世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

現役で使われている平入りの家並みが街道沿いに続く旧高島町です

2011-11-13 08:00:00 | 日本の町並み
 九鬼氏の城下町が明治期にグンゼの企業城下町となったのが京都府の綾部でした。ある企業がかつての城主のような存在となっている町はかなり多いようですが、企業の拠点は存在しないにもかかわらず、その企業の名前の一部になっている町もあるようです。その一つが、高島市で、今回は旧高島町周辺を紹介します。

 高島町は、百貨店の高島屋の名前の起源になっている町ですが、高島屋創業の地は京都烏丸で高島町ではありません。創業者の養父の出身地が高島町だったことから命名されたようです。さて、その高島町は、滋賀県の琵琶湖西岸のほぼ中央に位置し、2005年に安曇川町などと合併して滋賀県第2の面積の高島市となっています。町の骨格は、織田信長の甥が築いた城を中心とした城下町で、江戸時代には北国街道や琵琶湖の舟運の要として繁栄したところです。
 実は、高島町を訪れたのは10年ほど昔で、さらに湖西を北から南に途中下車をしながら訪問した町の一つの町でした。したがって、高島町の記憶の詳細はかなりあやしくなっているので、内容の誤りがあってもお許しください。また、10年の間に、高島町から高島市になるなど、状況そのものも変わっているかもしれません。町の雰囲気は、白壁の土蔵造りに格子のある平入りの家並みがずいぶんと多かったという印象です。
 古民家のいくつかは「びれっじ」の看板が掲げられていて、お休みどころなどになっています。当時は2軒ほどでしたが、現在は4軒にになっているそうです。京都の町家では、間口税のために、間口が狭く奥に深い「うなぎの寝床」風の町並みが多いのですが、高島町では、間口の広い家々が多いように思います。残っている民家が、街道沿いの商家だったのかもしれません。

 通りに面した民家は、造り酒屋であったり、普通の商店であったりします。造り酒屋があるということは、ここには良い水源があるという証拠で、比良山系の伏流水が、このあたりに湧出するようです。川端と呼ばれる炊事場システムによってこの自然の恵みを享受され、この川端と呼ばれる水場を巡回するボランティア・ガイドが案内するツアーもあるようです。


 「びれっじ」となっている古民家以外は、博物館的なものではなく現役の民家であるところも好ましい町並みです。博物館になってしまった古民家では内部の見学ができるなどの利点がありますが、なにか遺体を見るような感じがします。それに比べて、現役の民家では、内部の見学は無理ですが、生きている町の活気のようなものを感じます。

 このような古民家が続く高島町ですが、駅前に異様な像が立っていて驚かされます。JR高島町駅から西に10kmほどの山麓にガリバー青少年旅行村というのがあるようで、その看板的な像です。ガリバー旅行記にちなむ宿泊施設を伴うテーマパークで、村内には旅行記にちなむ小人の国や大人の国など5つの国がつくられているそうです。

 ガリバー旅行記は、小人国の部分が有名になり、子供のためのお伽ばなしのように扱われています。しかし、作者の意図はお伽ばなしでカモフラージュをした、イギリス社会に対する強烈な風刺を含んだ物語です。作品が書かれた18世紀は、作者の出身地のアイルランドは、イギリスから一方的に搾取されていました。そのイギリス社会に対する風刺文学がガリバー旅行記で、第4編までを丁寧に読めば巧妙に仕込まれた風刺が分かるのだそうです。巧妙に仕込まれたといえば、コンピュータのウィルスもスパイウェアもどんどん巧妙になり、アンチ・ウィルス・ソフトとのイタチゴッコが続きます。仕込まれるのは風刺だけにして欲しいものです。


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