起点はどこで、終点はどこかはわからないが、我が里の北東部、旧隣村との境を走る関口街道という道がある。
456号線、新幹線下の添市川の橋から東に東和町入口までの約6㌔ほど。
走り始めて間もなく、道とは異なる方向を向く石鳥居は昔の道なりだったんだろう、額束に「八雲神社」と記されているから、かって栄えた幸田の「お天王さま」の入口に違いない。
鳥居をくぐって、大森山の麓から三郎堤の新堤を通り「お天王さま」にお参りしたのだろう、かっての道筋が今でも残っている。
市の焼却場を右手に木立の道を数分、やがて開けて牧場や新興住宅が並び、その先に変形交差点があり、右手に折れると釜石線小山田駅、
この交差点、一方通行があったりの変形、中心部に少々ややこしい三角の空き地がある。
天保7年というから180年程前の百姓一揆の指導者、吉田宋恕と弥太が、ここで打首にされた場所と言われている。
三方塚と言われるこの場所、かっては首切り松長根とも呼ばれたと言う。
此処は、旧稗貫郡の矢沢村、八重畑村、和賀郡の小山田村の接点であり、見せしめに、この小高い場所で処刑されたのだろうが、その跡と思われる塚や石碑は残っていないので処刑の場所とは想像しにくい。
道はこの辺りから田瀬ダムから流れる、大きな用水路と並行して走る。
昭和30年代、ダムの水の到着と共に、広大な山が拓かれて、田んぼに替わり、多くの田んぼが道の両側に広がる。
拓かれた田んぼは今、中山間地指定を受け、休耕地が多いが、手入れが行き届いた美しい棚田風景が続く。
良く晴れた日には道沿いに牛を放牧する風景が見られる。
更に東に進むと小高い地の利を生かしたと思われる人気のパティスリー「カノン」
孫と一緒の時は此処のお店のお菓子は避けては通れない。
道はさらに東進、左手にビニールハウスが続き、左手には拝峠から続く早池峰山が美しい姿を見せている。
四方見渡せる道沿いには、最近おしゃれな家が多くなってきた。
コーヒーを飲みながら、窓から望む風景は羨ましい限り。
終点、東和町土沢近くなって右手にはビニールハウス郡が続く。
贈答品として人気の高級ぶどう、「紅伊豆」の一大産地は花巻市幸田の農業後継者が栽培している。
ぶどう畑の向こうは胡四王山、その奥には奥羽の山並みが続く。
車で10分ほど、高原地帯を走る関口街道は味のある道である。