世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

木蝋で栄えた内子の重伝建地区の古民家群は圧倒されるボリュームです

2020-06-07 08:00:00 | 日本の町並み
 おはなはん通りを中心に小さな流れに沿った古い町並みが残るのが大洲でした。この大洲は、予讃線の海線と山線が再合流する地点でもありました。山線の方は、内子までで行き止まりの内子線という盲腸線でしたが、予讃線をショートカットする線として大洲まで延伸され、現在では特急列車は山線経由で運転されています。今回は、かつての行き止まり駅であった内子駅の周辺を紹介します。

 内子は松山から予讃線の山線で1時間足らず、特急だともっと短時間で着いてしまうでしょう。前回紹介をした伊予大洲からは15分、人口1.5万人ほどの町です。ハゼを原料とする木蝋の生産で栄え、駅の北北東の八日市護国地区は重伝建に指定されています。重伝建地区の中心をなす芳我家などの豪商の家々は重文に指定されているものもあって、見どころいっぱいです。

 
 
 駅を出て東へ2ブロック行って本町通へ左折して北東方向に進むと橋があり、桜の季節には土手に植えられた桜並木がきれいです。さらに進んで左に入ると内子座で、大正年間に歌舞伎や文楽を上演する劇場として建てられたもので、現在も現役の芝居小屋として使われています。重要文化財の建物は、内部の見学が可能で、桟敷席の様子だけでなく、舞台の下に入って、回り舞台やスッポンと呼ばれるせり上がりの構造を見ることができます。

 
 
 
 
 本町通に戻ってさらに進むと、商いと暮らし博物館のあたりから古民家の数が増えてきます。白漆喰に丸窓が切られたホテルこころくらを通り過ぎると漆喰にスリット状の窓のある下芳我邸などなどが続きます。重伝建地区には、その先の伊予銀行の所を左に曲がりますが、そのまままっすぐ行って右手に入ると高橋邸です。アサヒビールの元会長の生家が町に寄贈され文化交流ヴィラとして公開されています。

 
 
 
 
 
 
 伊予銀の横路に戻り、左折して重伝建地区に向かいます。少し行って右手の通りを除くと、その先にかつての活動写真館の旭館の丸屋根の塔がある建物が見え隠れします。ここからはとにかく古民家ばかりの街並みで、よくぞこれだけ残ったと感心しますが、裏返せば再開発から取り残されてしまったのかもしれません。


 
 
 京都でもあまり見かけなくなった、バッタリ床几のあるおうちも見かけ、壁に鶴や亀の彫り物や鏝絵のある建物もあります。とにかく数が多くって、逐一の紹介はできないくらいのボリュームです。

 

 
 重伝建地区の終わり近くに重文の上芳我邸があり木蝋資料館として公開されています。裏庭なども公開されていて、なかなか見ごたえがあります。

 
 重伝建地区を通り過ぎて、少し坂を上ると高昌寺で、手前の門外には平成に造られた石造りの涅槃像が横たわっています。涅槃像の大部分は絵画で、立体像はあまり見かけません、亀岡の穴太寺で見かけましたが、穴太寺の仏像は等身大で布団がかぶせられていました。高昌寺の仏像は10mもあるので、さすがに布団は着ていませんでした。

 木蝋というと原料はハゼノキで、漆の一種です。福岡県の久留米市の郊外でその並木を見ましたが、実を収穫するときにかぶれたり高所の作業で落ちたりの危険を伴うそうです。そのために、最近は木蝋の生産量は減少の一途だそうです。木蝋は和蝋燭の原料として知られていますが、いろんな用途があるようで、力士の髪を結うときに使う鬢付け油には欠かせない原料なのだそうです。石油系のパラフィンでは、力士の激しい動きに耐えられず、髪がバラバラになってしまうそうです。そのほか、クレヨンや口紅などのほかに、トナーやインクリボン、それにCDなどIT分野の製品にも使われる意外性を持っているようです。


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