世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

「文化のみち」の町並み保存地区は名古屋の中心街とは思えない緑豊かな地区ですが開発の手も迫っているようです

2020-08-02 08:00:00 | 日本の町並み
 名古屋城の東に位置した尾張藩の藩校の跡地に建つ明和高校の南側には市役所や県庁それに旧控訴院の3つの重文の役所が集中していました。この旧控訴院と東にある徳川園に挟まれたエリアは「文化のみち」の名前が付いた江戸、明治、大正、昭和初期の建築が残る町並みがあります。出来町通の南、国道41号の東の主税町3丁目、4丁目で400m四方ほどのエリアが町並み保存地区になっています。

 「文化のみち」のパンフレットによると、載っている建物は旧控訴院を含めて16棟で、実業家や商人の邸宅や料亭、それに教会などで、大正期の建物が多いようです。筆者が訪問した建物を中心に紹介します。

 
 
 起点になるのは、町並み保存地区の東南角にある文化のみち二葉館で、日本の女優第一号と言われる川上貞奴が居住していた和洋折衷住宅を移築復元したものです。大正期に建てられ、入り口を入ってすぐの大広間はステンドグラスや吹き抜けの中に造られた階段など、なかなか美しい空間です。

 
 
 二葉館の南の道は橦木筋と呼ばれていますが、この道を西に行くと名前の由来の建物が橦木館です。陶磁器商が、大正から昭和にかけて、広い敷地に洋館、和館、茶室に蔵などを立てたもので、こちらも、玄関の↑洋間の欄間部分にはめられたステンドグラスの美しい洋館です。

 
 国道41号に出て北に行くと名古屋市内で最古の教会堂であるカソリック主税町教会があり、白い聖堂と鐘楼は清冽な印象です。角を東に入ると料亭の香楽で、こちらは武家屋敷風の門構えが重さを感じます。

 
 
 
 そのまま東に進むと旧春田鉄次郎邸で大正期に建てられた洋館と和館が並んでいます。こちらの1階は現在レストランとして使われているようです。その隣にあるのが、旧豊田佐吉邸で、こちらも大正期の洋館と和館が並んでいます。豊田佐助は豊田佐吉の弟で兄を支えた実業家だったそうです。洋間の換気穴のグリルには豊田家の家紋があしらわれ、廊下には電灯ならぬガス灯のパイプが残されていました。

 
 
 東に進んで初めての通りを北に折れ、さらに1ブロック進んで西に曲がった角が料亭の「か茂免」です。戦前に紙問屋の邸宅として建てられ、戦時中は皇族の居所としても使われたのだそうで、オレンジの壁と緑の屋根とのコントラストが印象的です。西に進むと、桜井家住宅と旧豊田家門・塀が通りを挟んであります。桜井家は明治期の洋館で、旧豊田家の門は大正期に佐吉の娘婿が居住した屋敷の名残です。

 
 さらに西に国道41号線に向かって進むと、文化のみち百花百草と旧料亭・樟が並んで建っています。ともに大正期の建物で、百花百草は大正期の書院、茶室、土蔵に多目的ホールを追加したもので、徳川美術館所有の百花百草図屏風に模した庭園があり、ギャラリーとしても使われているようです。一方、旧料亭の樟の方は平成9年に店じまいされ、母屋などは取り払われ門と黒塀だけになってしまっています。町並み保存地区は、表から内部がうかがえないような現役の豪邸も数多く残されていますが、あちこちで重機が入って建物が壊されています。現に、古い町並みの上に虫食い状態で高層マンションが顔をのぞかせています。

 トヨタというと現在では自動車を思い浮かべますが、豊田佐吉が発明したのは自動織機だったんです。佐吉が発明したG型自動織機が科博にも展示されていますが、比較的最近まで現役だったようです。この織機の製造ノウハウを基に立ち上げられたのがトヨタ自動車だったようです。豊田自動織機の繊維機械事業部門は小さくなったようですが、創業者の誇りを持ち続けているそうです。自動織機も自動車もメカ機械ですが、現在の自動車は電気製品の塊になってきているようです。エンジンまで電気のものもありますが、エレクトロニクスの恩恵を手ごろな価格で手に入れられるのは車を買うのが最も早道とも言われてています。ただ、現状の環境では遠隔制御での運転はご免こうむりたいです。


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