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「おばけ煙突」 - つげ義春1958年

Uta2 Tuge  先週の土曜の午後、何気なくつけたTVで、目に入って来たのはモノクロの古い画像画面。随分と古そうなフィルムで映されている、巨大そうな何本かの煙突。昭和30年代当時の映像で、当時の俗称-「おばけ煙突」の事がナレーションで解説されていました。当時の東京電力のものらしく、東京下町に聳え立つ4本の煙突。勿論、今は無く、相当前に取り壊されていて、当時は東京下町のこの付近の、ひとつのシンボルだったようです。当時、どうして「おばけ煙突」と呼ばれていたかというと、聳え立つ巨大な煙突の、大きさも由来でしょうが、つげ義春さんの1958年の漫画作品の始まりの3コマの説明で、文をそのまま引用すると、「東京のはずれに不思議な煙突がある。ひし形に並んでいるので、見る場所によって、4本が3本、3本が2本、1本と見える。人呼んでおばけ煙突と言う…」と、あります。俗称がついた由来はこの通りのようです。当時はこの近辺のシンボルだったために、煙突下周辺の食堂屋さんでは、「おばけ煙突どんぶり」というメニューを出していた程だとか。TVで解説していました。単に普通の丼ものメニューに、煙突に見立てたきゅうりやにんじん、大根等の細長切りを4本、ご飯に立ててあるだけ。何て事ないシンプルな、それらしさ作りメニュー。TV放送では、昔解体されたものの、ごく一部が所在した近くの公園かどこかの、滑り台に使われていました。それが名残として紹介されてました。

P_01  このおばけ煙突の詳しい解説は、ウェブで、紹介されています。『あの頃のセピア色の思い出』というサイトの中のページのひとつで、とても詳細におばけ煙突の事がいろいろな面で説明されています。上にあげた、つげ義春さんの作品「おばけ煙突」も、名残の滑り台エピソードも記載されてます。詳しく知りたい方は、サイト主に無断で紹介して恐縮ですが、『あの頃のセピア色の思い出』中「おばけ煙突」を是非ご覧ください。 http://www.geocities.jp/hasu58/sepia/obake/obake.htmになります(既に閉鎖されている模様です)。このサイトによると、僕の上記のTV解説エピソード、名残の一部ですが、昭和39年解体から、昭和40年に一部を寄贈、現在もその滑り台は、足立区立元宿小学校にあるようです。また、このサイトで知りましたけど、漫画関連では、古い、つげ義春作品の他にも、あの今でも続行連載中大人気、「こち亀」の1989年初版第59巻中にも、おばけ煙突エピソードが使われた作品があるんだとか。

Y_tuge208  さて本題の漫画、「おばけ煙突」ですが、ひと頃は芸術性が評価されて、まるで純文学扱い、前衛芸術のようにも見られた、エンタティンメントそのものとして発達発展して行った日本ストーリー漫画の世界では、異端の漫画家、つげ義春のごく初期、貸本時代の短編作品です。1958年の貸本専門短編誌「迷路」に発表された、まあ何てことのない当時の生活エピソードの短編漫画作品です。昭和30年代初め頃の、今から比べれば、まだまだ庶民の生活は相当貧しかった頃の、煙突掃除人の話です。おばけ煙突の一本の煙突掃除をしなければならないのですが、その1本は掃除人達が失敗して何人もが落下死亡している。魔の煙突のように恐れられ、たたりがあると、もう誰も掃除に登らなくなってしまった。魔の煙突の掃除には賞金が掛かる。子供が病気をしても医者にも診せられない、貧しい一人の煙突掃除人が、決意、巨大煙突の頂上に登るが、雨が降り始める…。というストーリー。当時の貸本業界については、この僕の「 Ytuge   ・・・※(この後、続きの文章があったのですが、BLOGのサイト移転の際にうまく行かず、ここから先の何行かは移転先のここのサイトに定着できず、消えてしまったようですね。随分前に書いた記事だから記憶してないので、復元できません。) 

                                                 

 つげ義春さんは、1937年東京生まれ、工場務めの傍ら漫画家を志し、16歳で実質デビュー。手塚治虫先生が開拓した戦後日本ストーリー漫画の世界で、一方の道筋として発展した貸本界でいろいろと娯楽作品を発表し続けた。貸本は1970年には消えたが、貸本末期を体験できた子供時代を持つ僕は、つげ義春の初期作品というと、貸本SF短編誌「鉄人」に掲載された「ねずみ」等の短編作品しか知らない。
 貸本が消えた後は、メジャー誌に移る事はなく、貸本出版を生業としていた、長井勝一氏の青林堂が貸本終息と同時に出版した新たな異色の雑誌、「ガロ」誌上に短編を続々発表。これが話題となる。この頃の漫画アバンギャルドとして芸術的に評価される代表作に「ねじ式」がある。当時は「ガロ」発表作品を詩人達が持ち上げ、まるで純文学のように芸術性的に評価された。その作品内容は、それまでのストーリー漫画とはがらりと違う世界を描き出していた。この頃の漫画世界の実験作群ともいえる。自身の旅日記風の漫画や、私小説風漫画などの異色のエッセイ漫画群が多い。エッセイ漫画の走りかも知れないが、作風は独特である。まあ、漫画文庫でもいろいろと出ているから、読んでみて下さい。この人も間違いなく、日本漫画史に名が残るアーチストの一人ですよね。

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「巨人の星」

Kyojinnohosi1

 前々回のタイトル「富江」のところで、ちょっと触れた、藤子不二雄さんの「パーマン」ですが、僕のリアルタイムで毎週読んでいた少年サンデー連載の「パーマン」では、タイトル「富江」のところで書いたとおり、パーマンになる子供に、仮面ヘルメットとマントとバッジの超能力3点セットを与えるのは、宇宙人のスーパーマンですけど、その後のTV放送アニメの方では、宇宙人はスーパーマンではなくて、バードマンという名前になっているんだそうです。これは何故かというと、「スーパーマン」という名前はアメリカコミックの大手、マーベル社の著作権になるから、アニメ化の折、遠慮したものらしい。へえ~、知らんかったあ。ちなみに、「スパイダーマン」ですが、1978年に東映制作でTV放送されている、連続特撮ドラマ、日本オリジナルの「スパイダーマン」の方は、アメリカのマーベル社が「3年間だけ貸すから自由にしていいよ」と契約したんだそうで、だから、日本版「スパイダーマン」は持てる特殊能力こそ同じような力だが、基本設定からドラマのシュチュエーション、お話の内容まで、アメリカの原作オリジナルとは全然違うものになっている。この日本版作品がTV再放送できないのも、「スパイダーマン」の名前の著作権に関わるものらしい。

 という事で、著作権問題でしたが、世の古今の創作物語作品には、この著作権の問題や各方面からの抗議や、差別語句などの放送コードに引っ掛かるとか、いろいろな自主規制などで、最初は制作したまんまで発表したが、出版・放送等の再度の発表公開が出来ない、オリジナルのまんまでは無理で、部分削除や手直しが強いられるという、作品も多い。特に、差別語句には敏感で、最初の出版・放送時に何か問題になる言葉が見つかると、即座に各方面から抗議が来て、次からは問題部分がカット、もしくは公開中止でお蔵入りにされる。

 名作「巨人の星」にも、実はそれがあって、僕はけっこうこの場面が好きなんだが、主人公飛雄馬が星雲高校受験の面接試験の際、試験官に父親の職業を聞かれて、飛雄馬はこう答える、「日本一の日雇い人夫です!」と。これが引っ掛かるらしい。「日雇い人夫」という言葉が職業差別になるらしい。1968年当時のTVアニメ放送では、この回のタイトルは、第十話「日本一の日雇い人夫」だったらしいが、再放送の時は音声を削除されて、タイトルも第十話「日本一の父、一徹」に変更されてるらしい。

 僕はオリジナルの漫画「巨人の星」をリアルタイムで毎週、少年マガジンで読み続け、当時同じく好評連載されていた「ハリスの旋風」や「明日のジョー」と共に、マガジン毎週発売と共にワクワク真っ先にページを繰る、大好きな漫画作品だった。原作・梶原一騎、漫画・川崎のぼるで、少年マガジンの一時期の看板を背負った、国民的スポーツ少年成長ドラマ。当時の僕は小学4年頃から中学2、3年くらいまで、かな。そのくらい長期に渡って連載、TVアニメも大人も賞賛して大好評だった。
 職業差別語となる「日雇い人夫」だが、昔の刑事ドラマによくある「犯人は一見、労務者風」なんて言い方もダメなんだって。勿論、「土方」という呼び方もダメ。今は「建設作業員」という呼び方に言い換えられているらしい。ふう~ん。て感じですねえ。

 あ、そういえば思い出した。随分前に何かで読んだ、やはりこの「巨人の星」の差別語にまつわる話。野球、野球に明け暮れる少年の日の飛雄馬が、星家の茶の間で父、一徹に反発して言う。「父ちゃんは野球きちがいだ!」。これが差別語のセリフという事で、コミックスになった折か再版の時、セリフの言葉が差し替えられる。何というセリフに変えられたのか、もう忘れてしまっていますけど、確か、そういう事もあってますねえ。名作「巨人の星」。白土三平の名作「カムイ外伝」中には極め付けがありまして、江戸時代の農村舞台で、農民の一人が言う、「相手はめくらでねえか」というセリフが差別語に引っ掛かり、このセリフは「相手は目の不自由な人でねえか」と差し替えられたとか。確かそうだったというふうに記憶する。もう、随分前に何かで読んだ事だから、違っていたら御免なさい。

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「Wolf Guy」 -ウルフガイ-

 

Wolfguy

 コミックスでは97年の初版発行です。株式会社ぶんか社発行BunkashaComics「Wolf Guy -ウルフガイ-」全4巻。作画‐かどたひろし、原作‐平井和正。当時のぶんか社発行成人漫画誌「コミックまあるまん」連載作品。小説家・平井和正の代表作「ウルフガイ」シリーズの数多くの作品群から、「アダルトウルフガイ」のお話を4作品、劇画化。成人コミック誌連載なので、お色気もたっぷり、なかなか面白い娯楽SF漫画となっております。

 平井和正という作家の名前には、本当に大きなものを感じます、僕の場合。漫画家では、もう、手塚治虫や石森章太郎から藤子不二雄、そういう日本漫画の立役者巨人クラスから、60年代から70年代の日本漫画界を代表する往年の巨匠クラスと同じような位置にいます、僕の中で。SF作家=平井和正、ある意味、日本SF界の一方の雄と呼べるのではないでしょうか。昔、確か、日本推理作家協会の、入会するかどうかの折、書いている作品の内容が幼稚すぎるとかの理由で、その日本推理作家協会に入会できなかった、とかいう事があったような、そんな記憶があるけど。確かそういう事態があったように思うけれど、どうだろう?何か僕の記憶違いか?調べればいいんだろうけど、済みません、怠惰で。今度はっきりした事を調べてみます。しかし、そんな事があるかあーっ!と声を大にして言いたい。第1級のエンタティンメント作品を紡ぐ小説家です。平井和正の描く世界は、実に面白い、ハードボイルド風SF娯楽ヴァイオレンス作品です。これが、80年代から始まる「幻魔大戦」になってくると、ちょっと違うんだけどね。大長編「幻魔大戦」ワールドの作品群と、90年代「ウルフガイ」関連作品はまた別。

 60年代末から70年代の平井和正作品の小説、「ウルフガイ」シリーズと、80年代後半~90年代からの、未完の超大作「幻魔大戦」がひと段落終えて、新たに始まった新「ウルフガイ」のシリーズは明らかに違う。と思う。

 僕は、小学低学年で、平井和正原作の児童向けSF漫画「エイトマン」を漫画誌とTVアニメで、堪能、熱狂し、その後も、平井和正と桑田次郎のコンビの少年SF漫画作品に魅了され続けた。「エリート」「超犬リープ」「デスハンター(ゾンビーハンター)」‥etc.ときりがないくらい。もう子供の頃の僕には憧れの素晴らしい世界でしたね。平井和正の創り出し描く世界は。
 18歳のある晩、徹夜して読み上げた「少年ウルフガイシリーズ」の記念碑的第1作「狼の紋章」。それから続々と興奮熱狂して読み上げたその続編小説。「狼男だよ」などの正統ハードボイルドのアダルトウルフガイシリーズ作品。何てったって、カーッコイイですよねえー、ウルフガイは。そして、70年代終わりから、80年代前半は角川書店の小説誌「野生時代」好評連載「幻魔大戦」と、徳間書店のSF専門誌「SFアドベンチャー」巻頭連載で「真幻魔大戦」を雑誌連載で読んでいました。面白かったけど、冗長というかやたら長いし、やっぱりあの幻魔ワールドにはついて行けませんでした。他の小説、「悪霊の女王」なんかも読んでた。

 あの初期・中期の平井和正ワールドが漫画で、簡単に読めるんだから良いですよ、これ。絵も劇画で迫力あるし。劇画版「ウルフガイ -Wolf Guy-」です。今、手に入るかなあ?どうぞご堪能あれ。ワクワク面白いですよ、平井和正初期中期の作品原作のハードボイルドSF漫画。池上遼一作画による日本版「スパイダーマン」も是非、お薦め。
(※正確には、日本版「スパイダーマン」は、初出1970年頃の別冊少年マガジンになりますが、コミックス・文庫で全五巻の内、前半の二巻までがmarvelのオリジナル原作に基づいて海外コミック研究家の小野耕世らが草案したお話内容で、第3巻より平井和正ストーリーとなっています。作画は全巻通して、初期後半頃の池上遼一。尚、平井和正ストーリーのエピソードは、小説のアダルトウルフガイシリーズ中のお話と、内容のアウトラインが重なるものが多いです。)

   

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