世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

壱岐の中で旅客船ではなく漁業の港として栄えている勝本浦には海に沿って弓なりに通る旧道沿いに平入りの古民家が軒を連ねます

2024-02-11 08:00:00 | 日本の町並み
 室町時代に始まって江戸時代まで続いた朝鮮通信使の最初の寄港地が対馬でした。対馬には通信使ゆかりの施設が残り、現在も韓国の観光客が島中にあふれている感じがします。この通信使一行は、港伝いに大阪まで行って、最後は江戸まで到達していたようですが、今回は通信使が対馬の厳原の次に寄港をした壱岐の勝本を紹介します。

 壱岐は北側にある対馬が南北に長いサツマイモのような形をしているのに対して、ジャガイモのような丸い形をしています。いくつかある港のうち、最も開けているのが南西にある郷ノ浦で、島内の路線バスの大部分は、この郷ノ浦を起点にしていますが、バスの本数はきわめて少なくて、最も頻繁な路線でも2~3時間に1本の割合です。路線バスのメインは郷ノ浦を出て郷ノ浦に戻る一周路線で、右回りと左回りがあり、ほぼ中間にあるのが島の北端の勝本です。壱岐の中で対馬から最も近い港なので通信使の2番目の寄港地になっていたのかもしれませんが、対馬と違って、使節使関連の遺構は見当たりませんでした。

 
 
 壱岐には九州からや対馬からの客船が入港する港は3港ありますが、勝本港は基本的には漁港なので客船は入港しませんが、辰の島行きの観光船が出ています。この辰の島は、玄界灘に浮かぶ無人島で、夏の間は海水浴客でにぎわうようで、海水浴客用の施設も用意されているようです。海水浴シーズン以外でも魅力的な島で、海の色が絶品なのです。また、上陸してハイキングで行く蛇の谷の絶壁も一見の価値ありで島の周りを遊覧して上陸するユウランコースはお勧めコースの一つです。ただ、蛇の谷の絶壁は高所恐怖症の筆者は少々怖かったのですが。

 
 
 
 
 
 
 この勝本浦は、朝鮮通信使の寄港地というだけでなく、秀吉の朝鮮出兵の補給基地として、また江戸時代には鯨量で栄えた壱岐の中では早くから発展した港だったようです。最近ではブリやイカなどの沿岸漁業の基地といて潤っているようです。この、勝本浦の古い町並みですが、漁港に至る旧道沿いに平入りの民家が軒を並べています。バスなどの大型車は、旧道より海寄りの道路ができて、この旧道には入ってきませから、川越のように車を気にしながら散歩する必要はありません。この町並みでは朝市が観光客を読んでいるようですが、訪問した時は昼前だったので、ほぼ店じまい準備状態でした。ちょうど、近くの神社のお祭りだったようで、万国旗が道路を横切ってまで飾られていて、ちょっと古い町並みにはそぐわない風景の感じもしました。

 壱岐の島内を走る路線バスは過疎化に加えて運転手不足が追い打ちをかけて、路線の維持が難しいと乗車した運転手の方が話していました。路線バスのマインルートと思われる一周路線でも、乗客は10人どころか数人で、途中で下車した後は乗客無しで走り去っていました。路線バスが不便だから、自家用車を利用し、そのことが乗客の減少を招いて、バスの本数が減って、さらに不便になるといった悪循環です。無人運転の技術が進んでいますが、田舎の細くて曲がりくねった道路で、どこまで安全に走れるのか疑問です。観光客はレンタカーかタクシーを使い、住民は人が動かないで、物を動かすようにしたほうがいいのかもしれません。


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