世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

かつて長野県は中野県だったのです、旧県庁所在地の信州中野は取り残されたような町でした

2009-09-20 08:00:00 | 日本の町並み
 博多の近くの歴史の古い港町に、博多人形とは違った素朴な土人形がお土産で売られていたのが津屋崎でしたが、江戸時代に京都からもたらされた土人形の伝統が受け継げられている町が信州中野です。本来は長野県中野市なのですが、東京都の中野区と混同されやすいために信州や信濃を頭に付けて呼ばれることが多いようで、長野電鉄の駅名も信州中野駅となっています。今回は、長野電鉄の駅から陣屋跡にかけての町並みを紹介します。

 中野市は長野県の北辺にあって、JRの飯山線と長野電鉄の駅がありますが、市の中心部は長野電鉄の信州中野駅になります。かつては、この駅から分岐をして飯山市の木島まで木島線が延びていましたが、2002年に廃止されてしまいました。多くの観光客やスキー客は、信州中野から先にある終点の湯田中まで乗って、そこからバスで滋賀高原に行ってしまいます。栗が名物の小布施を訪れる人は、中野の手前でUターンしてしまい、木島線が廃止されたことともあいまって、単なる途中駅といった雰囲気です。

 信州中野は、江戸時代には天領だったために陣屋が置かれ、明治になりその跡地に中野県庁(長野県庁ではありません)が建てられました。とこrが、明治初期の凶作や特権商人への不満から中野騒動と呼ばれる一揆が起こり、中野県庁は焼失、中野県も消失して、寒村に過ぎなかった長野に県庁が移転して長野県となったそうです。

陣屋、県庁跡には陣屋が再建されて中野陣屋県庁記念館として資料展示などがなされています。

 古い町並みが残されているのは、陣屋跡の周辺で、北側には「歴史の小路」の名称が付けられた通りがあり、たなまこ壁の土蔵や塀が連なっています。

飲食店などが町並みの中に割り込んできてはいますが、まだまだいい雰囲気を残している一郭です。陣屋跡の西側、駅に近い町並みには、黒漆喰の土蔵や土壁に格子を持つ民家も残っています。
  
中には、壁が崩れたり漆喰がはがれたりしている家もありますが、滅びの美学のような美しさがあるように感じます。プレハブで作られたような、最近の家が傷んでくると見苦しいだけという状況とは異なるようです。その理由はいろいろとあると思いますが、古い民家などは素材がそのまま生かされていて、プレハブなどでは塗料などで厚化粧をして、その化粧が剥げてしまった感じを受けるからでしょうか。このあたりにも、自然融合型の東洋文化と、自然征服型の西洋文明の差を感じます。

 長野から信州中野への長野電鉄では、かつて小田急のロマンスカーとして活躍をしていた車両に乗りました。地方の私鉄では、首都圏で活躍していた懐かしい車両にお目にかかることが多いものです。近畿圏の私鉄の車両にあまりお目にかからないのは、関西の私鉄は標準軌が多いからかもしれません。地方私鉄ではコスト削減のための施策の一つでしょうが、これって一種のリサイクルでエコロジーですよね。IT分野では、大量に買い替え需要が発生して使われない携帯電話のレアメタルを回収したくってしょうがないようですが、ただで持って来いでは、なかなか難しいのでしょうね。ただ、これだけ次から次へと買い換える必要性を考え直すほうが先のように思いますが。


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1 コメント

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ブログ拝見しました! (TNしみず)
2009-09-20 17:50:25
本日はおつかれさまでした。
早速、ブログを検索し、たどりつくことができました。
大変勉強になるブログで、時間のあるときに過去の記事もじっくり読ませていただきたいと思います。
それでは、今後ともよろしくお願いいたします。
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