前回は山陽電鉄の支線の網干駅の周辺を紹介しました。山陽電鉄は筆者が大学生の頃の昭和43年までの神戸側の起点は兵庫駅でした。神戸の私鉄ターミナルは、山容の兵庫駅のほか、阪急は三宮、阪神は元町そして神戸電鉄は湊川とバラバラでしたが、昭和43年にこれらのターミナルが結ばれました。神戸高速鉄道という駅と線路のみの鉄道会社で4つのターミナルを結び、相互の乗り換えが格段に便利になりました。高速鉄道の路線で阪急、阪神と山容とを結ぶ線路は東西線、神戸電鉄と結ぶ線を南北線と呼びその接続点が新開地駅でした。今回はその新開地駅周辺を紹介します。



新開地は、もともと流れていた湊川の流れを西にまげて、それまでの川の跡を新しい町としたための呼び名で、新しい町は一大歓楽街となりました。最盛期には東の浅草、西の新開地とまで言われたそうですが、現在はどこにでもある商店街にポツポツと映画館などが割り込んだ風景になっています。北は神戸電鉄の湊川駅あたりから南はJRや旧西国街道との交点あたりまでを指すようですが、南北の中間あたりを通る多聞通を境に南と北とで顔が違いました。この交差点にはRoundOneのボーリング場になっていますが、かつては聚楽館という総合遊技場がありました。映画館だけでなくアイススケート場もあって、よく滑りに行ったものです。新開地の駅は多聞通と新開地通りの交差点をやや西に行った地下にあり、多聞通は大開通と名前を変えます。高速神戸駅との間は地下通路になっていて、卓球場や商店、それに街角ピアノまで置かれてありました。



新開地商店街の北端には現在は楠公像と時計塔が建っていますが、昭和43年までは神戸タワーがありました。神戸のタワーというと現在はポートタワーですが、ポートタワーが建つ40年以上も前に規模こそ小さくても観光タワーが建っていたことを知る人は少なくなりました。一方、南側には新開地アート広場という施設があって、ホールやギャラリーなどの文化の発信場所になっています。形は変わっても新開地は文化の発信基地という性格は残っているようです。筆者が訪れた時は、地下街を模写したような模型があって、エレベータと思ってボタンを押そうとしたら壁だった、といった雰囲気でした。


新開地駅の西側には、同じ名前の有名な神社の親戚の神社が2件あります。一つは大開駅にほど近いところにある生田神社兵庫宮で、生田神社は中央区の三宮にありますが、こちらは祭礼の時の御旅所で神様が休憩されるところです。こちらの神社が変わっているところは、鳥居から本殿への参道が途中で45度曲がっているところだそうです。もう一つは新開地駅の南にある厳島神社で、清盛が兵庫津に在住のに夢枕に広島にある厳島神社の厳島明神が現れ兵庫津の繁栄のためにここに厳島神社を建てよとのことでできた神社だそうです。
高速神戸と新開地を結ぶ地下街はせいぜい800m程ですが、最も長い地下街と言われる東京の大手町から東銀座までは2.3km程もあります。地下街は雨が降った時にも傘が無くても歩けるので重宝ですが、外の景色が見られないといった欠点もあります。デパートやホテルでは従業員の部屋は外が見えないところが多く、雨が降っているかどうか判らないことが困るそうで、その解決策として通路に電光掲示板を置いたり、それとなく雨の曲を流したりしたそうです。ただ、現在ではほとんどの人がスマホを持っているでしょうから、Singing in the rainの浦が流れるといった粋なことは無くなったでしょうか。






新開地は、もともと流れていた湊川の流れを西にまげて、それまでの川の跡を新しい町としたための呼び名で、新しい町は一大歓楽街となりました。最盛期には東の浅草、西の新開地とまで言われたそうですが、現在はどこにでもある商店街にポツポツと映画館などが割り込んだ風景になっています。北は神戸電鉄の湊川駅あたりから南はJRや旧西国街道との交点あたりまでを指すようですが、南北の中間あたりを通る多聞通を境に南と北とで顔が違いました。この交差点にはRoundOneのボーリング場になっていますが、かつては聚楽館という総合遊技場がありました。映画館だけでなくアイススケート場もあって、よく滑りに行ったものです。新開地の駅は多聞通と新開地通りの交差点をやや西に行った地下にあり、多聞通は大開通と名前を変えます。高速神戸駅との間は地下通路になっていて、卓球場や商店、それに街角ピアノまで置かれてありました。






新開地商店街の北端には現在は楠公像と時計塔が建っていますが、昭和43年までは神戸タワーがありました。神戸のタワーというと現在はポートタワーですが、ポートタワーが建つ40年以上も前に規模こそ小さくても観光タワーが建っていたことを知る人は少なくなりました。一方、南側には新開地アート広場という施設があって、ホールやギャラリーなどの文化の発信場所になっています。形は変わっても新開地は文化の発信基地という性格は残っているようです。筆者が訪れた時は、地下街を模写したような模型があって、エレベータと思ってボタンを押そうとしたら壁だった、といった雰囲気でした。




新開地駅の西側には、同じ名前の有名な神社の親戚の神社が2件あります。一つは大開駅にほど近いところにある生田神社兵庫宮で、生田神社は中央区の三宮にありますが、こちらは祭礼の時の御旅所で神様が休憩されるところです。こちらの神社が変わっているところは、鳥居から本殿への参道が途中で45度曲がっているところだそうです。もう一つは新開地駅の南にある厳島神社で、清盛が兵庫津に在住のに夢枕に広島にある厳島神社の厳島明神が現れ兵庫津の繁栄のためにここに厳島神社を建てよとのことでできた神社だそうです。
高速神戸と新開地を結ぶ地下街はせいぜい800m程ですが、最も長い地下街と言われる東京の大手町から東銀座までは2.3km程もあります。地下街は雨が降った時にも傘が無くても歩けるので重宝ですが、外の景色が見られないといった欠点もあります。デパートやホテルでは従業員の部屋は外が見えないところが多く、雨が降っているかどうか判らないことが困るそうで、その解決策として通路に電光掲示板を置いたり、それとなく雨の曲を流したりしたそうです。ただ、現在ではほとんどの人がスマホを持っているでしょうから、Singing in the rainの浦が流れるといった粋なことは無くなったでしょうか。