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「愛の戦士 レインボーマン」-原作·川内康範 作画·小島利明-

 実写特撮等身大ヒーロードラマとして70年代前半、一世を風靡した感があるほどの人気テレビ番組だった「レインボーマン」。当時の子供たちに大人気の変身もの等身大ヒーロー·アクションドラマでした。

 「愛の戦士 レインボーマン」、戦後テレビ放送黎明期に「月光仮面」など数々の変身·等身大ヒーロードラマを、当時の子供たちに夢と希望と勇気を与えるために送り出して来た、作家·川口康範氏が原案-原作の、川口康範-正義ヒーローものとしては、後期も末期になるかな、子供向け超人ヒーロードラマですね。

 

 当時の特撮ドラマ「愛の戦士 レインボーマン」は、幼児から高校生くらいまでの幅広い少年少女に人気を得たテレビ番組でした。僕はもう高校生だったのですが、僕もけっこうこの子供向け特撮ドラマが好きで、多分毎週見てたと思います。

 「愛の戦士 レインボーマン」の初出テレビ放映は、1972年10月初めから1973年9月末までの調度一年間ですね。僕はこのとき高校二年生から高校三年生で年齢は16歳から17歳。もう青年としてはイイトシかな。

 僕は幼児の頃から、仮面·覆面の正義の超人ヒーローが大大好きで、子供のときからずっと、テレビの超人ヒーローの真似の一人芝居をして過ごしてたバカガキでした。

 

 幼児期~小学生時代いっぱいまでは、本当に正義の超人ヒーローに憧れてましたねぇ。中学生になると僕だって少しは成長するので、小学生時代ほどではなかったけど、常に夢見るようにヒーローに憧れていたと思う。

 子供向け等身大超人ヒーロー勧善懲悪ドラマ「レインボーマン」の特色は、主人公の青年·ヤマトタケシが、超人·レインボーマンに変身したとき、レインボー=虹というだけあって、7つの超人タイプに変身できる。

 だいたいレインボーダッシュ7(セブン)の太陽の化身で戦うんですが、ダッシュ1からダッシュ6までそれぞれ、月、炎、水、草木(緑の植物)、黄金、土の化身になり、名前の表す独特の超能力が使えて、戦闘場面に合わせてさまざまなタイプに変身して敵と戦う。

 

 致命的弱点があって、毎日必ずという訳ではないみたいだけど、敵と戦闘してレインボーマンの力をかなり使うと疲れきって、疲労困憊すると勝手に身体が座禅を組んで石みたくカチカチになる。確かにカチカチの固体になってしまうんだけど、このときは“ヨガの眠り”に入ってて5時間は起きない。

 石化して5時間眠った後は、目が覚めて後、身体がリフレッシュされて元の元気を取り戻す。“ヨガの眠り”の間に敵に襲われたらどうしようもない、という最大の弱点。

 東京~関東圏で満12年くらい働いて帰郷して、そこで一年ちょっとプータロー生活をしたんですが、今でいうニートというかこの一年ちょっとは仕事してなくて、母親の家で昼頃まで寝て、起きて原付バイクでぶらぶらして、夕方4時からアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」の再放送、4時半から「スケバン刑事」の再放送見て、5時から「夕焼けにゃんにゃん」見てた。で、6時から再び原付バイクでうろつく。

 この時代に「レインボーマン」の再放送をやってたんですよね。「レインボーマン」再放送は多分毎日放送してて、何時頃からやってたのか記憶してない。午前中の10時11時台だったのか、夕方4時5時台だったのか。

 東京の会社辞めて戻って来て直ぐに「ゲゲゲの鬼太郎」「スケバン刑事」「夕焼けにゃんにゃん」見てたのはよく覚えてるんだけど。

 この超ヒマで毎日遊んでた一年ちょっとの間は、毎夜、夜中はずっと起きてて文庫本ばっかり読んでた。毎朝5時頃眠ってたと思う。昼間原付バイクで出て街に出たときに、ときおり文庫本7、8冊くらい買いだめして、1冊3、4日で読んでたなぁ。

 高校生時代も東京の仕事辞めて帰って来た30代初めも、ドラマ「レインボーマン」は面白く見て楽しかったなぁ。 

 主人公のヤマトタケシがレインボーマンに変身するときに唱える呪文の「アノクタラサンミャクサンボーダイ」は当時、流行語みたく流行りましたね。

 漫画版の「レインボーマン」は、週刊少年マガジン1972年39号から73年41号まで連載されました。東宝テレビドラマのコミカライズ版ですね。原作はドラマと同じく川内康範先生、脚色クレジットはテレビドラマの脚本家が5名いるんですが、その内の1人の伊藤恒久氏になっています。作画担当の漫画家は小島利明氏。

 漫画版「レインボーマン」のタイトルは、オリジナルテレビドラマのタイトル「愛の戦士 レインボーマン」と違って、タイトルの「愛の戦士」部分を削って、主役ヒーローの名前だけのタイトルですね。(マガジン連載時はタイトル『レインボーマン』の近くに小さく『愛の戦士』と入ってました。単行本化されたとき『愛の戦士』入ってない。)

 少年マガジンの連載期間は調度一年間ですね。テレビ放映開始よりも漫画の新連載の方がだいぶ早いですね。週刊雑誌の39号は夏場ですからね。発売は8月後半くらいじゃないかな。テレビ放送のオリジナル終了とマガジンの連載終了はまぁ、ほぼ同じだけどやはり漫画の最終回の方がほんの少し早いですね。

 僕はマガジン連載期間の前半3分ノ1くらいは連載リアルタイムでマガジン誌上で読んでる筈なんですが、あんまり印象に残ってないですね。僕も高校二年生16歳ですからね。いくら僕でもこの年齢で子供向け変身ヒーローに熱中はしないですね。

 高二になった4月5月くらいから、推理小説や中間小説など大衆小説を読むのが習慣化してたし。高二~高三は松本清張、五木寛之、野坂昭如、遠藤周作なんかの小説やエッセイ集にのめり込んでたなぁ。

 まぁ、高校生時代も、「帰って来たウルトラマン」「仮面ライダー」「レインボーマン」「ダイヤモンドアイ」などなどの子供向け特撮ドラマも見てましたけど。でも熱中して見てた訳じゃないなぁ。何か暇潰しで惰性でボーッとテレビ見てたよーな。

 やっぱり高校生の年齢だから、森田健作の「俺は男だ」や「おこれ男だ」とか「飛び出せ青春」とかの青春学園ドラマの方が、けっこう熱中して見てたかなぁ。

 

 ちなみにあの時代のウチはまだモノクロテレビ受像器だった。

 大貧乏な高校生時代だったし、絶望的な青春前期ではあったけど、まぁ、思い返せばそれなりに楽しさもあった若き青き時代だったかも。

 雨漏りがして冬場は寒風吹き荒ぶようなあばら家暮らしの3年間だったし、小遣いなんてないは、夏休みにバイトすれば全額母親に没収されるは、学生服は中学のそのまま着て、一度、二年生くらいのときに買い替えただけで、衣服は下着さえ買えずに中学のときのと、兄貴のお下がり着てた。ひどい貧乏暮らしの青春だったなぁ。

 マガジンの「レインボーマン」は新年特大号からの新連載と思い込んでいたけど、記憶違いだった。夏場の新連載だ。

 漫画の「レインボーマン」は、初めの頃の、レスリング少年の主人公·ヤマトタケシ少年が、妹の不自由な足の手術費を稼ぐためにプロレスラーになろうと決心し、強いプロレスラーになるためにインドの伝説の最強レスラー、ダイバダッタに教えを請おうと単身インドへ向かう。

 そして仙人のごときダイバダッタに出会い、ダイバダッタに弟子入りすることができて厳しい修行に明け暮れるけど、ダイバダッタの考えはヤマトタケシの希望とは全く違っていた。

 ダイバダッタは最後に、ヤマトタケシに、自分の金儲けのために強いプロレスラーになるなどの個人的な欲望は棄てて、この世の正義のために、この世の全ての悪と戦い、全ての弱い善良な人間たちを救え、という修行の最後の真の目的を教える。

 ヤマトタケシは最後の教えまで受けとめて、超人となって山を下り、インドを離れて日本へ帰って来る。・・・

 この辺までは、漫画の流れを何となく覚えているけど、その先のお話は全く覚えていなくて記憶にない。

 少なくとも、週刊マガジンは1972年中は読んでる筈なんだけどなぁ。73年も2月か3月までは読んでるかも知れない。

 その後の、漫画「レインボーマン」の単行本コミックスは読んでいない。単行本は講談社コミックスで全4巻で刊行されてる。新書判コミックスで1973年の連載終了前ですね。この4冊分を全2巻にまとめて大都社から1990年にB6判で刊行されてる。

 漫画版「レインボーマン」の内容はマガジン誌上リアルタイムで読んだ分は最初の方以外、もう忘れてしまっていて記憶してないけど、だいたいテレビドラマのお話の流れと同じみたいですね。

 テレビドラマの方では、レインボーマンの対敵組織が「死ね死ね団」で、「死ね死ね団」の目的は日本人を地上から殲滅することで、その目的を阻止しようと邪魔をするレインボーマンを排除するために、死ね死ね団の頭領はさまざまな殺し屋にレインボーマンの抹殺を指令する。

 まぁ、こういうドラマは「仮面ライダー」の幹部怪人1人につき、大勢のショッカーの戦闘員がいるように、死ね死ね団幹部1人につき、大勢の戦闘員がいましたね。

 殺し屋は、重火器などさまざまな武器で武装した「死ね死ね団」幹部たちだが、女性幹部三人がサイボーグ化されて強力な半ロボット人間としてヤマトタケシ=レインボーマンに襲い掛かる。

 死ね死ね団の武装戦士やサイボーグたちを、苦戦しながらも倒したレインボーマンに、今度は「死ね死ね団」アフリカ基地から、殺人プロフェッショナルチーム·レインボーマン暗殺部隊が送り込まれて来る。

 レインボーマンは7つの化身に変身しながらさまざまな超能力を使うが、殺人プロフェッショナル·暗殺部隊のメンバーも超能力や妖術を使う。苦戦に苦戦を重ねながらも何とかこの暗殺部隊メンバーを一人一人倒して行く。

 一番印象に残っているのは、もともと東宝の女優で50年代60年代の東宝のさまざまな映画に出演していた往年の女優、塩沢ときさんが、暗殺部隊のボス的な存在の、アフリカから送られて来たけど“アマゾンの魔女”イグアナという妖術使いの殺し屋を演じてたことですね。

 塩沢ときさんは昭和22年に東宝入りした女優さんで、1928年生まれ。計算すると「愛の戦士 レインボーマン」の悪役、イグアナを演じてたときは既に45歳のときか。けっこうな年齢であんな派手に不気味なモンスター悪役を演じてたんですね。

 魔女·イグアナは、塩沢ときさんが毒々しいメイクで肥満してて、不気味な妖術使いを演出してた。あのキャラクターだけはいつまでも記憶に残り続けましたね。あとの対敵モンスターたちはほとんど忘れちゃったけど。

 レインボーマンに倒されて敗れたイグアナの復讐に、イグアナの母親のゴッドイグアナという怪物キャラが登場するけど、メイクや容姿が似てたからゴッドイグアナの役は塩沢ときさんの一人二役とばかり記憶してたけど、間違ってた。ゴッドイグアナって曽我町子さんが演じてたんだ。

 曽我町子さんも往年の名女優だなぁ。テレビ放送黎明期からの声優で、黎明期モノクロアニメの声優もたくさんこなしているし、テレビドラマは時代劇からアクションもの、コメディ喜劇のドラマにも子供向け特撮ヒーローものまであらゆるドラマの脇役で出演している。勿論、たくさんの劇場用映画にも出演している、何でもこなせる、いわばマルチタレントの草分けですね。

 「愛の戦士 レインボーマン」は凝った作りの特撮ドラマで、大人の鑑賞にも耐えうる面白いヒーロードラマだったなぁ。子供向け特撮ドラマとしては高視聴率を取った、ヒットドラマになっただけのことはある。

 

 

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 かつて週刊少年マガジンに連載された漫画版の「レインボーマン」の作画担当の漫画家、小島利明先生は1945年1月生まれで、漫画家デビューは1969年です。1945年1月はまだ戦時中ですね。終戦はこの年の8月だから日本国民の生活が一番苦しかった時代かなぁ。

 小島利明氏のデビュー作は1969年の「少年画報」連載の「サッカー番長」となってます。僕は雑誌連載リアルタイムで「サッカー番長」を愛読してました。デビュー作となってますが小島利明先生は最初から絵がうまかったです。もう漫画が完成された絵のうまさでしたね。とても雑誌漫画のデビュー作とは思えない絵のうまさでした。

 小島利明氏の修行時代って、誰か有名な漫画家のアシスタントを長くやって腕を磨いた、というものではなく、雑誌漫画デビューの前にアニメーターをやっていたんですね。このアニメーター時代が絵が上達した修行時代なんでしょうね。

 でもアニメでセル画の絵を描くのと雑誌漫画をペンで描いて行くのは、かなり違うだろうに「サッカー番長」の漫画は初めから漫画として完成された絵のうまさだったな。雑誌漫画は原稿一枚一枚の画面構成とかありますからね。アシスタントに着かずに初めからプロとして普通にコマ割りとかできてたのなら凄いですね。天才的。

 「サッカー番長」はリニューアル「少年画報」の目玉作品として毎回100ページ連載でした。巻頭カラー掲載も多かった。

 戦後-昭和23年に「冒険活劇文庫」の誌名で刊行された少年画報社の月刊誌は、昭和25年から月刊「少年画報」に誌名を改めて刊行を続け、1950年代から60年頃までは、毎月6~10冊近く刊行される少年月刊誌の中でも、人気·販売部数共に少年雑誌の王者でしたが、1959·60年頃から「鉄人28号」「鉄腕アトム」を連載漫画に持つ光文社の月刊誌「少年」に王座を明け渡す。

 その後、「週刊少年マガジン」「週刊少年サンデー」の台頭で少年向け雑誌は週刊誌の時代になる。やがて「週刊少年キング」が創刊され、戦後の月刊少年誌の人気·販売部数が衰えて来る。月刊「少年画報」は1948年から21年間毎月刊行され続けて来たが、ついに1969年の秋季の例月号で、月刊誌としては終焉する。

 戦後創刊の月刊誌は1968年69年に続けて休刊(事実上の廃刊)に追い込まれるか、雑誌の中身をガラリと変えてリニューアルしましたね。

 月刊「少年画報」も1969年の9月号か10月号で月刊誌としての寿命を終えて、隔週刊(月二回刊)の雑誌にリニューアルされました。月刊誌時代から月二回刊リニューアル誌に連載がスライドしたのは「キックの鬼」だけでした。テレビアニメ放送している「キックの鬼」以外の月刊誌時代の連載漫画は全て終了。

 リニューアル月二回刊「少年画報」の看板漫画として毎回100ページ掲載の「サッカー番長」が創刊号から連載が始まった。

 隔週刊(月二回刊)のスマートになった「少年画報」だったけど、結局2年ちょっとの寿命で1971年に休刊(事実上の廃刊)になった。

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 70年代前半、人気を博した特撮ドラマ「愛の戦士 レインボーマン」ですが、だいぶ以前から現代では“放送禁止”と言われてますね。ネットのSNSや動画でも話題になって来ました。

 90年代からこっち再放送されてないんじゃないかな?僕の見た再放送分は1986年か87年頃だと思います。ひょっとしてあの再放送が最後のテレビ放映?よく解りません。

 BSでも放映されなかったんだろうか?よく解らないですね。僕はもうずーっとBS引いたことないし、生涯でBS見たといえば、健康ランドみたいな温泉施設内か、入院先の総合病院内だけですからね。

 何しろ劇中挿入歌とエンディングの♪死ね死ね団の唄の歌詞がキョーレツな内容ですからね。「死ね」というフレーズが何十回と繰り返されてる。

 ヤマトタケシ=レインボーマンの宿敵-死ね死ね団の頭領、ミスターKが太平洋戦争時に日本軍に虐待され両親を殺されて、その復讐で日本人皆殺しを誓い、大組織でその実行に掛かっている、というストーリー設定ですからね。

 この悪役のストーリー設定の方が問題で、現代では再放送できない、という説も通ってますね。

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素浪人 月影兵庫

 2023年に入ってね、2月か3月頃からかな、YouTubeにて「東映時代劇」にて昔の時代劇·剣豪ドラマ「素浪人 月影兵庫」が1話から連続して動画配信され、6月で20話くらいまで来たのかな、毎週回が更新されるごとに前回の動画はなくなるのですが、僕は1回からずっと見続けて、途中、エピソード終わりまで見なかった回も幾つかありますが、だいたい18話くらいまで見て来ました。

 2023年6月30日時点でYouTube配信の週代わりで進んで行く無料配信の「素浪人 月影兵庫」第1シーズンは、全26話の内、第23話だな。19話くらいから全く見てないけど。

 昔のモノクロ時代劇ですが、面白かったです。五十数年前の子供の頃、当時の白黒テレビで一度見てるのですが、当然、細かな内容はすっかり忘れていて、物語の設定だけ覚えていて、初めて見るドラマのように楽しめました。

 昭和のモノクロ時代劇-連続ドラマ「素浪人 月影兵庫」が放送されていたのは1965年(昭和40年)10月からで、人気の高い時代劇·剣豪ドラマで、第1期が66年4月で終了すると、第2期が67年1月から放送開始されました。第1期は全話26回でしたが、第2期は何と68年12月まで全部で108話も放送されました。65年から68年まで全話モノクロ放送でしたね。

 1965年は僕は小学四年生で10月はまだ9歳でしたね。連続時代劇ドラマ「素浪人 月影兵庫」はもともと原作の時代劇剣豪小説があって、南條範夫氏という東京帝国大学卒で直木賞と吉川英治文学賞を受賞した、昭和の時代劇小説のベストセラー作家の人気シリーズ小説作品「月影兵庫シリーズ」が原作です。

 「月影兵庫シリーズ」は作家·南條範夫氏によって、1958年から剣豪もの大衆小説としてシリーズで書き続けられていたようですが、勿論、僕は「月影兵庫」の原作小説を読んだことはありません。

 ただ「月影兵庫」は当時コミカライズされていて、貸本漫画なのですが、貸本漫画出版専門の日の丸文庫(光伸書房)からハイコミックス全1巻で刊行されてますね。僕はこの漫画本を当時毎日通っていた貸本屋から借りて来てます。多分、1965年の秋以降か66年だと思います。この漫画版のタイトルは「月影兵庫-上段霞斬り」ですね。

 

 社領系明氏·作画の貸本漫画版「月影兵庫」を調べて行ったら、このシリーズで2巻刊行されてて、1冊は「月影兵庫-上段霞斬り」で2巻目は「月影兵庫-片腕の男」になってます。初出発刊は「上段霞斬り」が1967年3月、「片腕の男」が同4月になってますね。いずれも従来のA5判貸本サイズではなくて新書版コミックスですね。

 だから僕の記憶の毎日通っていた近所の貸本屋から65年の秋以降か66年春までに借りて来た、という記憶は間違っていたことになる。僕が毎日通っていた近所の貸本屋は66年4月中に閉店してしまいましたから。ということは、大通り挟んだ向こうの隣町になる貸本屋で借りたのかな?それは記憶してない。謎だ。隣町域になる、大通り挟んだ向こうの貸本屋には滅多に行かなかったからなぁ。

 まぁ、とにかく僕が借りた漫画版「月影兵庫」は「上段霞斬り」の方の1冊ですね。時代劇劇画の絵があんまし僕の好みでなくて借りて来たものの僕はパラパラくらいしか読まなかったと思う。

 社領系明氏という方は、神戸生まれで大阪で活躍された漫画家で、主に貸本漫画で時代劇を描いていて、大阪日の丸文庫(光伸書房)の時代劇アンソロジー誌「魔像」などに時代劇短編を載せていて、勿論、貸本単行本の長編漫画もいっぱい発表しています。昭和3年生まれの方らしいですね。

 

 日の丸文庫以外の貸本出版社でも描いていたみたいですけど、日の丸文庫の漫画が有名ですね。タマに、昭和30年代の月刊少年誌に作品を描くこともあったようですけど。

 小学生時代の僕は、忍者漫画は好きだったけど、剣豪ものも含めて時代劇漫画があまり好きではなくて、僕の毎日貸本屋に通っていた時代、貸本漫画に時代劇ものも多かったんですけど、あんまり借りて来なかったなぁ。時代劇でも怪談·怪奇ものはときどき借りて来てたかも知れないけど。

 週刊少年マガジンでさいとうたかを氏の「無用ノ介」が始まった頃は、1967年で僕も小六で11~12歳だから、時代劇漫画もそのくらいの年齢になると剣豪ものはけっこう愛読したけど、だいたい小一~小五くらいまでは時代劇はほとんど忍者漫画だけだなぁ。怪奇ものもタマに読んでたけど。

 怪奇もの時代劇は僕は怖がりだったから怖いもの見たさで幽霊もの妖怪ものを借りて来て、読後に怖くて怖くて眠れなくなってたと思う。夜中にトイレに行けないとか。

 

 漫画家·社領系明氏の名前は、ハイコミックスの「月影兵庫-上段霞斬り」で初めて知ったくらいで、貸本屋には本棚に作品は並んでたんだろうけど、ほとんど読んだことない状態だったな。

 日の丸文庫発行の時代劇アンソロジー誌-貸本漫画「魔像」は、僕が小学生時代毎日通っていた貸本屋に、ちょくちょくあったけど、ほとんど借りて来てないような気がする。平田弘史氏とか臣新蔵氏とかの短編剣豪劇画が収録されてたけど、小学生の頃は趣味じゃなかったから読まなかったなぁ。

 もっとも平田弘史先生の貸本の長編漫画は読んだ記憶が幾つかある。おぼろげな記憶しかないが、“無双怪力術”を会得した剣豪の物語を読んだ記憶はあるなぁ。あと、平田弘史さんの、残酷描写が話題となった、武士社会の復讐劇の漫画と。これは何となく記憶してる。

 僕は小学生時代、貸本屋さんで必ず貸本単行本2冊借りてたから、読んだ本ばっかりのときは、趣味じゃなくても多分、時代劇漫画も借りて帰ってて、パラパラでも読んでたんだと思う。平田弘史さんの作品は読み初めて見ると意外と面白くて割りとしっかり読んだりもしてたのかな(?)。

 貸本時代劇漫画でも怪奇ものは割りと読んでたように思うなぁ。

 テレビの連続ドラマの「素浪人 月影兵庫」も、小学生時代は毎週毎週面白く見ていたけど、さすがに数十年経って爺さんになってから見ると、だいたいエピソードのパターンが何通りか決まっていて、何回も続けて見てると飽きるなぁ。もう起承転結のパターンが解っちゃってて。

 CMも入れて番組終わり後にニュースか天気予報があるから、54分くらいの中に冒頭決まったオープニングと間々のCMで物語賞味は40分少々くらいか。ほとんど一話完結の連作ものだからなぁ。「水戸黄門」ほどのワンパターンではなくとも、だいたい同じパターンだからな。子供の頃は楽しめても年寄りになると飽きて来る。

 子供の頃、あんなにワクワク楽しみにして見ていたテレビの時代劇ドラマも、大人になって見返して見るとそこまで感激するものでもないな。子供だったからこそワクワク興奮して楽しめた感激感があったと解る。

 子供の頃は、時代劇の「素浪人 月影兵庫」でも学校の休み時間の級友たちとの会話でも話題になったりもしてた。ドラマでの主人公の相棒の渡世人、焼津の半次が、キャラが面白くて笑いの話題になったりした。級友で仲の良かったKT君がちょっと、ハンサムで面白い渡世人、焼津の半次に何となく顔が似ていて、KT君に焼津の半次に似たようなアダ名を着けて笑ったりした。懐かしいな、小学校時代。

 ドラマ「素浪人 月影兵庫」は、相棒の渡世人でレギュラーの焼津の半次こそ、笑いを誘う、コミカルなコメディキャラ風味だったけど、主人公の月影兵庫はなにものにもとらわれない豪快な、一本筋の通った、自分を持ったしっかり·ちゃんとした剣豪キャラで、割りと真面目なキャラ設定だった。

 それが第2シーズンから、焼津の半次は虫のクモが苦手で大嫌い、主人公·兵庫は猫が苦手で大嫌いという設定を作って、主人公·兵庫までも割りとコメディタッチに描くようになり、ドラマ全体としてのコメディ色を強くした。

 

 これに原作者の南條範夫氏が激怒したらしいですね。南條範夫氏の原作小説の「月影兵庫シリーズ」の月影兵庫は、もっとずっと真面目キャラで物語自体も難い雰囲気の剣豪時代劇らしい。娯楽時代劇小説ではあってもユーモア味付けのない、真面目雰囲気のシビアな剣豪対決時代劇らしい。

 それが理由で「素浪人 月影兵庫」は人気の高い時代劇連続ドラマだったけど、第2シーズンで終了して、タイトルを新たに「素浪人 花山大吉」に変えて主人公の剣豪も花山大吉とした。月影兵庫よりもコメディ味を強くするために、主人公·花山大吉はオカラが大好きでオカラを肴に酒を飲むともの凄く酒グセが悪くなり、急に緊張した事態に見舞われるとしゃっくりが止まらなくなり、ひょうたんに入れた酒を飲むとしゃっくりが止まる、というキャラ設定を付けて少々コミカルに描いた。「素浪人 花山大吉」にも焼津の半次は引き続きレギュラー登場した。

 でも「素浪人 月影兵庫」の第2シーズンは104話も放送されてるんだよな。まる二年間くらい放送されてる。

 僕は小学生時代、一番大好きだったものは漫画で、紙の本の漫画が、子供に取ってのこの世の中で本当に第一に好きなものだった。この時代だからオール児童漫画ですね。少女漫画は趣味じゃなくてほとんど読まなかったから、少年漫画。貸本漫画は読者対象が雑誌漫画よりも若干高くなってたけど、少年~青年向けの貸本漫画も好きだったなぁ。

 その次がテレビ番組だろうなぁ。テレビの次が学校のワルガキ仲間とか友達かな。テレビ番組はやっぱり子供向けのヒーローもので、その次に時代劇も好きだったな。お笑い主体のコメディも好きだったけど。漫才やコントのお笑い番組も好きだったな。

 昭和のテレビ番組は時代劇が多かった。正義の剣豪が、明らかに悪いサムライ連中をバッタバッタと斬り棄てる、勧善懲悪ストーリーの剣豪ヒーロー時代劇。やっぱこれが好きだった。複雑な内容の時代劇も中にはあったかも知れないけど、子供だからそういうのは見ていない。

 この時代の娯楽時代劇は、俗に言うチャンバラ時代劇の主人公は、お城に勤めてるリーマン武士じゃなくて、ほとんどが浪人者の剣の達人だったな。「丹下左膳」とかが代表格かな。あとは「素浪人 月影兵庫」のようなロードムービー的な全国行脚を宛もなく旅するストーリー。

 渡世人を主人公に持って来たものは「清水次郎長」ものとか一家を構えたお話とかがあった。70年代に入ると「木枯し紋次郎」みたいな渡世人のシリアスな股旅ものとかがあるけど。

 「素浪人 月影兵庫」も勧善懲悪ストーリーの剣豪ヒーローものだしな。

 忍者時代劇もけっこうあって好きだったけど、忍者もの時代劇も「隠密剣士」や栗塚旭さん·土田早苗さんの「風」とかも忍者ヒーローものだったな。やはり勧善懲悪ストーリーの忍者ヒーロー。

 多分、他にも時代劇の剣豪や忍者が戦い合う時代劇アクションのテレビドラマはいっぱい放送されてたんだろうけど、何しろ僕の小学生時代という55~60年も昔の思い出だから忘れてしまってるものもいっぱいある。

 学校では毎日先生に怒られて毎日頭に強いゲンコツされて、学校の勉強ができなくて聞けなくて嫌いで学校行きたくなかったけど、ワルガキ仲間との休み時間や放課後は楽しくて、やっぱり小学生時代は最高だったな。まぁ、両親の庇護の下、何の心配も要らなかったからだけど。

 「素浪人 月影兵庫」が終了した後の「素浪人 花山大吉」も毎週見てた。

 「素浪人 花山大吉」の放送期間を調べて見たら、1969年1月から70年12月となってる。69年1月は僕は中一かな。70年12月は中三だな。中一くらいまでは面白く見てたけど、僕も中二くらいになると熱心には見てないだろうなぁ。多分、「素浪人 花山大吉」は後半の放送は見てないんじゃないかなぁ。

 僕は小学生の頃、連続時代劇ドラマ「風」が好きで、毎週楽しみにしていた。主人公は江戸の治安を守る隠密なのかな?主人公の相棒の女忍者がいて、この女忍者がエラい魅力的だった。僕は子供ながら、この忍者のお姉さんが大好きだった。この女忍者役が女優の土田早苗さんだった。

 土田早苗さんは60年代後半から70年代80年代のテレビ時代劇でよく見る女優さんだったなぁ。多分、現代劇にも出演してたんだろうけど、僕は現代劇の土田早苗さんを見た記憶がない。

 時代劇「風」のことを調べたら、1967年10月から68年9月までの期間、調度1年間放送されてた。栗塚旭さん演じる主人公は“風の新十郎”という名前で、幕府の隠密ではなかった。土田早苗さん演じる女忍者-かがりは当時の幕府老中-水野忠邦の配下の甲賀忍者。

 “風の新十郎”は元大泥棒の義賊で、江戸の町の難問題解決に乗り出して、結果江戸の治安を守る役目を自ずから行い、水野忠邦の信頼を得ていて、時に水野忠邦から問題解決の依頼をされる。女忍者·かがりは老中との繋ぎ役や手伝い役を担う。

 まぁ、優秀な忍者並みの体術·剣術を使う、風の新十郎が江戸の治安を乱す残忍な悪者どもをやっつける、痛快時代劇ですね。

 土田早苗さんは、栗塚旭さん主演の「われら九人の戦鬼」にも出演してたんですねぇ。土田早苗さんを調べて見ると、「青春とはなんだ」などの現代劇青春ドラマにも出演してる。でもテレビドラマではやはり時代劇の出演が多いですね。ただ、劇場版映画にもいっぱい出演してて、「網走番外地」や「トラック野郎」のシリーズにも出てるように映画では現代劇出演が多い。

 土田早苗さんは小学生の僕には魅力的な素敵なお姉さんだったな。1967年10月は僕は小学校六年生か。調度「ウルトラセブン」の始まった年月だな。68年9月は中一だもんなぁ。

 柴田錬三郎の小説が原作の「われら九人の戦鬼」も面白い時代劇ドラマで当時は毎週楽しみにして見てた。

 僕も、他の同級生たちに比べると性的な成長は比較的遅い方、つまりウブな少年だったがさすがに中一くらいになるとテレビの世界の妙齢の綺麗なお姉さんたちに憧れ意識を持ち、つまり色気付いて来てた。本格的に女性を性的に意識するようになるのは、僕は多分、中二からだったと思う。僕はずっとウブな少年だったし。

 土田早苗さんも、僕はこの年頃に素敵なお姉さんと憧れてたかも知れないが、この中一~中二時代に一番大好きだったテレビの中の人は、歌手グループ-ピンキーとキラーズの今陽子さんだったな。

 ピンキラの♪恋の季節 の特大ヒットが1968年、その次の♪涙の季節 の大ヒットが69年。♪七色のしあわせ とか大好きな曲だったなぁ。僕の中一~中二時代に一番憧れてたのは、やはりピンキーだったなぁ。テレビも出演してたら必ず見るというような勢いだったし。まぁ、昔々の話だけど。

 「素浪人 月影兵庫」の主演の近衛十四郎さんは、時代劇の殺陣がメチャメチャ上手かったなぁ。あの時代、僕も子供なりに感心してたと思う。あの時代の並みいる、時代劇に出演する時代劇の剣豪役スターたちの中でもズバ抜けて殺陣が上手かった。

 近衛十四郎さんって実際、剣道の高段者だったんじゃないかと思う。戦前·戦中を生きた人だしな。

 僕の小·中学校時代、当時住んでた家の斜め前が邦画のロードショー館で、1967年12月30日公開の時代劇映画「座頭市-血煙り街道」を僕は冬場に映画館で1人で見た覚えがある。12月30日公開なら翌年明けて1月に見に行ったんだと思う。多分、お年玉があったんだろうな。併映が何の映画だったか全く覚えてないけど。

 この「座頭市-血煙り街道」に公儀隠密の剣の達人役で近衛十四郎が出演していて、映画のラスト近くのクライマックスで座頭市と近衛十四郎の剣豪が、夕闇の雪が舞い降る中で剣を交える。この戦いが凄まじかった。時代劇の殺陣としては素晴らしかった。

 これは小六の子供ながら、僕は、この戦いの殺陣の凄さに感動したのを覚えている。近衛十四郎さんはテレビの時代劇でも映画の中でも、剣豪役として剣の殺陣は本当に抜群の上手さだった。

 いや~、しかし、子供時代に見たテレビ番組-時代劇の「素浪人 月影兵庫」~「素浪人 花山大吉」は面白くて楽しませて貰ったなぁ。老齢になって見返しても、子供のときのような感激はないにしろ面白かった。二十話近くも見てると飽きるけど。子供の頃、楽しんだテレビドラマは現代劇も時代劇もいっぱいあるな。

 貸本漫画で漫画版の「月影兵庫」を描いた社領系明氏の漫画を僕は子供時代もその後もちゃんと読んだ覚えははっきりしないけど、でも多分、社領系明氏作画の漫画作品は貸本屋にあったことは間違いないと思うので、長編単行本は借りて読むことはなくても、貸本の短編集の中では読んだことはあるんだと思う。

 社領系明氏が出版業界で活躍したのは昭和30年代前半から昭和40年代前半の間だと思う。1955年過ぎくらいから67年くらいまでかな。貸本だけでなく当時の少年雑誌の別冊ふろくなどで少年剣士の活躍する時代劇漫画を描いていたけど、それは50年代後半から61年くらいの間だと思う。僕が当時の少年雑誌を目にし始めたのが62年の晩秋から年末くらいでそこから本格的に少年雑誌を愛読し始めるのが63年の1月以降で、僕は当時の市販少年雑誌で社領系明氏の漫画作品を見た記憶がない。

 僕は戦後の貸本漫画がなくなったのは60年代末、遅くとも1970年にはなくなっていた、というふうに長らく書いて来てたけど、貸本漫画は実質、1967年後半にはなくなったみたいですね。遅くとも68年に入ったくらいかな。67年中にはほとんどの貸本専門出版社が撤退したみたいですね。

 僕はここのところの詳しい事情に関してはよく知らないのですが、67年には貸本出版~流通システム自体がなくなったんじゃないかなぁ?67年68年には従来の貸本出版社がなくなりましたねぇ。出版業を存続させる出版社は市販の新書判コミックスを刊行して息長らえた。代表的なのが怪奇ホラー漫画のコミックスに特化して出版を続けた、ひばり書房とか。

 失礼だけど、よくは知らないのだが、社領系明氏も67年68年頃に貸本が消滅してから漫画を描かなくなったんじゃないのかなぁ?僕は70年代以降の社領系明さんを全く存じませんので申し訳ないですけど。

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「てなもんや三度笠」-60年代TVコメディー&漫画-

 僕の子供の頃の人気番組、「てなもんや三度笠」は毎週日曜日の夕方、TBS系列で30分番組でやっていました。子供の頃の僕はほとんど毎週くらいで「てなもんや三度笠」を見ていました。まだモノクロ放送の時代です。時代劇コメディーの舞台劇でした。主役の渡世人・あんかけの時次郎役が若いときの藤田まこと。当時は喜劇役者・藤田まことの出世作ですね。まぁ、お話は時代劇ロードムービー的なお笑いドラマかな。あんかけの時次郎と一緒に旅をする小坊主・珍念役が白木みのる。何処から見てもせいぜい中学生くらいの子供にしか見えない、白木みのるがこの当時もう成年した大人だと知って驚いたものでした。

 調べてみると、藤田まことさんも白木みのるさんもほとんど同い年なんですね。あの当時の白木みのるさんは少年にしか見えなくて子役だとばかり思ってた。当時の子供の僕が「エラいしっかりした子供やな」と思ったかどうか、まぁ後々にはそう思って実際の白木みのるの年齢を知って驚いたんでしょうが。「てなもんや三度笠」にはあの時代のお笑いのスターたち、漫才師やコメディアンなどがいっぱい登場してました。「てなもんや三度笠」のドラマの中から、あの時代の流行語もいっぱい生まれたし。一番印象に残る流行語は何と言っても、番組オープニングのショートコントで主演の藤田まことがあんかけの時次郎の姿で出て来て、着物の胸元からお菓子を取り出し、「俺がこんなに強いのもあたり前田のクラッカー」というセリフ。必ずバックに古いお堂の観音開きの格子戸があった。前田製菓一社提供でしたからね。子供の頃、前田製菓のクラッカーもよく食べてました。前田製菓にはクッキー様の甘い小さなビスケット菓子があって、クリケットという名前の袋菓子で、このお菓子の思い出は、小学生当時よく通った家の斜め前の映画館の売店で買って、映画見ながら食べてた記憶。

 流行語といえば、「てなもんや三度笠」の中で藤田まことさんが流行らせたギャグ、「耳の穴から手突っ込んで奥歯ガタガタいわしたろか!」がありましたね。「てなもんや三度笠」には時代の売れてた人気者芸人が入れ替わり立ち代わり毎週出演してましたから、その芸人たちが自分たちの持ってるギャグを毎週披露してました。「てなもんや三度笠」から流行したギャグも多いと思います。財津一郎さんの「さみしーっ」とか「ひじょうーに」とかいうギャグも流行しました。見た目口の大きな京唄子さんの「吸い込んだろか」とかね。その他いっぱい。そういった当時のテレビのギャグは学校行ってみんなの前で真似して、みんなでワイワイ言って楽しんでました。

  「てなもんや三度笠」がテレビで放映されてた期間って1962年から68年まで六年間も放送されてたんですね。毎週日曜日夕方6時からの放送で30分番組。この期間って調度、僕の小学校行ってた期間ですね。僕の小学生六年間の間まるまるです。僕の記憶だと僕が小学校低中学年時は毎週見ていたけど、僕が小学校高学年になってた頃はあんまり見ていなかったように思う。僕も当時はテレビっ子だったから小学校高学年でもこの時間帯、何か番組見てたんだろうけど、裏番組に何がやっていたかよく覚えてない。ただ日曜日この時間帯の裏番組でNHK 夕方六時から「ポンポン大将」というドラマをやっていたのは覚えている。「てなもんや三度笠」と同時間帯だが番組を見た記憶はある。本来落語家の桂小金治さんが主演していた、まぁホームドラマ的な生活コメディードラマで、調べたら放映期間は1960年から64年で三年半放送されていたそうだ。複数回見てる記憶があるけど、時には「てなもんや三度笠」見ないで「ポンポン大将」見てたのかな。他は記憶にある番組はないなぁ。小学生時代はこの時間帯はほとんど「てなもんや三度笠」見てたんだろうなぁ。

  番組オープニングのミニミニコントのシメに、あんかけの時次郎の「俺がこんなに強いのもあたり前田のクラッカー」のセリフがあって、そこから主題歌に乗ってタイトルバックが始まる。キャスト·スタッフ等の紹介は漫画絵に書き文字。アニメではなくて紙芝居みたいな連続する何枚かの静止画。当時はテーマソングも流行りましたね。

♪雲と一緒にあの山越えて 行けば街道は日本晴れ おいら旅人一本刀
「おひかえなさんせ」「おひかえなすって」
 腕と度胸じゃ負けないけれど なぜか女にゃちょっと弱い

 という歌が、番組オープニングで一番だけ流れた。本当はこの歌は三番くらいまであるんだけど、番組では一番しか流れないから一番の歌詞しか知らなかった。当時はドーナツ盤のレコードも出てたけど、子供の僕はレコードを購入するほどでもなかったな。もう一曲、番組挿入歌で ♪てなてなもんや てなもんや~ という、あんかけの時次郎と珍念が二人掛け合いで歌う歌もあった。この歌は舞台劇のドラマの中で、あんかけの時次郎と珍年の二人で歌ってた。番組では毎週のように、当時ヒット曲を飛ばしていた演歌や歌謡曲の歌手がゲスト出演して、自分のヒットしている持ち歌を歌っていた。勿論、ドラマの中で何らかの役で演技もしていた。

 

  漫画になった「てなもんや三度笠」は、当時流行したコミックスで、B5判雑誌サイズでページ数だいたい100Pから140Pくらいまでの、まぁ雑誌的な単行本で、貸本出版の大阪日の丸文庫から全二巻刊行されてます。これは僕は貸本屋で借りて来て読んでます。作画はデビュー間もない水島新司氏。

 貸本漫画からデビューした水島新司氏のデビュー作は、大阪日の丸文庫の刊行する短編オムニバス誌「影」に1958年に収録された短編作品です。「てなもんや三度笠」の第一巻の方が出版されたのが64年。漫画家デビューからもう5、6年経ってる訳だから「デビュー間もない」ということはないですね。画業五十年を越える水島新司先生の漫画家人生からすると“初期”作品かな。64年は水島新司先生が本格的にメジャー雑誌に作品を描き始めた年ですね。

 水島新司さんというと、日本漫画史に残る野球漫画の第一人者ですが、64年、メジャー雑誌に登場した当初は他のスポーツ根性漫画を描いてました。64年メジャー雑誌執筆は連載作品では少年画報社の週刊少年キングからだと思います。64年から67年頃までは少年キングに、卓球漫画やサッカー漫画などのスポーツ根性漫画の連載を続けてました。隻腕というハンデを背負っていたり、貧しい家庭の子供だったりと逆境にいながら不屈の意志で頑張る根性漫画が多かったですね。雑誌連載の初期は原作付きの作品も多かったですね。特に、昭和の人気ドラマを数々手掛けた脚本家で小説家の、花登筐氏の原作が目立ちますね。65年頃のキング連載の「下町のサムライ」はサッカー漫画だったっけな?あれは原作付きだったか?済みません、忘れました。花登筐氏原作作品では、70年の週刊少年チャンピオンに連載された「銭っ子」を印象深く覚えています。水島新司先生は初期の作品はオリジナルも原作付きも、けっこう人情漫画というかヒューマン漫画というか、辛く苦しく悲しい境遇にさらされた少年が逆境に挫けそうになりながらも、その精神力や周囲の人たちの暖かい人情・友情で立ち上がるような、泣かせるドラマも多かったように記憶してますが。スポーツ根性・熱血漫画ですが、67年頃キングに連載されてた、梶原一騎氏原作の「ファイティング番町」なんか、好きな漫画だったな。

 最初期の野球漫画では、大阪日の丸文庫が出版してた月刊雑誌「まんがサンキュー」に連載されてた「どんちゃん」とか、「まんがサンキュー」休刊後新たに出版した月刊誌「まんがジャイアンツ」に連載されてた「だぶだぶワンちゃん」とかありましたね。それが64年65年頃ですね。花登筐氏原作の野球漫画「エースの条件」はもっと後で、69年の週刊少年キング連載ですね。佐々木守氏原作の野球漫画「男どアホウ甲子園」は、69年の週刊少年サンデーで連載が始まり75年までも長期連載されました。水島新司先生の作品のカラーがほとんど野球漫画一辺倒みたいなイメージになるのは、70年代に入ってからかな。72年に週刊少年チャンピオン誌上で始まった、氏の野球漫画の代表作のように有名になった作品「ドガベン」は、最初は柔道漫画だったんだけどね。連載当初の「ドガベン」読んで、しばらくチャンピオン見なかったら、間空けてチャンピオン読んだとき「ドガベン」が野球漫画になってて「あれ?」って思ったのを覚えてる。山田太郎は柔道やってた筈なのに‥、と。

◆てなもんや三度笠 爆笑傑作集 DVD-BOX 藤田まこと (出演),‎ 白木みのる (出演) 形式: DVD

◆てなもんや三度笠 爆笑傑作集(5) [DVD] 藤田まこと (出演),‎ 白木みのる (出演),‎ & 1 その他 形式: DVD

◆てなもんや三度笠 [DVD] 藤田まこと (出演),‎ 内出好吉 (監督) 形式: DVD

◆続 てなもんや三度笠 [DVD] 藤田まこと (出演),‎ 白木みのる (出演),‎ & 1 その他 形式: DVD

◆ちょんまげ天国~TV時代劇音楽集~ Soundtrack テレビ主題歌 (アーティスト),‎ & 10 その他 形式: CD

◆てなもんや三度笠~藤田まことソング・コレクション~ 藤田まこと 形式: CD

 1962年から68年まで足掛け六年も放送された人気コメディー舞台劇ドラマ「てなもんや三度笠」ですが、劇場映画としても何作も作られています。63年から67年まで東映で二作、東宝で三作映画化されてますね。僕はネット動画で「てなもんや三度笠」を見ました。一番最初に作られた劇場映画で東映の作品ですね。63年制作公開です。この時代の有名なコメディアンが脇役に多数出演してました。映画は一本の骨になるストーリーがあるのですが、内容はコントが次々と連続して繋がって進む感じですかね。

 僕は小学生時代の住まいが邦画のロードショー公開の映画館の斜め前にあり、よく映画を見に一人で映画館に入ってました。この邦画専門の映画館は、東宝・東映・大映・松竹・日活の新作映画を毎回二本立てで、だいたい二週間交替か十日交替くらいで掛けてたと思います。客入りが悪ければ一週間で変えてたのかな。いや、普通に一週間で変えてたのかな?何しろ僕の小学生当時の記憶だからな。五社の新作映画を代わる代わるだから都会の映画館に比べればロードショー公開とか言っても多少のずれはあったんだろうけど。

 小学生時代は喜劇映画はクレイジーキャッツのものはよく見たけど、映画版の「てなもんや三度笠」を見た覚えはないな。他の喜劇映画もよく見てますけどね。森繁久弥の社長シリーズとか、コント55号やドリフターズのものとか。 「駅前旅館」とかも見てるな。

 60年代コメディーTV ドラマで「スチャラカ社員」というのが毎週日曜日の正午から放送されてたんだけど、子供時代この番組も見ていたけど、これに若き藤田まことが出演していたというのは全く記憶から抜け落ちていた。覚えていたのは女社長役のミヤコ蝶々と、幹部社員の中田ダイマル·ラケットの漫才コンビ。あとは夢路いとし·喜味こいしの漫才コンビも出ていたように思うんだがどうだろう(?)。「スチャラカ社員」を見ていたのは小学校低学年までで、あとは裏番組の「大正テレビ寄席」を見てた。多分僕は「スチャラカ社員」を63年~64年頃までしか見ていないんで、この喜劇ドラマは60年代前半には放送は終わってたんだろうと思っていたけど、調べてみたら「スチャラカ社員」って67年までやってたんですね。「スチャラカ社員」放送の後半は全くと言っていいくらい見ていない。「スチャラカ社員」の放送期間は何と61年から67年までの長期間になってるから、僕は多分小学校上がる前から小学校二年生か三年生くらいまで見てますね。あとは裏番組の「大正テレビ寄席」。でも「スチャラカ社員」に藤田まことや白木みのるが出演してたのは全く覚えてないなぁ。

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 「てなもんや三度笠」は戦後昭和の児童月刊雑誌「少年ブック」の表紙になったこともあったんですねぇ。ただし、僕の記憶では「てなもんや三度笠」のコミカライズの漫画は、少年ブックに連載はされていません。上記の画像の雑誌・少年ブックは1967年2月号ですね。一月の5日か6日発売の月刊誌2月号は、当時は第二新年号と呼ばれることが多く、付録も豪華にいっぱい付いてました。新年1月号の発売は前年の12月6日頃ですから、実際子供がお年玉で購読するのはだいたい第二新年号の2月号ですからね。

 月刊誌・少年ブックに「てなもんや三度笠」は載っていなかったけど、似たようなコメディー時代劇TVドラマのコミカライズで「てんてこ漫遊記」という漫画が連載されていました。1966年の少年ブックですね。「てんてこ漫遊記」のドラマを見た記憶はあるのですが内容をよく覚えていなくて、舞台劇だったのか戸外でのロケ撮影だったのか、あるいはスタジオでのセットだったのか全く憶えてません。ただ、主演が、戦後昭和のTV黎明期から60年代の、たくさんの人気コメディアンの中の、代表的な一人でもある、茶川一郎さんが勤めてました。主役が茶川一郎だった、というのはよく覚えてます。茶川一郎さんはお笑い芸人ではなく、藤田まことさんと同じく、コメディードラマや映画の喜劇俳優でしたね。飛び出たような大きな両目が印象的でした。

  TV ドラマ「てんてこ漫遊記」を調べてみると、1966年のTBS 系列、水曜夜の七時半から八時までの30分放送ですね。僕は放映を見た記憶はあるけど内容をよく覚えてないから、僕自身はテレビっ子ではあったけれど、この番組はそれほど熱心には見てはなかったんでしょうね。コミカライズ「てんてこ漫遊記」の漫画が少年ブックに載っていたのも記憶はしてるけど、漫画の方も内容までは覚えていません。月刊誌真ん中あたりに一色掲載で載ってたギャグ漫画で、そんなに人気漫画でもなかったと思います。作画の漫画家の方に失礼だけど。

 本来、貸本専門の出版社であった大阪日の丸文庫(光伸書房)が、1963年頃から出版界で流行し始めたB5判雑誌形態の単行本コミックスを、64年、日の丸文庫専属のように日の丸文庫刊行の貸本誌で描いていた水島新司氏にコミカライズで、TV人気コメディー「てなもんや三度傘」を“日の丸ワイドコミックス”で描かせて、貸本ではなく普通の市販書店に流通させた。この時代に流行したB5判コミックスは雑誌「少年」を出版していた光文社が発行した、「鉄人28号」や「鉄腕アトム」の“カッパコミックス”が有名ですね。

 貸本誌ではなく、普通の書店で市販されていたB5判コミックス本ですが、当時の貸本屋でも取り扱っていて、貸本屋で借りて読むこともできました。でも、僕の毎日通っていた近所の貸本屋には「鉄人28号」や「鉄腕アトム」のカッパコミックスは置いてなかったなぁ。東邦図書出版社の「キングロボ」は置いてたなぁ。東邦図書出版のは“スーパーコミックス”となってますね。楳図かずおさん作画の「マスクボーイ」という少年ロボット漫画があるんですが、これはB5判コミックスで65年に刊行されて、この本も確か東邦図書出版だったと思うのですが‥。

 調べたら、楳図かずおさんの「マスクボーイ」はB5判コミックスで、やはり東邦図書出版社発行のようですね。スーパーコミックスではなくて、“東邦のまんが-ホームランブックス”になってますね。

 日の丸ワイドコミックスの水島新司さん作画「てなもんや三度笠」は僕は貸本屋さんで借りて読んだのを記憶してるんですが、これの第1巻は64年の発売で、第2巻の方がいつ発売かはっきりしないのですが、まぁ多分、64年中か65年頃でしょう。僕が六歳のときからほとんど毎日通っていた近所の貸本屋さんは老夫婦でやってたんですが、ある日お爺さんの方が急に亡くなっちゃう。お爺さんが亡くなってから何ヶ月かお婆さんだけでやってたんですが、奥さんの方はお爺さんに比べるとだいぶ若く見えてたけど、まだまだオバサン呼びで通用するくらいだったけど、まぁ、お婆さん一人で、う~ん、あんまりよく憶えてないけど、半年から三ヶ月くらいの短い間だけだったように思う、お婆さん一人で営むのは大変過ぎたのか、ついに僕が11歳のときに店じまいする。永久閉店。僕が11歳のときの春か初夏頃にこの貸本屋は店じまいした。

 家の近所の貸本屋がなくなって毎日通ってた貸本屋の貸本借りが途切れてしまい、しばらくは貸本屋で漫画本を借りて読むことはなくなった。で、実は大通りを挟んだ向こう側にももう一軒、貸本屋があって、こっちはまだやってた。けれど、道路挟んだ向こう側は隣町になり、近いっちゃ近いんだけど、僕の中で何となくテリトリー外な気持ちがあって、小学校六年間行ったことが一度もない貸本屋だった。

 多分、中学生になってからだと思うんだけど、この道路挟んだ貸本屋、僕にとって未知の貸本屋に通い始めた。でね、記憶にあるのが、日の丸ワイドコミックスの「てなもんや三度笠」をこの貸本屋で借りて来て読んだ覚えはあるんだよね。水島新司・作画の2巻の方だったのかなぁ?そこんところはあんまりはっきりしない。1巻の方を六歳から毎日のように通ってた貸本屋で借りて読んで、2巻をこの新たに通い始めた貸本屋で借りたのか?まぁ、どっちでも良いっちゃどっちでも良い話なんですけど。

 この新たに通い始めた貸本屋は、多分僕が中一から行き始めたんだと思うんですが、あんまりはっきりしない。六歳から通っていた近所の貸本屋が小五のときに店じまいして、それからしばらく貸本借りて読むことはなく、中一か遅くとも中二のときに通い始めて、直ぐに行かなくなった。

 僕のおぼろな記憶では、この貸本屋の背面の棚いっぱいいわゆる“貸本漫画”が並んでいたけど、貸本末期に突入していた時代、この店では新しい貸本漫画は取り寄せてはなかったように思う。僕が中一というと68年とか69年ですから、もう貸本漫画はほとんど消滅間近の時期ですね。貸本漫画はA5判ソフトカバーが主流だったんだけど、60年代後半に入ると貸本専門出版社も“新書版コミックス”にシフトチェンジし始めた。この時代の“新書版コミックス”で一番売れていて一番有名だったのが秋田書店の「サンデーコミックス」ですね。この道路挟んだ隣町の貸本屋は新書版コミックスは扱っていなかったように記憶する。多分、この時代にはもう、この地域の貸本漫画の取次ぎをしていた貸本専門の問屋がなくなったんじゃないかな。だから貸本漫画の仕入れができなくなった。多分、そうなんじゃないかと思うんだけど。戦後の出版業界で貸本漫画の問屋は、普通の市販雑誌のメジャー問屋とは別に独自で発展して行きましたからね。このあたりのこともね、「貸本漫画リターンズ」の中で解説していたと記憶するんだけど、あんまりはっきり覚えていない。どうも済みません。

 「貸本漫画リターンズ」という本は、戦後出版業界の歴史の“貸本漫画”について知るには、その流通も周辺の仔細も含めて、勿論、貸本漫画の様々なジャンルの内容や流行を主体に、貸本の全ての情報を網羅したような本で、とてもよく解る解説本です。「貸本漫画リターンズ」もう絶版になって久しいけど。貸本漫画は1970年には完全に消滅したと言い切っていいんじゃないかと思います。貸本専門の出版社も何社かは新書版コミックスを出していたけど、貸本専門の流通システムが完全になくなって、市販雑誌の流通システムに乗せて“貸本”でなく販売漫画書籍としてコミックス漫画本を売っていたけど、ほとんど成功しなくてコミックスのレーベルもなくなり、僕の記憶でイメージにあるのは、貸本専門の出版社だったひばり書房が「ひばりコミックス」で怪奇漫画を刊行し続けてその後も残り続けたくらいですね。戦後貸本文化は1970年にはなくなった。

 で、僕が小一から小五まで通った貸本屋がなくなって、道路挟んだ向こうの隣町だから何となくテリトリー外意識のあった貸本屋に中一くらいから行き始めた僕でしたが、貸本の新刊というのはなく、多分、何か市販の漫画雑誌をこの店で貸本して営業してたみたいでした。オボロな記憶だけど。新書版コミックスは扱ってなく、何年か前から流行りのB5判雑誌タイプのコミックスも置いていた。だからこの店で光文社カッパコミックスの「鉄腕アトム」を借りた覚えもある。店の背面壁の棚には古いA5判貸本がいっぱい並べられていた。古い貸本漫画を借りた覚えもある。

 この貸本屋には本当に短い間しか通っていない。何故かというと、僕の馬鹿行為で行けなくなった。これは本当に僕の馬鹿者行為で未だに忘れられない超ネガティブな記憶で、少年時代の大きな恥の一つです。

 実は、ここで週刊少年キングの当時のある号を借りて来たのですが、家でワガママ・パーな子供だった僕はカンシャクを起こして家の庭でだったと思う、その借りて来た雑誌をバリバリに破いてしまった。多分、僕の要求が母親に通らず、カンシャクを出して母親に見せ付けるように本を破いたんでしょうね。母親に見せ付けるって、僕が借りて来た本を自分で破損したら本を返しに行くのは僕なんだから自分が困るだけなのにね。そんなことも解らない馬鹿ガキだったんですねぇ。

 この行動は、小三くらいの幼い子供が玩具店の前で親に「買って買って」とダダをこねて道路に寝そべって泣いたりする、あれと同じものですね。当時の僕は中一かヘタしたら中二です。本当に幼稚で馬鹿な少年でした。中一の僕は母親に対して要求が通らずカンシャク起こして泣いてただろうか?さすがに中一くらいの年齢なら泣いてないか?でも相当な馬鹿ガキだったから泣いてたかも(?)。情けない話です。道路で泣きじゃくるのは小三でもやらないかな?五歳か六歳頃までの行為かな?

 結局ね、本を持たずに(バリバリ破いて紙くずになって本の形はなかったし)、当時の週刊少年キングの市販代金分のお金を持って、当たり前ですが自分で貸本屋に謝りに行きました。それからはこの貸本屋に行くことはなく、その内この貸本屋さんも店じまいした。

 このときこの貸本屋で店番してたのが、多分、子供会の行事でよく見掛けていたから同じ町内の、僕よりも三つくらい上級の女の娘で、勝気な感じの頭の良さそうな美人のお姉さんでした。僕が中一くらいでこの方はもう高校生だったんだと思います。顔立ちが良くキリッとしていて気が強そうで学業成績の良い女の娘だったと思う。

 僕もまさか家でカンシャクを起こして借り物の本をメチャクチャに破いたとか言えませんから、「なくなったから弁償します」の一点張りで通した。なくしたから弁償ならまだ良いと思ったんですね。意志を持って借り物の器物破損は犯罪ものですよね。お姉さんは簡単には許してくれず、とにかく持って来いとしつこく言われた。僕は品物の代金さえ弁償すれば済むくらいの安易な気持ちで来ていたので、もう一度探して来いととにかくしつこく言われ続けて、このときの僕は窮地で本当に困り果ててました。端から見たら、万引きした子供が万引きGメンのお姉さんに問い詰められてるような絵図だったでしょう。万引きした子供の警察の取調べみたいな感じでしたね。

 もう一度探して持って来い、と、もうありません、の押し問答がしばらく続いて、僕は泣きそうな感じで突っ立って謝り続けていた。だいぶ経ってから彼女の方が根負けしたのか、しょうがないと雑誌代金を受け取って解放してくれた。この当時の週刊漫画誌は70円か80円くらいだったのかな。綺麗なお姉さんは最後まで僕を睨み付けていました。結局それで僕はこの貸本屋に行けなくなってそのときから行ってない。このときは多分、高一か高二くらいのこの人と他に二、三人の子供が傍に居た。子供何人かで店番してたんでしょうね。他は中学生か小学生くらいの男の子だったかな?この勝気なお姉さん以外はよく憶えてないですね。

 このネガティブな思い出は僕の中で“恥”の記憶として残り続けてますね。俺は全くしょうがない馬鹿ガキだったなぁ、と。

 この貸本屋さんで借りて読んだ漫画で記憶に残っているのが、日の丸ワイドコミックスの「てなもんや三度笠」と、光文社カッパコミックスの「鉄腕アトム」の「ホットドッグ兵団の巻」と、ちょっと前のA5貸本単行本でさいとうたかをの「パクリ屋お六シリーズ」の一冊。さいとうたかをの“パクリ屋お六シリーズ”は僕の記憶だと貸本で二巻出てて、市販の青年コミック雑誌での短編でも描かれてる。ひょっとしたら僕が知らないだけで、“パクリ屋お六シリーズ”はもっと描かれてるのかも知れないけど。貸本のは二冊とも読んでるけど、一つはタイトル「くず篭に3匹」で、もう一冊のタイトルは忘れた。

 手塚治虫の鉄腕アトム「ホットドッグ兵団の巻」はこのとき初めて読んで感動したのを覚えている。ここの貸本屋に通ったのはほんの短い期間でした。多分、二ヶ月間もない、一ヶ月間中くらいの短い間だったかも知れない。

 ここの記事の後半は「てなもんや三度笠」とあんまり関係のない僕の思い出ばかりになってしまいました。恥の記憶も含んだ思い出。

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ウルトラQ-キュー-(60年代特撮&漫画)

 早川書房が1959年12月から発刊し続ける歴史ある日本のSF専門誌、「SFマガジン」2015年1月号は特集メイン記事を「円谷プロダクション×SFマガジン」として、円谷特撮の歴史そのものの特集でした。円谷特撮の歴史の紹介、円谷特撮に関する昔の記事の再録や円谷特撮に関するエッセイ、そして現代日本SF作家陣に寄る円谷特撮に対するオマージュ作品の短編小説。

 このSFマガジンのグラビア後の巻頭に、現代SF作家に寄る円谷特撮へのオマージュ短編小説が何篇か続きました。そのSF短編の最初の作品が“初代ウルトラマン”放送の第八回「怪獣無法地帯」のお話をベースにして、「ウルトラQ」のヒロイン、江戸川由利子を主人公に持って来たSF掌編、円谷TV特撮最初期の「ウルトラQ」「ウルトラマン」への、日本現代SFを代表する作家の一人、山本弘氏のオマージュ作品です。

 小説のタイトルは「多々良島ふたたび」、“初代ウルトラマン”第八話「怪獣無法地帯」で五大怪獣が大暴れする多々良島は、気象庁の観測所しかない、ほとんど無人の火山島。そこに調査隊の船に密航した、「ウルトラQ」のヒロインの女性カメラマン、江戸川由利子が 調査隊の面々と共に訪れる…。というところからお話が始まる掌編な訳です。

 僕が、漫画版の「ウルトラQ」を初めて読んだのは、当時の月刊児童漫画雑誌「少年ブック」1966年5月号の本誌読みきり掲載でだ。作画は川崎のぼる氏でお話はTV放映本編「ウルトラQ」の66年4月19日放送分、「ガラモンの逆襲」のコミカライズ。登場怪獣は宇宙怪獣ガラモン。ガラモンは怪獣というよりも宇宙人の作ったロボットなのかな?漫画版の第一作は中城けんたろう氏の作画で、「少年ブック」の66年春休み大増刊号に掲載されたようですね。

 僕の少年時代、戦後何年かの内に創刊された月刊の児童漫画雑誌は六誌あって、創刊間もなくは少年向けの記事や小説、絵物語がメインだったのですが、じょじょに漫画の掲載が増えて行き、昭和30年代には完全に漫画主体の編集になりました。昭和40年頃までは、少年雑誌にも少年向けの小説が掲載されていた。「ウルトラQ」も児童向け小説版が講談社の月刊誌「ぼくら」に連載されていた。

 月刊誌「ぼくら」掲載分の小説版「ウルトラQ」の連載期間は65年3月号から66年7月号までとなっていますね。僕は小学生当時「ぼくら」をほとんど毎月購読してたから、この「ウルトラQ」の小説版は記憶してます。ただ、デキの悪い子供だった僕は、絵物語ふうに挿絵イラストの多い連載とはいえ、活字ばかりの物語は苦手で読まなかったから、毎月この連載を見てはいても読んではいなかった。活字の少ない漫画だったら読むんだけど、馬鹿ガキだった僕は子供時分、小説は全く読まなかった。絵物語でもどうにか読むか読まないかくらいのものだった。だから小説版「ウルトラQ」はイラストは見てるんだけど物語は読んでないですね。

 僕は子供時代、6歳から11歳くらいまで近所の貸本屋に毎日通ってたんですが、多分66年の初夏頃だと思う、この貸本屋が店じまいした。僕は毎月の少年月刊誌六誌の四誌くらいをこの貸本屋から借りて来て読んでいた。「少年ブック」も毎月この貸本屋から借りて来てた。ところが貸本屋は閉店してしまった。僕が小学生時代購読してたのはだいたい「少年」か「ぼくら」かときどき「まんが王」だ。

 川崎のぼる氏作画の「ウルトラQ」の掲載された66年5月号の「少年ブック」をどうして僕が読んだのかというと、まぁ、僕がその「少年ブック」を購入したからだけど、多分、当時の少年月刊四誌の発売が毎月六日で、調度四月の半ば頃に小遣いが入り、本屋に漫画本買いに行ったら「少年ブック」がたった一冊しか残ってなくて、普段は買わない「少年ブック」を買って帰ったんだと思う。ということは66年の4月にはもう近所の貸本屋は閉店してたのかな?

 川崎のぼる氏コミカライズの「ガラモンの逆襲」の巻は、ほとんどTV ドラマに忠実にストーリーを追って描いていたと思う。TV ドラマ「ガラダマ」の物語の続きのお話で、「ガラダマ」で描かれたガラモン操縦の宇宙人の電子頭脳の小さいガラダマ=人間が抱えるくらいの大きさのゴツゴツ岩石状の物体、を謎の覆面男が保管されてある施設の金庫から盗み出し、携帯電話くらいの大きさの操縦器で操って持って行ってしまう。そしてヒッチハイクを続けて多分、群馬県の山中のとある湖までガラダマ操縦器を持って行く。

 

 一方、無数のガラダマ本体が宇宙からやって来て日本中に落下し、ガラダマが割れてロボット怪獣ガラモンが現れる。都市に落下したガラダマから現れたガラモンはビルや高速道路を破壊して回る。日本中でガラモンが暴れて破壊行動をして日本の危機が訪れる。ガラダマを盗んだ謎の男を追い掛ける主人公たちは、山中の湖の傍で電子頭脳ガラダマを奪い取ることに成功する。謎の男は湖の岸辺で正体を現す。男の正体は宇宙人=セミ人間だった。湖の中央から現れた円盤はミッションを失敗したセミ人間を怪光線で始末する。円盤は飛び去って宇宙へ帰って行った。日本中を破壊していたガラモンは停止し、口から液体を吐き出しながら動かなくなった。宇宙人の侵略活動は失敗して地球危機の大事件は解決し物語は終わる。

 「少年ブック」の66年例月号連載や別冊分掲載の中城けんたろう氏作画の「ウルトラQ」はその後コミックス化され、2000年代に入ってマンガショップから復刻版が出ましたが、この川崎のぼるの描いた読み切り一作だけは、その後コミックスなどに収録されることはありませんでした。多分、未だにこの分の再録は一度もされてないと思います。

 僕は記憶してないんだけど、集英社から66年に「少年ブックコミックス“ウルトラQ”」という、これは「少年ブック」の別冊版になるんでしょうね、B5雑誌タイプの「ウルトラQ」特集本が出版されているようですね。僕はこの本を読んだ記憶はありません。この雑誌に収録されている「ウルトラQ」の各エピソードは全部、中城けんたろう氏作画のようです。「少年ブックコミックス“ウルトラQ”」という雑誌は66年に6月号・7月号・8月号と三回出版されていて、収録の「ウルトラQ」作品は中城けんたろう氏が各号二話づつ描いているようです。

 

 「ウルトラQ」の放映は「ウルトラマン」の前番組だから、「ウルトラマン」の放送は1966年7月から始まったから、単純に「ウルトラQ」は1965年に放送が始まった番組と勘違いしてた。調べると「ウルトラQ」の初回放送は1966年1月2日なんですね。何か単純に「ウルトラマン」と「ウルトラQ」の間には3ヶ月くらいの間が開いてたように思ってた。「ウルトラQ」の最終回の放送が1966年7月3日で、本当はその翌週から新番組の「ウルトラマン」が始まる筈だった。それが初回放送が間に合わなくて「ウルトラマン」第一回は翌々週の66年7月17日の放映だった。「ウルトラQ」と「ウルトラマン」の間の週は、特別番組で「ウルトラマン前夜祭~ウルトラマンの誕生」というタイトルの舞台イベントの中継録画が放送された。これは会場に子供たち主体の大勢の観客が集まっていて、舞台に「ウルトラマン」の登場人物たちが出て来て紹介や寸劇、舞台挨拶を行うというイベントだった。途中「ウルトラマン」本編の映像などを交えて、翌週から始まる新番組「ウルトラマン」の内容紹介する宣伝イベントだった。舞台に科学特捜隊の隊員役の俳優やウルトラマンや二種類の怪獣の着ぐるみが登壇して寸劇などを行っていたと思う。

  ここの記事文頭でタイトル紹介した「ウルトラマン」「ウルトラQ」オマージュのSF短編「多々良島ふたたび」の作者である、山本弘先生は日本の現代SFを代表する作家の一人でありますが、この記事を書いている普通一般人トーシローの僕は同世代になります。僕なんかが同世代と並べて語るのも超おこがましいし、畏れ多いと恐縮するものですが、同じ子供時代を生きて「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」などのTV特撮で、幼少期から少年時代にSFの洗礼を受けたのだと思います。

 「ウルトラQ」を子供時代に強い影響を受けたTV番組だと語る、だいたい僕と同世代から前後の著名人も多く、俳優の佐野史郎さんやミステリ作家の綾辻行人さんなどが、番組やエッセイなどで語っています。綾辻行人さんなどは、幼少時に見たケムール人が怖くて怖くてトラウマになったと書いてました。生まれた年から計算すると「ウルトラQ」放映時は六歳くらいですもんね。

  僕には小学生当時、近所に幼馴染みの二人の友達が居て、クラスは違うが同学年で学業成績優秀なMM 君とFT 君なのだが、彼らは劣等生の僕とよく一緒に遊んでくれて、よくFT 君の家にお邪魔した。僕の家やMM 君の家よりFT 君の家に集まることが多かったように思う。

 ひと頃は毎日のように僕とMM 君·FT 君、二人の各々の弟と一緒に遊んでいた。彼らの弟やMM 君の従兄弟も僕らの二コか三コ下で同級生だった。

 僕はものごころ着いた幼少時からTV 番組の勧善懲悪ヒーローものが大好きで、超人的な覆面ヒーローに大いに憧れていた。僕の10歳11歳当時に「ウルトラQ」「ウルトラマン」の放映があった訳だが、僕は怪奇SF でダークファンタジー風味の、大人の鑑賞にも堪えうるような内容の「ウルトラQ」よりも、変身巨人ヒーローの「ウルトラマン」の方が何倍も好きだった。僕は幼稚だったのだ。僕は少年時代ずうっと幼稚だった。

 「ウルトラQ」の放映が終わって、ひき続き「ウルトラマン」の放送が始まったばかりの頃のある時、FT 君の家にみんなで集まっていて、僕は、変身巨人ヒーローという新たな特撮ヒーローものの「ウルトラマン」に興奮していて、「ウルトラマン」の番組が如何に凄いかという僕のワクワク感を、多分熱く語っていて、MM 君FT 君からヒキぎみというかちょっと馬鹿にされた感じで話を聞かれていて、何かこの時FT 君に「ウルトラマン」の内容が如何に幼稚で、ダークファンタジーSF の「ウルトラQ」の方が如何に内容のレベルが高くて面白いか、と諭されたという思い出がある。

 まぁ何でもない僕の昔々の思い出エピソードだが、「ウルトラQ」というとこのエピソードを思い出す。MM 君FT 君共に一学期のクラス委員に選ばれるような成績優秀な、利発な子供で、僕だけがクラスで後ろから指折り数えて幾つかの劣等生で、考えてみれば僕の小学校のクラス内での遊び友達は、当時の友達には失礼だが同じようなあんまり学業成績のよろしくない子供が多かった。どういう訳か家の近所の遊び友達は、MM 君FT 君という優等生たちだった。

「少年マガジン」「ぼくら」「たのしい幼稚園」オリジナル復刻版 ウルトラQ画報 コミックス – 円谷プロダクション  (監修), 講談社 (編集)

ウルトラQ彩色版 (単行本コミックス) コミックス – 藤原カムイ STUDIO 2B (著), 円谷プロダクション (監修)

昭和のテレビコミック・ウルトラQ(上) (マンガショップシリーズ) (マンガショップシリーズ 433) コミックス – 中城健太郎 (著), 円谷プロダクション (著)

昭和のテレビコミック・ウルトラQ(下)(完) (マンガショップシリーズ) (マンガショップシリーズ 434) コミックス – 古城武司 (著), 円谷プロダクション (著)

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●TVドラマ&漫画・・ 「怨み屋本舗」 ..(3)

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 18日の放送で、いよいよ「怨み屋本舗」シリーズ第2弾、「怨み屋本舗Reboot」も最終話前編放映が終わり、残すところ後1回の放送となりました。
 正直、僕自身としては、前回の06年放映版オリジナル「怨み屋本舗」や、そのスペシャルの07年08年新年放送分の2時間ものの方が、ドラマとしてはずっと良かったと思いました。主人公の“怨み屋”のビジュアル的魅力でも、06年放送のオリジナル「怨み屋本舗」の方がぐんと良かったよーな。どうしてかよく解らないけど、古い方が綺麗でもっと魅力的だったよーに思う。その、女優、木下あゆ美さん扮するキャラ、“怨み屋”自体がですね。美しかった。「かった」と言うと怒られますが。
 06年版の「怨み屋本舗」では、最初からずっと、30分ワクの中で1話完結してたんですけど、最後の方の回に来て2話くらいが、前後編に分けて2週放送で1話完結にしてました。それはそれで面白かったんですけど、全般的に、古いシリーズの方が番組自体がもっと、引き締まっていたよーな感じを持ちますね。今シリーズ「怨み屋本舗Reboot」よりも、前回のシリーズの方や2時間スペシャルの方が面白かったように僕は思います。今回の「怨み屋本舗Reboot」の方がお話の随所に誇張が多過ぎるような。全般にデフォルメが過ぎたかな、みたいな。漫画原作からのエンタティンメントドラマ、ということで安易にデフォルメが過ぎて、コミカルに走り過ぎ、リアリティーがなくなり過ぎたかな。勿論、それは初めのシリーズ分でも同じような体裁ではあったんですが、全体的にドラマが引き締まっていて、今回よりも感じられるリアリティーがあったように思える。

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 でも、主演の木下あゆ美さん、素敵な女優さんですね。ドラマ「怨み屋本舗」06年版をDVDで見たとき、一発で虜になったよーな感じで、わあ~、ゾクゾクッとするミステリアスな雰囲気で魅力的ィ~、とその美貌に憧れたものですが、それは07年08年放送のスペシャル版(※スペシャル1は08年1/6,スペシャル2は09年1/7の放送でした。)でも変わらないんですけど、どーもなあ、今回の第2弾放送では、こう言っては大変失礼になるんですが、その美貌が劣化したよーな。そんな何か、ちょっとした失意感を持ちました。勿論、木下あゆ美さんはとても素敵な女優さんだと思っています。前回、06年版「怨み屋本舗」では、“怨み屋”の肩に掛かるロングの髪の時と、標的にトラップを仕掛けに現れる時の、ショートヘアでスーツ姿のスタイリッシュフォーマルな時の違いが、驚くほど差異があり、またそれがどちらの恰好でも抜群に魅力的で、両方憧れを持って見てたんですけど、何だか理由がよく解らないんですけど、僕の感じた魅力は、今回の「怨み屋本舗Reboot」の主人公“怨み屋”では半減しちゃったなあ。本当にこういうのはとても失礼なのですが、その、美貌が少々劣化したよーな。ごめんなさい。木下あゆ美さん、素敵です。

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 女優、木下あゆ美さんの名が知れたのは、子供向けの特撮ドラマ「特捜戦隊デカレンジャー」でのヒロイン役かららしいですね。僕は04年にテレ朝系で放送されたこのドラマを見たことなかったし、TVドラマには細かいところまで詳しくないものですから、「怨み屋本舗」を知ってドラマを見るまでは、木下あゆ美さんのことは全く知りませんでした。01年02年頃から、TVドラマの脇役でけっこう出ている美人女優さんで、映画にも出演作品は多く、ホラー映画では主演もあるようですね。オリジナルビデオ映画にも出演している。YouTubeで見た「特捜戦隊デカレンジャー」のヒロイン役、ジャスミンは、不思議ちゃん系のエキセントリックなキャラクターを演じていますが、「怨み屋本舗」シリーズの“怨み屋”の役は非常に個性的な独特なキャラクターを演じています。ゾクゾクッと来るセクシー感と、正にミステリアスな、恐さを含んだキャラクター。木下あゆ美さんはうまい女優さんですね。実力派女優と呼ばれる素質を大いに持った女優さんだと思います。

 原作漫画は、集英社の青年漫画誌ビジネスジャンプ系に、2000年から長期に渡って連載が続く、漫画家・栗原正尚氏作画の人気漫画作品です。シリーズ化していて、「怨み屋本舗」本編は一応07年で連載終了したものの、読者人気が強く、すぐに同シリーズの外伝的続編、「怨み屋本舗-巣来間風介」の連載が始まり、その後09年から、今回のドラマの原作編となる、「怨み屋本舗Reboot」が連載されています。

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 「怨み屋本舗」シリーズの物語の内容は、昭和の昔から継承する、いわゆる“仕事人”のシリーズのモチーフというか、テーマの同じ線上にあるドラマですね。“仕事人”は、「必殺シリーズ」とも言いますけど、昭和中期に作家・池波正太郎がヒットさせた時代小説を原作にした、時代劇ドラマ「必殺仕掛人」がTV人気を呼び、それを皮切りに、時代劇のいわゆる“正義の殺し屋”を主人公にしたドラマシリーズが、昭和期が終わり平成の初め頃までえんえんと続いてお茶の間の人気を得て来ました。本当に、タイトルを変え配役を変え趣向を変え設定を変え、途切れることなくこのシリーズは続いていました。20年に近いような間を空けて、ついこの間、今年6月まで21世紀の新シリーズで「必殺仕事人2009」が半年間放送されていました。時代劇ではお上の目といいますか、法の網目をすり抜け、かいくぐって、秘密裏に冷血極悪非道をふてぶてしくも行い続けている悪人たちを、法の下ではなく、闇の中で秘かに始末して行く殺し屋稼業。“殺し屋”だから仕事料としての始末代をクライアントからいただく。「怨み屋本舗」の怨み屋を中心とするメンバーたちは、この現代劇版ですね。“怨み屋”はクライアントからの依頼で、実際の殺しか社会的抹殺の方法で、依頼人の恨みを晴らして行く。昭和の時代にも、このテーマでの現代劇ドラマも作られていますけど、このテーマではやはり時代劇の「仕事人シリーズ」が有名ですよね。

◆(2009-07/31)TVドラマ&漫画・・ 「怨み屋本舗」 ..(1)
◆(2009-08/04)TVドラマ&漫画・・ 「怨み屋本舗」 ..(2)
◆(2009-09/20)TVドラマ&漫画・・ 「怨み屋本舗」 ..(3)

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