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「ブラック巨人」-どやたかし・作画-

 「ブラック巨人」は1964年の週刊少年マガジンの夏季に連載されました。はっきりした連載期間がよく解らないのですが、64年マガジンの第28号に新連載されて、第39号か40号あたりまで連載されたと思います。10回と少しの連載なので短期間といえば短期間なので、週刊マガジンの短期集中連載かな。

 僕の記憶では巻頭での2色カラーや4色カラー扉などでの掲載がなく、連載期間中ずっとマガジンの後ろの方の掲載だったから、漫画の人気そのものはあんまり出なかったのかなぁ。

 「ブラック巨人」はSF漫画で、どうだったろう?宇宙人とかではなくて正義の天才科学者が作り出した超人だったような。はっきり覚えていませんけど。ふだんは主人公少年の影の中に潜んでいて、少年に危機が迫ったり、少年が呼び出すと現れるスーパー巨人だったような。

 ブラック巨人はロボットでもなかったよな。主人公少年の父親が科学者で、そのお父さんが作った正義の超人じゃなかったかなぁ?それともやっぱり宇宙人だったのか?解りません。

 どーも、「ブラック巨人」の週刊少年マガジン連載期間は1964年第28号から40号までの13回みたいですね。

 「ブラック巨人」はその後、まとめたものが単行本化されたのだろうか?まだ貸本があった時代だもんな。コミックス単行本化はされてないんじゃないかな。貸本だとA5ソフトカバー単行本かB6ハードカバー単行本。コミックスだと新書版。新書版コミックスが登場するのは1966年からだと思うから、この時代に仮にもし単行本化されてたなら貸本だな。

 原作者と構成作家と作画者と三人も絡んでるので単行本にするのが難しいとかあったのかな?どうか全く解りませんけど。

 構成作家として、この時代まだまだ売れっ子漫画家の堀江卓氏が間に入ってるんだな。A5貸本でばかり描いて来たどやたかしさんがB5雑誌で描くので、要領が解らないだろうと、画面構成を堀江卓さんがやったのかな?

 堀江卓さんは1950年代後半から63年頃までは、「矢車剣之介」「天馬天平」「ハンマーキット」「太陽仮面」などの連載で少年雑誌界で超売れっ子だった人気漫画家さんです。少年雑誌では60年代後半まで主に忍者ものなど時代劇アクション漫画を描いてました。漫画家としては50年代後半から60年代前半の“大家”と呼んで良い作家さんだと思う。

 堀江卓さんは「スパイキャッチャーJ3」や「少年ハリケーン」などの現代ものアクション漫画も人気がありましたね。

 堀江卓さんは「ブラック巨人」連載当時は同じマガジンに「隠密剣士」を描いていた。テレビの大人気実写忍者アクション時代劇のコミカライズ。

 どやたかしさん作画のSF漫画「ブラック巨人」は、週刊少年マガジン連載時はリアルタイムで全回読んでるのだけど、後にコミックスなどまとめたものを読んでないので、何しろ数十年前の記憶だし、覚えていることがあまりない。コミックスにもなっていないような気がするんだが…。

 エピソードはね、3話くらいあって最後の事件は、対敵が巨大なトンボだった。大きな湖だっけか河川だっけかで巨大なヤゴが発見され、それがやがて巨大なトンボとなって人間を襲う。体長15メートルくらいありそうなオニヤンマの超でっかいの。

 「ブラック巨人」のことは、主人公少年の影から現れて身長10メートルくらいの大きい超人で、エピソードの一つに超でかい怪物オニヤンマが出て来て、ブラック巨人と戦うことくらいしか覚えてないな。その巨大トンボは一匹だけじゃなくて何匹もいたような…。はっきりしません。

 「ブラック巨人」作画者のどやたかしさんは貸本漫画家で、構成クレジットで名前の着いてる堀江卓さんは1950年代からの大人気超売れっ子漫画家で、原作者クレジットのおかしのぶさんて誰なんだろう?おかしのぶさんて名前のヒット歌謡曲の作詞家がいたような記憶があるのだが…。

 “おかしのぶ”さんをネットで調べました。漫画原作者でも歌謡曲作詞家でも小説家などでも、“おかしのぶ”さんの名前は見当たりませんでした。ネットで調べてもおかしのぶ先生が何者なのか誰なのか全く解りませんでした。歌謡曲の作詞家で見たことがあるような気がするのは、僕の勘違いでした。

 歌謡曲の作詞家の名前では結城忍さんがいて、演歌など歌謡曲の作曲家では岡千秋さんがいますが、おかしのぶさんの名前は見つかりません。もっとずっと若い人なら女流歌人で岡しのぶさんがいますが「ブラック巨人」当時は生まれてません。絵本作家にもおかしのぶさんが存在するようですが、この方も若い人ですね。

 「ブラック巨人」の原作者、おかしのぶさんがどういう方か全く解りませんでした。勿論、他に何か携わった作品があるのかどうかもさっぱり。

 やっぱり“おかしのぶ”さんの関わってる漫画作品は1964年の「ブラック巨人」しか見つかりませんねぇ。誰か他の漫画家や作家の覆面ペンネームかも知れませんね。「ブラック巨人」が当時話題になって人気の高い長編漫画だったら、例えば「エイトマン」や「スーパージェッター」みたいにテレビアニメ化とかされてたなら、何か当時の情報が残ってたのでしょうが、当時の「ブラック巨人」は毎週、マガジンの最後の方にカラー扉一度もなく掲載だし、連載は13回で終了だし、そんなに子供人気も出なかったし。

 “おかしのぶ”さん、解りませんでした。1964年時を単純計算しても今から59年前だから、今現在ご存命だったとしても、かなりなご高齢ですね。

 どやたかしさんの漫画は僕の小学生時代、貸本漫画でよく読んでました。僕がほとんど毎日、当時の住み家の近所の貸本屋に通っていたのは、小一の晩秋頃から小五の初めの春頃までですね。約4年間くらいかな。

 主に貸本漫画を描いていたどやたかしさんは、貸本漫画の中では絵は上手い方で、貸本劇画の絵柄でしたね。僕はどやたかしさんの漫画は貸本漫画出版プロダクション、横山プロの貸本単行本で読みました。横山プロは漫画家·横山まさみち氏の会社ですね。

 僕は市販雑誌の掲載では、どやたかし先生の作品はマガジンの「ブラック巨人」だけしか記憶してないけど、多分、他にも短編読み切り作品などを多数、市販の少年·少女誌に描いていると思います。

 横山プロから刊行したどやたかしさんの貸本漫画作品は、絵柄も劇画タッチ系なのでアクション劇画が多かったように思います。少女漫画系も描いていて、少女漫画はホラー漫画ですね。ホラーやサスペンス。

 どやたかしさんには青春漫画もあったように思うな。恋愛コメディーというよりも割りとシリアスな内容の青春漫画。ちょっと人生ドラマ系かな。

 横山まさみち先生は自分とこ横山プロから「独眼探偵シリーズ」や「ファイトメンシリーズ」などの探偵アクション劇画や、「あぁ青春 シリーズ」のような学生青春ものをシリーズとして定期刊行していました。

 そういう横山プロのシリーズ漫画の単行本の後半部の中の巻末20~40ページくらいによく、どやたかし先生の短編青春漫画などを掲載してました。短編サスペンスものなどもあったと思います。

 どやたかしさんのことをネットで調べたのだけど、デビューは貸本漫画で1960年のようですね。最初は時代劇ものが多かったようです。剣豪時代劇。アクション劇画やサスペンスものも多いみたいですね。

 横山まさみち先生の横山プロに参加したのは遅くて、マガジンの「ブラック巨人」の連載を終えた1964年10月からのようですね。僕の記憶ではどやたかし先生の貸本漫画は主に横山プロ発刊本で読んでいるのですが、僕が本格的に漫画を読み始めたのは1963年初頭の年齢7歳になる直前くらいからだから、どやたかしさんの横山プロ参加以前の、太平洋文庫発刊の貸本でも作品を読んでいるでしょうね。横山プロ以前は主に太平洋文庫で描いていたようですから。

 漫画家-どやたかしさんは貸本時代もギャグ漫画以外は、時代劇から現代アクション劇画、シリアスなドラマ、青春もの、少女漫画系のスリラーやサスペンスものと、さまざまなカテゴリを器用に描き分けていました。どちらかというと劇画系の絵柄で貸本漫画家にあっては絵の上手い方でした。

 戦後の貸本漫画は1967年~68年頃になくなってしまって、そのとき、数多くの貸本漫画家が市販雑誌に移って行ったのですが、どやたかしさんも60年代後半は市販雑誌に行って描いてますが、僕の記憶だとどやたかしさんの作品は少年雑誌で見た覚えがないですね。 

 多分、どやたかしさんも60年代後半、仮に長編連載がなくとも短編読み切りなどで少年雑誌で作品を描いているとは思うのですが、どーも、僕は読んだり見た覚えがないですね。

 どやたかし氏は、60年代後半からは週刊マーガレットなど少女誌に作品を描くこともあったようですが、貸本消滅後の60年代末から70年代、成人コミック誌に多数、作品を描いているようですね。

 60年代末頃から漫画出版界は青年コミック誌が何誌も創刊されて、70年代に入ると劇画全盛時代となり、青年コミック誌、成人コミック誌、エロ劇画誌などの“大人の漫画”が隆盛となり、劇画系漫画家が引っ張りだこになりました。

 “大人の漫画”と言いますか、エロ的な描写も含む内容の漫画~劇画ですね。青年誌、成人誌だけど、早い子は高校生くらいから読んでたと思います。大人の鑑賞にも耐えてエロ描写もある、青年~成人対象のコミック誌ですね。

 60年代後半からはもう大学生が漫画を愛読する時代になってましたから、67年~70年頃に創刊された青年コミック誌は、大学生が読者対象という面も大きかったですね。

 どやたかし氏はその絵柄が劇画的で少年誌には合ってなかったのか、貸本消滅後は成人コミック誌での作品提供が多いですね。画風だけでなくストーリーの内容など作風も大人ウケだったのだと思います。

 ビッグコミックなどの青年コミック誌での寄稿はどうだったのかなぁ?双葉社の漫画ストーリーなど主に成人コミック誌への寄稿が多かったようですが、平凡パンチなどのヌードグラビアの載った若者情報誌への劇画作品寄稿もあったようですね。

 

 どやたかし氏は、60年代末頃からの、青年誌~成人誌に作品を発表する際は、作家名「どやたかし」ではなくて「牧真介」というペンネームを使っていたようですね。この牧真介の名前は、貸本時代、まだ横山プロに参加する前の太平洋文庫などで作品を出すときにも、ときどき使用していたようです。

 どやたかし氏の漫画は、特に僕が小学生時代、当時の貸本で借りて愛読していたので懐かしいです。

 

 

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