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クリちゃん

 「クリちゃん」は朝日新聞の夕刊紙に1951年2月から1965年3月まで連載された、根本進さん作画の新聞4コマ漫画です。

 僕が生まれたのが1956年で、僕が初めてこの漫画を見たのが、小学校一年生時、1962年ですね。

 僕の家は親父が西日本新聞と読売新聞を取っていました。だから僕はこの4コマ漫画を新聞で見た訳ではありません。

 僕はこの漫画を小学一年生の国語の教科書で見たのでした。小一·国語教科書の巻頭近くのページに、この4コマ漫画が2本か3本載ってたと思います。4色カラーだったように思う。

 僕は幼稚園とか保育園とか行かずに、いきなり小学校に上がって、とにかく文字はまったく読み書きできず、勿論、最初歩の算数もできませんでした。数えることはできてたんだろうか?できなかったんじゃないかな。何しろ自分の名前もひらがなで書けなかったし。

 ウチの親は両親とも何にも教育しない親だったし。勿論、何か子供なりの悪いことをすれば怒ってましたけど。僕自身はやった覚えはありませんが、例えば万引きみたいな盗みなどすれば勿論、かなりの勢いで怒られたろうと思います。

 僕は、小学校六年生時に友達付き合いから、友達が万引きするのに着いて行って、見張りと称して友達が実行するところからかなり離れたところで待ってたことが、一度だけあります。怖かったので友達には「見張りしててやる」と言って、友達が見えないような相当離れた場所で待ってました。

 友達は万引きに成功して、友達が万引き実行した場所の出口付近で合流しました。僕は本当に臆病で怖がりな子供でしたからね。

 そうして、ワルガキ仲間がたむろしてる、隣のクラスのN君の家に行きました。万引き実行したのはI君で、そのときはI君は得意がって報告してたと思う。まぁ、別にワルガキグループを形成してた訳でなく、何となくN君の家に当時の僕のクラスと隣のクラスのワルガキ仲間が集まってた。僕ん家は比較的遠かったが、N君の近所の子供ばかりでした。N君は何か番長格でみんなが、ある種リーダーとして慕ってた感じでしたね。僕はI君とは仲が良かったけど、N君とはクラスも違うし特に仲が良かった訳ではなかった。N君の近所のME君とは同じクラスで、当時は親友みたく仲良かったけど。

 今はなき当時の公共の建物、多分、市民会館とか文化センターみたいなビル造りの建物の、広々とした一階フロアで、当時の中国物産展みたいな催しをやってて、I君が盗んで来たのは、何かうずらの卵みたいな小さな球形の物に虹色にスパンコールみたく、美麗に装飾した、というか多分、手技で微細に描き込んだ装飾品だったと思う。きらきら七色に輝く繊細な工芸品かな。

 僕もI君も11歳くらいで今から五十数年前の話だから、無論、僕も細かいことは忘れてる。

 N君の部屋でみんなと話した結果、この小さな虹色装飾卵をI君自身が戻しに行くことになった。戻すと言っても万引き犯罪を告白し謝罪に行った訳ではない。買っては見たものの、こんなもの要らないから金を戻してくれ、と詐欺犯罪みたいなことを行いに戻ったのだ。小学校五年か六年の子供としては悪質な行為。

 小心臆病な僕は、友達のI君にまた着いて行ったけど、怖いから、また店内でもだいぶ離れたところで見守っていた。見守って、ってI君が盗んだ品物を現金に換える様子が見える場所にいたのかどうか、五十数年前のことだからそこまで記憶していない。

 多分、中国物産展の展示即売会場の工芸品か装飾品売り場で、I君は、買っては見たもののやっぱり要らないから返品するのでお金を戻してくれ、とウソを言って、相手の男性は、この品物は今日はまだ1個も売れてない筈、とかなりいぶかしんだらしいけど、結局は無事お金をくれたらしい。I君の万引き&詐欺行為は成功した。今から考えると領収書もないのによくお金をくれたなぁ、と驚くけど。

 このあと、騙し盗ったお金を持ってまたN君の家に戻ったんだと思うけど、何しろ五十数年前のことだからそこから先のことは記憶してない。I君もワルガキ仲間だったけど、中二の1学期くらいまでしか付き合いはなかったなぁ。N君ちやN君ちに集まってた同級生はみんな、中学校進級と同時に校区が別れたから、別々の中学校に行ってそれっきり。I君の住まいは僕んちと比較的家が近かった。

 I君は中三のときに転校したんじゃないかなぁ。はっきりしない。何か千葉の方に引っ越ししてボクシング始めた、とか聞いたような気がする。誰か友達からウワサ話程度で。まぁ、昔々の思い出話だから。

 という訳で、僕は万引きの見張りと称して実行犯からうんと離れた場所で待ったことはあるが、僕自身が万引きをしたことはない。

 僕は小学校上がる前に引っ越して来たんだけど、小一·6歳のとき、引っ越す前の土地の住んでた家の隣の家に、子供1人で一泊させて貰ったことがあるんだけど、そこの家の棚に小さな飛行機の玩具が飾ってあって、それが欲しくて、朝、その家を辞するとき黙ってその飛行機玩具を持って帰ったことがある。6歳時だけど、これもまぁ、盗みっちゃ盗みかな。

 基本的に僕は小心·臆病なので、この人生で、泥棒·万引きなどの盗みはやって来てないなぁ。ワルガキ友達がいたのも小学生までだし。

 新聞4コマ漫画「クリちゃん」とは何も関係ない話ですが。

 「クリちゃん」に関する話というと、小学校一年生時の国語の教科書の巻頭近くにカラーで2つ3つ、作品が載ってたことしか思い出もないし。勿論、4コマ漫画のお話の内容とか全く記憶はありません。

 僕は子供時代、母親から勉強しない、宿題しないというので怒られたことはあるけど、他のことで怒られたことはなかったなぁ。親父には反抗的態度で家の裏口から首根っこ掴まれて外の庭にポーンと投げられたことが一度あり、親父に怒られた記憶はそれだけしかないような。でも、子供の頃は親父は常に怖かったなぁ。放蕩して大借金作ってから、僕は親父をずーっと馬鹿にし続けたけど。

 「クリちゃん」は上にも書いてるように、1951年から1965年まで長期に渡って朝日新聞の夕刊に連載された新聞4コマ漫画で、連載当時ずーっとセリフのないサイレント漫画だったそうです。確かに僕が見た、僕の小一時の国語教科書の巻頭近くに掲載された2、3編もコマの中にセリフや説明文は何もなかったと記憶してます。もっとも、「クリちゃん」連載の末期にはコマの中に何かセリフや説明文字が入ったんだとか。

 「クリちゃん」作者の根本進さんは大正5年生まれで、2002年まで長生きされたそうで、慶應義塾大学出身で漫画家と同時に絵本画家でもあったらしいですね。日本画を修得されてるらしいですがインテリだったんですね。

 ちなみに「クリちゃん」のモデルは根本進さんの長男の団塊世代生まれのご子息らしいです。

 上にも書きましたが、僕の「クリちゃん」の思い出は、小一·6歳時に見た4コマ「クリちゃん」のわずか2、3編のみです。あとは、もう数十年見たことありません。「クリちゃん」を記憶してたので、最近検索してみたら、画像とwikipediaでヒットしただけのことです。

 僕は小一時、成績が最劣悪で5段階成績表でオール1でした。小一時は三学期までオール1だったと思います。小二で1、2、1、2とかになったんだろうか。僕は小一時は衣服の着脱が自分でできず、身体検査のときとか体育の時間とか担任の女性の先生が着替えさせてたのかな?小一時代の一年間は、母親が学校まで一緒に来て、一学期の間は全授業が終わるまでずっと廊下に居て、一緒に下校してました。だから、体育の時間は母親が着替えさせてたのかも知れない。

 僕の家の親父は子供の教育に関しては無関心そのもので、玩具や絵本を買い与えはするものの何か物事を教えるということはしない父親でした。母親は何でもやってくれる母親で教えるということのない人でした。だから、シャツやパンツの着脱もできない、歯磨きもできない、というか歯磨きしない、散らかしても全部やってくれるから片付けも覚えない。玩具や絵本を出して散らかしたままでも母親が黙って全部片付けるから、片付けとか覚えないんですね。入浴も小四くらいまで母親と入ってたのかなぁ。勿論、母親が洗髪から身体洗いまで毎日やってくれてた。風呂上がりの身体拭きも衣服着るのも母親がやってくれる。教えないんですよね。だから9歳か10歳くらいまで自分で着替えしてなかったんじゃないかなぁ?

 保育園·幼稚園行ってないから小一時は僕自身、学校生活で実際苦労してたんだと思う。小学校のクラス担任なんて身辺の基本的なことなんて教えないじゃないですか。小一時は母親が毎日廊下に居るから、困ったときはいつも母親に泣き着いてた。今でも記憶してるのは、保育園·幼稚園行ってなくてひらがなも自分の名前さえ書けないくらいだから、学校の授業なんてさっぱり解らなくて、授業中に「かあちゃ~ん、わから~ん」と廊下に居る母親に泣き着いて行ってたのをはっきり覚えてます。

 僕には7、8歳離れた兄がいて、兄は僕とキャラが違い、社交的で行動的なんですが、後年、兄もやっぱり依存心は強いんだな、と思った。やっぱり両親が何でもやってあげる育て方して教育しなかった弊害があるんだろうな、と思う。親父も細かな子育てはしないが、何でも買い与えたり、何処かへ連れて行ったり子供の喜ぶことはよくやってた。僕は親父に叱られたことはあんまりない。親父は子供を可愛がってはいたけど教育するというのはなかったなぁ。

 団塊世代生まれの兄貴は、戦後のまだ貧しい時代に育ち、両親夫婦が若い時代、大きな屋敷で下宿的な生活してる中で育って、隣近所とも本当に親しくする生活環境の中で、たくさんの大人たちから可愛がられて育った。兄貴は僕のように人見知りが強くて異常に警戒心の強い子供ではなくて人懐こかったから、周囲の大人たちに可愛がられ、そして両親以外の大人からも教育された。

 人見知りが強く怯える性格の僕は、子供時代、両親以外の構って来る大人たちをけっこう排斥してたと思う。優しくて何でもやってくれる母親が庇護してくれさえすれば、他の大人たちがうるさく関わって来るのは、要らぬおせっかいで子供ながらに迷惑だったんだろう。母親は何でもやってくれるし。その点、兄貴は両親以外の大人に教育された面も大きいんだと思う。兄貴は性格的に他人から可愛がられる子供だったなぁ。小学生時代は学校の先生からも可愛がられてたみたいだし。学校の先生たちに疎まれ続けた僕とは全然違う。

 僕が大人になってから、社会に出て身に沁みて思ったのは、家庭で親が教育することは必要でけっこう大事なことだな、ということだった。それは自立心を育む家庭での親の教育。子供に対して親がやる教育で一番大事なのは、大人になって社会で1人で生きて行けるようにしてあげることで、特に精神面での自立心を育んでやることだと思う。

 シングルマザー家庭とか貧乏な家庭ではなくて、比較的、経済的に余裕のある家庭では塾に通わせたり習い事をさせたり、将来に向けての何らかのスキルを子供に着けてやることをしてやってるんだろうけど、やはり一番大切なのは1人で生きて行ける精神力を育ててやることですね。

 その点、逆にシングルマザー家庭や貧乏な家庭で育ったら、子供は否応なしに自立心が育まれるのかも知れないですが。勿論、親や親代わりが虐待やネグレクトする劣悪な成育環境は論外ですが。

 まぁ、僕は幼少期から中二くらいまでは、親父が電力会社に勤め、僕の小学校6年間は親父は、電業所という電力会社営業事務所の所長職身分で、昭和30年代後半~昭和40年代アタマ頃のまだまだ世の中は比較的貧しい家庭が多かった中、僕は割りと坊っちゃん坊っちゃん育って、まぁ、僕の家庭は、近隣の子供の家の中ではけっこう裕福な方だったんじゃないかと思いますが、僕の中学生時代、親父がトチ狂ってしまい、放蕩三昧を重ね、僕の中三の終わりに家がぶっ壊れて親父は大借金を抱えて愛人の元へ行き、母親と子供三人はそれから大貧乏生活に入る訳ですが。

 過保護に育った僕は高校生時代は絶望的に生きてましたね。幼い妹を抱えた母親は僕どころじゃないし、ボンボン大学生だった兄貴もいきなり大学休学状態で肉体労働で稼がなきゃならなくなったし。僕の精神はひ弱なまんまだったしな。

 だから、後々、例えば「拳児」みたいな格闘技漫画とか読むと、あれは漫画の初めの方のエピソードは少年の成長物語で、中国拳法の達人の祖父に拳法を教えて貰いながら鍛えられる。ああいうのには憧れましたねぇ。自分にも格闘技の達人の爺ちゃんとかいて、幼い頃からそれなりに鍛えられて心身共に強くなれてたらなぁ、って。

 劇画の「男組」でも主人公の少年は、幼いときから中国拳法の達人の父親から拳法修行を通して心身共に鍛えられる。あのお話ではちょっと過酷すぎる育て方だけれど、ああいうのにも憧れたなあ。父親が拳法とか空手の達人で小さい頃から、毎日の日課でトレーニングされてたら、自分も違ってたろうなぁ、とか思って。

 父親が格闘技を修得してて小さな頃から毎日、日課で教えて貰ってて、ある程度は厳しく教育されてたら僕ももっと自立心が強く依存心などない強い精神性を持った人間になれただろうなぁ、とか憧れました。開拓精神を持った強い大人になりたかった。

 ウチは両親とも優しかったからなぁ。僕が小二くらいの頃、近所の同級生のMM君とFT君に誘われて絵画教室に習い事に行くと、初日に親父は絵画の先生に挨拶に行ってくれて、みんなに比べて絵を描くのが遅くて取り残される自分が不安になって、僕は、一回行っただけで絵画教室に行かなくなった。そういうのも親父は怒らず何も言わずに絵画の先生にことわりに行ってくれた。

 保育園も1日だけ行って翌日から行かなくなった。保育園のことわりも多分、親父が行ったんじゃないかなぁ。保育園は翌日から絶対行かないと家から動かなくて、それで済んだけど、泣いて行かないとダダこねたのかも知れないけど、そのまま保育園1日行ったきりだけど、小学校はそうは行かなかった。義務教育は母親が何が何でも学校に連れて行った。多分、小一の一学期は僕は、毎朝、行かないと泣きじゃくってたんじゃないかなぁ。

 まぁ、僕は生涯、1日だけ行って辞めたことっていっぱいあるなぁ。情けなかぁ。持って生まれた性格と子供時代の過保護な養育かな。

 小一のときは一学期は毎日、母親に連れられて学校行って、午後の授業が終わるまで母親は廊下で待って、僕は母親と一緒に下校してた。小一·二学期になると、母親と一緒に登校して母親は朝礼前に帰って行った。下校は1人で帰って来るようになった。この頃になるとときどき、ウチによく遊びに来る、仕事持ってる人もいたのかな、家事手伝いで仕事してない人とか、二十歳くらいの親戚の人とか、若いお姉さんが母親の代理で小学校の門まで送ることもあった。

 親父の電業所所長職時代は、ウチの家には毎日のようにいっぱい人が来てたなぁ。母親と同世代の女の人やその娘さんたち。親父の知り合いは事務所で話して帰ってたけど、母親の知り合いは家に上がって長々喋って帰って行ってた。若いお姉さんも多かった。僕はまだ小学生だったけど。

 小学生時代を思い起こすとイロイロ懐かしい。僕に取っては小学生時代が人生で一番最高だった気がする。まぁ、基本的にイロイロ弱い僕が親の庇護下にあって安全安心な中で好き勝手に生活してたからだろうけど。電力会社に事務所を任せられる地位で勤めてる親父に、何でもやってくれる母親。

 小学生時代の僕は毎日漫画読み放題、テレビ見放題、家の中で独り遊びし放題、学校の勉強しなくても、成績悪くてもそんなには怒られることもなかったし。学校行けば先生には睨まれててもワルガキの友達はいっぱいいたし。小学生時代は楽しかった。いっぱい漫画読んで、いっぱい鉛筆書き殴りのオリジナル漫画描いて。毎日独り言話して過ごして。

 小学校時代は、僕は一年生二年生と同じクラスで、三年生になると新学期始まるときにクラス変えがあって、何故かこのクラスは一学期中にもう一度クラス編成を行った。

 僕の小学生時代に育った町は歴史的な炭鉱都市で、小学校三年生時くらいに、多分調度、炭鉱の閉山が起きたんじゃないかなぁ?よく覚えてないし調べたこともないけど、この時に市中や周辺地域にあった炭鉱会社が次々閉業して、炭鉱で働いてた人が他の都市へと越して行ったのではなかろうか?それで生徒数が減って、小三の一学期開始時に作ったクラスをまた直ぐに組み変えたのか?そのときクラス数が減ったのかどうかも記憶してないしなぁ。

 小三時、多分、一学期中にもう一度クラス編成し直したクラスは、何故かその後、一度もクラス編成をせずにそのまま同じクラス、同じクラスメートの顔ぶれで小六卒業時まで続く。小三一学期途中からのクラスは三年~六年と同じだった。多分。小学校時代の僕の学年は4クラスだったと思う。自分が何組だったかもよく覚えてない。多分4組だったような気がする。だから小一小二のときは5クラスくらいあったんだろうか?記憶してない。

 

 昭和30年代末、日本社会で炭鉱が衰退して、僕の育った町も炭鉱閉山の影響で学年を重ねるごとに転校して行く同級生も多かった。ひとクラス50人はいたクラスメートも小五小六時は40人だった。

 僕は小三~小六時代、クラスに友達も多かったけど、僕が学業成績劣悪で授業が聞けないし宿題して来ないで、先生にいつも怒られてる劣等生だったから、特に仲の良い友達もワルガキが多かった。

 でも小学校時代は成績優秀でクラス委員をやる、先生のウケが超良い子供たちとも一緒に遊ぶことも多かったけど。

 小五小六時に仲が良くていつも一緒につるんでたのはME君だった。まぁ、こう言っては悪いが彼も僕と一緒で劣等生でワルガキ仲間の1人だった。彼はクラスの番長格だったな。

 お互いの家に泊まりに行ったこともある、ME君との思い出はいっぱいあるんだけど、特に印象的に覚えているのは、ME君が小五時か小六時に初恋的に思慕してた同じクラスの女の子がMMさん。純情な子供のME君はMMさんとは全く喋れなかった。他の女の子たちとは普通に同級生の女の子として会話してたと思う。

 小五·小六時の僕は、便所のラクガキみたいなヒワイな言葉はしょっちゅう喋ってるくせに、要するにシモネタばかりくっちゃべってるワルガキのくせに、ウブというより発育が遅かったのか、小五·小六·中一時の“初恋のヒト”とか記憶にない。僕は、そういう発育が遅れてたのか初恋とかは中二くらいじゃないかなぁ。中三のときに好きだった女の子ははっきりと記憶してるけど。中二のときに好きな女の子がいたかどうか全く記憶にないなぁ。

 小一·小二のときに、エシタスミコちゃんとカナヤマトモコちゃんが好きだったというのははっきり記憶してるんだけど。小一·小二の同じクラスだったエシタスミコちゃんとカナヤマトモコちゃんは顔も姿もはっきり覚えている。しかしこの6歳7歳頃のことは“初恋”なんてものではなかったろうけどなぁ。

 ME君に話を戻そう。ME君の好きなMMさんは小学生の女の子だけど読書好きで、推理小説なんかもよく読んでて、当時は成績優秀でクラス委員もやっていた。僕たちは小三~小六とずっと同じクラスだったから、いつの学年も一学期のクラス委員はHM君とMMさんが勤めていたという印象がある。小学生時代はMMさんは活発で明るい女の子だったなぁ、という印象がある。  

 僕もME君もワルガキ仲間で、ME君も言って見れば、悪いけど僕と同じ劣等生ワクにいた。けどME君は運動神経が良くて、体育の成績は良くて一度、5段階成績の5を取っていた。多分、ふだんも体育の成績は4くらい取ってたんじゃないかな。僕は小学生時代に5を取ったことはない。図画工作で4を取ったことはあったように思う。それだけだな。あとは僕は2か3で一番良かった成績がオール3だったな。

 そんなME君が好きになった女の子は対照的な、まぁ、クラスの中では優等生の明るい女の子、MMさんだった。

 僕は、同じ優等生ワクのMMさんとHM君は、まぁ、小学生の子供どおしだとしても、相思相愛なのではないかと思ってたけど、HM君の好きな女の子はEさんだった。これは意外だった。別にHM君がEさんを好きだと言ってた訳ではないけどHM君の態度を見てたら解った。Eさんは僕は名前を忘れてる。同級生の男の子が「インゲンマメ」と呼んでからかってたから、Eさんの名前はインゲンマメに似たような発音の苗字だったと思う。イニシャルEで書いてるけど本当はイニシャルIかも知れない。でも取り敢えずEで通します。ファーストネームの下の名前は全く解らない。覚えてない(名字のイニシャルはIかYかも知れない)。

 ある日の体育の時間、まだ昭和40年代アタマの時代、更衣室などない。体育の時間の体操服は教室で着替えてた。あれ?小学校のときは男子·女子の着替えはどうしてたんだろう?あの時代に更衣室なんてなかったもんなぁ。教室を交代で使って着替えてたのかな?全く覚えてないなぁ。

 体育の時間だったのかどうなのか記憶してないが、僕とME君とワルガキ仲間何人かは、男子も女子も誰もいない無人の教室に入って行った。ひょっとしたら体育でなくとも移動教室だったのかも知れない。僕らワルガキ何人かが無人の教室に入って行ったということは、僕らは授業をサボってたんだろうな。

 小五か小六の家庭科の時間、ワルガキ仲間何人かが裁縫道具を忘れて来てて、その何人かで取りに各自宅に帰ることになって、僕たちは個別に帰らず、みんなで一緒に一軒一軒忘れ物取りに回って、学校に戻ったら2時間ワクの授業が終わってた、というのがあった。

 休み時間に遊びに夢中になって、授業時間にかなり遅れたというのもあったな。多分、その日もクラスのワルガキ仲間何人かで結果、授業をサボってたんだろうな。その日、教室に戻ったとき無人で誰もいなかった。

 女子のMMさんに子供ながら恋焦がれていた、クラスの番長格のME君は、MMさんの持ち物を自分の顔に押し当てたりした。ということは着替えた登校時の私服があって、やっぱ体育の時間だったのかな(?)。

 僕が驚いたのは、ME君がそこにいる他のみんなにMMさんは「ふだん鉛筆嘗めたりしてないか?」と訊いて、MMさんの筆箱の鉛筆を自分の口に咥えて嘗めたりし始めた。僕も14、5歳くらいの年齢になってたら、男性のそういう気持ちも理解できたと思うが、僕はとてもウブい子供でそういう方面の発育が遅かったから、俗に言う“変態”とかも理解してなくて、好きな女の子の持ち物を被ったり匂いを嗅いだり口に入れて嘗めたりする行為が理解できなくて、ただただ驚いた。

 小学校五年か六年時のME君のあの行動は、びっくりしたんで印象深く覚えている。純情な子供だったME君はふだんはMMさんと一言も喋ることはなかった。MMさんはあの当時、クラスに好きな男の子がいたとしたら、一学期のクラス委員をやっていた先生に可愛がられた優等生のHM君だったんじゃないかなぁ?別にMMさんがそういう話しているのを聞いた訳ではないので何も解らないけど。

 我が拙ブログ、今回のお題は昔々の4コマ漫画「クリちゃん」だが、「クリちゃん」のことで書いたのは、ほんのちょっとだけで、あとは全部ワシの小学生時代のことばっかりになった。

 ブログタイトルが「Kenの漫画読み日記。」だけど、ほとんど漫画に関しては書いてない。小学生時代の学校生活の記憶の一部を書いただけ。

 またまた漫画とは全く関係なく、ワシの数十年前の小学生時代の話が続くんじゃが、早熟のME君が好きだったMMさん。小学生時代の僕らのクラスは小三~小六卒業までクラス替えがなくて同じクラスだったが、僕がMMさんを意識し始めたのって小五小六だなぁ。意識って別に僕がMMさんを好きだった訳じゃないけど、クラスにいるな、って何となく存在感を意識したのって、くらいの意味かな。いや、そういうのってMMさんに失礼だな。小六のときは席が隣のときもあって、割りと喋ったこともあると思う。

 僕は小三~小六の間って、好きな女の子って全然覚えがないんだよなぁ。やっぱ発育が遅かったんだろうなぁ。好きな女の子で覚えてるのは中三時のクラスの女の子だなぁ。中二くらいで好きな女の子くらいできてると思うんだけど思い付かないもんなぁ。芸能人なら好きな女優とか女性歌手はいたけど。中一の頃はピンキーとキラーズの今陽子に恋焦がれていたと思う。

 一学期のクラス委員をやるような優等生で明るく活発に見えた女の子、小学生時代、ルックスも良かったと思うなぁ、そんなMMさんなのだが、どうした訳か彼女は中学校に進級してガラリとイメージが変わった。

 中学校進級で校区が別れて、ME君は別の中学校に進級した。クラス内の席替えはしょっちゅう行っていたから、ME君はMMさんと机が並ぶこともあったけど、ME君はMMさんと全く喋らなかったなぁ。僕は二人が話してるトコ見たことない。 まぁ、僕やME君は劣等生カテゴリでMMさんはHM君と同じく優等生カテゴリにいたからなぁ。ME君の初恋は全く、実りのミの字も見ないまま終わった。まぁ、僕の中三時の初恋も実りのミの字も見ずに終わってるが。

 僕はHM君やMMさんと同じ中学校に進級した。MMさんとは中三のときは同じクラスだったけど、中一中二はクラスは違ってたと思う。

 読書好きな女の子MMさんは小学生のときから目が悪かったけど、小学校時代はふだんはメガネを掛けてなかった。けれど中学生になってからふだんでもメガネを掛け始めた。

 あれだけ明るかったMMさんは中学生になって何故かエライ地味になった。僕は小学生時代のMMさんを美少女だと思っていたけど、中学生になってからはメガネを掛けて地味になり、何か雰囲気暗くなった。僕は中学生になってからのMMさんが明るくはしゃいでる姿を見たことない、というくらいに彼女は地味で暗い感じだった。何か黙ってじっと見詰めている、という印象があったなぁ。友達どおしでは喋ってたんだろうけど、明るく弾けておきゃんに喋ってる、とかいう印象は全然ないな。

 中学生時代の僕はそんなにMMさんを意識してなかったんだけど、後々思うに、彼女はどうして小学生時代に比べてあんなにガラリと変わったんだろう?と不思議だった。僕は小学生時代の彼女は学校の成績も優等生だと思ってたけど、中学生になってからの彼女は学業成績的にはそんなに目立たなくなった。勿論、そんなに中学校の学業成績が悪かった訳でもなかったろうが、優等生というには遠い成績になったように思う。MMさん、こんなこと書いて済みません。

 

 小学校時代のMMさんの印象からは、進学した高校も地域で一番偏差値の高い高校に行くと思ってたら、僕と同じ、狭い地域内で二番手の偏差値の高校に進学した。何か小学校五年六年時の明るく溌剌とした優等生の彼女から、中学生以降ガラリと雰囲気が変わって地味に暗めになったんだよなぁ。何故なんだろう?キャラクターが変わってしまうような何か生活環境の大きな変化でもあったんだろうか?

 これは、中学·高校時代は何にも思わなかったが、大人になって、子供時代を思い返すときに何か疑問に思って引っ掛かることなんだよなぁ。ちなみに高校生時代は三年間、MMさんと同じクラスになったことはない。僕は高校生時代、真っ暗でしたねぇ。仮に彼女と同じクラスになっててもおそらく一言も喋ってないくらいに関わらなかっただろうけど。

 高校生時代の僕は、クラスで男子とは、まあま、付き合いで喋り合って学校生活してたけど、女子とはほとんど喋らなかったなぁ。僕は、学校には通ってたけど精神的には引き籠りみたいなもんだった。

 18歳の終わり頃、太宰治の「人間失格」を読んで衝撃を覚えた。もう、小説「人間失格」自体のお話の内容など忘れてしまってるけど、主人公の言う“道化”を、「あっ、これは俺だな」と思って何かショックを受けたことははっきり記憶してる。ああ、自分はずっと“道化”の生き方をして来て、今も結局「道化の生き方」をしてる、「道化の生き方」から脱却して自己主張して強く、自分の生き方をしたい、と思いながら結局その後も「道化の生き方」をしていて、強くなれなかった。

 高校生時代、学校生活で表面的には友達間で愉快に振る舞いながら、本当は鬱屈してて真っ暗で精神的には引き籠り状態で生きていた。高校卒業してそこから脱却したいと思いながら、まぁ、強く賢くなりたいと思ってたんだろうけど、結局空回りばかりで変われない。

 ずーっと「道化の生き方」してるなぁ、って感じだったのかな。

 新聞4コマ漫画「クリちゃん」が最後は「人間失格」で終わってしまった。まぁ、とりとめのない長い長い駄文ですね。

 僕は今でも2010年代以降の新しい漫画も電子書籍でいっぱい読んでるんですけど、何か自分で、そういうこの頃読んだ比較的新しい漫画の読後感想とか書いて行っても、書いてる自分が楽しくないし、昔々や昔くらいの、少年時代、青年期に読んだ漫画のことを書くと、その頃の自分の生活やその頃付き合いがあった人たちや、生きた時代の背景とか、生活空間の背景を思い出して、とても懐かしくて楽しいので、昔々や昔の漫画を題材に取り上げて、自分の当時の生活の思い出をもの凄く多めに、ブログ記事を書き込んでます。

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