goo

●漫画・・ 「キックの鬼」 

Photo

 ジャイアンツ、負けまくってますねえ。5月半ばくらいまでは調子良いように見えたのですが、昨年と同じ状況で、交流戦に入ってからこっち、調子が悪くなって、通常リーグ戦に戻ると、もう最悪。今、10連敗ですね。もうボロボロ状態で、原監督が可哀相。細木数子の年頭の占いでは、確か、今年も巨人の優勝は無い、と言って、次に、中日、阪神、巨人の混戦、優勝争いになる、と言ったんじゃなかったかな。ここに来てダメダメ巨人で、交流戦の抜群の好成績からヤクルトが良いですねえ。もう、ここからは、今年のセ・リーグは中日、ヤクルト、阪神のペナント争いで行きそうですねえ。期待されて、復活巨人軍を任されて受けた原さんですが、特にジャイアンツの監督というのはプレッシャー大きい重責なだけに、精神的に大変でしょうね。本当は僕はアンチ巨人なのですが、こうなると、原さん応援したい。ボロボロ巨人、何とか持ち堪えて、せめてAクラスに入るよう、運を味方に着けろ。と、思ってます。

Thum_0001_1  僕は、5年くらい前までは現ソフトバンク・ホークスのファンでしたが、今は正直、プロ野球にあんまし興味がありません。井口、城島が大リーグ行った後は、現S・ホークスにもたいして関心はないしなあ。ダイエー・ホークス時代に一番好きだったのは井口選手だったし。今の日本プロ野球は、最トッププレイヤーがみんな、大リーグ行くようになってるし、何か物足りなくなってしまってなあ。WBC世界野球の時は勿論、日本代表選抜チームを激激で応援して、優勝は涙が出そうなくらい感動したけど、普段の日本のペナントレースは何か関心が持てなくなってなあ~。98年の日本一になった頃のダイエー・ホークスと、随分前に遡れば、3番石毛4番清原5番秋山で、工藤がエースだった時代の西武ライオンズは、僕はシビレルくらいのプロ野球ファンでしたけど。でも昔からアンチ巨人ですね。今年のワールドカップサッカーは、勿論、全日本チーム応援で、初戦の対オーストラリアを熱い気持ちで見ましたが、試合が終わって、ああ、もうこれは全然駄目だ、と後の試合は結果のダイジェスト見る程度になってしまった。今はもう、7月1日からのベスト8決勝トーナメントで、世界最高レベルのスーパープレイの激突ですが、僕はTVのスポーツニュースでの、勝敗結果かダイジェスト見るくらいでしょうね。

Kick  プロ野球セ・パ交流戦も、昨年は真新しく、珍しかったので話題に上ったけど、今年は調度、時期的にFIFAサッカーと重なって、あんまり目立たなくて何か、ダメでしたねー。どんどん弱くなる巨人戦の視聴率は、低迷する一方状態だし。自分は興味失くし中で居て無責任みたいですけど、日本プロ野球にはもう一度、人気復活してもらいたい。日本プロ野球、もりもりと隆盛になればイイね!とは願ってます。巨人人気が出るだけでなく、あまねく全体的に、12球団全域での人気と盛り上がりを期待はしたい。でもこの下降人気の流れは止まらないような気がしてしまうなあ。WBC優勝後の、イチローが言ったように、あの全日本チームで一年間、大リーグの一球団として、メジャーペナントレースを一年間、戦い抜いたとしたら、超面白かったろうなあー。もし、そんな事が実現でもしてたら、日本人全員釘づけ状態、だったでしょうね。

 TV放送で格闘技中量級の、K-1ワールドmax世界一決定トーナメント戦をやっていました。第1回戦で、日本人の中量級最高峰同士の対決、魔裟斗対小比類巻貴行が激突し、3R判定で、魔裟斗に軍配が上がりました。僕はキャラ的に小比類巻選手を応援してました。ミスターストイックと呼ばれる、派手な雰囲気でない、地味で静かで居て、熱い闘志は秘めたムード。スターダムで輝くモテモテヒーローぶり満開の魔裟斗よりも、地味キャラで好きです。心情的に応援したくなっちゃう。この試合も、僕は、チャンネルあちこち変えながらのTV観戦で、昔みたいに拳に力を入れて全編、熱く観戦とかは、全然なかったです。もう僕は、格闘技戦に対しては、以前のような熱い気持ちがありません。昔は、キックボクシング系も、総合格闘技系も、手に汗握ってTV画面を食い入って見たものですが、今はそれ程の関心はない。この試合も応援した小比類巻選手が負けても、そんなに口惜しい気持ちや残念感もないし。

 5年前くらいまでは、格闘技の試合は熱血観戦していました。ワザワザ会場に足を運んで、という程ではないにしろ、格闘技戦、見るのもう、大好きでした。元々、昔々の子供時代からプロレス大好き少年だったし。5年くらい前までは、格闘技戦見た後は、すぐに風呂場の脱衣所に行って、シャドーボクシングをやったものです。その前はもう、試合が終わると夜中の人気の無い公園まで行って、シャドーボクシングや、シャドーカラテをやった。僕は30歳から10年間、空手道場に通った(稽古に行ったり行かなかったりだったけど)格闘技オタクだったので、K-1やプライドの試合見ると、俄然熱くなっていた。もう、試合を見て熱くなったら、居ても立っても居られず、深夜の公園でブルースリーみたいのになりきって、シャドーカンフーをやって、自分が世界一の達人にでもなったような気持ちに浸っていたものです。しかし、5、6年くらい前に頚椎損傷して、首の手術を行い、足腰を悪くし、蹴りワザが出来なくなったので、そういう気分の高揚に任せての熱い一人パフォーマンスが思うように出来なくなり、試合観戦後にシャドーがやれなくなってしまった。それから、格闘技熱も退いて来ましたね。

 元々、僕の格闘技好きは、映画や漫画の中の格闘技ヒーローに憧れる、オタク的なものですから、自分が空想的に真似出来なくなれば、それは醒めて行くのは当然とはいえますね。僕は空手道場に確かに通ったりしていたけど、道場で沢山の仲間達と一緒に汗を流し、切磋琢磨してワザを磨き身体を鍛えて、試合で勝てるように強くなろうというのとは、ちょっと違っていた。あくまで物語のヒーロー像に憧れ続け、格闘技関連の物語や専門書を読みふけり、道場ではあくまで技術的なノウハウを学びに来るのが主目的で、僕のメインの格闘技修練の場は、深夜の人気の無い公園のグラウンドでの、一人練習でした。本当に、誰も居ない、誰も来ない広場での、たった一人の練習は気持ち良かった。体調の良い時は一人で二時間くらいやってたものです。馬鹿みたく。元々、僕は少年時代からナワトビ跳ぶの、大好きで、30歳過ぎまで毎日のようにナワトビ、やっていて、特に、夏場の暑くて堪らないような深夜、汗びっしょりになって一人ナワトビを飛び続けるのが、嬉しくて仕様がなかった。まあ、子供時分から一人遊びの好きな暗い子供でしたから。生来のネクラですからね。真夏の夜中のナワトビ跳んでた時には、かなりドーパミンが出てたんでしょう。きっと。

 僕のストレス解消行為も、一人でやるシャドーボクシングやシャドーカラテで、それで汗びっしょりになって一人、やり続けていると、気持ちが良くて心地良い快感があり、気分が爽快になって行ったものでした。一日終えての、気分の納まらない腹立ち感、モヤモヤ感解消も、これでした。しかし、5、6年前の頚椎症からの脊髄損傷で下半身麻痺になり、足腰が悪くなって、歩行は出来ますが、走れなくなってしまった。当然、空手の蹴りワザはほとんど出来ない。シャドーで、得意とイキがっていた、直蹴りからのハイキック、空中二段蹴り、ジャブを打ってからの後ろ蹴り、足刀のハイキック、全部出来ない。フットワークを使ったシャドーボクシングも出来ない。大好きなキックボクシングのパフォーマンスがまるで出来なくなった。これは辛かったですねえ。パンチのワンツーを打ったって、腰のキレがまるで無いんですから。第一、腰が思うように回らない。もう軽やかに舞って、ストレス解消という事が全然出来ないんですから。辛いですよ。全く面白くないですよ。第一、性質的に落ち込みやすい僕の、気持ちを持ち上げる儀式が、この一人でやるシャドーキックボクシングなんかだったのだから。気持ちを上向かせる行為が無くなり、どうしていいのか解らない。ちょっと大袈裟に聞こえるかも知れませんが、手足もがれてだるま状態で転がされた気分でしたね。

 今回は、実は、こんな事を書き連ねて行く気は毛頭無かったのですけど、このところ続けて何本かホラー映画のDVDを見たので、その中で印象に残った、邦画の「感染」と「多重人格少女ISORA」の感想を書くつもりで居たのですが、巨人軍の絶不調状況をちょこっと書き込みたくて、そこから最近のスポーツ情報の事を書いて行って、何故かしらん、自分のオタク的スポーツ体験に入ってしまい、僕の不幸なというか、不本意な不運な、病気罹患と後遺症についての慨嘆になってしまいました。明るい筈のスポーツ話が暗い話題になってしまった。元々、10連敗泥まみれ巨人軍に惨敗日本サッカーと暗い情報から来たのでしたけど。応援した方のキック小比類巻選手は負けたし。しかし、まさか、自分の健康そのものの身体がこんな事になろうとは、中年に入り、人生の大番狂わせでした。暗い性格の中にも武術オタクの楽しみが、いきなりもぎ取られようとは。走れないから当然敏捷な動きはまるで出来ないし、腰も悪いから連続的な動きが出来ない。空手等の武道のワザとは、ほとんどが腰使いです。手足肩の筋肉に頼るのは初心者の頃だけで、慣れればもうワザは全て、腰の動きに乗せてですね。感覚的には腰のキレだけでやってるような‥。後は、背筋とかかな。まあ、無論、全身あってこそですけど。

 参ったなあ。こんな病気の後遺症の嘆きなぞ、書き込むつもりじゃなかったのに。どうしようかなあ。カテゴリ、映画で、怪奇映画のコト、書き込むつもりだったから。今までの例の如くで、何か、スポーツ漫画でお茶を濁してエンドに持って行くか。自分の格闘技オタクだったコトを書いて来たから、格闘技漫画に持って行こうかなあ。空手漫画か、キックボクシングの漫画。小比類巻選手のコトも書いてるし。しかし、脊髄損傷の後遺症で、下半身の運動が散歩くらいしか出来なくなったから、昔、空手道場通っていた頃の、当時、六段とか四段の年配の先輩から、歳を取ってくると、蹴りワザの足が上がらなくなるから、腿を高く上げる練習を常にしなければならない、という教えを思い出して、今はもう、蹴りなんて到底出来ないけれども、この腿上げを今でも時々やってみてはいる。しかし、相当、足腰に来ますね。足腰の訓練の一つだと思って、やるんだけども、かなり下半身が疲労して痛くなる。でも、やっぱ、運動にと、時々やってますね、今も。後は、今やれるのは、僕は、頚椎症前の健康時、武術オタクとして、琉球古武術のサイもやってたから、以前のように速くは振れないけど、上半身を鍛える為に、ゆっくりと振っています。鋼鉄製のサイは、けっこう重いので、脊髄症の後遺症から指先にまで軽い痺れのある僕は、あまり長く振り続けると、掌の筋や筋肉が吊って物が持てなくなったり、すぐ手首を痛めてしまう。以前からサイ振りも好きだったのですけど、今はやり過ぎには充分注意しています。でないと、冗談でなく、翌朝、鉛筆も持てなくなってしまう。


 と、ワタクシの、病気後遺症の嘆きの文で、この記事の主要な文は終わってしまいましたが、カテゴリ分けの為だけに、このブログの昔ながらの慣例に乗せて、閉めるという形に持って行き、最後は漫画で括ります。え~、括りの漫画作品は、毎度、古い漫画ばかりで申し訳ないのですが、60年代後半の格闘技系スポーツ漫画、「キックの鬼」。この時代のスポーツ根性漫画の人気作品のご多分に漏れず、梶原一騎原作の格闘技漫画です。「キックの鬼」は原作・梶原一騎、漫画・中城けんたろうで、1969年の月刊漫画誌少年画報に連載されました。後に隔週刊誌となった少年画報でも、人気漫画として連載を続けています。実在の、キックボクシングのこの時代のスパースター、沢村忠選手の実録もの漫画です。タイの国技ムエタイを知っていた野口ジムの野口修氏が、1966年から、日本の空手家とムエタイ選手の交流試合を興行し、キックボクシングと名づけた。その後、空手界のスター、白羽秀樹三段をスカウトし育成、キックボクシングのスーパースター沢村忠として作り上げた。キックの最強ヒーロー沢村選手は必殺技、真空飛び膝蹴りを使って連戦連勝、この時代の格闘技界のカリスマヒーローとなった。全盛時代の漫画原作者、梶原一騎が取材して事実に基づいた少年向け娯楽熱血スポーツ格闘技ものとして、漫画原作を執筆、中城けんたろうの迫力ある絵柄で、漫画誌上で人気を得た。また、この漫画はアニメになり、「キックの鬼」のタイトルで、1970年10月から、71年の3月までTV放送されています。

9784775910870  日本人がまだ誰も、タイの格闘技ムエタイなんて知らなかった時代の、キックボクシング誕生から黎明期の物語ですね。キックボクシングは、当時の選手は空手道をベースにしてムエタイの技術を取り入れて、キックボクシングルールに基づいて、キックボクシング選手として育成されて行き、沢村忠選手を頂点として、隆盛を極めました。後にボクシング技術等を取り入れて、立ち技格闘技として洗練されて行き、野口ジムから沢山の亜流を生み出しました。TV放送でも、YKKアワーキックボクシング中継として、1968年から79年までTBS系列で放送され続けました。この番組が人気が出ると、他局でも他団体の興行を放送し、一時代はキックボクシングブームがありました。でも、この時代の興行は、唯一のスーパースター沢村忠が必ずメインに出る、プロレス的な興行でしたね。他団体や亜流興行のプロ空手等が林立して来ると、また違った事情になって来たようですけど。僕が子供の頃、僕が育った田舎の町に、このキックボクシング興行が来て、ウチの親戚が照明等電気関係を請け負ったことから、僕は沢村忠選手をリングサイドから間近に見た経験があります。タイ人選手が目の前に倒れ込んで来て、怖かったことを憶えてます。


 「キックの鬼」とは別に、少年画報の出版社から出ていた週刊少年キングに、同じ梶原一輝原作で、漫画の方は南波健二作画で、「キック魂」というのが同時期に連載されていました。同じく実録ものの、「キックの鬼」と同じエピソードの漫画連載でした。

 

コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ●漫画・・ 「... ●漫画・・ 「... »
 
コメント
 
 
 
キックボクシングが流行っていたのは私が生まれた... (漫画ふぁん)
2006-07-09 04:00:18
キックボクシングが流行っていたのは私が生まれた頃なので、格闘技熱のようなものは体験していません。気が付けば、ボクシングチャンピオンの具志堅が14回目の防衛に失敗していました。格闘技もスポーツも熱気が必要なのかも知れません。巨人ファンは1974年、長島がユニホームを脱いだ時に止めましたが、今の巨人には覇気、熱気が兎に角足りませんね。熱気がないと熱中は出来ないものなのです。WBCに熱中できたのも、漲る熱気があったからだと感じています。サッカーの日本代表も熱気が感じられませんでした。大切なのは、熱気なのですね。
 
 
 
漫画ふぁん様。 (Ken)
2006-07-11 01:12:11
漫画ふぁん様。
コメント、どうもありがとうございます。
そうですね、人間、何事をするにも熱気が大切ですね。
ワタクシメは最近、熱気が無くて、自分でも困った事態だ、と思っております。
アドレナリンもドーパミンもいっぱい出して身体を動かさなくては。
 
 
 
 北川景子さんは、アニメの「キックの鬼」のオー... (キックの鬼、北川景子)
2011-01-23 15:03:01
 北川景子さんは、アニメの「キックの鬼」のオープニング テーマ ソングが大好きで、いつも歌ってたらしいのです。北川さんは女優として世界デビューする以前は、柔道、空手なぞ、おやりになっていたらしく、極真空手に入門してからは、本部から大山倍達館長がおいでになり、「支部が甘やかすからいかんのだあー」と言って、北川景子は本部所属となり、その後は特訓やら研修やら、あったらしい。そうして、キック ボクシングの人とも相当スパーリングとか組み手もやって、帰りは「キックの鬼」の歌をうたいながらかえった。空手バカ一代のうたとかも相当歌ったらしいし、タイガーマスクのうたもかなり歌った。北川景子は大学2年のとき、松涛館の金沢師範に稽古のやり方を教えていただき、その時、自由組み手も強くなるようにと、いろいろと教えていただき、・・・・蹴り技が飛躍的に上達した・・・・と、たいへんな評判だった。蹴りの金沢・・・・とまで言われる金沢十段・・・・。キックの北さん・・・・と呼ばれるその日まで・・・・北側で稽古するキタガワケイコの修業の日々は続くのでした。
 
 
 
キックの鬼、北川景子様。コメントありがとうござ... (Ken)
2011-01-24 23:30:42
キックの鬼、北川景子様。コメントありがとうございます。
支離滅裂コメントだとは思いますが‥。
空手の達人に同姓同名で北川景子なる人が本当に居るのかも知れませんけど、職業・女優となると多分、居ないでしょう。戸田恵梨香が以前TVで、子供の頃か少女時代に空手を習っていた、と話していたのを聞いた覚えはありますけど。そういえば沖縄は空手が体育の必修科目で学校で習うんだとか。オキナワアクターズスクール出身者に空手経験者が多く、女子でも初段はけっこう居る、という話は聞いたことあります。マックスが全員初段とか言ってなかったっけ?忘れた。
国際松涛館の金沢十段とか、よくご存知ですね。
多分、ここのBlog記事に来たエロ・詐欺サイト誘導コメントを、僕が編集して書き換えて、意味不明のムチャクチャな文章に変えてしまっていることのパロディーで入れてくださったコメントなんでしょうけど。エロサイト誘導コメはもう十件以上続けて来てるんですけど、編集で内容を変えてリンクも出来なくしたら意味がなくなるので、もう入れてこないだろうと踏んでエロコメ来たら即意味不明文に変えてたんですけど、敵も止めませんねえ。しょうがないからスパム報告とか禁止とか指定したんですけど。




 
 
 
Unknown (ken-mortima)
2024-02-22 01:33:51
漫画原作者の高森朝雄氏と梶原一騎氏は同一人物だけど、中城けんたろう氏作画の「キックの鬼」は雑誌·少年画報連載時の原作者名義は「高森朝雄」でコミックス単行本化された際の名義は「梶原一騎」になってるんだな。
 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。