世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

ギマランイスの迷路のような歴史地区も素敵でしたが、高台にある修道院を使ったポサーダではちょっと贅沢気分が味わえます(ポルトガル)

2022-05-29 08:00:00 | 世界遺産
 前回は日本が世界遺産会議に参加して1993年に最初に登録された文化遺産のうち姫路城を紹介しました。姫路城は小高い丘の上に建つ平山城で、姫路の市街地のどこからも望める、まさしく姫路市のシンボルです。市街地の中野丘陵は、どこからでも見えるという性格のため、城や宗教施設が建てられることが多く、我が国の国宝・重文の天守閣の大部分が平山城です。一方、宗教施設でも世界遺産のパルティノン神殿、トマールの修道院などがあります。今回は、世界遺産に登録されている歴史地区の小高い丘に修道院を利用した国営ホテルのあるギマランイスを紹介します。

 
 
 
 
 
 
 ギマランイスは、ポルトガルの北部の内陸都市で、ポルトガル第2の都市のポルトから列車や直行バスもあり1時間から1時間半ほどのようです。筆者はアマランティを経由して2時間ほどの乗車で旧市街の西のターミナルに着き、歩いて15分ほどで南北に細長い旧市街に到着します。旧市街は、イスラム圏の町のように細い通りが曲がりくねっていて、迷いそうになります。その間にいくつかの広場があって噴水があり、カフェテラスでお茶が飲めたりします。旧市街の街並みだけを散歩しても気持ちがいい街ですが、3か所ほど観光拠点があります。

 
 ノッサ・セニョーラ・ダ・オリベイラ教会とその修道院を利用して作られたサンバイオ美術館は展示品はさほどではありませんが、回廊の列柱と中庭が美しい修道院で、突然に歯を出したといわれるオリーブの木も残されています。

 
 
 続いては、エンリケ航海王子の異母兄の初代ブラガンサ侯爵が15世紀に建てた邸宅です。内部には家具調度や絵画、タペストリーなどが飾られていて、先補dのサンバイオ美術館より美術館的です。現在は政府の迎賓館としても使われるそうです。


 
 ブラガンサ侯爵邸から小高い丘を登るとギマランイス城で10世紀にムーア人の侵略を防ぐ要塞として津kられ、現在も城壁や塔が残されています。高台にあるので、ブラガンサ邸などギマランイスの街並みが望め、後ほど紹介するポサーダも向こうの丘の上に見えています。

 
 
 
 ポルトガルには、国営のホテルがあってポサーダと呼ばれています。修道院や城跡などを流用したものが多く、多少料金は高くなりますが、それだけの価値がありそうです。ギマランイスには、歴史地区の中と、郊外の丘の上の2軒があり、筆者は郊外のポサーダに泊りました。ポルトガル最大のポサーダで、修道院を流用し、既存の建物の宿泊棟以外に新築の宿泊棟を追加したもののようです。市街地から離れ、ややアクセスは不便でしたが、高台で眺めもよく、夕食を食べたレストランは天井が高くのびやかでした。裏庭には花々があふれ、ショッピングアーケードといった下世話なものは見当たりません。ただ、ポルトガルもスペインも食事の時間は2~3時間も後にずれているようで、夕食の予約に行ったら最も早くて午後8時で、それでも他のお客は見当たりませんでした。

 ポルトガルではあちこちで装飾タイルのアズレージョを見かけます。壁に大きな絵が描かれていたり、窓の縁取りの装飾など、いろいろな色の装飾タイルがありますが、アズレージョと聞くとコバルト・ブルーで描かれたものを思い起こします。焼き物の色付けには、金属酸化物を原料とする釉薬が使われますが、焼く前と焼いた後で、まったく違った色になり、思い通りの色に仕上げるのは大変なようです。柿右衛門が赤の発色に苦労したのは有名ですが、酸化物の成分や焼成温度、還元炎か酸化炎かなど発色を左右する要素は数多くあるようです。名人の感と経験などに根ざしたものと思われますが、色を左右する数多くの要素と発色結果の因果性とをデータマイニングで解析するAI手法も役立つのではないでしょうか。


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