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●漫画・・ 「超犬リープ」..(2)

 「超犬リープ」は、1960年代の、秋田書店発行の児童向け月刊誌、「まんが王」の65年から67年に掛けて連載された、桑田次郎氏作画の当時大人気SF活劇漫画です。この記事は以前アップした、「超犬リープ」..(1)[2013-10/20]の続き記事になります。「超犬リープ」は50年代後半から70年代前半の時代、SF探偵漫画ジャンルでは圧倒的人気を誇った、この時代の手塚治虫、横山光輝と並ぶ、SF漫画の第一人者と呼んで然るべき漫画作家、桑田次郎氏が作画を担当していますが、ストーリー担当の原作者は後のカリスマSF作家、この当時はまだデビューして3、4年頃の、若き時代の平井和正氏の原作になります。1963年、週刊少年マガジンに、同じく桑田次郎氏作画で、原作者として発表したSFスーパーロボット漫画「8-エイト-マン」が大人気を博し、平井和正氏が、一躍脚光を浴びて、まだモノクロ放送だった当時のSFアニメ作品の脚本担当などをこなしていた頃です。平井和正氏が桑田次郎氏とタッグを組んだSF漫画作品は、素晴らしい名作が揃っていて、後にカリスマSF作家として大成するベースの片鱗が、この当時の漫画原作に見受けられます。

 僕が平井和正ストーリー作品に初めて触れたのは、僕が七歳当時の週刊少年マガジン掲載、SFロボットヒーロー探偵漫画「8-エイト-マン」でした。1963年の春頃のマガジン誌上で、まだ「エイトマン」の連載が始まって間もない頃です。お話としては第二話「サタンの兄弟の巻」で、まだお話の導入部くらいで、エイトマンが誘拐予告を受けたか誘拐されたアイドル歌手少女の女性マネージャーに変身して、サタンの兄弟に接触するようなエピソード部分じゃなかったかな、違ったかな。SF漫画の名作「エイトマン」は雑誌連載リアルタイム以降も、各コミックス単行本で何度も読み返してますが、実は僕は肝心の第1巻を手元に持っていません。だから「エイトマン」始めの頃のお話エピソードの詳細を、直ぐに調べて確認することが出来ません。あやふやな記憶だけでどうも済みません。この生まれて初めて読んだ週刊少年マガジンは、歳の離れた兄が当時の兄のクラスメートらと一緒にディズニー映画かSF洋画を見に行ったとき、幼い僕も映画館に連れて行ってくれて、その帰りにサンデー・マガジンを買って帰ったものです。兄貴は中学二年生か三年生頃ですね。

 SF作家・平井和正氏が桑田次郎氏と組んで発表した漫画作品は、マガジンの「エイトマン」の後が月刊誌まんが王の「超犬リープ」、そして週刊少年キング連載の大作「エリート」、講談社の週刊ぼくらマガジン連載の「デスハンター」になります。雑誌初出発表では、「エリート」が週刊少年キング65年8月で、「超犬リープ」は月刊まんが王10月号新連載ですから、「エリート」が1、2ヶ月先になりますね。漫画原作業での平井和正氏のワークは、「エリート」「超犬リープ」の後が、漫画の王様・石森章太郎と組んだ大作、67年、週刊少年マガジン連載の「幻魔大戦」。その後の平井和正氏の漫画原作業は、1970年の月刊別冊少年マガジン連載の「スパイダーマン」ですね。池上遼一氏作画の「スパイダーマン」の原作を手掛けるのは、連載途中からですが。週刊ぼくらマガジンの「デスハンター」で原作を受け持った後は、もともと本業である小説業の方にシフトして行ってますね。平井和正先生は、60年代末から70年代初頭頃からは小説執筆に力を入れ始め、「スパイダーマン」「デスハンター」の後は漫画原作の仕事はやってないんじゃないかなあ。「デスハンター」の週刊ぼくらマガジン掲載が69年70年ですから、実質、オリジナル漫画原作は「スパイダーマン」が最後だったのかな。無論、平井和正先生の小説作品で後にコミック化した作品は、70年代80年代以降もいっぱいありますが。

  日本SF界の巨匠の一人であった平井和正先生が、2015年1月17日、亡くなられました。先生は享年76歳でした。戦後、福島正実氏が基礎の土台を築こうと奮迅した日本SFで、星新一、小松左京、筒井康隆の日本SF御三家が登場し、その活躍が、日本の文壇・メディア・世間一般に“SF”を知らしめ、その膨大な作品量の功績で、一気に広く世の中にSFを認知させ、後続の次の世代として、平井和正、半村良、眉村卓、山田正紀、豊田在恒、横田順彌、鏡明、田中光二、堀明、かんべむさし、荒巻義雄、高千穂遥等々の、御三家の次の世代の登場を促し、この錚々たる第二世代メンバーが、日本SFを盛り上げてメジャーにし、70年代後半から80年代前半には日本にSFブームを起こしました。90年代以降、小説部門ではSFは下火になってしまいましたが、アニメやラノベなどの作品分野では、SFはファンタジーと共に根強く残り未だ盛況を保っていますね。ハードSFではなくて、ファンタジーやSF調な作風では、アニメやラノベではむしろ主流じゃないですかね。ハードSFやスペオペなどの本格的SFは下火になったままですが、現代ではSFは文壇に浸透していて、ミステリや普通の小説、ホラーにSFの手法を取り入れた作品も多いですね。例えばタイムスリップ、人格入れ替わり、超能力、近未来舞台、人造人間、ファンタジー、医学・科学の情報と知識、等々。現代作家の中にはさまざまなSFアイテムを駆使して、現代や近未来舞台でミステリや一般的小説を紡いでいる人も多い。中には時代劇でSFアイテムを使っている作家さんも居ますね。

 平井和正先生は、小松左京ら日本SF御三家に少し遅れはしたものの、ほとんど同時期に文壇で活躍し、SF小説の中でも、ハードボイルド・アクション分野の作風で、60年代末から70年代、主に若者読者の人気を惹きつけ、文壇で独自のポジションを築きました。特に「少年ウルフガイシリーズ」「アダルトウルフガイシリーズ」は、若者に大人気で大ヒット小説となりました。70年代末から80年代、独自の作風で大河SFとして「幻魔大戦」シリーズを小説リメイクして発表、物語はデティルを仔細に描きこみ、「真・幻魔大戦」は徳間書店の小説誌「SFアドベンチャー」の看板小説となって大人気連載が続き、角川書店の小説専門誌「野生時代」でも「小説・幻魔大戦」を看板小説として、毎回大増ページで連載して行きました。この両「幻魔大戦」シリーズも大ヒットし、若者読者を主体にベストセラーとなりました。

 僕は子供の頃は、「エイトマン」や「超犬リープ」「エリート」、石森章太郎漫画版の「幻魔大戦」という傑作SF漫画に熱中し、青年時は18歳のある晩、夢中になって小説「狼の紋章」を徹夜で読み上げたように、青年時20代前半、「少年ウルフガイ」「アダルトウルフガイ」シリーズや「悪霊の女王」などの小説を夢中になって読み、20代後半から30代初めまで、雑誌連載リアルタイムで毎号楽しみにして「真・幻魔大戦」を熱中して読み、また「野生時代」は時々しか購読しなかったけど、「小説・幻魔大戦」は当時の角川文庫で何冊も読んでます。平井和正先生は手塚治虫先生、小松左京先生ともども僕が影響を受けた小説家として、訃報を知ったときはショックでした。現代の進化したSFコミック、アニメやラノベの隆盛も含めて、平井和正先生の現代文壇やメディアへの功績は大きいと思います。平井和正先生は天国という光の世界へと旅立たれましたが、やはり残された僕ら往年のファンたちは寂しいばかりですね。

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※漫画・・2013-10/20 「超犬リープ」..(1)

漫画・・2016-12/28 「超犬リープ」..(3)

 

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●漫画・・ 「探偵桃語」

 「探偵桃語」は、80年代の双葉社発行の青年漫画誌、「別冊漫画アクション」に連載されました。連載期間は短かったと思います。コミックス単行本は86年の3月に、双葉社から全1巻で発行されてます。僕は雑誌初出リアルタイムで読んでますが、「別冊アクション」は隔週刊誌で、月二回刊ですが、だいたい毎号掲載で全九話まで続きましたが、不定期掲載になったこともあったような気もします。何年頃だろう?連載期間がはっきりしないのですが、84年か85年頃だろうか(?)。仮にすんなり毎号掲載で連載してたなら、約半年間の連載か。

 内容は、お色気コメディーみたいな漫画かな。ちょっとギャグ調の探偵もの漫画。後にTVドラマ化されました。
 
 桃栗産業という大きな会社の令嬢である桃子が、大の推理探偵趣味が高じて、お嬢様身分のワガママから社内に探偵部門を作り、会社社長直下の辞令で優秀な部下二名を配属される。令嬢・桃子の探偵趣味は、はねっかえりで危険をかえりみず、凶悪事件であろうとも核心へと向こう見ずにどんどん突き進んで行く。探偵部所長の桃子の行動が危なっかしくて見ていられない部下二人が、お嬢様・桃子のお守りをしながらも桃子を助けて、三人は事件の解決へと向かって行く…。というような内容のお話だったろうか。
 
 86年10月に、フジ系列の月曜ドラマランドで、当時大人気だったアイドルグループ、おニャン子クラブのメンバー、渡辺美奈代が主演の桃子を演じて、桃子のお守り役の探偵事務所の部下に、渡辺徹が配役されてますね。
 
 「月曜ドラマランド」は、どっちかというと子供向けぽいテイストの、まあ言い方は悪いんですが、ちょっと幼稚な雰囲気のファンタジーコメディーみたいなドラマでしたね。ターゲットの視聴者層は10代全般くらいかな。脚本の原作を、少年漫画や少女漫画から持って来た内容が多かったですね。あるいは、子供向けアニメの実写化のような。1983年から87年まで、フジテレビゴールデン帯の90分番組で、4年間も続いていたようですが、僕がTVで見たのは、86年87年に放送された番組だけですね。毎週見てた訳ではないから、その内何本かですけど。
 
 僕は86年の10月頃、東京の会社を辞めて故郷へ戻って来て、ここから1年ちょっとの間、今で言えばニートですが、昔はプータローって言ってましたが、プー状態でブラブラしてました。1年ちょっと経ってから、また働き始めるんですけどね。
 
 僕は東京-関東圏に居る間は、ほとんどTVを見ずに生活してましたから、フジの月曜ドラマランドという番組も知りませんでした。帰郷して親の家でTVを見てみると、巷ではおニャン子クラブが大人気、当時は毎日夕方、フジ系列でおニャン子クラブの看板番組が放送されてましたから、帰って来て脳味噌がかなり幼稚くなっていた僕は、毎日夕方の「夕やけニャンニャン」を見てました。当時はおニャン子クラブのファンで、ドーナツ盤のレコードも何枚か買って、「会員番号の歌」なんかもソラで歌えてました。おニャン子クラブから派生したユニット、「後ろ指さされ組」は写真集も持ってました。
 
 おニャン子クラブの解散が87年の夏場頃ですから、僕がファンとして熱中、まあ、僕もイイトシして熱中まではしてなかったでしょうが、まあ、僕がおニャン子に関心持ってたのは、せいぜい87年の初夏頃まででしょうね。調べてみると、フジテレビの「夕やけニャンニャン」が放送されてた期間は85年の4月から87年の8月までですね。最終回の放送が8月31日。と、すると、「夕やけニャンニャン」番組終了と同時におニャン子クラブは解散したんですね。
 
 「探偵桃語」の作画担当の三山のぼる氏は、デビューが81年で、僕が初めて三山のぼるさんの漫画を読んだのが、デビュー間もない頃の、小池一夫原作の連載作品、「臥竜恥記」でした。絵柄を一目見てファンになりました。デビュー頃の作品からもう、抜群に絵がうまかった。80年代90年代、僕は三山のぼる作品の大ファンでした。本当に三山先生の絵柄、タッチは大好きでしたね。
 
 調べ直すまで知らなかったけど、「探偵桃語」は原作があったんですね。原作者名は本田一景氏となってます。調べてみると、この方はもともと漫画原作専門という訳ではなく、どちらかというと堀井雄二というネームが有名な、本業はゲームクリエイター寄りで、メディア関係でマルチに活躍された方のようですね。ゲーム関係では、ドラゴンクエストの生みの親、とまで呼ばれる方のようです。
 
 僕は、この軽いタッチのコメディ漫画、「探偵桃語」が好きでしたから、別冊アクション連載時も欠かさず読んで、多分コミックス単行本も買って持ってたと思いますが、現在は消失して手元にはありません。渡辺美奈代さん主演のドラマも放送当時見てるのかどうか、現在、YouTubeなどで当時の放送分の映像が上がったりしてますが、TV放映時リアルタイムで見たかどうかは記憶にありません。三年もなかったんだから、当時は社会現象的に大人気だった、おニャン子クラブの活動期間は、意外と短かったんですねえ。
 
 
 
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