世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

山手という地名のある町は、中華街のある町と一致するのですね、横浜山手

2008-07-20 16:44:39 | 日本の町並み
 「おわら風の盆」が踊られる越中八尾は、井田川から丸い石の石垣を積んだ丘の上にありましたが、横浜港を見下ろす丘の上にあるのが横浜山手です。このコラムでも紹介した、神戸の北野町の隣には山手という地名があり、長崎にも同一の地名があります。そして、この町のすべてに中華街があり、関羽を祭る寺が存在する(横浜、神戸は関帝廟、長崎は興福寺と崇福寺)ことも共通しています。今回は、横浜の山手一帯を紹介します。

 横浜の山手は、神戸の山手のように背後に迫る山の麓というよりは、独立した高台といった感じがします。南に向かってのみ眺望が開ける神戸と違って、港の見える丘公園などからは、かなり広い範囲の眺望が楽しめます。明治時代の早くから開けた港町のため、明治期の洋館や遺構が残っています。港の見える丘公園の裏手にはフランス領事館の遺構が残っていますが、残念なことに建物は戦後すぐに不審火で焼失し、コンクリートの床や壁の一部が残るのみです。そばに、井戸水をくみ上げるために使われたという風車が再現されています。

 フランス領事館跡から峰伝いに東に進むと、近代文学館の手前に山手111番館や横浜市イギリス館が丘の起伏をうまく利用して建っています。

建物だけでなく、窓から眺める庭園も窓枠の額縁効果で、一段と素敵に見えます。

このイギリス館も領事館の遺構なのだそうです。神戸の異人館は1軒を除いてすべて私邸ですが、首都圏に近い横浜では公的な建物の遺構も多いのかもしれません。

 坂道を下ったり上ったりして、元町公園の上に出ると山手234番館、エリスマン邸それにベーリックホールさらに公園への坂を下りると山手80番館の遺跡などがあります。エリスマン邸は白と青緑の色合いがさわやかな建物ですが、この建物の持ち主は転々として、いったんは解体の憂き目にあったそうです。

建物の歴史的な価値の高さに、横浜市が譲り受け、現在の地に移築復元をしてということだそうです。

 一方のベーーリックホールも、取り壊される寸前までになった建物のようです。戦後に寄贈を受けたカソリックの宗教法人のインターナショナル・スクールの寄宿舎として使われてきましたが、スクールが突然閉校となり、寄宿舎も取り壊されるはずでした。

幸い、横浜市が建物のある土地を取得して、そこに立つベールックホールも寄贈を受け、一般市民に公開されるようになったとのことです。

 このベーリックホールの窓で切り取られた風景と窓の格子の組み合わせが綺麗でした。

横浜山手の異人館は、さらに南に続きますが、筆者の散歩はとりあえずここまでで、残りは後日に再訪ということにしました。

 公開されている異人館の大部分は、無料で入場でき、大部分の異人館が有料の神戸とは異なります。市の財政の豊かさの差なのでしょうか、考え方の違いなのでしょうか、一概にどちらが良いか判断するのは難しいところです。ただ、以前にもこのブログで書きましたが、神戸の北野町にはびこり景観の統一感を乱すお土産屋の氾濫が、横浜の山手では見かけませんでした。

 
 横浜、神戸、長崎に共通する山手の異人館の遺構は、関羽を祭る寺それに中華街という共通項も持っています。明治期の舶来文化は、西欧からやって来て異人館群を残しましたが、日本の文化のルーツは奈良朝の頃からからずっと中国だったわけです。異人館のある町と、中華街のある町が一致するのも、偶然ではなさそうです。現在の日本はITを中心とする技術力で、かつての文化の源であった中国のしのぐ勢いですが、どうも最近はその繁栄に胡坐をかいている感じを受けます。技術や経済など猛烈な勉強をして力を蓄えていると言われる中国の若者との競争に勝ち残れないのでは、と考えるのは思い過ごしでしょうか。


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