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●漫画・・ 「影」

Photo  またまたおそろしく古い漫画を取り上げて、大変申し訳ないような気分なんですけど、今回のお題にある「影」は、漫画作品ではありませんで、漫画本です。漫画雑誌というか、単行本のアンソロジー誌です。えらい古い漫画誌で、貸本時代の黎明期のA5貸本誌の草分けですね。貸本誌初の短編集本です。この漫画本、「影」から劇画が誕生した、と言っていいと思います。

 実は、辰巳ヨシヒロさんの「劇画漂流」を読んでいまして、単行本、「劇画漂流」は上巻が08年8月、下巻が08年12月に発刊された、劇画生誕50周年記念出版の漫画本です。上巻は読み終えて、今、下巻の3分の1くらいまで読んで来てます。作者、辰巳ヨシヒロさんは「劇画」という名前の名付け親です。劇画草創期の、劇画開拓者の主だったメンバーの一人です。この時代、やはり一番有名なのは、後の「ゴルゴ13」が代表作の、さいとうたかを氏ですが、劇画誕生の時代には、錚々たる有能な貸本漫画家が、多数存在しました。

Photo_3  戦後の漫画出版界で、在阪の貸本出版の草分け、八興・日の丸文庫がB6貸本漫画を経て、A5単行本を出し始め、実験的に貸本界にて雑誌形式のA5短編集を出版してみたのが、貸本アンソロジー誌「影」です。初めの頃はサブタイトルに「探偵ブック」と付いてました。「‐探偵ブック‐ 影」。この「影」の記念すべき第1集は、何と1956年の4月発行です。恐るべき古さ。今からだと漫画の古典と呼んでもいい古さですが、これが途中、日の丸文庫の倒産があって、10号で一度中断しますが、日の丸文庫が再起して復刊続行、何と1960年代後半まで、120集を数える程にまで発刊が続きます。ちょっと詳しいところを知らないのでゴメンナサイなのですが、既刊120号を越えるまでに、長期に渡って刊行が続いたと思います。発行は、だいたい毎月1冊刊行ですね。他に季刊的に別冊「影」も出ていました。

 日の丸文庫出版の貸本アンソロジー誌「影」は、最初の頃こそページ数は100ページちょっとくらいですが、後には貸本誌の中でも特にぶ厚く、普通に160ページ、180ページ以上、中には200ページ以上のボリュームを誇ることもざらにありました。その中で、貸本専業の漫画家が6人くらい、中・短編作品を描いています。作品の内容は、漫画と呼ぶよりも「劇画」作品が多く、お話は、当時の漫画界主流の月刊雑誌の少年漫画(児童漫画)とは違うカテゴリの、もっと上の年齢層を対象にした、児童漫画の幼稚な内容を嫌った、探偵サスペンスもの、ハードボイルド風アクションもの、本格推理もの、リアルな生活もの、暗く重いリアルな青春もの、SF劇画、などですね。雑誌漫画の、愉快おとぼけものや、ギャグ漫画は一切含まれず、そういった子供っぽい笑いを廃した、リアリティー重視の漫画作品集でした。

 劇画とは、手塚治虫が開拓した手塚ストーリー漫画から生まれて、手塚治虫が代表格の少年雑誌漫画とは全く違うカテゴリの道を、当時隆盛を極めた洋画・邦画の数多の映画作品に影響を受けながら、リアリティー重視を骨子として目指して行った漫画カテゴリです。劇画は子供対象ではない、さらに年齢層が高く、青年層・大人の観賞にまで耐えうる、娯楽漫画を目指したのです。いわば、現代隆盛の青年コミックのはるか昔の祖先的先駆けですね。

Photo_2  貸本の時代とは、その誕生期から衰退期まで、長目に見ても20年間もあるかどうかという年数の期間で、隆盛期は、1950年代半ば頃から60年代前半までといった、10年間に満たないかも知れないという、短い期間でした。その中で、日の丸文庫の「影」から「劇画」が生まれ(もっとも、辰巳氏が初めて『劇画』と銘打った作品が掲載されたのは、『街』という短編集でした)、貸本アンソロジー誌「影」の成功により、50年代半ばからまるで雨後の竹の子のように、東京・大阪・名古屋という都市部で、ニョキニョキと中小の貸本専門の出版社がいっぱい出来て、数々の貸本アンソロジー誌を出版し(勿論、同時に1作家1作品の単行本も大量に出版していた訳ですが)、やがてそれら出版社は東京に集約されます。「影」の体裁・内容を真似て追随する短編誌は、他に「街」や「迷路」、「摩天楼」「刑事」などなど、いろいろとありました。後に各内容ジャンルごとに短編誌も別れ、例えば怪奇アンソロジー誌では、「怪談」「オール怪談」「恐怖マガジン」「スリラー」などなど。青春ものジャンル誌では、「青春」「17歳」「ヤングメン」「ヤングビート」などなど。劇画界の雄、さいとうたかを氏が貸本出版ごと手掛け、早くから作画分業システムを取り入れたプロダクション制を敷いて、自らが編集長兼プロデューサーとして、配下の漫画作家たちと共に作画制作して出版していた、「ゴリラマガジン」。

 「影」の後続のアンソロジー誌の主要執筆陣は、発行出版社は違えど、どの短編集も、ほとんど同じメンバーの貸本漫画作家たちでした。漫画史的大作「劇画漂流」の著者、辰巳ヨシヒロさんもその中心メンバー作家でした。なお、日の丸文庫も「影」成功の後、当時大流行した剣豪漫画を集めた「魔像」という、時代劇アンソロジー誌や、特に明朗青春ものを集めた短編集「オッス!」などを出版してヒットを飛ばして、これらも何十巻も刊行を続けました。

Photo  そうして60年代も後半に入ると、少年漫画誌も月刊誌の時代が衰微して来て、週刊誌の時代になります。少女誌も同様です。また60年代後半には新書判コミックスが生まれ、今までには雑誌連載で特に人気のある目玉作品だけを、貸本形式のA5(B6)・130ページ前後で数巻発行していた、雑誌連載漫画の不完全な集約・まとめ出版を、B6小型(新書判)230ページ前後の新書判タイプで、連載をほぼ完璧に集約・まとめして刊行する、という出版形式を、各大手出版社が大々的に行い、新書判コミックスブームが到来します。これは同じ単行本でも貸本ではなく、セル用(限定)ハンディ単行本です。この時代のコミックス草分け、といっても一斉にどこどこと各社、勢いよく、大量に出版に乗り出したという感じですね。サンデーコミックス、講談社コミックス、ゴールデンコミックス、コンパクトコミックス、ダイヤモンドコミックス、ヒット(キング)コミックス、サンコミックス等等ですね。高度経済成長の波に乗り勢いづいて来た国内の経済は、庶民の生活も豊かになって来て、漫画本は賃借りして読むものから、購読するものに、雑誌は買って読み捨てるものになりました。そしてここに貸本終焉の時代が到来したのです。貸本界は最後のあがきを見せて、60年代後半、大手出版社と同じようにコミックスの刊行に乗り出します。多くは、貸本のコミックス化です。A5版130pからB6小型新書判230pへ。しかし、貸本業界は終末期を迎えていて、今さらどうにもなりませんでした。コミックスは失敗し、貸本は消滅します。もっとも、貸本出版社であった若木書房は、ジュニアコミックス・ティーンコミックス等のセル出版で残りますし、ひばり書房も貸本時代のお家芸で、専門的に刊行していた怪奇ホラー系ジャンルの漫画を、貸本出身の作家中心に、ひばりコミックスを刊行して生き残ります。この時代、日の丸文庫もハイコミックスを刊行していて、確か「影」も1、2冊程度は(もっとかも知れないけど)、新書判で刊行されたんじゃなかったかな。

 今回は、昭和の漫画時代の黎明期、A5スタイル貸本の草分けで、「劇画」誕生の場である、貸本アンソロジー誌の先駆け存在の短編誌、「影」をお題に昔々の貸本文化の一端を書き込んで来た訳なのですが、実は、僕は、子供の頃毎日、貸本屋に通っていて必ず1日2冊づつ借りていたのですが、「影」の存在自体は特にぶ厚い貸本で、よく知っていたのですが、ちゃんと読んだことはないんですね。どういうことかというと、僕が貸本屋さんに通っていたのはだいたい6歳から10歳か11歳頃までなんです。まだ幼い子供で特に幼稚な僕は、勿論、カッコイイ正義ヒーローが大好きで、シンプルなお話の漫画作品を好んだ。「影」に収録された漫画作品はちょっと難しかったんですよね。もともと、当時大盛況の洋画・邦画の影響を受け、児童漫画の幼稚さからの脱却と、青年層・大人の観賞にも耐えうる内容を目指し、リアリティーとシリアス味を追求して始まった「劇画」の発表の場であった、「影」の掲載作品の内容は小学生のしかも低中学年では理解は難しかったし、僕本人もまるで面白くなかったから借りなかった。という訳です。ろくに読者でもなかったのに、解説げに語るのはインチキ臭いけど、まあ、貸本は僕の、懐かしくてたまらない心のふるさとですから。

 まあ、僕も小学校1年生から貸本屋に毎日通っていたのは、歳の離れた兄貴と、当時の住宅の前にオヤジが所長を務めていた事務所があり、そこで働く若い職員のニイチャンたちが、貸本漫画の愛読者なので、最初は、子供のお使い感覚で毎日行ってたんですが、その内に漫画狂になってしまった僕は、雑誌も貸本も漫画が最大の興味で娯楽となる。そんな僕の素晴らしきオアシス、貸本屋さんも、やがて僕が小学5年生の頃かになくなってしまう訳でして。後年、日本漫画界の野球漫画ジャンルの第一人者として、「ドガベン」「あぶさん」他無数というくらいの野球漫画で一世を風靡する、野球漫画の大巨匠、水島新司氏も、最初は日の丸文庫の新人賞優勝から貸本デビューして、日の丸文庫の「オッス!」の常連の描き手であり、「影」にもデビュー期の力作を発表していました。

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