世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

優雅な踊りはこちらにも、越中おわら風の盆の町の八尾は丸い石積みの崖の上にありました

2008-07-06 16:49:46 | 日本の町並み
 頭に和紙でできた灯篭を載せて優雅に踊る盆踊りが行われるのは熊本県の山鹿でしたが、胡弓と三味線の哀愁の漂うおわら節にあわせて優雅に踊られるのが「おわら風の盆」です。今回は、「おわら風の盆」の会場、富山から高山本線で25分程度南に下った越中八尾(やつお)を紹介します。

 八尾は、市町村合併で富山市の一部になっていますが、2005年3月までは人口2万人程度の独立した町でした。八尾の古い町並みは、JR高山本線の越中八尾の駅から南へ2kmほど井田川を渡った丘の上にあります。河岸段丘上の斜面は、丸い石で覆われていて、角張った石垣を見慣れた目には新鮮な景色に映ります。

八尾を有名にしたおわら風の盆もこの丘の上の比較的狭い場所で行われるようです。風の盆が行われる当日に訪問できなくても、その様子は曳山展示館のビデオなどで見ることができます。曳山記念館は、3月に行われる曳山祭りで使われる山のうち半分の3基を展示していますが、併せて風の盆の紹介も兼ねているようです。
 おわら風の盆の起源は江戸時代に遡るようで、踊りの種類も豊年踊りと呼ばれる旧踊りと、昭和初期に日舞要素を取り入れ洗練化された新踊りがあります。祭りは3日間行われ、町の人口の10倍を超える観光客が、狭い所に押しかけるので大変とのことです。よほど幸運でもない限り、踊り手の姿の全体像は見れないようです。いまほど、観光化されないときには、観光客向けの踊りが済んだ深夜に、町民だけの踊りを楽しんだそうですが、現在ではそれとて観光客の擾乱を受けてままならないそうです。三味線に加えて胡弓の音色が加わり、どことなく物悲しく、優雅な動きの女踊りが人気の秘密のように思います。たまたま、曳山記念館でであった中学生のグループがおわらを研究目的で来館していたようで、町の古老のお話とおわらの演奏のさわりを傍受させてもらいました。ここで紹介している情報のかなりの部分が、その時にお聞きした内容です。


 風の盆の踊り手が町流しを行う、丘の上の古い町並みの真ん中あたりにある諏訪町の通りは日本の道百選の一つで、格子のある家並みが続いています。

 この諏訪町の通りに限らず、付近一帯には格子の木組みが美しい家が多く、写真を撮っているときりがないほどです。旅館であったり、

造り酒屋であったり、食べ物屋さんであったりします。風の盆でない時期に行くと、ほとんど行きかう人とも出会わず、たまたま雨の日でしたが、小雨に煙る町並みは日本の湿度を感じる風景でした。

 また、町並みの通りの角などにおわら発祥の地の石碑があったり、

大きな石をくりぬいた中に地蔵と思しき石仏が収められたりしています。

 「おわら」とは、7,7,7,5の音律で謡われるおわら節の最後の5文字の前に挿入される囃子言葉が「おわら」と発声されることからの呼び名ですが、よく聞く「よいよい」や「はいはい」などとはずいぶんと様子が違うようです。日本語の文章は、和歌でも俳句でも音韻数の韻律を踏みますが、必ずといっていいほど母音を含み、短い文でも背景まで伝えることができるからでしょうか。かつてのポケベルや携帯のメール文化が華やかなのは、このあたりにも根っこがあるかもしれません。短文のメールによって、余韻を残す文化となるのはいいのですが、舌足らずになってしまっては困りものです。


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