銚子・角巳之・三代目

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武士道!

2010年07月07日 | 日記・エッセイ・コラム

018 武士道と云うは死ぬことと見つけたり....。最近“武士道”が再ブームになっているようです。冒頭、“葉隠”の一節や新渡戸稲造、はたまたワールドカップの“侍ジャパン”....。ナショナリズムとか難しい言葉を持ち出すまでも無く、何となく日本人として....。時にそれらは失われた数十年ですっかり自信を無くした(かのように見える)日本人のアンチ・テーゼとして現われ、竜馬伝など、幕末の志士達に想いを馳せる時、あたかもそれらが....。武士道とは突き詰めていくと“始末の付け方”、さらに自主自立、自主自尊に行き着くのだそうです。まさに行蔵は我に・毀誉は他人の主張であります。常に言い訳を用意し、人から言われて動き、それでいながら文句ばかり...。どうせ~が決めたことだから....と。自主自尊の正反対ですね...。選挙も近づき、候補者の方々からも幕末の志士など、武士道に関する引用も多くなっているように思います。ならば...。幕末において、270年の制度疲労からもはや自力で国を統治することが出来なくなっている江戸幕府....。フランス陸軍と近く、助力を願えば助け舟が出てきたこと必定。対する薩長はイギリス海軍と近く、これまた助っ人を....。幕府、薩長共に、この時代の為政者に武士道精神が宿っていたと言われるのは、ともに強大な軍事国(フランス・イギリス)の助力をお願いできる立場にいながら、決して助力を願おうとしなかったこと。要するに自分達“だけ”が生き残ろうとして、日本をフランス、イギリスの代理戦争の場とさせなかったことだ....。20数年前でしょうか、歴史の先生の言葉を思い出しました。為政者達が目の前にある現実のその先....。その先にある世界観を描くことが出来ず、幕府、薩長のお家安泰だけを考えていたら、歴史を見るまでも無く、強大な軍事国家の餌食となっていたであろう....と。武士道ブームの再来は世相でしょうか? ある経営者向けの雑誌の中で紹介された武士道、それは7つの“セイ”で表される....と。曰く、清・誠・正・制・静・生・省...。続きは次回に。写真は銚子から旭に抜ける農道にて。一面のキャベツ畑が今ではすっかりトウモロコシ畑に変身。雲の形も、ああ夏ですね~。銚子に戻って5年、雲の形で季節を知る...自分のそんな一面に驚いております。