60~90年代名作漫画(昭和漫画主体・ごくタマに新しい漫画)の紹介と感想。懐古・郷愁。自史。映画・小説・ポピュラー音楽。
Kenの漫画読み日記。
「うるとらSHE-シー-」「ビタミンI-アイ-」
都内住宅地に立つ一軒の民家は、片方の道路に面しては昔ながらの八百屋店舗、片側通りに面しては洒落たデザイン事務所、という細長い平屋で、真ん中で繋がってて風呂·トイレなどは真ん中で共有となっている。ここに住む二人のグラマー美人が、1人は美貌の女性デザイナー、六条千草22歳独身、1人は八百屋の美人女将にて16歳、しかしミセスの小原マキ。
この二人のグラマー美人と、16歳マキちゃんの亭主のオヤジが織り成す騒動を描くユーモア生活コミック。マキちゃんの亭主はけっこうオジサンに描かれてるからだいぶ年の差結婚みたい。デザイナー·千草はどっちかというと内気な方でおとなしめで恋愛にも消極的。活発で行動的な美少女-マキちゃんが恋愛に引っ込み思案な千草を駆り立てて引っ張り回し、それが騒動に発展するコメディー劇。グラマー美女二人の活躍はお色気抜群。ドタバタ調もあるかな。
というのが「ウルトラSHE-シー-」の物語。
「ビタミンI-アイ-」の方は、住宅街(マンモス団地)に越して来た薬局店舗の美人薬剤師-アイちゃんは未亡人で、グラマーな魅力的美女。住宅街に住むさまざまな男たちを虜にして行き、その住宅街の人々との交流が騒動を巻き起こす、生活ユーモアコミック。
「ビタミンI」の方はね、若い頃、凄く関心は強かった漫画なんだけど、きちんとちゃんと読んだ作品じゃないから、詳細はあんまりよく解らないんだよね。ごめんなさい。でも望月三起也先生描くヒロイン、薬剤師のアイちゃんがスタイル抜群な美人で魅力的で、主人公の漫画絵は目に焼き付いている。
「ビタミンI-アイ-」も「ウルトラSHE-シー-」も望月三起也氏作画の青年~成人向けのお色気コミックです。お色気コミックというか、ユーモア生活コミックでけっこうお色気シーンも入ってるかな、という作品ですね。普通の等身大の市井の市民の生活をユーモラスに描き、モロに性愛シーンとか入れたエロ漫画ではないのですが、まぁ、青年~成人向けコミックとしてお色気シーンもある、という程度かな。大人向け生活ユーモア漫画ですね。
「ビタミンI-アイ-」が小学館の青年コミック誌-ビッグコミックに連載されていたのは、1971年中なのですが、ちょっとこの当時のビッグコミックの第何号から何号までの連載かが解りませんでした。1968年に月刊誌として創刊されたビッグコミックが翌年4月から隔週刊(月二回刊)誌となって2年目、創刊から3年目の連載作品ですね。コミックス単行本としての「ビタミンI-アイ-」は小学館からではなく、1974年に大都社から全2巻で刊行されました。
「ウルトラSHE-シー-」もビッグコミック掲載で連載期間は1972年中だから、ビッグコミック誌上で「ビタミンI」の連載が終了して直ぐに後続で「ウルトラSHE」の連載が始まった形になりますね。
「ウルトラSHE」もコミックス刊行は小学館からではなくて、連載終了からだいぶ経って1982年に朝日ソノラマのサンコミックスからですね。
60年代後半、1967年頃から雨後の筍のように“青年コミック誌”が多数創刊されました。読者対象が18歳以上の青年~大人の漫画雑誌ですね。永井豪が初めて、というくらいに画期的に1968年から連載開始した「ハレンチ学園」で少年誌で漫画絵といえど、少女のヌード絵を描きましたが、それまで少年·少女雑誌では性的な表現は勿論のこと、女性のヌードはタブーでした。
60年代後半に創刊された青年コミック誌では、漫画で女性のヌードを描くのは勿論OKで当時も軽い性的表現は描いてもOKでした。だいたい当時の青年コミック誌には女性のヌード写真のグラビアが巻頭に着いてたし。青年コミック誌のヌードグラビアは当時は外国人の若い女性のが多かったですね。
60年代後半から70年代前半の僕は中学生~高校生時代ですから、色気づいてから女性や性的な事に興味津々、もう頭の中は毎日女性の裸でいっぱいみたいな時期でした。
中学生~高校生時代は青年コミック誌が読みたくて見たくてしょうがないような時代でした。特に望月三起也先生の描く青年コミック誌掲載の漫画も見たかった。望月三起也先生の描く若い女性はセクシーさ抜群でしたからねぇ。
僕の中三~高校生時代、僕ンチはひどい貧乏で…、凄まじい貧乏で、と書こうと思ったけど、確かに三食-食べるのと高校行けるの以外、高校生時代、かなり貧乏で衣服なんて全く買えなくて、家では中学の頃のシャツやセーターと、親父が昔穿いてたボロボロ作業ズボン、小遣いなんて全くなかったけど、まぁ、食べれてたしな。オヤツみたいな菓子は食えなかったけど。
高校生時代は最初、朝、母親が作ってくれる弁当持って行ってたけど、同級生たちがみんな校内の学食でうどんかカレーライスか定食食べてて、弁当昼食の同級生がかなり少なかったんで、僕も学食で食べるかパン食にしたくて母親に話して、毎朝昼飯代100円にして貰って、高二のときどきや高三時は昼ご飯食べないで小遣い作って、文庫本の大衆小説買って読んでたな。学校帰り掛けに友達と同行するのに幾らか小遣い持ってるのも必要だったしな。
高校の帰り掛け、帰宅部の僕はよく本屋に寄って立ち読みしてた。小心で厚かましさのない僕は、本屋の店員の手前、手に取ってパラパラ見るのがやっとだったけど、毎日のように本屋に寄って帰ってたな。
高校生になっても漫画大好きだったけど、小遣いがないからせいぜい本屋の店頭でパラパラめくる立ち読みがやっとで、漫画も満足に読めなかった。僕の高校生時代って1971年~74年春くらいだけど、青年コミック誌にも興味津々だった。
僕ンチは大貧乏だったけど、何故か母親が新聞だけは取ってた。新聞の広告らんに当時のビッグコミックの広告なんかも載る。当時の青年コミック誌も、僕が小学生·中学生時代に熱中したり親しんだ漫画家が作品を描いていた。
ビッグコミックなども家でじっくり読みたいなぁ、と思ったものだ。
読んだことないけど、当時、ビッグコミックに連載されてた「ビタミンI」は知ってた。1971年は僕は高一だ。小学生·中学生時に少年誌のアクション劇画でメチャ楽しませて貰った望月三起也氏の作品だ。
中学生の頃から思ってた、望月三起也氏描くヒロインは妙に色っぽくて魅力的。要するにセクシー。中学生の頃、少年キング誌上で読んだ「ワイルド7」のヒロイン、喫茶店·女性マスターのイコには魅せられてた。
当時、ビッグコミック連載中の、望月三起也氏描くお色気コメディー·コミックの「ビタミンI」は読んで見たくてしょうがなかった。高校生の僕は本屋の店頭でビッグコミック、パラパラ見たりはしてたろうけど。
前にもここのブログで書き込んだけど、僕の中学生時代、週刊少年キングを買って来て、「ワイルド7」の初期の掲載を読んだら、「バイク騎士事件の巻」で、この「バイク騎士事件」のエピソードは週刊少年キングに10年間も続いた大長編連載の「ワイルド7」、エピソード48話の中でも第2話で、多分、僕が中二のときじゃないかな、と思う。
その号のキング掲載分「バイク騎士事件」では、「ワイルド7」の主人公-飛葉の行きつけの軽食喫茶-ボンの女性マスター、ヒロインのイコが犯罪組織-バイク騎士一味に誘拐拉致監禁され、コンクリート閉鎖の密室で本物そっくりの豹の着ぐるみに入れられる。
その後、不覚にも飛葉大陸も拉致されて連れて来られて、豹のぬいぐるみを着せられたイコのいる部屋に一緒に入れられる。豹のぬいぐるみは本物そっくりでイコが入ってるから動く。飛葉は恐怖する。口元が細工された着ぐるみは、イコの声が出なくて何か喋ろうとすると、本物の豹のようなうなり声になってしまう。
本物の猛獣と勘違いした飛葉は恐怖に戦慄し、近くに置いてあったムチを手に取る。着ぐるみの中のイコには飛葉だと解り、助けて欲しくて飛葉に近付く。
しかし、豹の着ぐるみにイコが入っていることを知らない飛葉は、猛獣への恐怖からムチを振るって戦う。愛する飛葉のムチが当たり、イコは叩かれる痛みに苦しむ。なおも飛葉のムチが豹=イコを襲う。苦しみもがくイコだが助けを求める叫びは、低いうなり声となってしか出ない。
イコは飛葉が好きで、飛葉もイコを憎からず思っている。いわば相思相愛に近い。それなのに愛する飛葉にムチで叩かれ苦痛にのたうつイコ。飛葉は本物の猛獣と思ってムチを振るい続ける。
また、望月三起也先生が、豹の着ぐるみを透かして苦しむイコの絵を重ねて描く描写が、変態セクシー的に気分をそそるんだよね。変態気分を。
このシチュエーションに中二·13~14歳の僕は興奮した。多分、まだ13歳。後にこのときのことを思い返すと、俺も変態的要素があるんだなぁ、と思ったものだ。漫画の中の1シーンだけどね。
多分、これくらいの時期だと思うけど、多分13歳くらいのときだと思うけど、僕は小さい頃から毎日せっせと趣味で家で漫画を描いてたけど、これはまだ鉛筆描き漫画だったけど、一度、変態気分で漫画を描いたことがあった。
主人公の恋人のヒロインが悪の犯罪組織に捕えられて、同じく拘束された主人公の目の前でヒロインの顔を無理やり醜く整形手術して行くという、サディスティックなシーン。まだ子供域の少年の僕はそんなの鉛筆書き漫画で描いて1人で興奮してた。
変態の芽生え。でも僕は別に、この半生で性犯罪を起こして逮捕されたことなんて一度もないですよ。当たり前だけど。
2022年の10月に書き込んでアップした記事「クリちゃん」の中で、ワシの昔の思い出語りで、小五か小六のときの、多分、小六だと思う、僕が友達の万引きに着いて行き、ビビリの僕が「見張りしといてやる」と言いながら、かなり離れたところから見ていた、そのときの万引き実行した友達、IK君、彼はその後、万引きした戦利品をその店に戻しに行って「やっぱり要らないから金を戻してくれ」と領収書なしに見事、現金を得て来た、悪質だけどその度胸と落ち着きに驚いた、勿論、同級生のIK君。
IK君は僕の小五·小六時分に転校して来た同級生で、多分、クラスは違ってたと思う。僕ん家から100メートルくらい行った先の隣町のアパートにお母さんと二人で住んでた。隣町と言っても当時の国道挟んだ直ぐ近くの、住所名的にまぁ、名前が違う隣町だった。
クラスが違うのにどうして僕が彼の万引き冒険に着いて行くほど、仲良くしてたのかよく解らない。子供の頃は僕は意外と社交的だったかな。大人になって内気になって人見知りが強くなり非社交的になったかな。
IK君とは中二のとき同じクラスだったな。小学校、中一·中三は別のクラスだった。彼は中三のときか中学卒業後か引っ越して行ってしまった。中三ではほとんど彼とは遊んでない、というか一緒にいたことがない気がする。
中一のときだろうか中二のときだろうか、僕はIK君の家に遊びに行った。IK君のお母さんは水商売の仕事をしていて、夕方お邪魔するとお母さんはいなかった。僕はIK君と二人きりで彼の部屋で遊んだ。
遊んだといっても別に、ただ彼の部屋のベッドの下にあった青年コミック誌を見せて貰っただけだ。
万引きをしたくらいだから、特に不良という程でもなかったけどIK君はまぁまワルガキだった。12、13歳くらいなのに近くに立ってるラブホテルにいたずら電話したりしてた。
IK君の部屋のベッドの下に隠してたのか置いてたのか、エロ本的な青年コミック誌は僕には新鮮だった。そのとき僕もエロ漫画本が欲しいと思ったに違いない。その当時、僕もワルぶった言動もしてたが、本心は小心臆病でとても不良的な真似はできなかった。
その当時は、興味津々でもとても本屋の店頭にある青年コミック誌や成人コミック誌をパラパラ見るなんてことはできなかった。怖くて。僕の小六~中学生時。
小六か中一の頃、近くのアーケード商店街の本屋の店頭にある、成人コミック誌(ビッグコミック·漫画アクション·プレイコミック·ヤングコミックが創刊される前から成人漫画誌は何冊か刊行されてた)を興味本意でパラパラ捲ってたら本屋の若い店員のお姉さんに「うわあ~エッチやねえ」と繰り返し言われて、恥ずかしくてたまらなくて、それは何かトラウマになってしまった。
家に帰ると多分、事務所の若い社員の男性、まぁ、親父の当時の部下にあたる、多分、Yさんだったんじゃないかなぁ、と思う、その人にその話をしたら「見せて悪いものなら置くな、と店員に言ってやれ」と言われた。そのときは子供の僕は多分、なるほどなぁ、と思ったものだと思う。
だいたい小さな頃から何でも雑誌が好きで雑誌に興味·関心の強かった僕は、中学生になって成人漫画誌·青年コミック誌に興味津々、本心は見たくて読みたくてたまらなかった。でも怖くて見れなかった。若い女性店員に言われたのがトラウマになっていたのだと思う。
で、多分、中二の初め頃なんだろうな、ひょっとして中一かも知れない、年だと1968年か69年のことだと思う。ビッグコミックの創刊が1968年2月、ヤングコミックの創刊が1967年8月、漫画アクションの創刊が1967年7月と、僕の中一·中二時代は1968年69年だから、メジャーな青年コミック誌は定期刊行されてた。
IK君のお宅にお邪魔したとき、夕方で、IK君のとこは母子家庭で美人のIK君のお母さんは水商売で働いていたから、夕方から仕事に出て行ってIK君と二人きりになると、IK君はベッドの下から青年コミック誌を何冊か取り出した。お母さんに見つからないようにベッドの下に入れてたんだと思う。
ウブな中学生だった僕はショックだった。多分、雑誌の巻頭に若い女性のヌードグラビアがあったと思うが、漫画大好き少年の僕には青年~成人向けのコミックがまぶしかった。多分、そのとき凄い魅了されたんだと思うけど、眼前のIK君の手前、僕は割りと平然を装ったんじゃないかな。
本心は、青年~大人向けコミックを貪るように見たかったと思うけど。
無論、その数冊の雑誌が何という漫画本だったかなんて記憶してない。60年近く昔の話だし。
その雑誌に収録された漫画の中に、望月三起也氏の作品があったようにうろ覚えで記憶にあるような気がするのだがはっきりしない。何か望月三起也氏のセクシーな女性登場人物を描いたシーンがあって、そのIK君の雑誌が欲しくて持って帰りたかったが、IK君に「譲ってくれ」なんてとても言えなかった、と思うんだけど。
仮に持って帰ったところで自宅では直ぐに母親に見つかるし、怒られるだろうし家族に対して恥ずかしいし。そのときはIK君の環境を羨ましく思ったと思う。
IK君は一度だけ僕ん家で夕飯を食べたことがある。僕ん家に泊まったことはないと思う。翌日か翌々日か、IK君の美人のお母さんが家に菓子折りを持ってお礼に来たのを憶えている。
多分、IK君ちで見た何冊かの青年コミック誌の、漫画絵で描かれた裸の女性に魅了され、頭から離れなくなって、おまけに少年キングのワイルド7で見た望月三起也描く美少女=イコのセクシーな絵も手伝って、実物の裸の女の人の写真よりも、裸の女性の漫画絵が見たくて見たくてたまらなくなってて、当時の兄貴の勉強部屋の兄貴の本箱タンスの底あたりの引き出しに、兄貴がエロ本を隠し持っているのを見つけて、そこには、平凡パンチや週刊プレイボーイやポケットパンチOh!なんかに混ざって、ビッグコミックやプレイコミックの青年コミック誌もあって、そのときは本当に嬉しかったと思う、僕はあまりの嬉しさで、女性ヌード絵をそのままにしとくのが勿体なくて、そのヌード絵をハサミでジョリジョリ切り抜いて、ノートに貼り付けて行ってコレクションにした。
13歳~15歳の頃だけど、切り抜いてノートに貼って行ってコレクション帳を作ったのは、多分、14歳のときかな。IK君ちでエロ漫画雑誌見せて貰ったのは13歳だろうか14歳だろうか。まだ13歳だったような気がするなぁ。僕の性の目覚めというのは13歳なんだろうな。けっこう遅かったような気がするな。
IK君との思い出も懐かしいな。IK君など僕の同級生たちもみんな、もう今は高齢者のお爺さんだ。あの日々に初恋みたく恋慕の情を抱いた女の子も、今や高齢者のお婆さんだなぁ。失礼。
望月三起也先生描くヒロインたちは魅力的だなぁ。望月三起也先生は美女たちの、例えばヒップをクローズアップさせた描写とか美女の躍動的なスタイルをセクシーに描くのが抜群にうまい。望月三起也先生描く女性の全身イラストには本当に魅了されますね。
「青春チンポジュウム」-プレイコミック連載-
ワルガキ中学生·昭如がいつもスーパーで目にする美人の女性。何とかこの女性とお近づきになりたいと昭如はスーパーでアルバイトをする。ワルガキ親友の森夫と重信に相談してスーパーの商品に、デートの誘いの手紙を仕込む。ワルガキ三人のエッチな妄想は膨らむ。
ある日街で見掛けたくだんのお姉さんは何と婦警さんだった。暗い夜の公園に美人のお姉さんを誘い出すも結局、昭如たちは何にもできず、お姉さんは帰ってしまう。三人は公園の樹木相手にせっせと自慰行為をする。
ヤクザの家のお嬢で一大勢力のスケバングループを率いるスケバンのボスも、鬼気迫る怖さを持つがスレンダー美人の女子高生。ある日川遊びをしている昭如ら三人は、このスケバン·ボス襲撃を企む他のスケバンらの話を盗み聞きする。
スケバン·ボスは怖いが美人お姉さんで、恩を売って童貞を捨てさせて貰おうと、他のスケバンたちの奇襲の企みをボスに告げ口する。襲撃を企んだ連中はボスにギトギトにのされる。
昭如ら三人はスケバングループに脅されて震え上がるが、結局、スケバン·ボスのお姉さんと素っ裸で川に入り、三人はあっという間に発射の童貞捨てを行うことができた。
昭如らのクラスの勝ち気な優等生の美少女·ヨーコは学年のマドンナ的存在。中学校の野球部には野球一筋のスポーツ万能·優等生の美男中学生が居る。彼は女子中学生たちの憧れのマト。
学年のマドンナ·ヨーコが好きな昭如ら三人は、ヨーコら女子が憧れる野球部の面々が気に入らない。特に女子大人気の野球部エースの美男優等生が気にくわなくてたまらない。
ヨーコら女子と賭けをするんだっけかな?野球部面々を昭如らが言いなりにできたならヨーコのキスが貰えるみたいな?
僕の二十代に雑誌連載リアルタイムで読んでコミックス全巻読んだ「青春チンポジュウム」を一昨年か昨年、電子書籍で読み返したんだけど細部はけっこう忘れててはっきりしない。
いたずらの悪知恵の働く昭如ら三人は、素行の悪い不良行為をワザとやって新聞に載り野球部が大会に出場できなくするぞ、と野球部の面々を脅迫して野球部の連中を子分か召使いのように扱う。
これでヨーコのキスを勝ち取るが、昭如らも脅迫行為を反省してヨーコとのキスは実行しないんだっけか?ヨーコもニンニク臭たっぷりの食事して応戦するが確か昭如らが降りてキスはやらないで去るんだよな。
昭如·森夫·重信の通う中学校に、正義感が強く凛として勝ち気でカッコ良い、ショートカット美人の英語教師が大型バイクに乗って赴任して来た。昭如たちは彼女を“フェアダナウエイ”と名付けた。“フェア”をモットーとする教師だからだったかな?
いたずら好き劣等生·昭如ら三人の悪知恵vs フェアダナウエイの正義感の戦いが始まる。昭如らがイロイロいたずらを行って、極めつけは修学旅行の宿泊先旅館。旅館の女子トイレに細工して女子トイレ使った女の子たちはみんな下半身がヒリヒリするようにいたずらして、旅館の大浴場に全員が下半身を洗いに入るように仕向ける。それに引っ掛かってフェアダナウエイもヨーコも大浴場に入る。何かそんないたずらで、昭如らのいたずらは成功する。その後、昭如らの失敗のオチがあるんだっけかな?忘れた。
修学旅行前から美少女·ヨーコと美人教師·フェアダナウエイはレズ関係になる。フェアダナウエイってのはアダ名で別に日本人黒髪美人なんだけど。本名忘れた。修学旅行の部屋のお布団でも美人教師と美少女中学生はレズる。
中学三年生のワルガキ3人組、木村昭如、広田森夫、鈴木重信は同じクラスの仲良しクラスメートで学業成績は悪く、何のクラブ活動にも入ってなくスポーツなど運動関係も駄目で、3人ともいわゆる劣等生だ。頭の中はいつもいつも“女”の身体と性的な妄想ばかり。クラスの中や先生たちからも陰では“落ちこぼれ3人組”と呼ばれている始末。
落ちこぼれ3人組が考えていることはいつもいつも“性”に関することばかりで、大のいたずら好きだが、そのいたずらも性的な目的になるものばかり。女の裸を見たいという単純なものから、女とキスしたい、女性の身体のあちこちを触りたい、モロに女とSEX したいと、その目的からいろいろないたずらや作戦を画策し行動する。そのターゲットは、スーパーで見掛けた美人のお姉さん、クラスの美少女優等生、美人女教師、スケバングループの大ボスと多彩。3人組の作戦からの行動は成功するかに見えてたいていは目的まで辿り着けず、自分たちの自慰行為で終わってしまう。ただスケバングループの大ボス、コブラの姉御とは最後までエッチができるけど。
女の裸が溢れてモロSEX までエッチなシーンが満載の学園コメディ漫画。この漫画はamazon でも成人向け商品扱いになってますね(今は成人向け指定は外されてるみたい)。
落ちこぼれ3人組はいつもいつも頭の中は性的な妄想でいっぱいで、性的欲望の妄想から、いろいろないたずらを画策し実行して周囲に迷惑掛けっぱなしで騒動も起こすけど、あくまで“落ちこぼれ”の劣等生であって、決してヤンキーとかDQN の不良ではない。勿論この時代DQN なんて言い回しはないけれど。良心も友愛感情も正義感も持ってるし根は良いヤツですね。
70年代~80年代アタマくらいの昭和後期舞台の、ミドルティーン世代の学園·青春群像劇かな。主人公は、勉強もスポーツもダメな劣等生の落ちこぼれ中学生三人組で、周囲のキャラに男女優等生や、勝ち気で正義感の強い英才美人教師や、やる気のない先生、不良スケバン高校生、戦前教育思想を受け継いだガチガチ校則厳守マッチョ体育教師、密かに悩みを抱えて独り苦悩している女子生徒たち、などなどを持って来て、多感な中学三年生時代の青春生活を描く。
原作·小池一雄-作画·神江里美のユーモア青春学園コミック「青春チンポジウム」は秋田書店の青年コミック誌「プレイコミック」の1977年7月から80年8月まで3年間連載されました。僕は76年か77年頃から青年コミック誌を愛読し始め、85年か86年頃まで毎月·毎週何冊もの青年コミック雑誌を購読してました。隔週刊(月二回刊)の「プレイコミック」も何年間か毎号欠かさず続けて購読してたと思います。だから「青春チンポジウム」も連載リアルタイムで読んで、後にコミックス単行本でも全編読み返しました。当時は大好きな漫画の一つでもありました。
面白かったなぁ「青春チンポジュウム」。コミックス単行本全巻をいつまでも持ってたので、僕は30代以降も多分二回くらい読み返してると思う。一、二年前に電子書籍で読み返したけど、老年になるとやっぱりそれほど感動的に面白いとは思わないなぁ。やっぱり自分が若かった20代で読んだ雑誌初出やコミックス買って来て読んだ初読が一番面白かったなぁ。若い頃は「青春チンポジュウム」は面白くて大好きな漫画だった。
高齢になって電子書籍で読み返すと、自分の中学生や高校生の頃、あるいはこの漫画が雑誌連載されたり初めてコミックス全巻読んだ当時の、70年代後半から80年代前半の時代を思い出して、懐かしく何やら胸がキュンと鳴るような感じを抱きますね。
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やがて森夫にはカヨ、重信にはアキコというカノジョができる。フェアダナウエイの名前が解った。昭如らのクラス担任·美人英語教師の本名は一ノ瀬安奈だ。モテモテ美少女·ヨーコの本名のフルネームも物語の何処かで出てたと思うけど、解らないなぁ。ヨーコは「青春チンポジュウム」のヒロインですね。「青春チンポジュウム」の主役は昭如·森夫·重信の落ちこぼれ三人組だけど、やっぱり一番の主役は昭如かな。
思春期真っ盛りの女の子、カヨもアキコも心に闇を抱えていて、陰湿な裏側を持っている。それを恋心というよりも友情のような純粋な気持ちと誠意で解きほぐすのが、ワルガキだった森夫と重信。そこから進んで二組はボーイフレンド·ガールフレンドというよりも恋仲になる。劣等生の森夫と重信は純真な気持ちの体当たりで“恋”を勝ち取る。
森夫とカヨ、重信とアキコの恋人カップルができあがる。あとは昭如とヨーコ。ヨーコは学園のマドンナ的存在の美少女で優等生。みんなは知らないが昭如ら三人は英語教師·フェアダナウエイとのレズ関係を知っている。ヨーコは学園中の人気を持つアイドル。
ある日、男子トイレの落書きに「ヨーコはバージンではない」との殴り書きがされていて、それが学園中のニュースとなる。落書きはどんどん増えて行く。誰か解らないが誰かが「相手は俺だ」だの何だのと根拠のない落書きをいつの間にか書き込んで行っている。
ヨーコに関しての便所の落書きが学園中の騒動となり、休み時間に生徒が大挙して新しい落書きを見に行く大騒ぎ。当のヨーコと教師·一ノ瀬安奈は笑いながら静観していた。森夫も重信もカノジョができる前まではヨーコに思いを寄せていた。ずっとヨーコのことが好きでいつもいつも気になっていたのは昭如だった。
ヨーコの本名が解った。葉山洋子だ。スケバングループの総帥·ヤクザの親分のお嬢·恐怖スレンダーの、まぁ美女になるんだろうか?眉毛ないけど、あのスケバン大番長は、通称コブラの姉御だ。大規模スケバングループ·コブラ会を率いるコブラの姉御。
物語の流れの話が前後するが、まぁ、思い出し思い出し書いてるもんで。昭如ら三人は筆下ろしでお世話になった女子高生大スケバン·コブラの姉御に拉致されて高級マンションか高級ホテルかの一室で、コブラの姉御と三人の男の子で4Pエッチの相手させられ、奉仕させられる。
中学校の学園祭にコブラの姉御とスケバングループが校門に押し寄せて来て生徒が恐怖におののくシーンとかもあったな。騒動を鎮めるために昭如ら三人が拉致されるんだっけか?詳しいイキサツ忘れた。
マンションかホテルの一室に監禁状態みたくなってて怯え震えてる昭如ら三人を救いに来るのは、担任教師·フェアダナウエイこと一ノ瀬安奈。超スケバンvs 一ノ瀬安奈の絵図になるのだが、安奈の一本筋の通った凛とした態度や度胸に免じて、昭如ら三人は解放され、担任教師と一緒に無事学校に戻る。
ヨーコの便所の落書きエピソードが途中だった。レズ関係の安奈によれば、学園中の人気の的、葉山洋子には学園アイドルの後光が射して眩し過ぎて誰も本気で手を出さない。みんなの人気アイドルだから男子生徒の誰もが敬遠して本気で口説かないのだ。ヨーコは本心はそれを寂しく思っている。
野球部四番エースのイケメン優等生もヨーコに気持ちを向けてるが、カタブツでスポーツと勉強第一とヨーコに対して行動には出ない。このイケメン優等生は結局、安奈先生とヨーコのレズ関係が不潔だとヨーコを諦める。
ヨーコの便所の落書きは騒動を起こすための誰か生徒のいたずらだった。昭如は頑張って頑張って一生懸命ヨーコを口説く。昭如は本気の本気でヨーコに惚れていた。
そうして、まぁ結局、昭如はヨーコをカノジョにすることができる。落ちこぼれ三人組の好きだという必死の気持ちと相手のことを芯から思いやる気持ちと一生懸命な誠意が、カヨ、アキコ、ヨーコの気持ちを解きほぐし、森夫はカヨ、重信はアキコ、昭如はヨーコと恋人どおしとなる。
大長編学園ユーモア青春コミック「青春チンポジュウム」はとても面白い漫画でした。楽しい内容で、決して自分の通って来た人生と重なる訳ではないけど、少年時代や青年時代を思い出して懐かしい気持ちを抱くことができました。
「ケンカの聖書-バイブル-」原作·梶原一騎,作画·石井いさみ
キラー·キラー、ダブルキラーの吉良旭。「ケンカの聖書-バイブル-」の主人公、吉良旭というロサンゼルスの下町を拠点とする、いわば不良少年の若者·吉良旭は壮絶な過去を経験しているらしく、そのため精神的にかなりねじくれた考えの持ち主。しかしケンカの天才で、ことストリートのケンカに際しては無限の危険な技のアイデアがあり、一切の格闘技スポーツの経験がないにも関わらず、抜群の運動神経も手伝って、ストリートのケンカがムチャクチャ強くて百戦錬磨のケンカの腕を持つ。
吉良旭は精神的にも生活面も荒んだ境遇で生きていて、ロサンゼルスの裏町を徘徊して回っているように毎日暮らしている。 あるとき吉良旭はアメリカ大都会で落ちぶれた空手家·甲賀正清と知り合う。甲賀の経営するオンボロ道場はどうにかやっと食べて行く程度の規模だった。
甲賀正清は都会のストリートで、細工をしたビール瓶や煉瓦を用いてインチキ破壊をし、道場入門生の勧誘を行っていたが、地元マフィアの息の掛かるプロレスラーに邪魔をされる。酒浸りで空手実力のなくなっている甲賀は絶対絶命のピンチ。
そこへ現れたケンカの天才·吉良旭がケンカの凶器ワザでいとも簡単に巨漢プロレスラーを撃退してしまう。仲間のマフィアから逃げる吉良旭を追う甲賀。安全な地域の教会に潜り込んだ吉良旭を甲賀は空手道場の用心棒にスカウトする。
一方、エロさ興味が売り物の当時のアメリカ女子プロレス界で、正統派レスリングの技で勝負する美人プロレスラー、ダイアナ·ローザはその洗練されたレスリング技術を持ってしても反則ワザ自慢の悪役レスラーに負けてしまう。
ある面、マフィアの支配するアメリカのプロレス興行界で、悪役レスラーとそのバックに居るマフィアを敵に回した吉良旭。
ダイアナ·ローザは反則ばかりの悪役レスラーにも勝てる強さを得るために、不本意ながらもケンカの天才·吉良旭に弟子入りして、旭にプロレスでは反則になるケンカの極意を教わる。
プロレス界に飛び入りして覆面悪役レスラーを、ケンカ殺法で血祭りに上げる吉良旭。プロレス興行の会場でマフィアに追われる吉良旭だが、控え室に居たダイアナ·ローザに助けられる。
次々と悪役レスラーたちを、その天才的アイデアのケンカ殺法で倒して行く吉良旭の前に、正統派レスリングの傑物である正義派レスラー、プリンス·スターが立ちはだかる。
千の技を持つ男と呼ばれるプリンス·スターと、ケンカ仕込みの反則殺法オンリーの吉良旭の抗争が始まり、結局、アメリカでのプロレスの試合では吉良旭が勝つのかな?
その後、プリンス·スターは日本に渡り、日本のプロレス興行界で悪役レスラーに転身して活躍する。プリンス·スターを追って、自分が捨てた自分の出生地·日本に戻って来る吉良旭。
日本に帰って来ると、日本のプロレス興行界には一人の絶対的なカリスマのプロレスラーが居た。日本プロレス協会を取り仕切るプロレスのスーパースター、力王山。ケンカ殺法の吉良旭とカリスマ·プロレスラー力王山との確執が生まれ、吉良旭と日本プロレス協会は対峙する。… …
僕が「ケンカの聖書-バイブル-」を週刊少年サンデー誌上で読み始めたのは14歳の終わり頃で、連載の前半部しか読んでなく、後々コミックスで読み返してるんですが、これも前半部だけで、結局、後半部、物語はどうなったのか、物語をどう締めくくったのか解らず終いなんです。
日本に戻って来た吉良旭の前に、日本プロレス界のカリスマ、力王山が立ちはだかるところは何となく覚えているんだけどな。力王山は姿形·相貌も、その立ち位置もモデルは、実在した日本プロレス界の父、力道山です。力道山は、日本プロレス協会の初代の会長で、日本プロレス界の生みの親です。ジャイアント馬場やアントニオ猪木を育てた人で、戦後日本の当時のスーパースターだった人です。漫画の方の力王山の時代背景は、力道山がスーパースターとして活躍した戦後じゃなくて、漫画が連載されてた1970年頃だと思います。
「ケンカの聖書-バイブル-」は、週刊少年サンデー1971年新年第1号から始まって71年の最終刊53号まで調度1年間連載されました。原作ストーリーはこの時代の劇画原作の王者、梶原一騎氏で、作画担当は石井いさみ氏です。
「ケンカの聖書」の連載が始まったとき、僕は中学三年生でこの年の四月から高校生に上がりました。小学校低学年から小·中学校時代通して、児童漫画の虜のように漫画が何よりも大好きな子供だった僕は、小学生時代は空想科学冒険·探偵漫画のロボットやサイボーグや超能力宇宙少年に熱中してましたが、中学生になってからは梶原一騎原作のスポ根漫画や熱血学園漫画や格闘技漫画に熱中してました。
この時代の僕は、梶原一騎氏の描く、スポーツや学園ヒーローに憧れてたなぁ。小学生の頃は、「鉄人28号」「鉄腕アトム」「エイトマン」「サイボーグ009」「電人アロー」などなどのスーパーロボットやサイボーグなどのSF ヒーローたちに憧れてましたが(『鉄人28号』は正太郎少年が操縦してたんだけど)、少年雑誌界の人気看板漫画を梶原一騎原作の熱血感動漫画が独占するや、梶原一騎氏の描く熱血少年ヒーローに憧れて夢中になりました。
僕が中学生の頃は、週刊誌·月刊誌のほとんどの少年雑誌の看板漫画は、梶原一騎氏原作の漫画作品だったというような状況でした。当時の僕は全ての梶原一騎原作漫画に熱中してたような状態でしたが、中でも一番好きだったのは、「巨人の星」も「あしたのジョー」も熱中して読んでましたが、当時の月刊冒険王連載の「夕やけ番長」と「虹をよぶ拳」が大好きで夢中になって読んでました。
月刊冒険王の看板漫画を四、五年間張り続け、また初期の少年チャンピオンの看板漫画だった、熱血学園感動格闘·スポーツ漫画「夕やけ番長」は秋田サンデーコミックスで全17巻の大長編人気学園漫画で、僕はこの時代一番好きな漫画作品でした。
並外れた運動神経の持ち主「夕やけ番長」の主人公、赤城忠治は、それこそ超人みたいな運動神経の持ち主で、さまざまな学園スポーツで活躍して行くし、中には格闘技関係で、独学独習のキックボクシングや学校スポーツのアマチュアレスリングとアマチュアボクシングでも桁外れの才能を見せますが、「夕やけ番長」初めの頃は、何の格闘技経験も持たない“ケンカの天才”として、数々の強敵たちとストリートファイトのケンカで戦って行きます。
“ケンカの天才”赤城忠治は、その強さのベースに並外れた運動神経を持つものの特に空手や柔道などの格闘技を習った経験を持たず、ただケンカの強さだけで勝負して行く。ケンカのアイデアが次から次と出て来るケンカの頭の良さで、どんな強敵にも対応して行くんですね。ここが特にカッコ良くて、当時の中学生の僕は赤城忠治にぞっこん惚れ惚れしていた。
何の格闘技経験もないのにストリートのケンカがもの凄く強い、という設定に無類のカッコ良さを感じていた、中学生当時の僕でしたが、中三の冬場に週刊少年サンデーで梶原一騎原作の新しい熱血格闘漫画が始まった。しかも作画担当は「のら犬の丘」の石井いさみ氏。僕は石井いさみの絵柄が好きだったんですよね。主人公は初期の「夕やけ番長」と同じくケンカの天才。タイトルも「ケンカの聖書-バイブル-」と、めちゃカッコ良い。
漫画の連載が始まると毎号ワクワク楽しみに読んでましたが、途中から、あれ?これプロレス漫画じゃん、って思ってちょっと興醒めしちゃったかな。ケンカの天才の青年がロサンゼルスの裏町で街のゴロツキやプロレスラー崩れをケンカの腕で叩きのめすのは爽快でカッコ良いのですが、途中からアメリカのプロレス界VS ケンカの天才青年という対立構図になり、主たる舞台はプロレス興行のリングの中になっちゃった。
漫画は面白いんだけど、アメリカ舞台のストリートのケンカファイトの無差別格闘漫画かと思ってたら、途中からプロレス漫画になってしまったんで、何かね、ちょっとガックリ来た感じもあったかな。物語がプロレスのワクの中に納まって進んで行ったから。もっとこう、暗黒街の用心棒とか、ヘビー級ボクサー崩れとかとアメリカの治安の悪い下町や貧民窟みたいなストリートでケンカファイトを重ねて行く漫画かと期待してたんですけどね。結局、後半は日本に帰って来て日本プロレス協会と抗争する話になるし。まぁ、僕は後半はあんまり読んでないんだけど。終盤は全然読んでない。
小学生の頃から、貝塚ひろし先生、荘司としお先生、石井いさみ先生の絵柄は似てるな、と思って少年漫画を読み続けて来ましたけど、三人の先生の絵柄はみんな好きなんだけど、僕は特に石井いさみ先生の絵柄が好きでしたね。「ケンカの聖書」に見られるような都会の背景はそうでもないんだけど、「くたばれ涙くん」や「のら犬の丘」に見られる、田舎の田畑と山々を描いた背景の絵、これが石井いさみ漫画に随所に挟まれていて、何ていうか牧歌的で郷愁みたいな気持ちを起こさせてくれて好きでした。「のら犬の丘」の少年院の建物の端っこと遠くに見える田畑と山々。あのタッチの絵は好きだったなぁ。
石井いさみ先生というと代表作はやっぱり、週刊少年チャンピオンに9年間も連載が続いてコミックスが全50巻にまでなった「750-ナナハン-ライダー」かな。僕が一番好きなのは真樹日佐夫氏が原作を書いた青春巨編「のら犬の丘」かな。「のら犬の丘」は青春漫画の名作です。週刊少年サンデーに連載された、佐々木守氏が原作の「竜が斬る」とかも好きだったな。
◆ケンカの聖書〈3〉 (1979年) (パワァコミックス) - – 古書
男どアホウ甲子園 ..(2)
日本漫画史上の野球漫画ジャンルで、新旧問わず第一人者と言っていい存在の漫画作家、水島新司氏の中期の代表作の一つ、野球漫画の傑作「男どアホウ甲子園」は週刊少年サンデーの1970年第8号から75年第9号まで、満五年間にも渡って長期連載されました。
「剛球一直線」が自分の信念のモットーである、物語の主人公·藤村甲子園の、甲子園優勝を目指す高校球児時代から、東大に進学し東京六大学リーグで活躍し、阪神甲子園球場を本拠地とするプロ野球·球団、阪神タイガースに入団して王者·巨人軍を相手に奮闘する姿までを描く、いわば野球大河漫画であり熱血青春漫画ですね。「剛球一直線」は藤村甲子園の矜持ですけど、物語の先、後々では変化球も覚えます。
「男どアホウ甲子園」はアニメ化されてテレビ放送もされており、僕は当時、「男どアホウ甲子園」が放送されていたのは知ってはいましたが、番組はあんまり見てはいないですね。毎日10分間の放送を月曜から土曜まで毎週続ける、という変形な放送形態で70年9月から71年3月までの半年間放送されました。アニメの方は、高校時代のエピソードだけで内容も原作漫画とは少々違ってます。
この日本テレビ系列の放送形態、毎日夕方6時35分から45分までの10分間、毎週月曜から土曜まで放送される帯び放送ワクで、僕が初めて見たアニメ番組は、当時の月刊誌·冒険王で大人気だった「夕やけ番長」で、アニメ「夕やけ番長」は68年の9月から69年の3月まで放送された。僕は中学一年生ですね。アニメ「夕やけ番長」は最初は熱心に見てたかも知れないけど、原作漫画本編との違和感を感じて途中からあんまり見てないかな。中一だと僕はまだ学校の剣道部に在籍してたから、夕方6時台や7時台前半頃は家に帰ってないからテレビ見たくとも見れてないな。「夕やけ番長」が終わった後アニメ版「男一匹ガキ大将」が放送されてたけど、これも最初は見てたかも知れないけどだいたい全編あんまり見てない。この時間帯でアニメ放送をやってたのは「夕やけ番長」が最初と思ってたけど、「夕やけ番長」の前に「冒険少年シャダー」をやってたんですね。この放送は全く見たことありません。原作漫画は知ってました。「冒険少年シャダー」は月刊誌·冒険王に中城けんたろう氏の作画で連載されていた。
「男どアホウ甲子園」の原作を担当したのは佐々木守さんで、佐々木守さんというと漫画原作者というより、60年代後半から70年代、テレビドラマの脚本で活躍された方で、脚本家としての方が有名ですね。この時代の漫画原作の作品もいっぱいあって名作も多数あるんですが、何よりもテレビドラマの作品本数が多く、その内容はバラエティー性に富んでいて子供向けの特撮ドラマから青春もの、コメディーから刑事もの、はたまた後には時代劇の脚本まで手掛けています。年配の人たちみんなが記憶しているようなこの時代の人気ドラマも多数あります。
佐々木守さん脚本ドラマで、僕が特に印象深く覚えているのは、中山千夏さんが主演した「お荷物小荷物」シリーズと特撮の「アイアンキング」。勿論、少年時代、僕はテレビで佐々木守さん脚本のドラマはいっぱい見てるし、実写ドラマ版の「柔道一直線」なんかも記憶に残り続けてるけど、印象深いという点ではやはり「お荷物小荷物」と「アイアンキング」かなぁ。
「お荷物小荷物」は70年10月からの放映で、これが正編とするなら多少設定を変えた続編が「お荷物小荷物-カムイ編」で、こちらの放映は71年12月から。どちらも当時の夜10時からの1時間番組で、全18回から20回のだいたい毎週放送の連続ドラマだった。
正編も「カムイ編」もどちらも主演は中山千夏さんで、異色なのは主人公の設定が正編は当時のアメリカ統治下の沖縄出身で、カムイ編の方は北海道·アイヌ集落出身のアイヌ民族の娘となっていた。ドラマはコメディーなんだけど当時の時代性から“社会派”的色合いを含んでいた。「お荷物小荷物」が放送された70年秋、僕は中二かな。「お荷物小荷物-カムイ編」が放送された72年冬は僕は高一ですね。
「お荷物小荷物」が放送されていた僕の中学生時代、クラスではコメディーの楽しい娯楽ドラマとして評判になっていた。勿論、脚本家の佐々木守が娯楽ドラマの影に隠して秘かに訴えてる、日本の起こした戦争で日本が敗けて沖縄がその犠牲となり、この当時未だ米国の占領下にあり、沖縄の街のそこかしこをアメリカ兵が大きな顔をして闊歩して回り、沖縄の人たちは本来自分たちの土地で、被占領民として毎日小さくなって暮らして行かなければならない、などという現実については全く話題には上らないし、みんなそんなことを知らないし知ろうともしなかった。
当時、沖縄はアメリカ占領下にある、いわば外国であり、本土の人間が往き来するにはパスポートが必要だったし、どうだろう?当時は沖縄の情報は細かにはあんまり入って来てなかったんじゃないかな。中学校生活の中で社会科の授業などで先生たちから、沖縄の話を聞いた記憶というものがないな。無論、僕は学業不振の劣等生でたいてい学校の授業は聞いてなかったから、先生が沖縄について語ったこともあったが馬鹿中学生の僕が聞き逃していたのかも知れない。けど、中学生とはいえ友達どおしの会話にも沖縄の話題など一度もなかったという気がするし、やっぱり当時は本土の子供たち、高校生くらいまでも含めて、沖縄に関して一般的には情報も意識も疎かったのかなぁ。勿論、沖縄のことを重大な問題として意識していた本土の一般人も多数居たと思うし、現に気鋭の脚本家·佐々木守さんが自分が制作に携わるドラマに、ベースにそれとなく“沖縄問題”を忍ばせていた訳だし。ただ当時の地方の、あんまり勉強熱心でなく政治的関心なぞないくらい意識の低い、賢くない方の範疇の少年たちの脳みそには響かなくて、佐々木守さんの意図が功を奏さなかった訳ですね。
変形ホームドラマのコメディー劇「お荷物小荷物」の大筋ストーリーは、沖縄出身の主人公の娘が、不幸な目に合わされた姉の敵討ちのために、男尊女卑の封建的な家庭内に家政婦として潜り込み、偵察を続けながら隙を伺い、一気呵成に姉の敵の家を崩壊してしまおうと企む、何やら起伏の大きい騒動仕掛けのコメディータッチ·ホームドラマ。中心テーマは、確固とした揺るぎない堅牢な体制に対して、虐げられて来た小さき者が勇気と知恵を振り絞り、策を練って立ち向かうという、実は“反体制”をベースにした物語。笑いを誘うコメディータッチの変形ホームドラマにして、実はベースに“反体制”がテーマとしてあるという凝った仕掛けの痛快ドラマでした。
まぁ、当時中学生の僕らはそんなとこまでは気が付かず、笑いながら毎回楽しくドラマを見て、翌日の学校の教室で、昨日の回も面白かったねと話し合っていた。そんな、“反体制”のテーマとか意識しないよね。コメディーでありながらも痛快劇として見ていたろうけど。
「お荷物小荷物」のストーリーを調べたら、中山千夏扮する主人公の娘は、姉の敵討ちのために舞台となる、東京の男だらけの大家族の運送店に、家政婦として潜入するのですが、実際のストーリーの詳細は、主人公の姉も四年前にこの運送店にお手伝いさんとして入り、家族の息子の一人と恋愛関係に陥り子を宿すが、頑固で封建的な父親が結婚を認めず姉は一方的に放り出され、沖縄に帰って子供を産んだ後、失意の内に死んでしまった。主人公はその姉の復讐と共に、姉の子を運送店に認知させるべくやって来た…。というお話ですね。
「お荷物小荷物」続編の「カムイ編」のとき、僕は高一で、この時代の生活環境から「カムイ編」は見れませんでした。この時代は家族全員が早寝で遅くとも夜10時前にはみんな床に就いていたし、狭い家屋の中で僕の部屋などなかったし、夜10時放送のドラマは見れなかった。まぁ放送されてたのは知ってたし当時は見たかったんでしょうけどね。仕方なかったですね。
「お荷物小荷物」の続編になる「カムイ編」も舞台は東京の下町にある運送店で、ここは70·71年のドラマ本編と全く同じところです。運送店家族の面々もほぼ同じメンツ。本編の主役の中山千夏はまだ占領下の沖縄から来た娘でしたが、うり二つの「カムイ編」の主役の中山千夏は北海道アイヌ集落出身で、本編とは別人。で、物語はまぁだいたい同じようなストーリーですね。「カムイ編」もやはり、コメディー·タッチの変形ホームドラマの中に、本土民とアイヌ民族という、メジャー対少数民族という“反体制”思想がベースに隠れている。
アイヌ民族の領地というか居住地というか、北海道の蝦夷地域は本土の松前藩に植民地化されていたようなものだったでしょうし(本土のというより和人の松前藩)。僕は生涯不勉強な人間で日本の地域の歴史にまるで詳しくなく、中世から明治~昭和初期頃までの北海道の激動の時代の歴史をほとんど知りません。だから偉そうに語ることは全くできないのですが、二十年くらい前に船戸与一氏の大作「蝦夷地別件」を読んで、本土の松前藩と不平等貿易的な交易で搾取され、事実上支配下に置かれて圧政に苦しんでいた江戸時代期のアイヌ民族の姿を克明に描いていたので、佐々木守氏が沖縄と同じく“反体制”をドラマのベースに隠したテーマにアイヌ民族を選んだのも解るな、と思いました。
江戸期の北海道を舞台にした歴史大作「蝦夷地別件」はぶ厚い文庫本で全3巻という大長編ですが、ムチャクチャ面白くて読みごたえのある小説作品ですね。船戸与一の真骨頂、血沸き肉踊る冒険小説的な味わいも強いし。江戸幕藩体制下の本土というか、当時の青森から南北海道を領地とする松前藩(松前藩領地は青森は関係なく北海道南部·渡島半島部分みたいですね)と蝦夷地域のアイヌ民族との対立構造の側面も窺えるし(和人とアイヌとの対立構図とその歴史)。
◆ドカベンドリームトーナメント編(34)(完結)(少年チャンピオン・コミックス) コミックス –
◆大甲子園 文庫全17巻 完結セット (秋田文庫) 文庫 –
◆男どアホウ甲子園 コミック 全18巻完結セット (秋田文庫) 文庫 –
◆男どアホウ甲子園 (第19巻) (Sunday comics―大長編野球コミックス) 単行本 –
◆男どアホウ甲子園 コミック 全28巻 完結セット コミックス
◆男どアホウ甲子園 (第1巻) (Sunday comics―大長編野球コミックス)
◆大甲子園 (1) (少年チャンピオン・コミックス) コミックス –
当時大人気だった青春スター·石橋正次と、往年の日活青春映画のスター·浜田光夫の二人が主演した、TBS と宣弘社制作の特撮ドラマ「アイアンキング」も佐々木守さんの脚本作品です。「アイアンキング」がテレビで毎週放送されていたのは1972年10月から73年4月までの半年間で、この時代は僕はもう高校二年生ですね。
僕は高二にもなってたから、いくら同世代よりもかなり幼稚く頭のできてる僕でもさすがにこの頃、子供向けに制作されたテレビ特撮を熱心に見る、ってことはありませんでした。特段、特撮オタクでもなかったし。そういえばウルトラシリーズ第四弾の「帰ってきたウルトラマン」もこの頃か。
「帰ってきたウルトラマン」は1971年4月から72年3月までの放送か。こっちの方の脚本には佐々木守さんは参加してないな。「ウルトラセブン」には二本だけ佐々木守さんが脚本書いた作品があるけど。
高校生にもなると、いくらSF 雰囲気の好きな僕でも、特撮オタクでもないし熱心にテレビ特撮ヒーローものを見ていた訳でもなかったが、今から思えばけっこうテレビの特撮ヒーローものを見てる。それこそ特撮の連続ドラマものを毎週くらいに。これは、当時調度夕飯どきが夜7時台で、夕飯どきから夜9時過ぎから10時近くまでずっとテレビを点けてたから、熱心にではなく何気なくテレビ画面見て過ごしてたんだろうと思う。だから何か毎日、毎週毎週の7時台·7時半台の子供向けテレビ特撮の30分番組を、ぼんやり感に近いような感じで見てたんでしょうね。ただ暇潰しにボーッとテレビ見て過ごしてた。後々から考えると若い貴重な時間を随分勿体ない使い方してると思うけど。
高校生時代の僕は部活にも入ってなかったし、まぁいわゆる帰宅部でだいたい毎日午後4時くらいにはもう帰って来ていて、深夜遅くまで起きてたので夜中の睡眠不足で午後4時から6時過ぎくらいまでは寝てましたね。で、夜7時くらいから夕飯食べながらぼんやりテレビ見て過ごしてる、と。中三いっぱいまでは自分の部屋があって独り遊びできてたけど、高校入ってから生活環境がガラリと変わっちゃったしね。僕自身も内面に閉じ籠っちゃったし、何かこの時代の僕は半分絶望的みたいな気分だったし。
高二·高三の流行小説中毒の時代は、家族の就寝時間になると炬燵を炊事場の板の間に持って来てたので、居間との間の障子戸閉めて炊事場に置いた炬燵に潜って、五木寛之や松本清張·遠藤周作などの小説の文庫本を、夜中から未明まで読み耽って過ごしていた。
この時代は僕も青春期の年代だったんで、テレビ番組は、子供向けの特撮ヒーローものよりも、年頃から、森田健作主演の「おれは男だ」とか「おこれ男だ」みたいな学園青春ものが好きだったかな。何かやっぱりあの当時、森田健作演じる主人公とかに憧れてましたね。あとはあの当時よく見てた番組は、歌謡番組ですね。当時は週に何本も歌番組やってたし。
中三頃に見てたテレビの熱血青春剣道ドラマがあって、主演が剣道の達人の女教師役が范文雀でいわくありげな熱血剣道少年役が石橋正次の、このドラマの脚本が確か佐々木守だったな、と思って調べてみたらタイトルは「打ち込め青春」で1971年1月から4月まで毎週1時間ドラマで全13回放送されてた。この学園剣道ドラマは、僕は中三の三学期で学校でよく、当時同じクラスで一緒にツルんで遊んでたKT 君と、休み時間とかによく話をしていた。范文雀の女先生が石橋正次の生徒に教える、剣道の秘剣の話をKT 君が身ぶりを交えて話していたのを印象深く覚えている。ドラマ「打ち込め青春」を調べてみたら、佐々木守さんが脚本を書いたのは全13回の最初の1回と2回だけだった。ドラマ全体的なストーリー設定も佐々木守さんが考えたのかな?よく解んないけど。佐々木守さんが考えそうな複雑な愛憎の人間関係の設定の青春ドラマだったし。
「アイアンキング」は特撮ヒーローもの連続ドラマで、アイアンキングという巨人ヒーローが、日本を滅ぼそうとする敵組織の操る巨人ロボットや怪獣ロボットと戦う、まぁ、いわば巨人ヒーロー·怪獣バトルものですが、主人公は生身の人間の、石橋正次演じる静弦太郎です。
静弦太郎は国家警備機構という、国の防衛組織というか警察組織みたいな、国家体制を守る組織の一員です。アイアンキングも、同じく国家警備機構の一員の霧島五郎が変身して、日本を守るために戦う巨人サイボーグ戦士です。「アイアンキング」はこの二人のコンビが活躍する特撮活劇ドラマですが、まぁ、お話中の現在の国家の体制を守るために戦う、体制側のエージェントとか戦士ですね。
静弦太郎と霧島五郎の国家警備機構が偵察し戦うのは、かつて2千年も昔に天皇の祖先·大和朝廷に滅ぼされた、古代日本の先住民族、多分“熊襲-クマソ-”だと思われる一族の末裔が、遠い遥か昔の敵討ちと、日本の現国家体制を倒して日本を征服しようとする目的で破壊工作を重ねる、超絶科学装備したテロ組織、不知火一族。第一部の敵は不知火一族で、第二部の敵は、同じようなルーツを持ち、同じく日本の現国家体制の転覆と日本征服を狙うテロ組織、独立幻野党。両、大規模なテロ組織とも、巨大ロボットを何体も製造し操り、日本の都市などに破壊テロを仕掛ける。不知火一族が巨人ロボットで独立幻野党が怪獣ロボット。
このヒーロードラマは、メイン主人公の石橋正次が変身するんじゃなくて、サブ主人公の浜田光夫が変身して巨人ヒーローになって敵の巨大ロボットと戦う、というところがちょっと他の変身ヒーローものと違ってた。勿論、等身大生身の人間ヒーロー、静弦太郎も特性ムチを使って敵を倒して行き、巨大ロボともムチで果敢に戦い、時にはアイアンキングを助けるときもある。
◆アイアンキング Blu-ray シルバー&アイアン カバーコンピCD付き全巻セット(BD6巻+CD)形式: Blu-ray
◆アイアンキングコンプリートDVD-BOX(DVD全6枚+アイアンキングフォトニクル)形式: DVD
◆アイアンキングBlu-ray Vol.1形式: Blu-ray
◆アイアンキング 宣弘社75周年記念パッケージ(Blu-ray全巻セット)(6巻組) [DVD]形式: DVD
「アイアンキング」の主人公ら国家警備機構のエージェントが国家体制を守るために戦う相手の素性が、その昔、天皇の祖先·大和朝廷に滅ぼされた一族の末裔である、というようなストーリー設定に表れているように、もともと根っからと言っていいような左側思想の持ち主、佐々木守さんはこの時代、反天皇制の思想を持っていて、ドラマ·ストーリーのこういう部分にその思想性が出ているんですね。ただ、ドラマの表側で反天皇制なんか謳ったら視聴者が着いて来ないし放送局としてもイロイロと問題になる。ましてや「アイアンキング」は子供向け特撮ドラマだし。だからあくまで主役は国家体制側の国家警備機構のエージェントで、こっちが正義で、ドラマの中の悪者は現体制を倒して国を支配しようとする、かつては天皇の祖先·大和朝廷の敵だった民族の末裔が集う組織。でも作者の佐々木守さんは気持ちは悪者側に肩入れしてたんでしょうね。ドラマは、勧善懲悪で倒されるのは、かつて天皇の祖先に滅ぼされた民族の子孫で、子供向け物語ハッピーエンドだけど。
「男どアホウ甲子園」タイトルで、「男どアホウ甲子園」の画像をいっぱい貼ってあるのに、内容は、脚本家としての佐々木守さんのことばかりになってしまった感じもありますが、Goo Blog の文字制限が近付いて来たので、今回の記事はこれで閉めます。本当はもっと佐々木守さんのことを書き込みたかったんだけど。またいつか佐々木守氏原作の漫画作品を取り上げた折りにでも。・・・
※2018-06/30 ●漫画・・ 「男どアホウ甲子園」 ..(1)
「牙走り」 -1972年 週刊少年サンデー連載-
江戸時代を舞台に、天涯孤独の浮浪の若者、牙走り·百文が、長髪ざんばら髪(といって後ろで弛く括ってるふうだけど)にマントの如く大きなボロ布を纏い、手に持つ杖は白刃を仕込んだ仕込み杖、よろず何でも請け負いの仕事を一件たった百文の賃金で受け、安い仕事はどれも複雑で危険極まりない難行ばかり。器用な百文は大工仕事の腕に長け、からくり仕掛けだろうがどんなものでも造って見せるが、受けた仕事にはいつも、ならず者たちが絡んで来る、白刃が飛び交い血しぶき上がる危険が着いて来る。実は居合いの達人の剣士、百文が凶悪ならず者浪人たちを相手に仕込みの剣で戦う、時代劇·ハードボイルド·アクション巨編の傑作劇画。
僕が高二当時愛読していた、時代劇·傑作アクション劇画「牙走り」は、小学館の週刊少年サンデー1972年第3·4合併号、72年のサンデー新年特大号ですね、この新年号から真夏の第32号まで連載されました。原作担当はこの時代、さいとうたかをプロダクションから独立して日本漫画界でメキメキ頭角を表した、後の漫画·劇画界の原作=ストーリー制作分野で一世を風靡する、後の劇画原作の巨匠、小池一雄氏。作画は貸本劇画からメジャー雑誌に移って来てその緻密で迫力あるタッチで劇画描写する、これまた後の劇画界の巨匠漫画家、ながやす巧氏です。
ながやす巧氏はこのサンデーの「牙走り」の連載が終了した後、貸本から雑誌に移行した後、劇画描写力に定評のあったながやす巧さんはこの時代、「牙走り」以外も同時にたくさんの短編読み切りや連載を持ってはいましたが、特にその漫画家としての知名度を押し上げた大ヒット作は、72年「牙走り」連載の後の、73年1月から週刊少年マガジンに連載が始まった大長編大人気感動学園ロマン大作、原作·梶原一騎氏の「愛と誠」でした。「愛と誠」は70年代·少年マガジンの看板漫画として大ヒット作となり、「愛と誠」は何本も劇場映画化され、またテレビの連続ドラマとして放映されました。特に映画版第一作74年公開「愛と誠」の主役の大賀誠役は、この時代のトップアイドル·西城秀樹さんが演じて映画も大ヒットしました。
小池一雄·原作-ながやす巧·作画の傑作時代劇アクション劇画「牙走り」は72年の週刊少年サンデー連載終了後、どういう訳かコミックス単行本は少年画報社から全2巻で刊行されてますね。その後80年代に小池一夫さんの出版社からもコミックスが全2巻で刊行されてます。漫画文庫でも「小池一夫選集」シリーズの中の一作として文庫全2冊で刊行されてます。この漫画文庫はいつ頃の出版なんだろう?調べると、どーも、文庫版「牙走り」全2巻は70年代末、秋田漫画文庫からの刊行みたいですね。無論、秋田漫画文庫は秋田書店発刊のレーベルです。
ながやす巧先生は「愛と誠」大ヒットの後も途切れることなく続けて雑誌連載を持ち続けていて、86年から88年に掛けて週刊ヤングマガジンに連載された「ドクター·クマひげ」も青年コミックとして人気があり有名な作品でしたね。「ドクター·クマひげ」は史村翔氏の原作です。史村翔氏というと別名のペンネーム“武論尊”名義の少年アクション漫画「ドーベルマン刑事」や「北斗の拳」が特大ヒットした、80年代から2000年代に掛けての超売れっ子の漫画原作者ですね。
他にもながやす巧先生の作品には、原作にベストセラー直木賞作家で現代文学の巨匠、浅田次郎氏の重厚な内容の文学小説作品を持って来た、「ラブレター」「鉄道員-ぽっぽや-」「壬生義士伝」などの劇画大作があるようですね。優れた劇画描写力を誇るながやす巧氏は作画に専念するかのように、原作付きの作品が多いですね。
1972年の劇画「牙走り」で特に印象に残って未だに覚えているシーンは、牙走り·百文の子供時代の回想シーンの章で、まだ幼い百文は、身なりも汚く乞食侍然とした孤老の剣の達人に着いて回っていて、この老剣士が賞金稼ぎだったのか何だったのか忘れたけど、流浪の旅の往く先々で、ならず者集団みたいな浪人たちと次々と刀を交える。百文が着いて回っている老侍は居合いの達人でもの凄く強い。
幼い百文はいつも傍で、老侍対数人のならず者然とした浪人たちの剣の戦いを見ているのだが、毎回あっと言う間に老侍が数人の相手を斬り殺してしまう。そして勝負が終わると老侍はいつも幼い百文に向かって問う。「見えたか?百文」と。百文には敵の刀の太刀筋はちゃんと見えるのだが、居合いの達人の老侍の太刀筋は全く見えない。だからいつも百文は「ううん、見えない」と答える。(ここはねえ、ちょっと記憶がはっきりしないんだけど、ひょっとしたら老侍が荒くれ者を斬り殺した後でなくて、一緒に街道歩く平時に頻繁に、突然己が居合い抜きを見せて、その都度『見えたか?百文』と問い掛けていたのかも。何せ何十年も昔の記憶なので。)
あるときいつものように老侍が敵のならず者浪人たち数人と戦う。いつものように老侍が敵数人をあっと言う間に斬り殺す。「見えたか?百文」と問うとこのとき初めて百文には居合いの達人の剣の太刀筋がはっきり見えた。その後、この老侍が何らかのアクシデントで敵のならず者浪人たちに負けて斬られるのかな?それとも病死?すっかり忘れてしまってて申し訳ないけど、百文が着いて回って一緒に旅してた老侍が死んでしまう。
ひとりぼっちになった百文だが危機が訪れる。数人のならず者浪人たちに囲まれて斬り殺されようとする百文。だが居合いの達人の剣捌きに慣れた百文の目には、超スピードで回る老侍の剣捌きに比べて他の侍たちの剣の動きはあまりにも遅くて、百文には剣の太刀の動きがスローモーションに見えてラクに避けることができる。
その内、剣を取った百文は敵の刀を全部避けて相手の懐に飛び込み、ならず者数人を斬って倒すことができた。毎日毎日、普通ではとても見えない老侍の居合いを見ていて、老侍の居合いの超スピードに慣れて老侍の剣の動きが自分の肉眼で見えるようになったとき、百文は居合いの極意を会得していたのだ。凡百の総ての剣客の太刀捌きはスローモーションに見える牙走り·百文は、剣の師である居合いの達人の老剣士亡き後、己れが居合いの達人となる。
ここのエピソードが好きで何十年も経つのにずっと覚えてた。特に、百文の剣の師である老剣客のセリフ「見えたか?百文」と、何度もの見えないという百文の応え。そしてついに師の太刀筋がはっきり見えた日の百文の弾けるようなセリフ。「うん、見えたよ!」という感動的なセリフ。そして次には敵のならず者浪人たちの刀の動きが、百文にはスローモーションに見えてしまう、このカッコ良さ。ここのシーンにはシビレたなぁ。
劇画「牙走り」は連載終了後コミックス全2巻にて刊行されたけど、僕自身は1972年の週刊少年サンデー連載中は最終回まで毎週読んでるけど、実はコミックスでの再読は果たしていない。面白い時代劇剣術アクションの傑作劇画だったんだけどね。
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本当のコトを言うと、小池一夫·原作 ながやす巧·作画の時代劇·傑作アクション劇画「牙走り」も、サンデー連載の前半は読んでないんだよね。どうしてかと言うと、中三まで毎週サンデー·マガジンを読んでた僕は、高校入って高一の一年間は漫画の本をほとんど読んでない。高二になって、転校生で他校からMT 君がやって来てクラスメートになり、彼が毎週購読するサンデー·マガジンを翌日学校に持って来て貰って、僕が多分当時半額になる百円で二冊を引き取ってた。MT 君が一晩読んだだけのほとんど新品の漫画雑誌二冊を翌日、僕は二冊百円で手に入れてた。発売日の翌日。当時これは嬉しかったですね。
時代劇アクション巨編「牙走り」はサンデー新年特大号からの新連載だから、僕が再び毎週サンデーを読み始めた4月では、もう物語の半分は過ぎていた訳ですね。「牙走り」の連載はもっと長く一年間は続いていたように思っていたのですが、実際はこの年の8月で連載終了していた。後にコミックスでまとめられたものが全2巻刊行ですから、案外短い連載期間だった。僕がサンデー連載分で読んだのは「牙走り」全編の調度半分くらいという訳です。それに多分僕は「牙走り」をコミックスや漫画文庫で再読していない。
時代劇·傑作アクション劇画「牙走り」も、サンデー新年号から始まって、1月から3月あたりまでは巻頭付近カラー扉掲載や、大増ページ企画、サンデーの表紙に百文のイラストが載ったりしてたけど、僕が72年のサンデー読んでた4月から、作品連載が終わる8月までの「牙走り」の印象はこの当時のサンデーの後半部、雑誌の終わり近くにオールモノクロ掲載の印象が強い。最初は華々しく始まった時代劇漫画で人気も高かったけど、だんだん人気が落ちて来て後半はそれほど読者人気もなかったのかな…(?)とかも思っちゃいますね。サンデーは少年漫画誌だし、リアル内容な時代劇の劇画は子供たちにはウケなかったのか?よく解りませんが。連載も7ヶ月くらいで終わってるし。
小池一雄氏は漫画原作で70年代は各雑誌引っ張りだこ状況だったし、70年代80年代といろんな内容の物語を次から次と、枯れることのないふんだんに湧き出る泉の如く、作品を発表して行ってたし、それこそ小池一夫ストーリーは、現代劇アクション·時代劇·SF·恋愛もの他とジャンルがバラエティー性に富んでいて、例えば同じ時代劇物語を紡がせても、お話のスタイルが全然違うものを表して見せてたし、小池先生としたら「牙走り」の物語はあれでお仕舞いにして、また次の企画の物語を発表したかったのかも知れないし。今から思うと、「牙走り」って劇画は、日本の時代劇でマカロニウエスタンみたいな西部劇をやりたかったのかな、とも思う。
「牙走り」が連載されてた頃のサンデーの連載漫画の布陣は、先ず看板漫画は原作·佐々木守 作画·水島新司の熱血学園野球漫画「男どアホウ甲子園」、赤塚不二夫のギャグ漫画は「レッツラゴン」、フジオプロの古谷三敏のソロ作品「ダメおやじ」、前年の春頃始まった手塚治虫の「ダスト8」がまだ連載中なんだな。「ダスト8」の連載期間って調度1年間くらいだったのかな。永井豪のギャグ漫画「ケダマン」。途中からジョージ秋山の巨大ロボットSF サスペンス漫画「ザ·ムーン」が始まってる。
(手塚治虫先生の『ダスト8』はサンデー連載中のタイトルは『ダスト18』で、調べたらどーも新連載が72年1月からで、この作品は読者人気がなくて半年保たずに打ち切りになったらしいですね。後々、コミックス単行本化する際に、手塚先生が描き足して本筋は同じで少々改変して物語をきちんと完結させたらしいですね。僕はサンデー連載中の『ダスト18』は二、三回読んだ程度でコミックス完全版の『ダスト8』は読んだことありません。内容はSF というよりホラーですね。ダークファンタジー的。)
古谷三敏はサンデーに「ダメおやじ」長期連載中に赤塚不二夫と袂を別ち、フジオプロを出て古谷三敏とファミリー企画を立ち上げたんだな。
石井いさみの「青い鳥の伝説」って漫画が連載されてるんだが、僕も多分読んでる筈なんだがどういう内容だったか全然記憶していない。この作品は原作なしの石井いさみオリジナル作品のようですね。調べたらバスケットボールの熱血スポーツ漫画みたい。石井いさみの絵柄は好きだったんだがどうしてか覚えてないなぁ。
「青い鳥の伝説」の連載終了後、同じく石井いさみ·作画で原作に佐々木守を持って来て、剣道漫画というか、スポーツ剣道ではなくて実戦剣術漫画みたいな内容の熱血武術大作「竜が斬る」という漫画が連載されてて、この剣術漫画は面白くて、こっちは僕はよく覚えている。覚えている、って言ってもお話の内容までよく覚えている訳ではなく、現代劇で剣道を窮めるべく修練する少年が主人公で、防具を着けて竹刀で試合をする剣道漫画ではなく、剣の試合は常に木刀でときどき白刃の真剣も出て来てた気がする。何か道場破りするような熱血剣術漫画だったなぁ。
青龍の剣、白虎の剣、朱雀の剣、玄武の剣とかって、剣術のワザが出て来てカッコ良かった。当時、主人公の木刀を振るう剣術のワザがカッコ良くてシビレてたが、今となってはストーリーなんて全然覚えていない。まぁだいたい、あの時代、佐々木守の描くストーリー、けっこう好きだったからね。
ああ、途中から梶原一騎·原作 貝塚ひろし·作画の熱血学園柔道漫画「柔道賛歌」が始まっているんだなぁ。この柔道漫画は大好きでしたねぇ。けっこう興奮して夢中になって読んだ。まぁ、内容的には何年か前に週刊少年キングに連載されて大ヒットしテレビ実写ドラマ化もされた、同じ梶原一騎·原作の「柔道一直線」にも似てるけど、またストーリー設定をガラリと変えて面白かった学園熱血柔道巨編。「柔道賛歌」は本当に面白かったなぁ。「柔道賛歌」は僕は後にコミックスで再読を果たしている。
サンデーとは関係ないんだけど、ながやす巧先生の作品に「沙流羅」というSF 巨編劇画があります。この劇画は原作を大友克洋氏が担当したSF 大作です。未来の荒廃した地球を舞台にしたSF 巨編で、90年代から週刊ヤングマガジンに長期に渡って連載され、あの大友克洋が原作を書いた漫画ということで当時話題になりました。14年に及ぶ大長編連載ながらコミックス単行本では全7巻完結ですが。これは、作画担当のながやす巧さんの漫画制作の作画方法がアシスタントを使った流れ作業を行わず、制作過程をながやす巧さん一人で全部こなす、というところに理由があったのかな?それとも原作者の大友克洋さんのストーリー制作が遅れていたのか?どうなのかよく解りませんけど、作品は日本漫画界に誇る傑作SF 巨編です。
50年代欧米SF でもアメリカSF 映画でも、世界核戦争後の荒廃した地球とか地球外の未知の惑星の地表とか、草木が1本も生えない荒涼とした砂漠の惑星、という舞台設定がけっこう多いですが、SF 漫画「沙流羅」の荒れ果てた地球は、草木の1本も見られない一面の砂漠だったりします。
だいたい何か砂漠の惑星や荒廃した地球を歩く未来の人間は、現代の地球上の砂漠地帯を往くアラブ人が太陽の熱波に負けないように全身を覆った格好とイメージが同じですね。映画「スターウォーズ」の中にもよく砂漠の惑星の中に立つ街が出て来るけど、そこの市場などの雑踏に居る人間は、砂漠を往くアラブ人とか中世以前のヨーロッパ人みたいな格好してますね。
「デューン·砂の惑星」って昔の有名なSF 小説があるけど、僕も中学生くらいの頃から何となく頭に“砂漠の惑星”ってイメージがあった。僕は中三までほとんど毎日、自分オリジナルの漫画を描いていたんだけど、高校生になってピタリと漫画を描かなくなった。もう小学生低学年時代から中学三年間通して学校の授業の聞けなかった僕は、高校生になっても毎日の授業が聞けず、小·中時代と同じくノートや教科書に落書きしてるか窓際なら窓外を眺めてるか、だいたい多くは空想に耽ってるというか自分の空想の世界に浸り込んでいた。
高一の頃、授業中が退屈だから空想に耽ってばかりいたんだけど、実際もう漫画は描いてなかったけど授業中によく漫画のネタを考えてた。というか自分オリジナルの漫画のキャラクターや舞台設定、漠然としたストーリーを考えてた。まぁ空想してた。そんな中で舞台を“砂漠の惑星”にして、その砂嵐吹き荒ぶ砂漠の荒野を歩く、自分オリジナルのキャラクターを考えて自分で嬉々としていた。
そのとき考えてたのはタイトルはシンプルに「白目」、主人公は盲目の超能力者。長髪を風になびかせ、ボロ服をまとい同じくボロボロのマントに身を包み、六尺棒の長い錫杖を持っている。両目は真っ白で見えない。手にした錫杖は仕込み杖になってて抜けば鋼鉄でも簡単に斬れるという超能力刀。この杖の名を“超魔刀白虎”と言う。この魔刀を持っている限り、主人公·白目は透視能力を持ち、数々の超人的な能力を発揮する。しかし超魔刀白虎を離してしまうとただの盲目の普通の人間に戻る。この超能力者·白目が砂漠の惑星を舞台に宇宙人やロボットや怪獣などと戦いを繰り広げて行く。
高一の授業中にあらゆる教科の先生の授業を聞かずに、僕は毎日こんなことばかりを考えて一人喜んでいた。
高一のときだったと思うんだけど、あるいは高二だったかも知れない、高校入学後、学校の授業中の落書き以外、漫画絵を描くことのなくなってた僕だったけど、一度だけこの「白目」を本格的に漫画で描いてみた。学校をサボって朝から夕方まで掛けて、B4ケント紙にカラス口でワク線を引き、製図用インクでGペン·カブラペン·丸ペンを使って、主人公·白目が砂漠の惑星の一面砂の荒野の中に現れて、砂漠の中のオアシスみたいな都市に入って行くシーンを、漫画原稿用紙三枚描いたら力尽きた。
僕は小学校一年時から小六いっぱい、ほとんど毎日鉛筆殴り描き漫画を描いてたが、小学校も高学年になるとまだ鉛筆描きだがそれでも割りと丁寧に描くようになってたと思う。中学校に上がり中一にもなると、僕の描く漫画もまだ鉛筆描きだが、鉛筆を2B B HB H 2H と使い分け絵に濃淡を着けて影など着けながらけっこう丁寧に絵を描いていた。小学生時代は面倒くさくて飛ばすことの多かった背景も描き込むようになっていた。
中二·中三では墨汁や製図用インキにペンで描くことに挑戦してみてたが、浸けペンにはなかなか慣れずに難しかった。黒色ボールペンやサインペン、マジックインキを使って描くことが多かったと思う。それで僕は漫画を描くことを中三いっぱいでピタリとやめていた。
高一か高二の学校をサボった一日、朝から夕方まで掛けて、プロが漫画原稿を描くように規格どおり本格的にインクとペンで描いてみた。もの凄く時間が掛かった。一日がかりでケント紙三枚描くのがやっとだった。そこで力尽きて後はやめてしまった。本格的に漫画を描くのは鉛筆描きやボールペン描きのようにはいかない。
「白目」のストーリーは毎日の学校の授業中に空想してイロイロ考えてたが、「白目」を漫画として描いてみたのはそれっきりで、「白目」は僕の頭の中の空想だけで終わってしまった。
「牙走り」とも少年サンデーとも関係ない僕自身のごく個人的な話を続けてまして恐縮しますが、まぁ後から思うに「牙走り」の主人公·百文と僕のオリジナル·キャラクター「白目」は風体が似てなくもない。僕はもともと小学生時代から自分の描く漫画の絵柄は、当時の貸本劇画を真似して描いてたので、貸本劇画出身のながやす巧先生の絵には近いものもあったんですよね。無論、抜群に絵のうまい漫画家·ながやす巧先生にはヘタクソな僕の絵は遠く及びもしなかったけれども。ただ、小学生当時の僕が真似た貸本劇画は、ありかわ栄一·沢田竜治·南波健二·さいとうたかを·川崎のぼるなどといった貸本漫画の第一線で活躍してた劇画作家たちの絵柄だったので、ながやす巧さんは貸本劇画の初期は南波健二先生のところでアシスタントしてたし、小学生時代僕は特に南波健二·作画のSF スパイアクション劇画「ジャンプ獅子」が大好きで真似て漫画を描いてたし、ながやす巧先生の絵とは雲泥の差以上の開きがあるけれども、何となくベースに共通する似たタッチがあったかな、とか思っちゃったりしますけども。自惚れみたいなもんかな。
高一頃の授業中の空想で、自分オリジナル漫画の構想とかストーリーの空想というと、思い出すのはもう一つあって、あの時代の梶原一騎のスポ根·格闘技漫画に影響された構想で、格闘技大河ロマン大作みたいの空想して、独りで嬉々としていた。
ズバリ、タイトルは「格闘王の星」。当時の「まんが王」に連載されてた、梶原一騎·原作 みね武·作画の「格闘王V」から取ったようなタイトルで、梶原一騎·原作の空手巨編の「虹をよぶ拳」と「空手バカ一代」に多大な影響を受けた格闘技漫画。
ボクシングを習っている中学生か高校生くらいの少年が、「強くなりたい、もっと強くなりたい」と思ってボクシング以外の格闘技も修練し、異種格闘技戦みたくいろんな格闘技の強者たちと徒手空拳で戦って行く格闘技漫画。少年の夢は最終的には素手で“百獣の王”ライオンと戦って見事勝つこと。この物語の構成やストーリーを学校の授業時間、ずっと空想してた。
でも結局、「格闘王の星」の漫画は一枚も描いてない。ただ学校の授業中の、先生の話まるで聞かないしノートも取らないで、勉強と何一つ関係ない空想をして時間つぶしてただけに終わった。
ただちょっと思い出したんだけど、この「格闘王の星」は大学ノートに、漫画として絵で描いたんでなく、小説にして始まり部分をノート15ページくらい書いたような記憶がある。ボクシングを習っている少年が街で不良たちと喧嘩してどーのこーのという、物語の出だしを書いたよーな。でもこの小説モドキも15ページくらい書いてやめちゃってるんだよね。まぁ、何てことないそれだけの話。
ああ、それと馬鹿みたいな話ですが、この「格闘王の星」は将来アニメ化された場合のために、僕が作詞·作曲して「格闘王の星」の主題歌を作っていた。作曲って僕は小·中9年間、音楽の成績はほとんど2という劣悪さで、音楽の才能の欠片もなくて、当然楽譜なんて全く読めないから、作曲は頭の中でメロディー作るだけ。作詞した言葉をそのメロディーに乗せて自分で歌ってたけど、楽譜とかないし楽器も何一つ弾けないからメロディー記憶できなくて歌う度に曲が少しづつ違って行っていた。
♪かぁくとうおーのほしぃ~ かぁくとうおーのほしぃ~ つかぁむーまでぇ~ 、というサビ部分だけ未だに覚えてて今でも鼻歌で歌える。他の部分は全部忘れた。漫画一枚も描いてないのにアニメ化のときの主題歌とか、お笑いですね。こういうのも授業中考えてたのかな?歌ってみれないからやっぱ家でかな。
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