2013.01.01 川崎市
大晦日の昨夜は、美輪明宏さんの「ヨイトマケの唄」の絶唱をテレビで接し幸福な気分にひたったまま寝床についた。
「ヨイトマケの唄」に圧倒されてしまうのは、まずは、その歌詞にある。小学校に通う幼い少年が学校でいじめられ学校から逃げ出してきた町中での道すがら・・・おそらく泣きながらであっただろう。少年は、かあちゃんを見た。
男たちに混じって土方仕事で綱を引く「かあちゃんの働くとこを見」てしまった。
この一節にこめられた、劇的内実が、私の心を撃ってくるのである。少なくても、わたしにとっては、そうだったし、そうとしか言いようがない。わたしはヨイトマケという言葉はよくは知らない。その代わりと言ってはなんだが、昭和30年代当時、私のかあちゃんはニコヨンだった。日給254円の失業対策と銘打たれた土方仕事に出ていた。そうして、私を育ててくれたのである。
ふんで、かえすがえすも、うそつき民主がやったことは、言葉への反逆というか、言葉への裏切りというか、言葉の無意味かというか、言葉を徹底的にないがしろにしたことだな。
だから、言葉が民主に逆襲する。
比較第一党なんてとても無理のまた無理だってことを民主は思い知ったことだろう。
これが、言葉を大事にし、言葉を大切にする気持ちが民主に少しでもあればまだ悲惨な惨敗は免れたかも。
嘘つきはきっちり、世間から罰を受けることなのだ。
はじめに言葉ありき、だわさ。
がははははは。さって寝よ。
よいとまけのうた。スゴかっただね~~。
おつむりの黄色い、ちょっと如何なモノかはのカンジで歌われるのかと思っただけど、ヘンシンなさってらしって、『もののけひめ』の山犬のモロだたっけか、チガウ意味で尋常ならざるカンジで良かっただ。シンセンな驚きだた。ケッコウなお年だしょう?
本年77歳の美輪さんは、三島よりお年上なんだすよね?
チガウ?
まっ、どうでもいいがにゃ。
さって、寝よ。
昨日まで掃除やってたから、今日は映画を見に行かねば。
とりあえず「レ・ミゼラブル」を見てこっと。
三輪は1935年5月15日生まれ。
三島が1925年(大正14年)1月14日生まれだった。
すらべてみればすぐ分かる。
三島が10才年上だわさ。
すかす、なんでNHKは去年、この「ニコヨンの唄」を紅白でやらなかったかね。
この唄が去年流れていれば、もっと早く、株価もそれなりに上がっていただろうし、国民は復興がとろい民主を政権から追い出していただろうに。
そうはいっても遅まきながらもこのニコヨンの唄が紅白で流れてわたすは嬉しい。
わたすはわたすはニコヨン大好き。ニコヨンに未来あれ!
古腹君も、ニコヨン風情の田子作一味および童貞一族を、あまり挑発しないように。
それから、後々のことなれば、
ニコヨンとかヨイトマケその他特定外来種は殺処分しなければならない。
プライドの高い韓国や中国はおだてておくにかぎる。
口先だけならカネもかからない。
機密文書がネットでもれたというのはのっぴきならない。
ゾルゲ事件と同じだな。
ま、政権交代したから、それまでの政府の方針とは変わるからええけど。
政府も警察もハッカーに手も足も出ない現状が悲惨なのだ。
かくゆうわたすもカードの番号をハッキングされた。
いきなりカード会社から電話がかかって、最近、10万円の買い物をしたかと聞かれ、なんのことかと思ったら、わたすのカードの番号で、合計14,5万円の買い物がなされていた。
わたすが買っていないと答えると、カード会社は、じゃ、カードを停止します、といってカードを停めたのだった。
あの連絡がわたすの会社にあった時は焦りまくったね。
で、すぐに差し替えの新しいカードが送られてきたし、もともと、そのカードでは買い物をしていないし(だからカード会社がハッキングとすぐに判ったことだろうが)、カード会社は自分で被害届を出したりして、わたすにはなんら被害がなかったから問題はなかったけど、ぞっとしたね。
以来、ネットでの買い物は代引きにしてる。月賦だったりすたら、身を誤る。
昔は月賦が流行ったけんど、代引きにすると手数料を取られたけど、昔と違って、いまは、送料も代引き手数料も取られないから、昔とちがって、いまはカードは使わずにもっぱら代引きで現金支払いだわさ。
日本はネット後進国なんよね、月賦ボケというか平和ぼけというか、世間の荒波を知らないというか、小沢一郎のような悪知恵悪党にころっと騙される。
人を見たら泥棒と思おう。わたすを見かけたら、泥棒と思うのは、フルつぁんだけだ。
あせ あせ くわばら、くわばら。
んで、今日は、ネットで発注した、ふとん専用ののダニクリーナー「レイコップ」とトイレ・クリーナが届いたのだった。
双方あわせ、しめて1万6千180円。
現金で佐川に支払ったのだ。
送料、代引き手数料なし。いつもニコニコ現金払いこそ信用できる。
佐川は安心できる。
ブサヨは貧乏を社会の所為になすりつけるが、世の中に文句を言ったところで貧乏が解消するはずもない。
文句を言う前に、みな、街に出て働いたのだ、重労働に耐えながら。
そんな社会の底辺からの視座で世の中を見れば、「きれいな唄」も「きれいな声」も、二流でしかない。
「世界一」の唄や声は、別にある。
なにかと見せかけのきれいな唄や声を世界一と勘違いする、一流がなにかを見分けることの出来ない未熟な若い人が、この思想歌に感化されることがあったとしたら、そりゃ、これからの日本も少しは良くなる方向に変わっていくことだろう。はい。