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「台風五郎」-さいとうたかを・貸本劇画-

 どしゃ降り雨の中、山中のハイウェイみたいな道路を、一台のホロ囲い荷台のトラックが走る。暗い前面にライトに照らされ、突然人が現れた。ブレーキを掛けて止まるトラック。レインコート姿の五郎が手を振って、止まったトラックの運転手に、自分の自動車が故障して動かないので乗せてくれ、と頼む。運転手と助手席の男は、五郎と行き先が同じなので乗せてやることにする。

 職業·探偵屋の台風五郎が仕事で行く目的地は、新しい土地を開拓し新しい農業をして新しい生き方をしようという人たちが集まった、開拓村である。五郎はこのトラックもその村に必要な物資を運ぶ深夜便なのだろう、と推測し、夜中の大雨の中、トラックに拾って貰って助かったと安心する。

 車中の五郎はトランジスタラジオを持っていてスイッチを入れるとニュースが流れた。自衛隊を襲撃して武器·弾薬を強奪した強盗一味がいて、警察が捜査中だが未だに盗難にあった武器·弾薬が発見されず、強盗一味の正体も皆目見当も着かないという、大事件のニュースだった。五郎は気にせず、ラジオの番組を音楽番組に変える。

 運転手と助手席の二人は顔色を変え焦った様子を見せる。だが五郎の様子が何も気にしてないので、そのままトラックを走らせる。

 ホロ囲い荷台のトラックは4トン車くらいの大きさかな、2台連なって走り、やがて目的地の開拓村に到着した。大きな鉄柵門で検問に警備員が立ち、トラック2台を村の中へ入れる。五郎は開拓村の中に降り立った。

 村の中は、幾つもの大きなプレハブ小屋のような集合住宅が立ち並び、五郎は「まるでちょっとした基地のようだ」と一人つぶやく。

 五郎が荷降ろし作業をする男たちに声かけ「日野和夫の家は何処か?」と訊ねると、作業員姿の男たちが慌てる。一人が焦って荷物の木箱を地面に落としてしまった。五郎は割れた木箱の中に、何丁かのライフルを目撃する。

 先ほどのラジオの自衛隊から武器·弾薬が盗まれたニュースを思い出す五郎。開き直った作業員姿の男たちは、五郎に拳銃を突き付けて拉致拘束する。

 プレハブ小屋の一つの地下に連行された五郎。地下室の鉄扉の中は会議室のようになっていて、大きなテーブルを囲んで幹部クラスの男たちが座って、いかにも怪しい雰囲気を醸し出していた。

 帽子まで被り全員作業服姿の男たちが十人以上居て、首領然とした顎髭の男や幹部然とした何人かに平の兵隊のような男たちが集まっている。数人の兵隊レベルに囲まれて拳銃を向けられ、いろいろと詰問される五郎。

 首領は、五郎の訪ねて来た日野和夫はこの場所から出て行ったと答えるが、何か裏の事情がありそうだ。

 銃器の扱いを試されることになった五郎は、別室に連れて行かれ、拳銃で的を射撃することになる。五郎の腕前は超一流で、全弾的の真ん中を重ねて撃ち抜く。

 この物語では、台風五郎は乗用車を運転し拳銃バンバン撃つのに、周囲の人間たちからは「少年」って呼ばれてるんだよね。殺し屋から「乳臭い子供」と言われたり。さいとうたかを描く台風五郎は、とても「少年」には見えなくて二十歳以上の青年に見えるのだが。当時の貸本漫画の読者も子供の方が多かったからなのかな?

 当時の貸本漫画は、よく、中学を卒業して工場で働く少年·少女の余暇の娯楽だったって言われてたからな。昔は大人はあんまり漫画を読まなかったからな。昔って昭和20年代後半から昭和40年代アタマくらいまで。

 「大学生が漫画を読む」ってマスコミに取り上げられてニュースになったのが、「巨人の星」がヒットして「あしたのジョー」が始まって人気が出た頃かな。週刊少年マガジン100万部突破して2、3年経った頃の1968年~69年。それまで世間一般には、漫画は子供の低俗な娯楽、というのが定着してたなぁ。

 台風五郎の超一流の拳銃の腕前を見て、ここに居る集団にスカウトされる。断ったら五郎を、日野和夫のように始末すると、首領は脅す。五郎が訪ねて来た日野和夫はこの集団の凄腕の一員に殺されていた。

 首領は、この組織は日本にクーデターを起こして今の政府の転覆を謀り、日本を支配する革命集団だと話す。その目的のために自衛隊から武器·弾薬を強奪したのかと、五郎は納得する。

 仕方なく一応、組織の一員として仲間になる五郎。日野和夫が五郎に仕事依頼したのも、この組織から逃げ出す手助けをして貰うために依頼したものらしい。

 組織メンバーの中には「反乱軍の中の反乱軍」という連中もいて、自衛隊から強奪した武器·弾薬をかっさらって暴力団に売り捌いて金儲けしようという魂胆の集団もいる。組織の裏切者連中は、クーデターで政府転覆とかいう一銭の得にもならぬ大それたことよりも、ただ金儲けがしたいらしい。

 五郎は裏切者集団に仲間入りを誘われる。一刻も早く村を抜け出して警察に通報しクーデターを阻止することを望む五郎だが、今は手も足も出ず、一応裏切者の誘いに乗るふりをする。

 34番倉庫に強奪した武器·弾薬が納まっていると知った五郎は、深夜、部屋を抜け出して倉庫へ行って見る。倉庫扉近くで裏切者集団のリーダーたちに見つかるが、彼らはチームの怪しい男を追っていた。単身、倉庫に調査に来ていた木村という男は、裏切者チームに発見され身体検査されると、木村は警察官だった。

 五郎の機転で、警察官·木村は実は詐欺師のワンワンの政という五郎の知り合いだという、五郎のウソが通り、五郎の芝居に乗った木村は命拾いする。

 クーデター画策テロ組織は、普段は村の敷地内で農業など作業を行っている。五郎たちは昼間、農作業に勤しみ、五郎と木村はお互い仲間となり、村からの逃亡と通報のために共闘する。

 五郎と潜入刑事は逃げ出す前に倉庫の武器·弾薬を破壊することに決めた。しかし、その矢先、テロ組織の幹部会は早目にテロ実行を決行することに決定した。それを知った裏切者集団はテロ決行前夜に、暴力団組織の者たちを村に呼び寄せ倉庫から武器·弾薬を横流しすることにする。

 裏切者集団が倉庫前に集まり、そこへ暴力団の連中がやって来る。

 倉庫の扉を開け、暴力団のトラックに荷を積む作業が始まる。倉庫の角に見張りに立つと言って裏切者集団から離れた五郎と刑事は、その足でクーデター組織の幹部たちに、今正に横流し作業が行われてると密告に行く。

 クーデター組織本軍がマシンガンで裏切者と暴力団を機銃掃射する。暴力団がマシンガンで応戦する。武器·弾薬を積んでトラックで逃げる暴力団。トラックで追うテロ組織本軍。

 五郎と刑事はテロ本軍の先頭車に乗せられて思うように行動できない。

 暴力団のトラックが、このまま逃げるより迎え撃とうとトラックを停めて待ち伏せする。追って来たテロ本軍とのマシンガン撃ち合いの応酬が始まる。二つの暴力組織のマシンガン攻防の隙に、五郎と刑事は武器·弾薬を積んだまま乗者不在のトラックに乗り込み、奪って走る。

 暴力団の殺し屋の男が五郎の運転するトラックのタイヤを撃ち抜き、トラックを横転させる。テロ組織軍と暴力団の撃ち合いは、テロ組織が勝利した。負傷した刑事を肩に担ぐ五郎の前に、テロ組織の凄腕の幹部が待ち構える。

 裏切者に制裁を課そうとした凄腕幹部だったが、実は二人は私立探偵と警察刑事で、最初からクーデターを未然に防ぐのが目的だったと知って、五郎に1対1の対決を提案する。

 1対1の勝負に応じる五郎。お互いに拳銃を握り、距離を取って、西部劇ガンマンの決闘よろしく銃弾一発を撃ち合う。実力は自分が上だが運がなかったとうそぶきながら倒れる、凄腕のテロ組織幹部の男。

 クーデターをもくろむテロ組織は暴力団との撃ち合いで壊滅したらしく、横転したトラックの傍の谷間を臨む道路上で、夜明けの太陽を眺める台風五郎と潜入刑事の二人の姿で物語エンディング。

 というのが、さいとうたかを先生の最初期の代表作「台風五郎シリーズ」の第1作「鉄と鉛と」のストーリーを文章で説明したあらすじです。あらすじと言ってもけっこう詳しく書きましたが。

 読んでいると突っ込みどころもイロイロありますが、1963年にこのストーリーの設定を考え着いてるのが凄いですね。貸本漫画の世界で敵役に、日本政府の転覆を謀るクーデターを画策し自衛隊から武器·弾薬を強奪したテロ集団、というのを設定したアイデアが凄い。貸本漫画のアクションジャンルに“革命”みたいな政治アイテムを持ち込んでるのが凄い。

  

 「台風五郎」は、さいとうたかを先生の漫画界デビュー間もない時代の初めてのシリーズものにして初期時代の代表作です。さいとうたかを先生のデビューは当時の貸本漫画なので、「台風五郎」は当時の貸本漫画の大人気シリーズでした。

 ネットのさいとうたかを先生の作品リストで調べると、キャラクター·台風五郎の貸本漫画初登場は1958年になってますね。さいとうプロダクションから「台風五郎シリーズ」が刊行されるのが1963年。ですから「台風五郎シリーズ」の記念すべき第1作「鉄と鉛と」の初刊行は63年です。

 ネットにある資料で見ると、さいとうプロ発刊の「台風五郎シリーズ」は全23作で、全て1963年中になってますね。一年間で貸本の単行本23冊も出せたんだろうか?ってちょっと疑問に思ったりする。さいとうたかを先生名義の作品は長編·短編、63年一年間に他にもたくさん出されているのに。

 ネット資料から数えると、さいとうたかを名義の63年一年間内の作品は、台風五郎シリーズ含めて、長編·短編全てでざっと53作品。短編作品も多いとしても一年間で凄い数の本数こなしてますね。もう、この時代はさいとうプロダクションの分業体制を確立してたんでしょうけど。

 この当時の貸本漫画単行本のスタイル、A5判の大きさで内容128~136ページ、巻頭4色カラー8ページか16ページで、さいとうプロダクション発行本は貸本問屋刊行されてましたね。さいとうプロのは巻頭4色カラー8ページだったかな。東京トップ社刊は巻頭4色カラー16ページ構成だった。日の丸文庫(光伸書房)刊は巻頭2色カラー16ページだった。

 1966~67年頃から、大手を含めた市販出版社から、新書判コミックスというスタイルの漫画単行本が続々と出版され始めた。末期の貸本出版社もこれにならってA5判単行本をやめて新書判スタイルで漫画本刊行を始める。

 さいとうプロダクションも貸本で「台風五郎シリーズ」全23巻を新書判コミックスで全12巻で刊行した。多分、1966年中だと思うんだけど67年かも知れない。A5判単行本は130ページ前後だったけど、新書判コミックスのスタイルでは一冊200ページ前後から230ページくらいのページ数がありましたからね。紙質ももっと薄くて丈夫にと良くなったのかな。

 今の各社電子書籍にある「台風五郎シリーズ」全12巻は、このさいとうプロ発行の新書判分ですね。

 さいとうたかを先生も1966年にはもう作品の大部分を、大手を含む市販出版社の雑誌で描いてたし、僕は昔からここのブログで貸本は60年代末に衰退し1970年には消滅した、と書いてますが、正確にはあらかた貸本出版社は1967年中には貸本出版から撤退し68年中には戦後の貸本は消滅したんじゃないですかね。

 貸本には貸本独自の問屋とか個人の貸本屋商店が仕入れに行く地域地域の各小問屋があって、貸本独自の出版ルートがあったんでしょうが、それが1968年にはもう消滅してたんじゃないかなぁ。

 60年代末から1970年以降も貸本屋を営んでいた商店は、従来の大手出版社や貸本から市販出版社に切り替えた元貸本出版社から刊行される、新書判コミックスを賃貸しして営業してましたね。朝日ソノラマとか、新書判コミックス単行本出版から参入したトコもありましたね。

 僕が貸本屋に毎日足を運ぶようになるのが1962年の晩秋頃か初冬頃なんじゃないかなと思います。当時住んでた家から100メートルくらいのところにあった小さな貸本店舗にほとんど毎日通ってました。毎日、だいたい貸本漫画本2冊か、月刊漫画雑誌一冊と付録本を閉じて一冊にしたの。66年まで6歳から11歳まで通いました。

 当時の貸本漫画ではアクション劇画が大流行していて、さいとうたかを先生は貸本漫画界では超売れっ子でした。当時の貸本漫画は玉石混淆、絵のヘタクソな漫画家も多かったけど、「台風五郎」の漫画を見れば解るように、この時代からさいとうたかをは構図やデッサン力と抜群に絵が上手かった。子供でしたが僕も当時は絵の上手い漫画を好んで借りていた。さいとうたかをの漫画は大のお気に入りでしたね。

 さいとうたかを先生は漫画家デビューの頃からSFを描きたかったそうですが、当時の貸本漫画ではSFは人気がなく、人気の高いアクション劇画を中心に描いたそうです。それでも貸本時代に「デビルキング」「ベリーファーザー」というSFの傑作劇画がありますが。多分、数は少ないが数多短編作品の中にもSFは幾つかあるんじゃないかな。

 「台風五郎シリーズ」の主人公、五郎は職業·私立探偵で、民間人なのに拳銃を持っていて凄腕のガンマンです。ボクシング的な格闘術も強い。漫画の中では少年扱いされてることが多いけど、見るからに20代の若者ですね。身長が高い方で胸が張っていて肩幅広く、偉丈夫な若者男性ですね。

 この時代の貸本漫画はアクション劇画が人気が高かったので、たくさんの貸本漫画家が独自の探偵キャラクターを作って、シリーズものでアクション漫画を描いてました。みんな私立探偵で、中には日本の平和維持のために秘密裏に行動する諜報員などのキャラクターもいました。警察の刑事のキャラクターも中にはいたと思いますが少なかったですね。

 貸本漫画のアクション劇画の私立探偵キャラクターたちはみんな民間人なのに拳銃持っていて凄腕のガンマンで、街中で敵のギャングたちと拳銃バンバン撃ち合います。敵側も名前は日本のヤクザ組織なんですがアメリカのギャングそのもので、みんなマシンガンで機銃掃射して来ます。必ず凄腕ガンマンの殺し屋がいていつも拳銃携行しています。

 子供時代、僕は貸本漫画のアクション劇画が大好きで、各漫画家の創造した私立探偵たちにメチャメチャ憧れました。台風五郎はじめみんな本当にカッコ良かった。小学校低中学年の頃に僕がなりたかった職業は私立探偵でした。ただし漫画の世界の私立探偵に憧れてた訳ですが。

 1950年代、漫画というのは子供向け漫画しかなくて、勿論、大人向けの新聞や雑誌の4コマ漫画や1コマの風刺漫画などはありましたが、ストーリー漫画もギャグ漫画(この時代はゆかい漫画)もみんな子供向けでした。

 劇場版の日本映画や輸入洋画の影響を多大に受け、この時代の子供向け漫画の様相を嫌い、大人が読んでも楽しめる、レベルの高い内容の漫画を描いて発表したいという、漫画家のタマゴの一群が大阪を中心に現れた。その若き漫画家たちの表現の場は貸本漫画で、その内の1人、辰巳ヨシヒロ氏が従来の子供漫画との差別化を図り、自分たちの作る漫画作品を「劇画」と名付けた。そしてその「劇画」の代表的な体現者がさいとうたかを氏だった。

 60年代後半から70年代、ミスター劇画·さいとうたかを氏の雑誌での大活躍で「劇画」の名前が拡がり市民権を得て大流行し、漫画は劇画として発展した。

 その後また劇画が発展して行って、今のコミック文化が出来上がってますけどね。まぁ、勿論、漫画の発展はさいとうたかを的な劇画からだけでなく、何本もの道筋がありますけどね。

 「台風五郎」はアクション劇画だから、アメリカのギャングみたいなヤクザ組織が頻繁に出て来ます。毎回、職業·殺し屋の凄腕のガンマンが登場し、物語のクライマックスで五郎と拳銃撃ち合いの一騎討ちとなる。

 五郎は、快活で陽気で行動力があるが思慮深い面も見せるタフガイで、ガールフレンドもいてときどきデートもしてるようです。知り合いの懇意にする刑事もいて、その刑事が、民間人の五郎にイロイロと各殺人事件の内容を教えてる。よく情報屋というチンピラ然とした若い男も出て来ますね。拳銃携行の私立探偵で、とにかく直ぐにギャング団みたいなヤクザ者たちと撃ち合いをする。

 この時代の貸本劇画の、各漫画家が作り出した私立探偵たちはみんな、拳銃携帯してて街中でも直ぐにバンバン拳銃撃ち合う。みんなタフガイで女にモテモテで、みんな特定のガールフレンドがいるんだけど、ガールフレンドたちの職業はほとんどが喫茶店やレストランのウエイトレスでしたね。

 シリーズもの「台風五郎」は1963年一年間の作品ですが、台風五郎の貸本漫画初登場は1958年のようです。僕が漫画を読み始めたのが62年の晩秋か初冬頃なので僕は表紙絵しか見たことないのですが、50年代末当時の少年月刊誌の別冊付録で「台風五郎」タイトルがありました。ネットで表紙絵だけ見掛けたのですが、貸本劇画の台風五郎とは全く違う、半ズボンにベレー帽の子供に描かれた台風五郎でした。少年雑誌向けにキャラクターを子供に描いたんでしょうね。

 貸本全盛期は少年漫画誌は月刊誌の時代でした。例えば月刊誌で手塚治虫先生など超売れっ子が原稿落としたときとか、特大号の読み切り短編とか、別冊付録の読み切り短編とかに、そのときだけにピンチヒッター的に貸本漫画家が起用されることがありました。ほとんどが読み切りの短編です。中には永島慎二氏や白土三平氏のように連載を持つ貸本漫画家もいましたけど。貸本主体のさいとうたかを氏も昔から月刊誌に読み切り短編を描いてましたね。

    

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 貸本漫画から誕生し辰巳ヨシヒロ氏が命名した「劇画」は、60年代、さいとうたかを氏によって拡大されて行く。「劇画」を漫画界の主体の座まで持ち上げて70年代に一大ブームを起こして、「劇画」が市民権を得て世の中に定着させた最たる功労者は、さいとうたかを氏と梶原一騎氏と小池一夫氏の3名だと思います。無論、川崎のぼる氏や小島剛夕氏や白土三平氏などなど、60年代後半から70年代·80年代と「劇画」の舞台で大活躍した漫画家はたくさんいますが、劇画の拡大·発展の最大の功労者はこの三人でしょう。

 特にさいとうたかを氏は劇画の誕生期から関わり、まだ梶原一騎氏や小池一夫氏がクローズアップされる以前から、劇画の名と共に漫画界でリアリティー重視の絵柄とストーリーで大人の観賞にも堪えうる作品を次々と発表して、「劇画」の名前を世に知らしめた、ミスター劇画みたいな人です。60年代は劇画といえばさいとうたかを先生でした。

 僕は小学生の頃からさいとうたかを先生の劇画にしびれてました。特にアクション劇画の主人公たちはカッコ良かったなぁ。貸本時代のさいとうたかを作品には剣豪時代劇も多かったなぁ。子供だった僕は時代劇よりもアクション劇画の方が好みだったけど。雑誌に移ってからも、さいとうたかを先生はマガジンの「無用之介」やサンデーの「烈火」など時代劇剣豪劇画を描いて人気を得てましたね。

 貸本時代のSF、「デビルキング」は少年サンデーでより詳細なストーリーでリメイク、「ベリーファーザー」も少年マガジンで「サイレントワールド」としてリメイクされました。どちらも貸本時代に比べて描写もストーリーも緻密に詳細に描かれた。

 正に“劇画の星”それも一等星の中の一番明るい星、“ミスター劇画”として昭和~平成を駆け巡って来た、日本漫画界に足跡を残す重鎮、さいとうたかを先生は令和3年9月24日、84歳の御歳で天に昇られ漫画のひときわ明るい星となられました。

 僕は17、18歳頃からずっと長い間、今に至るまで「ゴルゴ13」特集の別冊ビッグコミックを購読し続けて来ました。「ゴルゴ13」はコミックス単行本も文庫も電子書籍もいっぱいいっぱい読んで来ました。

 少年時代の貸本漫画から雑誌「少年」連載の「ザ·シャドウマン」、「ぼくらマガジン」の「バロム1」、「冒険王」の「ワンサイド特急」、「ボーイズライフ」の「挑戦野郎」などなど、熱中して読んで来た作品を上げ出したらキリがありません。そのくらい長い長い間、さいとうたかを劇画に楽しませて貰って来た。夢や熱量やハラハラ·ドキドキやワクワク面白さを与えて貰って来ました。

 さいとうたかを劇画は本当に面白かったなぁ。

 50年代から手塚治虫先生など忙しい漫画家が原稿仕上げの手伝いに二人くらいのアシスタントを使うことはあったけど、1960年にさいとうたかをプロダクションを設立して、漫画の量産に対応するためにいち早く漫画原稿の分業制作を行って、脚本·下書き·主な登場人物のペン入れ·その他人物のペン入れ·ベタ塗り·背景描き込みなどと、流れ作業·分業体制で他の漫画家たちに対して圧倒的に大量の原稿を仕上げて、来る週刊漫画雑誌時代に対応した先見の明や合理主義など、そういった面でもさいとうたかを先生は天才でしたね。

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