釜石線を走る人気の「SL銀河」、12月第一週の土日運転で今季の運行を終了して、来春から再び運行を始める。
ただ、客車両が古くなり再来年の春限りで引退するらしい。
居宅として使われなくなった、築150年余りの母屋は物置として使用、いつかは解体されるだろう日を待っている。
時には、片づけをと整理していたら、金属のコップ状のものに30㌢ほどの柄のついたものを見つけた、見たことがあるが?・・
終戦直後の物も、お金もなかった時代に、訳あっておじいさん、おばあさんに育てられた、その可愛い孫3、4才頃、ろくな食べ物もなかったのか、虚弱気味の一粒種の、孫のためにと、おじいさんは、子を産ませて、牛乳を孫に飲ませようと乳牛を飼い始めた。
赤毛の小型の牛だったから今でいうジャージ種だったろう。
やがて子を産み、牛乳がタップリ飲めて、孫も元気になった頃、成長した子牛は売り払うことにした。
馬喰と呼ばれる家畜商が訪れ、商談が成立して、子牛を連れて帰ろうとした。
ところが子牛は親牛から離れず、親牛も何事かと、忙しく動き回る。今日まで母牛といつも一緒だった子牛は、涙さえ浮かべているように見えた。
どうしても離れずに困っていた時、おじいさんは「母牛も連れていけ・・」
つい3、4年前に次男を23才の若さで戦死させ、翌々年にはその兄、その子の父が29才で病没して、老いたおじいさんと、おばあさん、そして孫が残された。
おじいさんの、その思いが牛の親子を離ればなれにすることは忍び難かったのだろう。
柄のついたコップ様なものは、飲みきれなかった牛乳を、大きな鍋で温めて近所にお分けするときの1合桝だった。
鍋から、この桝で牛乳を計り、おばあさんが瓶に詰めていたことが思い出された。
75年ほど前・・・・遠い遠い昔に話である。
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