはり劇画タッチで、そういう意味では作品は全て「エロ劇画」ですね。

 僕は沢田竜治さんのエロ漫画の劇画タッチで描かれた女性は魅力的で好きてすね。セクシーで扇情的なタッチで描かれる女性だった。

 沢田竜治さんのプロフィールというのは詳しくは解らないんだけど、60年代に20代の年齢だったとして、もう60年も経ってる訳だから80歳前後から80代の高齢になられてますよね。

 調べて見ると、2000年代前半発行の成人漫画誌に短編作品が掲載されてるから、その当時までは漫画作品を執筆されていたようですね。やはり旺盛に漫画原稿を描かれていたのは70年代80年代かな。90年代も仕事されていたと思いますけど。

 貸本劇画から登場して“劇画”を広めた代表的な漫画家、さいとうたかを氏も2021年に84歳で亡くなられているし、貸本漫画というと貸本出身で有名な水木しげる氏も2015年に93歳で亡くなられているし、もう僕が小学生時代に貸本漫画で至極楽しませて貰った、貸本で人気作品を描いていた漫画家の方々も亡くなられたことを知っている人も何人もいるし、貸本漫画家だった人たちはもう70代後半以上で長生きされてる方は90代にはなりますよね。

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 僕が貸本劇画のアクション·ヒーローたちに熱狂的になってたのは、僕の6歳~11歳までの間で、貸本漫画は一泊二日で借り読みしてただけだから、貸本劇画にはたくさんの魅力的なヒーローがいたけれど、もう数十年も昔のことだし全ての貸本劇画作品はストーリーなど詳細を覚えてないけど、貸本劇画の主人公たちには心踊らされて楽しませて貰いました。

 沢田竜治さんの「サタンボーイ」にも「爆弾野郎」にも気持ちワクワク熱く楽しませて貰ったなぁ。「ピンクのサリー·シリーズ」は記憶してなかったんだけど、多分、読んでると思うなぁ。

 「爆弾野郎シリーズ」のシリーズ終盤の単行本二十数巻目に、「爆弾野郎」の主人公の若者が悪辣非道な悪者連中を復讐心から皆殺しにして、警察に逮捕されて殺害した人数が多いので死刑宣告を受ける。

 絞首刑で死刑執行されたが、僕は知らなかったのだけど、死刑執行されてその後何分間かして死刑台から降ろされて、もし生きていれば、その時点で罪がなくなるらしく、絞首刑を受けたのに命があった若者はその後放免される。実際は先ず生きてることは前列もないし有り得ないらしいけれど。

 そういうことで「爆弾野郎」の若者はその後放免されてシャバに出て“幽霊男”と呼ばれるようになる。ってこのエピソードだけは何故か記憶してたなぁ。60年くらい昔の記憶だけど。

 沢田竜治さんの「サタンボーイ」というと、僕は小学生時代、毎日家で鉛筆殴り書き漫画を描いていたんですが、ほとんどが少年雑誌と貸本のカッコ良いヒーローたちを真似た、モノマネ漫画でした。

 その僕の“オリジナル”主人公たちを描くモノマネ漫画群の中に、沢田竜治さんの「サタンボーイ」を真似た、僕の“作品”もありました。

 小学生が鉛筆で描く漫画だからクオリティは知れてます。殴り書きのようなヘタクソ漫画で、とにかく描いてる本人が楽しくて毎日独り遊びで家の中で描いてました。誰かに見て貰いたい訳でなく描いてるのが楽しくてしょうがなかった。

 「サタンボーイ」のモノマネ漫画は「サタン·ワン」でした。そのまんまやないかいっ、って突っ込まれるよーなヘタクソ漫画で、だいたい内容も「サタンボーイ」のほとんど真似で似たようなストーリーで描いてました。小学生の描くものだから単純なストーリーだったと思います。懐かしい。

 沢田竜治さんは60年代末頃に書き下ろし単行本で、エジソンの伝記漫画を描いてたんですね。教育漫画系の偉人シリーズみたいな漫画単行本かな。

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