goo

「くりくり投手」 -貝塚ひろし-

 

 集英社が戦後、1949年に創刊した児童向け月刊雑誌「おもしろブック」に1958年、連載が始まった少年野球漫画「くりくり投手」は誌上でまたたく間に人気が昇り、やがて「おもしろブック」は59年、月刊「少年ブック」と誌名を変え、「くりくり投手」は「少年ブック」の看板漫画の一つとして大人気の内に63年まで連載が続きました。

 貝塚ひろし先生のデビュー後、初のヒット作「くりくり投手」の月刊誌連載期間は1958年から63年までの間で、僕が漫画を読み始めたのが62年の暮頃か63年初頭くらいだし、僕が「くりくり投手」が掲載されてたという、当時の月刊誌「少年ブック」を初めて読んだのは多分、「少年ブック」63年3月号くらいからだと思うんですが(もうちょっと前からかも知れないけどはっきり覚えてません)、「くりくり投手」は63年の早い内に連載終了したんじゃないかなぁ、僕は「少年ブック」誌上で「くりくり投手」を読んだ記憶はありません。

 ネットをどんどん調べて行ったらネットのあるサイトの記録に、「くりくり投手」の月刊誌連載期間は1958年4月号から63年9月号とありました。これが間違いなければ僕は「くりくり投手」の終盤は読んでる筈ですねぇ。僕は小学一年生の晩秋か初冬頃から毎日、当時の住まいの近所の貸本屋に通ってますし、その貸本屋は毎号「少年ブック」を扱ってましたし。ただ、まだ幼い頃の僕、小一から小三頃までは野球漫画にほとんど興味がなかったんで、小学二年の僕は「少年ブック」誌上でパラパラ見ても、読み飛ばしていたのかも知れません。僕が野球漫画を読み始めたのは小三の後半くらいからだったような気がする。作品は週刊少年マガジンの「黒い秘密兵器」からだったような。

 僕が全く「くりくり投手」を読んでないかというと、そんなことはなくて、僕の記憶に雑誌掲載の「くりくり投手」を読んだ覚えはないけれど、当時のB 6ハードカバー·総ページ100P くらい(だいたいこの手の単行本は96Pから136Pの間くらいのページ数かな)の単行本が出ていて、これがときどき貸本屋にあった。読み古された、ちょっとボロい漫画単行本だったけど、タマに古いのが僕の通う貸本屋に来てた。何しろ僕は毎日貸本屋で漫画本2冊借りてるので、漫画本なら少女漫画以外は何でも借りて帰っていた。古い「くりくり投手」の単行本も借りてた。もう月刊誌連載が終了してだいぶ経った後だと思う。ただこの「くりくり投手」の単行本が貸本屋に全巻あった訳ではないので、僕は読んでても二冊くらいだと思う。

 貝塚ひろし先生の野球漫画はその後の「九番打者~ミラクルA 」や「ファイト兄弟」など、読んでたのははっきり覚えてるし内容も大まかには記憶している作品は多いが、「くりくり投手」の内容だけはおぼろであんまりよく記憶してない。ただ、上記にあるように僕は貸本屋で借りて単行本で2冊くらいは読んでるので、主人公の中学生の少年が学校の野球部に入り、ドロッカーブという魔球を編み出して、中学生野球の全国大会で活躍し、並みいる強豪ライバルたちと野球の試合で戦って行くストーリーで、敵のライバル投手にはタマタマ·ボールという魔球を投げる少年が居たのを覚えています。

 正直「くりくり投手」の詳しいストーリーはほとんど覚えてないのですが、「くりくり投手」のお話の内容を調べたところ、とある中学校二学年に転校して来た栗山栗太郎少年は、豪速球左腕を買われ学校野球部に入り、たちまち部のエースに。元から居る野球部エースの少年は、その座を奪われた腹いせに柔道部主将に栗山栗太郎の襲撃を頼む。家が町内の大きなお寺の栗太郎は腕力も強く、柔道部主将を返り討ちにする。

 豪速球投手·栗山栗太郎の活躍で、中学校野球の全国大会予選を勝ち進む。やがて栗太郎は魔球·ドロッカーブを編み出す。この超変化球は投げたボールが一度ドロップして、その直後カーブする魔球だ。

  一方、栗太郎にやっつけられた野球部元エースとその仲間は、他の中学校に転校し、栗太郎や父親のお寺住職に対して、自分たちの親までも巻き込んで、栗山親子に恨みを募らせ、お寺の乗っ取りなど、野球競技以外でも栗山親子を陥れようと悪巧みを画策する。

 魔球·ドロッカーブが冴える栗山栗太郎の活躍が実り、中学校は全国大会に出場する。全国大会には各地の強豪チームを引っ張る強敵ライバルたちが居た。

 ライバルたちの中に、魔球“タマタマ·ボール”を投げる少年投手も居る。“タマタマ·ボール”という名称が何となく下ネタふうを連想させそうですが、この魔球は、勿論、偶々(たまたま)ボールになってしまう変化球とかじゃなくて、栗太郎のドロッカーブよりも凄い魔球です。投げたボールが二個に見えて、この二個のボールがぐるぐる回転しながらホームベース上に来る。

 “タマタマ·ボール”の解説ってあったんだろうか?どうして投げたボールがそんなふうに変化するのか?多分、魔球の説明はなかったと思います。

 主人公·栗山栗太郎の投げる魔球のドロッカーブは、投げたボールが一度ドロップして落ちて、直後にカーブして曲がる二段変化球ですが、「ドロップ」という変化球の呼び方は現代では死語で、今の「カーブ」のことです。今のカーブは見てると、ほとんどが山ボール的にタテに落ちる、タテに曲がる変化球ですよね。あんまり野球に詳しい方じゃないので、ゴメンナサイよく知りませんが、横に曲がるカーブもあるそうです。今のシュートとかスライダーも曲がりますよね。フォークは落ちるのか。横カーブは曲がりが大きく、シュートやスライダーの曲がりは小さいのかな。

 「くりくり投手」の、絵で見るドロッカーブの球の軌道は落ちてから曲がっている。漫画の中のある試合場面で、ライバル打者が「ドロッカーブは曲がってから落ちるボールもあるのか」というセリフを吐きますが、横曲がりした後、タテに落ちる投法もあったようですね。まぁ漫画の話ですが。

 「くりくり投手」のストーリーは、野球漫画として純粋に野球の試合と練習ばかりが描かれる訳でなく、少年野球らしいフェアなスポーツマン精神で野球の試合をやって行こうとする主人公の少年たちと、対照的に、野球を離れた場所で大人数で襲撃を掛けたり、子供の喧嘩に親が出て来て汚いワナを仕掛けようとしたりと、嫌がらせとかアンフェアな行為を行う少年や大人たちが、陰謀を企む場面もけっこう多く描かれていています。

 物語に悪役たちを登場させて、いろいろな悪巧みを行わせることで、主人公·栗山栗太郎少年の真っ直ぐな熱血漢ぶりと、フェアで純粋なスポーツマン精神を際立たせています。まぁ、くりくり投手こと栗太郎少年は、等身大中学生の正統派スポーツ・ヒーローですね。

    

ゼロ戦行進曲完全版 上 (マンガショップシリーズ 226) コミックス 貝塚 ひろし (著)

 

父の魂 [マーケットプレイス コミックセット] コミックス 貝塚 ひろし (著)

原爆といのち (漫画家たちの戦争) 単行本 手塚 治虫 (著), 中沢 啓治 (著), 赤塚 不二夫 (著), & 2 その他

1・2作戦 (上) (マンガショップシリーズ (58)) コミックス 貝塚 ひろし (著)

柔道讃歌 全16巻セット [マーケットプレイス コミックセット] (コミックメイト) コミックス 貝塚 ひろし (著), 梶原 一騎 (著)

ゼロ戦レッド 1 (サンデーコミックス) コミックス 貝塚ひろし (著)

どろぼっ子 [マーケットプレイス コミックセット] コミックス 貝塚 ひろし (著)

ミラクルA 1 (サンデーコミックス) コミックス 貝塚ひろし (著)

 「くりくり投手」のヒットで当時の児童雑誌の人気漫画家陣の仲間入りをした貝塚ひろし先生は、60年代を通してから70年代前半、児童漫画雑誌の世界で活躍を続けましたが、特に60年代中は当時の月刊誌·週刊誌のどの児童漫画雑誌にも連載が載っているくらい、超売れっ子漫画家で、多分60年代中10年間は超多忙な漫画家生活だったことと思います。

 貝塚ひろし先生の漫画の主戦場は児童漫画雑誌で、ほとんどストーリー漫画ですが内容はバラエティーに富んでいて、野球やプロレス·柔道などのスポーツ漫画、太平洋戦争時の戦闘機パイロットの活躍を描く戦記漫画、熱血教師の奮闘を描く学園漫画、探偵漫画やSF 冒険漫画などなど様々な舞台設定のストーリー漫画がありましたが、その熱血感動漫画のストーリー運びの盛り上がりが、“貝塚ぶし”と呼ばれてこの時代の数多くの児童漫画読者に愛されていました。

 貝塚ひろし先生の漫画には、傑作や当時の大人気漫画がいっぱいありますが、貝塚ひろし氏の代表作として上げられる一番有名な作品は、週刊少年ジャンプ創刊号から連載され、初期ジャンプの看板漫画の一つだった熱血野球漫画「父の魂」かなぁ。「父の魂」は68年創刊号から始まり71年44号まで連載が続いて、ジャンプコミックス全14巻で刊行された大長編でしたしね。

 貝塚ひろし先生のスポーツ漫画には「赤い牙」や「ファイト兄弟」のようなプロレス漫画や、「柔道讃歌」のような柔道漫画もありますが、やはり野球漫画が一番多いかな。「九番打者~ミラクルA 」、「太陽に打て」とか「ラッキーナイン」などなど。「ファイト兄弟」は主人公の兄がプロレス、弟が野球をやっていて、漫画の中でプロレス場面と野球場面が交互に描かれていた。「ラッキーナイン」はSF 漫画でもあったと思います。僕は「まんが王」の末期近くに連載されていた「太陽に打て」が好きでしたね。週刊少年サンデーに連載されていた「あばれ王将」というのは将棋漫画でしたしね。そういえば時代劇漫画もけっこう描かれてますね。

  「くりくり投手」も全体の前半部を見ると、絵柄のタッチが戦前·戦中頃の「冒険ダン吉」や「のらくろ」を彷彿とさせるようなタッチで描かれてますね。50年代末から60年代前半、全体的に児童漫画の絵柄のタッチがじょじょに進化して行って、貝塚ひろし先生の絵のタッチも64年頃は「くりくり投手」初期と全然違う絵柄ですね。50年代後半から60年代初めは児童漫画は月刊誌の時代、64年頃に入って来るともう週刊漫画誌の時代で、64年65年頃の児童漫画の絵は60年頃の絵に比べるとすっかり変わってますね。

 だいたい1961年から62年頃くらいまでは、ストーリー漫画もギャグ漫画もそんなに絵柄が大きくは変わらなかった。デフォルメが大きくて絵がみんな丸っこくて。背景もだいぶ省略された丸っこい絵柄で。ギャグ漫画の登場人物が二頭身ちょっとから三頭身なら、ストーリー漫画の登場人物は三頭身半くらいから四頭身か。もっとも児童漫画だから子供の登場人物が多く、頭身が低いのは当たり前だが、例えば月光仮面みたいな大人のヒーローでも四頭身くらいで描かれていた。それから“ギャグ漫画”という呼び方がされ始めたのは64年頃からで、この時代はストーリー漫画ではない漫画は総じて“ゆかい漫画”と呼ばれていた。この時代のストーリー漫画も随所にちょっとしたギャグが入り、ストーリー漫画とギャグ漫画の違いがそれほど大きくなかったですね。みんなデフォルメされた丸っこい絵柄で、漫画はみんな「漫画」って認識だったかな。漫画の世間一般の文化的価値はエラい低いもんだったし。漫画は子供のもので、子供だまし的なレベルの価値観かなぁ。

 戦後少年漫画界で一斉風靡した大人気少年柔道漫画、福井英一氏の「イガグリくん」の雑誌連載は1954年までですが、福井氏急逝の後もあまりの読者人気のため、他の漫画家が連載を引き継いで作画·執筆を続け、長期に渡って月刊誌連載されました。当時はあの手塚治虫の各誌に描く漫画よりも、福井英一氏描く熱血柔道漫画「イガグリくん」の方が人気が高かったほどです。

 貝塚ひろし氏の「くりくり投手」は少年野球漫画ですが、漫画全体の前半部は絵柄やストーリー展開が、福井英一氏の柔道漫画「イガグリくん」とよく似ています。「くりくり投手」の主要舞台は少年野球ですが、物語の初めの方では、主人公の少年が柔道部の猛者の襲撃に合って腕力で戦ったり、主人公·少年の存在を面白く思わない連中の嫌がらせや卑怯な仕打ちなどが仕掛けられ、正義感の強い主人公がこれらと敢然に戦うエピソードが描かれたりと、「イガグリくん」の漫画の内容の中にあったエピソードと同じような展開が、「くりくり投手」の中にも描かれている。「くりくり投手」も後半部は野球の試合シーンが主体に描かれているけど。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする