世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

芭蕉が奥の細道のスタートポイントとした千住宿には芭蕉の旅立ちの碑だけでなく町中に説明パネルや石碑が建っています

2023-12-17 08:00:00 | 日本の町並み
 地名の由来の板橋はコンクリート橋に架け替えられていますが、中山道の宿場町であった雰囲気を残す町並みが板橋でした。江戸時代の各街道の最初の宿場を江戸四宿といって板橋はその一つでした。残りの三つは品川、内藤新宿そして千住でしたが、今回はその千住宿の名残を残すJR南千住から北千住あたりを紹介します。

 
 
 
 スタートは、JRの南千住駅になります。駅の西の南に延命寺の首切り地蔵が北側には回向院とがあり、この近くにあった小塚原刑場の処刑人を弔うためだそうです。回向院の境内には、杉田玄白などが処刑された人を解剖し、後の解体新書の翻訳に結びついたという記念碑が建てられています。この回向院は両国にもあって、さらにネズミ小僧の墓と言われるものもどちらにもあります。両国の墓石のかけらを持っていると「運が強くなる」都の俗信から長年削り続けられた、現在のものは二代目だとかですが、千住のものにはそのような形跡は見当たりませんでしたJRの南側を西に行くと浄閑寺で別名投げ込み寺と言われるのは、安政の大地震の時になくなった多くの遊女の遺体が投げ込まれた悲しい歴史があるからだそうです。これらのいわれなどは、それぞれの場所に解説のパネルがあって、なかなか便利です。

 
 
 
 
 
 JR線を北側に越えると左手が三ノ輪橋駅で、唯一残る都電の起点の一つです。路面で電車都と言っても、大部分が専用軌道でそのために残ったといわれますが、併用軌道の姿もごく一部の区間で残り、これだけでも貴重な存在かもしれません。三ノ輪橋の電停を越えて北に進むと、左手に古寺を証明したという松のある向春院、少し行くと境内に彰義隊の墓のある百観音圓通寺が続きます。さらに進むと小塚原富士という藤塚のある素戔嗚神社、やがて隅田川の南に至り千住大橋で川を渡りますが、その前後に芭蕉ゆかりの石碑やパネルがあります。

 
 
 
 
 
 千住大橋を渡ると北千住の町並みで、旧日光街道は表通りからそれて商店街になります。紹介しきれないような数の説明パネルや石碑が次々と現れます。やっちゃ場の地、旧本陣跡、絵馬屋、古民家の横山家と下村家、江戸時代から続く名倉医院などなど、

 
 
 
 
神社仏閣では足立区最大の狛犬が居る河原町稲荷神社、東大ではない赤門の勝専寺、千住七福神の大黒天が収まる氷川神社、長延寺の門外には目やみ地蔵が境内には魚籃観音堂や六地蔵、道祖神らしき像もあります。

 俳句は世界一短い詩と言われていて、17文字ということは数学の組み合わせの数から、そろそろ上限が来ているのではないかと疑問が浮かびます。しかし計算上は、俳句の総数は17の50乗で、およそ10の61乗ですから、日本人すべてが1秒に1句作ったとしても10の45乗年程かかる計算です。もちろんこの中には「あ」が17文字並ぶ句も含まれますが。短い詩であることから北海道大では「AI一茶くん」という俳句を作る人工知能が開発されています。作成された俳句は、専門家が見ても、りっぱな出来栄えとのことですが、俳句を作る元は過去の膨大な俳句のデータであって、目の前の景色や心情などではないのですから、形だけの美しさに過ぎないのではと思います。


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