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●漫画・・ 「影狩り」

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 僕の小さい頃、僕が漫画を読み始めたのは6歳の終わり頃からですが、僕が、小学館の児童誌、週刊少年サンデーを初めて読んだときは、もう7歳になっていました。当時の週刊少年サンデーの第一番の看板漫画は、何といっても、横山光輝先生の痛快忍者漫画「伊賀の影丸」でした。大人気漫画「伊賀の影丸」は、正義の忍者・影丸が“木の葉隠れ・木の葉火燐”といった独自の秘術を使って、敵側の悪い忍者たちを倒して行く、忍術アクション時代劇漫画です。敵側の何人もの怪忍者たちは悪の軍団であり、独特の恐ろしい必殺術を使う手錬れの凶悪忍者が六、七人から十人近く揃っています。その悪の忍者軍団に対抗する影丸ら正義側にも、公儀隠密部署の最高長官、服部半蔵の門下の忍者たちがいっぱい居て、半蔵がチョイスした伊賀のツワモノが数名、影丸に加勢してチームを組みます。そして、正義軍VS悪の忍者軍団の戦いが、トーナメント方式のように続いて行くのです。結局、正義側は影丸かもう一人くらいが残って、敵の総大将格や無敵の秘術を使う最強忍者が、最後に影丸に倒されて、その回のお話が終了する。一つのお話に週刊誌毎回の連載が、どれくらいだろう?十五週?二十週?もっと?‥。まあ、忍術トーナメント戦が続いて行って、影丸が悪の側の最後の忍者を倒して、そのお話が終了。このパターンが何度も続いて行って、「伊賀の影丸」は週刊少年サンデー誌上で大人気の内に、5年間もの長期に渡って連載を続けた。この5年間、相当数な原稿枚数を費やして、まあ、だいたい同じようなパターンのお話が、全九話続いた訳です。勿論、各話、細部の設定は違いますけど。僕が「伊賀の影丸」を読み始めたのは第三話の「闇一族の巻」からです。子供の頃の僕は、「伊賀の影丸」には毎回毎回ドキドキしながら、大熱中して読んでましたねえ。本当にワクワク、面白く読んでた。

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Akita

 「伊賀の影丸」の主人公の、ハンサムで強くてカッコイイ少年忍者、影丸は、いわゆる公儀隠密で、徳川幕府の公儀隠密を総括する最高長官が服部半蔵で、その、半蔵の数多くの部下の中でも、腕利きの優秀な最強伊賀忍者が影丸ですね。徳川幕藩体制という中央集権の強大な権力にたてつこう、謀反を起こそう、クーデターを起こそうと企む、地方の忍者軍団、もしくは地方の大名や“革命家”に雇われた忍者軍に、その、幕府を脅かす行為を、できるだけ早い内に、未然に近い内にコトを片付けてしまおう、反乱者たちをできるだけ早い内にみんな始末してしまおう、というのが服部半蔵を頂点とする、公儀隠密体制とその兵力という訳ですね。「できるだけ早い内」というのがミソで、だからこそ公儀隠密は各地方に忍者を送って偵察させている。地方で何かコトあらば、不穏な動きあらば、偵察忍者が中央本部の半蔵の元へ自ずからがか、あるいは使いの者か、手紙などで知らせて、コトが大きくならない内に始末する。謀反の芽を摘む。徳川幕藩体制にたてつこうとする集団の影が、偵察忍者の探りで発見できたら、影丸ら優秀な忍者の選抜チームが送り込まれて、反乱軍を始末する。まあ、影丸は「権力の犬」の代表格ですね。服部半蔵はもう、権力側の幹部ですからね。影丸は権力の犬として、徳川体制に少しでも逆らう、刃向かう者を始末しに行く、腕利きの殺し屋。体制側の兵隊でも必殺部隊の暗殺忍者として、命懸けで任務に着き、反政府組織の反乱分子忍者たちを抹殺して行く。えっ!?影丸って本当に正義の味方なの?

 小学生時分の僕は「伊賀の影丸」の主人公、影丸を文句ない絶対の正義の忍者だと思っていた訳です。で、影丸に殺される忍者集団は全て、絶対悪だと思ってた。子供の頃の僕は「勧善懲悪」を信じきっていたんですねえ。う~ん、小学生高学年だとどうだったんだろう? 馬鹿なガキだったから、やっぱり複雑なコトは気が付かねえかなあ。でも、忍者漫画は横山光輝ものばかりでなく、白土三平の作品も読んでたしな。小学生の低中学年で「忍者武芸帳」さえ読んでるんだろうけど。「忍者武芸帳」の世界は理解しなかったろうなあ。中学一年くらいにならないと解らなかったんじゃないかなあ。僕は頭悪いガキだったし。白土三平の忍者漫画は別として、あの時代の少年雑誌に掲載された忍者ヒーロー漫画はほとんどが、主人公が公儀隠密に属する正義の味方、という設定だったと思う。ヒーロー忍者に斬られる忍者はみんな悪い忍者だった。また、僕が6、7歳から9歳くらいまで、あの時代のTVでは、「隠密剣士」という時代劇が大流行していた。「隠密剣士」は子供向けのアクション時代劇で、公儀隠密の主人公の剣の達人が幕府に刃向かう忍者集団と戦い、公儀お庭番の味方忍者の助けを借りながら、反体制の“悪”の忍者たちをバッタバッタと斬り倒して行く、痛快無類の実写時代劇だった。あのドラマも公儀隠密は完璧“正義”だったしね。

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 幕府の犬、公儀隠密、伊賀の影丸の直属の最高上司は服部半蔵であり、その組織の頂点の主人は、あの時代の絶対権力者、徳川家であり、徳川家も、それの最末端の兵隊の影丸も、影丸の上司の服部半蔵も、影丸と共に地方の忍者集団を殺して回った、仲間のお庭番忍者たちも、本当のところは、実は、別に「正義」という訳ではない。勝った者が「正義」、権力者が「正義」、という理屈ならそうだけど、普遍的な正義や真理としての正義では、決してない。徳川家とは、長い戦国時代を戦い抜いて、最後に勝ち抜けて権力を握り、己が権力を安定させた一武将なのだ。長い長いトーナメント戦を勝ち抜いて最後に残った、一つの武家の家。それが、強大な武力に支えられた絶対権力にものを言わせて、己の権力の長期安定のために幕藩体制を作り上げたのだ。決して「正義」そのものではない。普遍的正義、真理としての正義などではない。影丸たちを遣わせて地方の反乱分子を始末するのは、徳川側の正義になるのかも知れないが、また、反乱者たちが徳川体制を転覆させようと行動することも、反乱者サイドの正義かも知れない。ひょっとしたら、地方の虐げられた極貧の民衆を救おうと、徳川体制に反抗する行為の方が、「正義」の“義”があるのかも知れない。歴史の「正義」は見方によって違って来る。「伊賀の影丸」の正義とは、徳川幕藩体制の長期安泰を支えるための一つの方策の、その一部の手段だ。影丸は主人の徳川家のために地方の忍者たちを斬り殺して回る。影丸の正義と、反乱忍者たちの言い分の正義。正義は両方にあり、どっちから見ても相手は「悪」だ。

 「影狩り」は、この、「伊賀の影丸」の正義と悪の構造が逆転したドラマですね。「影狩り」では、徳川幕藩体制の方が醜悪な「悪」のサイドです。少なくともそう見える。「影狩り」三人衆は、物語の内では、正義の味方と呼んでもいいようなヒーローたちです。僕が「影狩り」を読んだのは2002年で、「影狩り」の初出自体は70年代前半なのですが、21世紀に入るまで、僕はこの漫画をちゃんと読んだことがなく、無論、僕は昔から「影狩り」という、さいとうたかをの傑作時代劇劇画があることを知っていたし、多分、断片的には読んだことはあったかも知れないけど、物語をきちんと読んだのは、全編通してほとんど完読を果たしたのは2002年ですね。「影狩り」は昭和の時代も90年代も、何度もコミックスなど単行本化されてますが、2002年にリイド社から全10巻で文庫化され、第1巻・第一刷が2002年2月、最終10巻・第一刷が同6月発行でした。僕はこれで全10巻ほとんど読みました。文庫化は一度、80年代に小学館文庫で刊行されてますね。あと、度々、例えばリイド社のさいとうたかを劇画座招待席とか、コミックスや雑誌形総集編、文庫でまとめられて刊行されています。

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 「影狩り」は小学館の総合週刊誌「週刊ポスト」に毎週掲載、1971年から73年までの3年間連載が続いた、迫力満点の時代劇大スペクタクル劇画です。雑誌連載リアルタイムで読者人気があったのでしょう、当時、映画化もされてます。映画作品は2本で、どちらも1972年東宝系公開、両方とも石原プロモーション制作で石原裕次郎主演映画です。その後2度ほどTVドラマ化されていて、83年と92年、どちらも単発スペシャル番組の2時間時代劇ですね。

 徳川幕藩体制が続く中で、幕府が経済的に逼迫することが何度もやって来る訳で、その都度、幕府は地方の大名の領地を没収して、幕府直轄の“天領”とすることで、財政危機を乗り切って来ていた。幕府が“お取り潰し”に掛かって、大名家を主君はお家断絶、その配下の家老から末端の家来まで、ほとんどをお役御免で野に放り出してしまい、領地を全て没収してしまう、そういう憂き目に合わせる地方の藩とは、おおむね、関ヶ原の戦いで豊臣側に着いた(?)、いわゆる外様大名の家で、徳川幕府は常に、外様の藩を取り潰して領地を直轄にしようと狙っていた。もともと豊臣側に着いて徳川家に刃向かった大名(?)の藩だから、徳川体制の世になっても、いつ反発して来ぬかと用心して、地方藩を見張り続けていた訳ですね。この見張り役が“公儀隠密”な訳です。幕府としては、地方の外様大名の領地欲しさに、藩をいつ潰そうかいつ潰そうかと思いながら、手ぐすね引いて待ち望み、何かと地方大名家に“インネン”を着けて来る訳です。幕府はこの“インネン”材料が欲しい。この“インネン”材料を探るのが公儀隠密、すなわち「影」です(インネンちゃ、イイガカリですね)。幕府は地方大名の領地にまんべんなく「影」というスパイを忍び込ませていた訳ですが、特に外様大名の藩は厳しく警戒し、見張っていて、スパイの数も多目に投入し、また「草」と呼ばれる“里入り忍”を移植していた。「草」とは、その土地に代々住み着いたスパイです。親やその上の代からのスパイ一家で、これはもう、その土地の民になりきっている訳だから、なかなか見破られることのない鉄壁スパイです。(※『関ヶ原の戦い』や『外様』に関しては、ワタクシメの日本史の無知なるが故、少々、解釈の間違いがありそうで申し訳ありません。)

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 公儀隠密の忍者たちが、地方藩の何処をどう探しても落ち度が見つからない場合には、これはもう、公儀隠密たちが何か落ち度を作り上げる。デッチ上げとか策略とか罠とか、汚い真似ですね。幕府側が地方藩に“インネン”吹っ掛ける材料をワザと作り上げて、それをネタに藩を責め上げ、ムリムリでも藩お取り潰しに持って行き、幕府がまんまと領地を没収する訳です。大変汚いやり口です。地方藩には、金鉱・銀鉱・銅鉱などから、肥沃な土地から取れる米などの作物、漁獲量、名産品、地方独特の工業などなど、金の生る木が豊富にあり、幕府が直轄領とすることで、それらお宝がダイレクトに幕府に入り、幕府の財政が潤う訳です。地方藩大名領からだと、上納金の形だから、税金を吸い上げるようなもので、直轄にしてしまえば儲けは何倍もが幕府に入る。僕は歴史が不勉強で、江戸時代の幕藩体制の経済構造に関しては、あんまりよく知らないので、このくらいのコトしか書けませんが(ひょっとしたら少々間違っているのかも知れない)。地方大名のお家断絶して領地没収、幕府の直轄領にしたところで、江戸幕府はその土地をどういう具合に統治したんだろう?誰にさせたのか? 済みません、日本史に弱くて江戸時代のことがあまりよく解らなくて、例えば「直参」とか、どういう立場だったんだろう?何となく、「外様」の反対側に居るのが多分「直参」なんだろうな、とか思うんだけれど、当時の「直参」は何処に居たのか?地方大名で関ヶ原の戦いで徳川方だった大名は「直参」なのか?よく知らないんだよなあ。江戸幕府から遠い直轄領を管理・監督、あるいは統治していたのは誰か? 済みません、よくは知りません。不勉強で申し訳ない。

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 「影狩り」の主人公、影狩り三人衆、十兵衛、日光、月光の、武芸達者な三浪人は、もともとは地方藩のお抱え武士だった訳ですが、三人とも仕えていた藩が、幕府の姦計と公儀隠密=影の暗躍で、お取り潰しになり、主家はお家断絶領地没収、家臣は上から下までほとんどの侍が、お役御免で野に放り出され、食い詰め浪人となり、この三人も同様に、その憂き目に合った者たちなんですね。三人ともにそれぞれが藩取り潰し前後の悲哀エピソードがあり、三人ともにそれはひどい目、辛い目に合っている。十兵衛、日光、月光、三人とも、公儀お庭番=影の暗躍に寄る、所属藩お取り潰しの犠牲者なんですね。特に十兵衛と月光は藩が消滅させられる折り、それは心に深い傷を残す苦渋を味わっている。三人ともに幕藩体制の地方藩取り潰しと領地没収工作、またその実行部隊である公儀隠密=影に対して、ひと方ならぬ恨みや憎悪の気持ちを残している。特にリーダー格の十兵衛には、幕府側の仕組んだ、汚く冷酷な姦計に対して痛恨極まりない思いがある。影狩り三人衆は、みんな、幕府の汚いやり方や、それを実践した「影」に対しては、大きな恨みや憎悪とともに、地方藩の取り潰し工作を実行させて、藩が消滅させられ、これ以上、仕え先や職・仕事や寝ぐら、または食い扶持や家族などを失った、数多くの食い詰め浪人を出すことを、少しでも増やさないようにしなければ、という使命感のような気持ちもある。だから、地方各藩に対する「影」の工作は、少しでも未然に防ぎたい。

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 幕府の、地方藩取り潰しと領地没収という政策に寄る、その実行部隊、公儀お庭番=“影”の偵察や行動、盗み、姦計、策略の実践を阻止するために、“影”を迎え撃ち、影であるお庭番忍者たちを始末して行くのが、十兵衛、日光、月光の「影狩り」三人衆です。だいたいが外様大名の藩ですが、その地方藩が公儀お庭番の暗躍に気付き、コトが江戸幕府まで報告されて藩の一大事になる前に、「影」どもを始末してしまい、コトが大事に至る前に未然に防ぐため、藩が高額の雇い料を支払って、「影」退治のプロフェッショナル、「影狩り」三人衆を呼んで、「影」の始末を頼む。十兵衛ら影狩り三人衆は、藩より依頼料、100両単位で多いときには千両単位まで高額報酬契約をして、藩の城中から城周辺、領地内に至るまで、「影」の始末に奔走する。いつも忍者たちの秘術や罠を掻い潜り、数を頼んだ忍者たちの襲撃を返り討ちにして、「影」の始末に成功し、巨額ともいえる高額報酬を受け取って彼の地を去る。というお話の連作劇画ですね。まあ、影狩り三人衆も、同じ作者に寄る大長編人気劇画「ゴルゴ13」にも似てますよね。「影」という仕掛け人・暗殺者を逆暗殺して、退治してしまうプロフェッショナルなんだから。※(徳川家との繋がりが密で幕府に重用された方から親藩大名、譜代大名、外様大名の順になり、親藩はいわば徳川の親戚、外様藩は関ヶ原の合戦以降に徳川家に臣従した諸侯。江戸時代ほとんどの外様は幕府の要職には就けず、重要な地域から外され、ただ軍事動員などだけに使われる藩も多かった。)

 傑作時代劇アクション劇画「影狩り」の醍醐味は、十兵衛ら影狩り三人衆が、毎回のお話で、“影”の秘術や仕掛け、罠、騙しや変装に一度は陥りかけて危機に見舞われるが、それを何とか見破り敵の術や罠を掻い潜り、土壇場で逆転して“影”どもを追い込み退治してしまうトコロですね。あっと驚く独特な罠や仕掛け、中には荒唐無稽な秘術。でも、「伊賀の影丸」のような荒唐無稽ではなく、劇画の絵柄の効果もあって、もっとリアリティーがあります。正に面白い、アクション劇画。「影狩り」シリーズはリメイク的な新作があり、「新・影狩り」という劇画作品が、リイド社発行の雑誌に2011年から連載されているようですね。「新・影狩り」は、原作はさいとうプロですが、作画は岡村賢二という漫画家さんらしい。コミックスも出ていて、物語テイストはオリジナルさいとうプロ「影狩り」とは若干違うらしい。無論、主人公たる影狩り三人衆は出ているそうですが、物語進行の内容の趣向がちょっと前作とは違うらしいです。新作も面白そうですね。

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