世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

だんじり祭りからは想像できない落ち着いた町並みの残る岸和田

2008-01-20 10:03:50 | 日本の町並み
 高山祭りは、からくり人形を乗せた優雅な山車が町をゆっくりと回りますが、威勢の良いだんじりが、町中を走り回るのが岸和田のだんじり祭りです。今回はだんじり祭りで有名な岸和田を、旧紀州街道の面影を残す町並みを中心に紹介します。

 岸和田は大阪府の南部の、岡部氏の城下町として栄えた町です。16世紀に作られた天守閣は江戸末期の19世紀に落雷で消失しましたが、1954年に鉄筋コンクリート3層の模擬天主として再建され、岸和田のシンボルとなっています。

 旧紀州街道は、お城の北西部、車の通行の多い府道204号から1本北西に府道に平行して走っています。市役所別館の裏から天性寺あたりまで通りに面して、格子や白壁の古い家並みが続きます。

市役所別館の裏には紀州街道の標柱もありますが、おそらく新しいものだと思います。

 通りの中ほどに土蔵造りの民家を使った「まちづくりの館」があり、町並み散歩の途中に立ち寄って休憩でき,町並みの歴史などの話を聞くことができるのも楽しい時間です。

 旧紀州街道沿いには、古い町並みが集中していますが、、お城の周辺のあちこちには、かなりの数で同じよう

な外見を持った家や武家屋敷の長屋門などが残っていて、城下町の風情を意識させます。現代風の家並みが続く中に、ひょっこりと土蔵造りや格子の家があったりして、宝探しをしている雰囲気になります。

 岸和田を紹介する上で、やはり「だんじり祭り」は外せないでしょうか。筆者は、実物のお祭りは参加したことは無く、写真やニュースなどでしか見ていません。お祭りの様子やだんじりの実物は、秋のお祭りに参加しなくても、お城の近くのだんじり会館でも見ることはできますが、本来お祭りは現場に居ないと熱気は分かりません。ただ、喧嘩祭りの異名を取り、けが人や、かつては死者まででる熱気のありすぎる荒っぽいお祭りなので、見物も注意がいるのかもしれません。紀州街道の道標の表記にもある「こなから坂」は、クライマックスの宮入の花道となる急坂で、名前のこなからとは、1/4の急勾配を意味するとか。

 だんじりは、岸和田だけでなく近畿いちえんの神社のお祭りで引き回されるようで、筆者がかつて住んでいた神戸の本住吉神社のお祭りでも10基近くが町中を巡行しました。だんじりの屋根にたくさんの人が乗って、宮入の時にはぐるぐると引き回す様子は、岸和田のお祭りにちょっと類似しているかもしれません。

 最近、神輿の上に人が乗って問題になっているようです。どうも山車やだんじりと神輿とを混同しているようで、神様が乗る神輿の屋根に人が乗ることは失礼なのですね。だんじりの屋根に人が乗った写真を見て、神輿でも、と目立ちたがり屋がやってしまったのかもしれません。

 お祭りで、特定の狭い地域に人が集まり、その人たちが携帯電話を使おうとするとつながらなくなることが多いものです。一つの基地局で通話できる容量に上限があって、多くの人がいっせいに携帯電話を使おうとすると、容量を超えてしまうからです。PHSでは、一つの基地局のカバーエリアが狭いのですが、通話できる容量も少ないので、PHSの利用者の集中がもっと小規模でもこの現象が見られました。かつては、東京駅でPHSで連絡しようとして、どうしてもつながらなかった経験があります。固定電話は、通話で電話を使っても使わなくても電話局まで1本1本線を引かれた線は存在し、あまり使われない場合にはずいぶんと無駄のように思います。携帯電話は、基地局内で通常使われるであろう容量を準備すれば事足り、線の無駄使いはなく、効率が良いように思いますが、弱みもあるんですね。


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