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●漫画・・ 「赤い風車」..(1)

 堀江卓先生は50年代から60年代に活躍された漫画家さんですが、特に50年代後半から60年代初め、当時の少年誌各誌で引っ張りだこの大人気漫画作家で、数誌に連載を掛け持ちで大車輪の如く仕事をされて大活躍されていました。昭和の児童漫画誌がまだ、月刊誌主体の時代の、指折りの超売れっ子漫画作家ですね。当時の月刊漫画誌が、何冊もの別冊付録の数とペーパークラフトのような紙製組み立て付録で競い合っていた時代の、各誌に、だいたい看板ランク級の活劇漫画を多数連載されていた、当時、とても画力と構成力のある、人気の高い実力派漫画家でした。一つの漫画誌に連載を二つ持っている、というようなこともありました。現代劇の探偵アクションものも多数描いていて人気がありましたが、堀江卓先生の代表作は何よりも最盛期の「矢車剣之助」や「天馬天兵」といった時代劇アクション漫画でしょう。この二作品はラジオドラマやTV実写活劇ドラマにもなっております。

 僕が漫画を読み始めたのが62年の終わり頃か63年初頭ですが、この頃には堀江卓先生のピークは一応過ぎていた感がありました。まだまだ月刊誌の時代で、じょじょに週刊漫画誌が台頭して来ていた感があり、63年夏に「週刊少年キング」が創刊される訳ですが、堀江先生は少年誌何誌かに忍者ものの連載や短編を描いてはいましたが、「矢車剣之助」大ヒット当時の勢いは見られませんでした。63年春の「週刊少年マガジン」に、TV実写時代劇の「隠密剣士」のコミカライズを掲載しますが、これもその年の夏頃までの短期連載で終わりました。TVの「隠密剣士」は世の中に一大忍者ブームを巻き起こすのですが、堀江卓氏描く漫画版はそれ程の人気も出なかったようです。ちなみにTVの実写時代劇「隠密剣士」は、第1シーズンでは蝦夷地方を舞台に忍者もののお話ではなかったのですが、第2シーズンから対敵組織を忍者の一群に設定してドラマ進行すると、これがオオウケして大人気で、ここから数年間「隠密剣士」のシリーズは忍者活劇ものとして、世間で話題沸騰、一大ブームを起こすのです。堀江卓さんの忍者もので後、憶えているのは、創刊当時の週刊少年キングに掲載された「忍者シデン」とか。

 僕が漫画を読み始めたときには既に月刊誌「少年」の「矢車剣之助」や、月刊誌「少年画報」の「天馬天兵」の連載は終了した後でした。僕は幼少時にTV実写時代劇ドラマでの「矢車剣之助」「天馬天兵」は何となく見ていた記憶がありますが、漫画版は大人になって何かの雑誌等に復刻掲載された分でしか見たことはありませんでした。僕は小学生時代は幼少時から講談社の月刊誌「ぼくら」を購読していて、「ぼくら」には継続して堀江卓先生の漫画作品が連載されていました。TVで実写アクションものとして放送されていた「スパイキャッチャーJ3」のコミカライズ作品、それから現代劇ヒーローアクション漫画「少年ハリケーン」、そして江戸隠密忍者時代劇アクション「赤い風車」、「ぼくら」掲載の堀江卓作画漫画で僕が覚えている最後の作品は、TV実写で放送されていた時代劇「黒い編み笠」です。「スパイキャッチャーJ3」の原作は早川書房の「エラリークィーンミステリマガジン」の初代編集長で当時超売れっ子ミステリー小説家だった、都筑道夫さんでした。「少年ハリケーン」も面白い漫画で当時の僕たち子供はワクワクしながら読んでました。この「少年ハリケーン」は設定が、59年頃に雑誌「少年」に連載されていた「ハンマーキット」によく似ていました。「ハンマーキット」の焼き直し的作品ですが、「少年ハリケーン」は毎号50ページ一話完結の連載でした。「少年」連載の「ハンマーキット」は毎月お話が続いて一話が大長編になるのですが、「少年ハリケーン」は言ってみれば短編連作の形でしたね。

続く。今回のタイトル「赤い風車..(1)」は「赤い風車..(2)」へと続きます。次回へと続く、のでした‥。

◆(2010-09/30)漫画・・ 「赤い風車」..(1)
◆(2010-10/18)漫画・・ 「赤い風車」..(2)

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