岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

寒い遠野路

2019-02-06 17:54:03 | いなか暮し

 山々に囲まれた遠野盆地は、寒い所とよく言われている。
 寒い所は、寒い時期に訪れるのが一番と、立春前の、特に冷えた寒い日に訪ねた。
 朝から強い風が吹き、時折地吹雪の舞う、遠野は、さすがに寒かった。
 確認したいこともあって、先に小友町を訪ねた。
 夏休み、子供たちと、花巻から高田方面に、海水浴に行くときは、必ず通った街、道の両側の水路は、大量の水が流れ、羨ましいと思っていたが、今でもその流れは変わらない。
 バイパスが通り、車の流れは少なくなったが街並みは昔のままだった。

 遠野の街に入ってから、遠野の八幡さまをお詣り、御朱印を頂いてから、今日の目的に向かう。
 車は道端に停めて、細い雪の山道は、人の足跡はまったくなし、ウサギだろうか、動物の足跡をたどって横田城跡へ、遠野十二郷を治めた阿曽沼氏が、遠野中心部に移るまでの400年近くを、代々、この場所に住んでいたと言う。
  朽ちたお堂のそばに、明らかに人の手で植えられた思う桜の老木が2本。
 今でも花をつけるんだろうか。
 高台のこの城から、阿曽沼氏代々は治める、遠野盆地を一望していたことだろう

 城跡から、車で数分の移動で阿曽沼一族が祀られてるお墓を訪ねた。
 阿曽沼十四代、広長は慶長4年(1627)南部利直と共に上杉景勝攻めに出陣した。
 その留守を狙って3人の逆臣がお城を奪った。
 その後、広長は遠野を奪い返すべ、く再三遠野に攻めいったが利あらずして滅びた。
 3人の逆臣は、その後、ほんの短い間、栄華を誇ったが、いずれも不都合あったとして、利直により、切腹、病死取潰し、お家断絶等々、結局、最後は遠野納めたのは南部侯の一族となった。
 3人の逆臣のうち、1人が、我が一族の先祖に当たることがわかった。
  400年程前に、我が一族の先祖が主君を裏切った事に
             お詫びの参拝をした。

 その後、資料館や鍋倉公園を訪ねて「風の丘」で土産を買った頃には、もう日暮れ近く。
 遠野は「奥が深い」、春までにもう一度訪ねようと思う。

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