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●漫画・・ 「ULTRAMAN -ウルトラマン-」

 「ULTRAMAN -ウルトラマン-」は、小学館発行の漫画誌、「月刊ヒーローズ」に2011年12月号から連載されているSFアクション・サスペンス漫画です。正確には「月刊ヒーローズ」は、小学館の子会社の小学館クリエイティブと、フィールズという会社が共同出資して作った会社、ヒーローズが発行する雑誌だそうですね。フィールズという会社は、パチンコ・パチスロ事業が主体で、あとはアニメも含む映像分野や出版などなど、幅広くエンタティンメント事業を展開している企業らしい。そういえばパチンコ関係でよく、フィールズの名前は聞いたことある。ヒーローズっていう会社は、先ず漫画雑誌「月刊ヒーローズ」を創刊、出版し、連載漫画もコミックス化して刊行し、本誌掲載人気漫画のキャラをグッズ的に制作・販売したり、アニメ化映像化も含めて、ヒーローものエンタメを幅広く、事業として展開して行く会社なんでしょうね。まあ、メディアミックス企業か。

 月刊ヒーローズの今現在の連載陣を見てみると、「ULTRAMAN」の他に「仮面ライダー・クウガ」「アトム・ザ・ビギニング」などなど、SFやファンタジーの超人ヒーローものが、20本以上から30本近く掲載されてますね。全作品、未来や異世界舞台の他に、時代劇も含めて、何らかのヒーロー漫画です。人気が出ればアニメ化、フィギュアなどグッズ化もありそうですね。フィールズが絡んでいるということは、パチンコソフト化もありうるんでしょうね。掲載漫画陣の中には、ゲームのコミカライズもあるようです。

 月刊ヒーローズ掲載のSFヒーロー漫画「ULTRAMAN-ウルトラマン-」は、日本が誇る、日本独自に進化した特撮映像技術、円谷プロダクションの昭和の特撮映像作品の中の、TVウルトラヒーローシリーズの記念すべき第一作、初代「ウルトラマン」の作品内容を踏襲しています。無論、円谷プロのTV特撮の第一作はあの「ウルトラQ」な訳ですが、「ウルトラQ」には怪獣や異星人は出て来るものの、ヒーローものとは違います。何というか、SFの恐怖ものやパニックもの、という表現が合う内容ですね。21世紀の新作漫画「ULTRAMAN」のお話は、1966年TV放送の初代「ウルトラマン」のストーリーの、いわば続編になりますね。

 小学館クリエイティブ発行のHCヒーローズコミックス、「ULTRAMAN」第1巻の巻頭、カラーイラストページにある物語冒頭文句、「かつてこの世界には光の巨人と呼ばれる存在が居た。光の巨人は一人の地球人と同化し、異星人の侵略や、怪獣と呼ばれる巨大生物による幾多の破壊と混沌から、世界を守っていた」-「やがて光の巨人はその役目を終え、遠い宇宙にある自らの故郷へと帰還し、同化していた地球人はそれまでの記憶を失うことで、自らのあるべきモノへと帰還した」-、と説明されてます。昭和のTV特撮、初代「ウルトラマン」との物語つなぎ部分ですね。

 次の新たな物語ストーリーの始まり、という幕開けページのコマ割りに説明されている文、「脅威から開放された世界は平和そのものであった。未だ人間どおしによる紛争は途絶えないが、外敵による人類への脅威は事実上消滅した」-「それから数十年」…。つまりこの物語は、かつてウルトラマンが科学特捜隊と共に怪獣と戦って、人間社会を守っていた時代から、数十年後の舞台設定のお話なんですね。

 この新たな時代では、物語上はすっかり平和で、対怪獣襲撃国土防衛の専門科学装備特殊部隊、科学特捜隊も表面上は解散状態であり、昔のTVドラマ「ウルトラマン」セットで毎回、TV画面に映し出されていた、あの特徴的な科特隊の日本本部基地も、建物の中はすっかり様変わりして、記念館になってしまっています。見た目、ただの博物館ですね。

 かつてウルトラマンに変身していた科学特捜隊のハヤタ隊員は、この時代、何と防衛大臣になっているし、科特隊の同僚だったイデ隊員は、科学技術研究所の所長という職務に就いている。そしてオジサンになったハヤタには、小さな子供が居る。この子供こそが、本編の主人公、早田進二郎なんですね。

 かつてウルトラマンだった早田進-ハヤタシン-は、昔ウルトラマンと同化、一身同体というか普段はハヤタで生活し、怪獣襲撃危機がマックスになったとき、ウルトラマンに変身して怪獣どもと戦っていた訳ですが、その時期の記憶は全て失われている。でもウルトラマンの名残、というのかウルトラマンの因子は残っていた。そしてその因子は血を分けた息子、進二郎にも伝わっていた。蘇生した早田進には、超能力が伝わっていたんですね。その息子にも‥。

 早田進二郎が高校生くらいの歳になったとき、再び地球の危機がやって来る。ベムラーを始め、地球人を襲い、殺戮し捕食する異星人たちが次々と出現し、人間社会に脅威を与え、また破壊行動にも出る。迎え撃つ、リニューアルしバージョンアップして、新たな科学装備を持つ、強力な科学特捜隊。科学特捜隊が、人類科学技術を集結して作り上げた、無敵のバトルスーツ。バトルスーツに身を包んだ進二郎少年が新たなるウルトラマンとなって、残虐異星人たちの脅威に挑む-。という、物語展開のお話ですね。基本的にバトルは、ヒーローも敵対宇宙人たちも等身大です。

 この「ULTRAMAN」コミックス第1巻の、最終ページの見開き大コマ画面に、科学技術研究所所長・井手光弘の隣に、宇宙人が立っているのですが、これが僕は最初、「あ、ケムール人だ!」と思ったんですが、後で解ったんですけど、これはゼットン星人でした。ケムール人は「ウルトラQ」に登場する宇宙人怪獣ですが、ゼットン星人は初代「ウルトラマン」の最終回、「さらばウルトラマン」に登場する侵略宇宙人です。ウルトラマンを倒した最強怪獣、ゼットンを操る宇宙人。

 僕は、ウルトラマンがゼットンに敵わず負けるバトルシーンだけ記憶してて、「さらばウルトラマン」のお話内容は、すっかり忘れてました。お話の前半、ゼットン星人が出てたんですね。ゼットン星人はケムール人が背広着た容姿でした。円谷特撮の怪獣着ぐるみはとても高価で、昭和時代は、あちこち部分的に作り変えて使い回してました。ケムール人はゼットン星人になって、その後も「ウルトラセブン」でキュラソ星人になってます。

 漫画「ULTRAMAN」は、純粋に、昭和時代の1966年にTV初放映された、円谷特撮、初代「ウルトラマン」の設定やストーリーを受け継いで物語が作られた漫画で、昭和時代のその後のウルトラシリーズ、「ウルトラセブン」や「帰ってきたウルトラマン」「ウルトラマンエース」「ウルトラマンタロウ」などのお話は関係してません。ただ、漫画「ULTRAMAN」中に、科学特捜隊所属の諸星弾-モロボシ・ダン-という謎の男が登場しますけど。

 月刊ヒーローズという雑誌はヒーロー漫画満載ですが、雑誌ジャンルのカテゴリは少年誌でなく、一応、青年コミック誌なんですね。これは、多分、出版社立ち上げに、フィールズというパチンコ・パチスロ主体の企業が、成立や資本に入っているからでしょうね。SFヒーローアクション・サスペンス漫画「ULTRAMAN」は、2014年11月現在、月刊ヒーローズ大人気連載中で、HC ヒーローズコミックス既刊、第5巻まで発売中です。 

 ヒーロー漫画専門の青年コミック誌「月刊ヒーローズ」には、昔々の懐かしのヒーロー漫画のリメイク作品というか、オマージュ作品とでも呼ぶような作品がけっこうありますね。「ULTRAMAN」の他に、「アトム・ザ・ビギニング」「仮面ライダー・クウガ」「BOOSKA+」とか。「ULTRAMAN」と「BOOSKA+」は元々の作品が、僕が小四か小五頃の作品ですよ。「仮面ライダー・クウガ」は平成ライダー第一作だし。「鉄腕アトム」なんてもう、戦後のヒーロー漫画の代表作だし。団塊世代を中心に、今の50代や、もっと高齢の爺さん世代まで、はるか遠い記憶の子供時代・少年時代のノスタルジーに浸りたくて、その郷愁感がたまらなくて、例えばマンガショップ発刊の復刻漫画本とか、昭和の特撮やアニメのフィギュアとか、少々値段が高くても買い求めてしまうんでしょうね。だから、この月刊ヒーローズのターゲット読者層には、けっこう中年や高齢者層までも当て込んでいるのかも知れない。ゲーム世代とかの若い層、青年層から中年、爺ィまで幅広い層を狙っているコミック誌みたいですね。実際、この雑誌の購買層はどうなってるんだろう? 50代以上の高齢層がこの雑誌を買って読むだろうか? それはアトムもウルトラマンも怪獣ブースカも懐かしいが。どういう層にどのくらい売れてるのかなあ、とかちょっと疑問を持ってしまいますね。

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●音楽・・ 「涙のリクエスト」

 70年代の僕は大の洋楽ファンで、TVを持たない十代末から20代いっぱいの僕は、家というかアパートの部屋に一人で居るときは、いつもFMラジオを着けてました。ラジオのFM放送で流れて来る洋楽、ポピュラー・ロック・フォークをこよなく愛していました。気に入った曲があると、街に出てレコード屋さんで、その大好きな曲のドーナツ盤を買ってました。ドーナツ盤がなければ仕方なくアルバムのLP盤で買って来て、LP盤の場合は特にそのお気に入りの曲だけ、何度も何度も聴いてました。ドーナツ盤もそれこそ磨り減るように、繰り返し繰り返し聴いてました。



 70年代後半から80年代前半の僕には、お気に入りの、米英洋楽の大好きなヒット曲がいっぱいあった。で、そういう曲はドーナツ盤、アルバム盤でいっぱい持ってたんだけど、80年代も後半に入って来ると、時代はCD(コンパクトディスク)の時代になった。で、僕は86年の10月頃、東京から生まれ育った故郷へ帰って来るんですけど、80年代も後半に入ると、僕はあんまし洋楽は聴かなくなった。この時代、邦楽のニューミュージックやフォークから進化した、和製ポップスで良い曲がいっぱい出て来た。Jポップが盛んになって来た時代ですね。日本のバンドの作り奏でる、和製のロックや、アップテンポやビートの利いたノリノリの曲や、聴かせるバラードなど、とにかくこの頃、日本人の若手アーチストの優れた良い和製ポップスが、ブワッといっぱい出て来たんですね。シンガーソングライターもガールズバンドも、この時代にいっぱい出て来て、次々と止めどなく、Jポップの良い曲を出して行った。80年代は全体的に音楽技術も、ぐんと進化し高度になって行ってた。その音楽技術がJポップの発展を支えたとも言える。



 僕は80年代後半も90年近くになると、もう日本人若手アーチストの、バンド・ロックやJポップばかり聴くようになった。で、ここからしばらく洋楽は聴かなくなった。80年代末から90年代は音楽CDのレンタルショップが盛んになって行った時代ですね。VHSのビデオソフトと共に、レンタルショップが隆盛して行った。僕も自分が凄くお気に入りで手元にCDで持っていたいものはセルCDを買って来て、あとはほとんどレンタルショップで借りて来て、カセットテープに録音してた。あの時代、みんなそうだったと思う。Jポップの曲をアルバムでいっぱい借りて来て、いっぱい音楽カセット作ってた。

 90年代に入っても、レンタルショップでCD棚をいろいろと見て回ってて、70年代後半から80年代前半に夢中になった外人アーチストたちの、新しいアルバムやベスト盤を見つけて、そういうのは、タマには借りて来てカセットテープに録音して聴いてた。90年代2000年代は自動車の中で聴くことが多かったな。

 YouTubeが初めてネットに登場したのって、2005年内か。YouTubeが日本のネットで盛んになったのって、2006年ですよね。2006年、2007年頃からネットは動画の時代になった。僕が自分の私的なパソコンを持ったのって、2004年の末で、インターネットで遊び始めたのは05年から。06年とか07年になって、YouTubeでアップされてる動画で音楽を聴き始める。とにかく懐かしくて、昭和の昔に聴いた歌の動画を捜しては聴いていた。60年代70年代80年代。その内、僕が洋楽に熱中していた70年代80年代の欧米のヒット曲を捜しては、動画を見ながら、懐かしく昔を思い返したりしながら、昔熱中して聴いた名曲の数々をイロイロ聴いていた。うろ覚えの曲タイトル、歌った外国人アーチストの名前を、あーだったか、こうだったかと思い出しながら、YouTube内で欧米の昔の曲を捜した。考え考えして思い出し、何とか70年代80年代に聴いていたお気に入りの曲に辿り着くのだが、中にはどうしても思い出せない曲がある。そういうのは曲のメロディーやイメージ、曲の一節のフレーズは覚えてるんだが、曲のタイトルとアーチスト名がどうしても解らないのだ。一生懸命、検索して捜した。

 僕が東京・関東圏で生活してた十年ちょっとの期間に買って持っていた、かなりの数量のドーナツ盤・LP盤のレコード盤は、あらかた処分してしまってたから、手元に無いので、確かめようがなくて。と、いうのは、僕の親父の住まいの押入れに、僕が東京から持って帰って来ていた、古いレコード盤と漫画本と単行本・文庫本と、膨大な量を、僕が置き場(保管場所)に困って、置かせて貰っていた。僕自身は、親父が僕が15歳のとき、愛人の元へと家を出て行ってから、ほとんど縁がなかったのだが、親父と妹との関係から、親父と母親や妹とは行き来があって、時々会っていた。僕は母親や妹の使者として時折、仕事帰りに親父のトコロへ寄ることがあった。当時の親父は、親戚の伯母さん、親父の実姉の一人が、愛人の住居から愛人の長男に追い出されて、住む家の無い親父のために、親父にアパートの一室を借りてやってた。ところが、ヤク中で暴れる息子のところから逃げて来た愛人が、親戚の伯母さんが借りてやってたアパートにまたやって来た。親父はまた愛人と暮らし始めたが、そこへム所帰りか、息子がまたやって来た。息子の大嫌いな、僕の実父の親父を、その部屋からも追い出して、愛人母子で親父の部屋を占領し、伯母さんはカンカンになって怒ってた‥。って、この話は書き始めると、あれこれ複雑で凄く長くなるので、もうやめとこう。まあ、あんまり良い話じゃないし、僕もそう思い出したい話でもないしね。我が家の超特大黒歴史。我が家の黒歴史の始まり、根本だし。



 要するに、親父の一人暮らしの住まいの押入れに置いといたけど、その内、親父も高齢で施設に入り、その公営住宅は建て替えのために取り壊しになって、家ともども僕の古レコードと古書の山は一緒に廃棄されてしまった、という訳です。で、僕の愛したかつての洋楽曲レコード盤群はなくなってしまって、僕が十代末から三十アタマくらいまで聴いてた懐かしの洋楽ポピュラーの数々を、今になって思い出そうにもなかなか思い出せず、思い出したいけどどうしても出て来ないときに、切り札としてン十年前に買ったレコード盤ジャケで調べる、というようなコトはできないのだ。という訳です。家ごと廃棄になっちゃったから。
※(解りにくい記述なので、はっきり説明すると、伯母が僕の親父のために、親父が独りで住むという条件で、借りてやったアパートの部屋に、暴れる息子から逃げて来た愛人が住み着き、その後母親を追って息子がやって来て、しばらく三人で住んでいたんだけど、僕の親父を嫌いな愛人の息子が親父を追い出して、アパートの部屋を乗っ取り、仕様が無く親父は公営アパートに単身引っ越した。僕の東京から持ち帰って来てた荷物は、この親父の一人で住む部屋に置かせて貰っていた。という事情ですね。)

 寄り道はいかん、本題に戻ろう。というか本題を進もう。で、まあ、僕はパソコン・ネットのYouTubeで、いろいろ昔の曲を捜しては聴いていて、思い出せない曲はイロイロ検索掛けて捜して、何とか探し出し聴いてた訳ですね。で、どうしても見つからない曲があって、というか、その曲はサビのメロディーとか曲のイメージは覚えてるんだけど、英語原題も曲の一節も、日本版売り出しのタイトルも、全く思い出せない。ああでもないこうでもないと検索掛け続けて、とうとう解らず、何ヶ月も解らず終いで諦めてたんだけど、ふとしたコトで捜し始めてからそれこそ二年くらい経って、偶然、解った。どういうふうに偶然解ったのかを、寄る歳なみでボケが来てるのか、それを忘れてしまったんだが、とにかく、まあ、曲が解った。めでたしめでたし。



 その曲は、ああ、こんなタイトルだったんだ、って驚いた曲名。原題は「Pilot Of The Airwaves」で、歌ってる女性ボーカルはCharlie Dore -チャーリー・ドア-という名前のイギリス出身の女性ミュージシャンで、日本版売り出し時のタイトルは「涙のリクエスト」。1979年の洋楽ヒット曲。ちなみに日本のバンド、フミヤのチェッカーズのヒット曲「涙のリクエスト」は1984年1月発売の歌だから、チャーリー・ドアの「涙のリクエスト」の方が四、五年早いことになる。チェッカーズの方が、洋楽タイトルのパクリっちゃパクリになる。

 僕は当時、TVを持たなくて日々全くTV見てなくて、家に居るときはラジオばっかり聴いていた。で、当時、土曜か日曜深夜の、十朱幸代さんがDJしてたアメリカポップス、ビルボードベスト10の紹介番組やってて、ある日の放送で、上位曲でこのチャーリー・ドアさんの「涙のリクエスト」流してた。それ聴いて僕は翌日直ぐにレコード屋走って、「涙のリクエスト-Pilot Of The Airwaves-」のドーナツ盤を買って来て、それからもう何度も何度も聴いた。79年の末とか80年頃でしょうね。あれから幾星霜、ン十年経って曲名とかアーチスト名とかすっかり忘却だった訳です。

 で、解ってからYouTubeで何度も何度も聴いてます。とっても良い曲です。大好きな曲の一つです。まあ、洋楽で大好きな曲はいっぱいいっぱいあるけど。あの時代も大好きでこの曲に熱中して、六畳間で一人、ステレオコンポ大音響で何度も何度も聴いていた。



 このブログのタイトルは「断片日記」で、ブログ主の僕としては物事のあれこれをなるべく短く書いて行こう、として開いたブログだったのに、つまり、Twitterの140文字だけじゃあまりにも短か過ぎるから、この「断片日記」で少しだけ長いのを書いて行こうとしてたのに、毎回毎回ダラダラ長くなり過ぎてる。今回も余計な説明ばかりがいっぱいで長くなり過ぎた。もの凄く長い。Twitterより長めの断片でいいのだ、この断片日記は。

 要するに、昔好きだった洋楽をネットで聴こうとしたが、曲の心当たりを何も思い出せなくて検索してもさっぱり解らず途方に暮れてたが、何かで偶然解ってネットで聴くことが出来て良かった、というそれだけの話。メチャメチャ長くなり過ぎた。

※(ここの記事、タイトル『涙のリクエスト』はもともと、最初、BigLobeのウェブリブログで投稿した記事文で、その後ウェブリブログ退会して、そこにアップしていた記事文の大部分をFC2ブログへと引越しさせちゃって、その内幾つかだけ、Gooブログの『Kenの漫画読み日記。』へと移したので、ここの記事『涙のリクエスト』はだから、当初ウェブリブログ『断片日記』で揚げた記事文の移行再掲記事です。)


チャーリー・ドア:涙のリクエスト(Pilot Of The Airwaves )収録:Where to Now CD, Original recording remastered, Import

◆チャーリー・ドア:Listen Import


 曲のメロディーやイメージを思い出すと、もう聴きたくて聴きたくて、というよりも、とにかく探し出したくて、何か凄い執着心が沸いて来ていて、アーチスト名も英語原題も日本版タイトルも何も思い出せないけど、何か、歌の内容が深夜ラジオのDJがらみだったよなあ、ってその部分だけ頼りにあれこれ思い出そうと必死に考えて、「愛しのミッドナイトDJ」とか考え付いて検索してみたり、狂わんばかりに捜し続けたがとうとう解らず。解らず終いで諦めていたけど、どうして解ったのか、とんと思い出せないんだけど、二年越しくらいで解った。多分、ネットサーフか検索掛けてて、全然関係ないトコ、ネットで回ってたか、検索掛けてたかで、偶然何か行き当たったんだろうね。それは文句だったのか、画像だったのか、今となっては全く思い出せないんだけど(爺ィになってボケが来てる)。日本版売り出しタイトル「涙のリクエスト」が解ってからは、検索掛けて、チャーリー・ドアさんの「Pilot Of The Airwaves」について詳しく書き込んでくれてるサイト見つけて、チャーリー・ドアさんのコト、よく解ったけど。

 日本版シングルのレコードジャケットの絵柄もすっかり忘れてて、ン十年前に当時のレコード屋で買って来て何度も何度も聴いてたのに、ああそうか、こんなジャケ柄だったんだ、と驚きぎみで思い出した。アーチストの写真ジャケとばっかり思ってたら、イラストだった。で、当時のこと思い出して、そういえば、どうしてアーチストの写真を貼らないんだろう?とか、どんな顔してんだろう?とか思いながら聴いてたな、とか記憶に戻って来た。まあ、たいした問題でもないけど。

 Charlie Dore という名前と Pilot Of The Airwaves という曲名が解ってからはネットの動画で何度も聴いて、懐かしくも嬉しく楽しんだけど、ここで初めてチャーリー・ドアさんのルックスが解り、別に不美人とは言わないが、まあ、美人!と言える程ではないか(ゴメンナサイ)、と思って、成程、1979年か80年の当時、レコード会社の担当員は、日本版を作るに当たって、タイトルを「涙のリクエスト」なんて深夜DJがらみにして、ルックスが不美人でもないけど、それ程は美形でもないので、イラストにしたんだな、とか納得したものだ。チャーリー・ドアさんごめんなさい。


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