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世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

円山公園の枝垂桜も宵山の風情も長楽館の午後のひと時も、全部が優雅なのは京都の故でしょうか

2025-02-23 08:00:00 | 日本の町並み
 東洋大学を作った井上円了が世界の哲学者を祭り哲学をするかsン強を作ったのが東京中野区にある哲学堂でした。現在の哲学堂周辺は、運動公園も併設された区民の憩いの場で、公園の西側を南北に通る中野通と合わせて桜の名所となっています。桜は日本の国花になっていて、全国に桜の名所は数多くありますが、意外と大都市の中に数多くあるようにも思います。今回は、これらの都会の桜の名所の中から京都の公園に咲く枝垂桜で有名な円山公園周辺を紹介します。

 
 
 円山公園は、江戸時代までは八坂神社などの境内であったものが、明治の廃仏毀釈で政府に没収されて9万㎡の公園となったものです。この円山公園をを代表する枝垂桜は戦後まもなく枯れて現在の桜は2代目なのだそうです。八坂神社は、境内の一部を明治政府に没収されたといっても、丸山公園は八坂神社の裏庭といった感じがします。この八坂神社は、通常は四条通の突き当りの西楼門から入って、お参りした後に東に丸山公園に通り抜けますが、神社の正門は神幸通に面して建つ南楼門で、南楼門から入ると舞殿と本殿が延長線上に現れます。

 
 
 この八坂神社の祭礼が祇園祭で、山鉾巡行ばかりが目立ちますが、お祭りは1か月にわたって続きます。お祭りの祈願を行う1日に始まって、31日の疫神社奈津子氏祭りで締めくくられます。目玉の山鉾の巡行は前祭りが17日、跡祭りは24日に行われ山鉾の通る四条通から河原町通りまでは観光客であふれかえります。筆者はおよそ60年前に前祭り(その前後から50年間ほど後祭りの巡行が途絶えていた)の巡行を四条通と烏丸通の交差点、辻回しの所で見ました(モノクロの写真を撮りましたが行方不明)。その頃は、京都市殿が健在で、山鉾の通る側は架線を支えるポールが片側からだけ伸びて、巡行を邪魔しないようになっていました。巡行は勇壮で見ごたえがありますが、山鉾の飾りや、鉾町で披露される屏風などを見たり、町中でお祭りを支えている雰囲気を味わうのは宵山や宵々山です。こちらの方は8年ほど前に、後祭りの宵々山を見る機会がありました。巡行では味わえない、しっとりとした風情も味わえます。

 
 
 
 
 八坂神社の社殿は江戸時代に建てられ国宝や重文の神社建築物が並んでいますが、円山公園の南側には明治中期に建てられたしゃれた羊羹が建っています。煙草で財を成した村井吉兵衛が迎賓館として建てたもので、外観はるねさんす、内装はネオ・クラシックなどの建築スタイルで建てられています。現在は、レストランなどに使われていて、予約なしでも楽しめるアフタヌーン・ティーで優雅な時間を過ごすことができます。室内の造作は当時のままで、シャンデリアやステンドグラス、階段も優雅でした。窓の向こうには、祇園祭の山鉾を思わせる大倉財閥の喜八郎別邸跡に建つ伊藤忠太設計の祇園閣も望めます。

 祇園閣を設計した伊藤忠太は明治から昭和にかけて活躍した建築家です。明治の活躍した、ジョサイヤ・コンドルの弟子である辰野金吾や片山東熊などは西欧建築に範を取ったものが多いのですが、伊藤忠太は日本の伝統建築に光を当てた人物とされています。それまでArchitectureの訳語として造家が使われていたものを建築という言葉に改めて人でもあります。最近は外来語を日本語に訳す時に、発音をそのままカタカナ表示することが増えました。中国の、音訳の漢字表記に似ています。明治期に活躍した夏目漱石は外来語表記の名人だったようで、現在のようなカタカナに加えて、瓦斯、会堂、洋燈など数多くの漢字表記を生み出しているようです。言葉は生き物ですから、ひび変化していて、カタカナ表記だったものが漢字表記に変わるかもしれません。コンピュータの自動翻訳のデータベースのアップデートはどれくらいの頻度で行われているのでしょうか。

ベトナム人は世界で4番目の滝と自慢するバンゾックの滝ですが規模はさほどではなく周りの自然が雄大です(ベトナム)

2025-02-16 08:00:00 | 世界の町並み
順番からだと本来は今回は世界遺産の紹介ですが、ハノイから2泊3日のツアーの続きを紹介します。今回は2日目で、ツアーの目玉のバンゾック滝を訪問します。

 
 
 
 
 ホームステイのあるところは、周りは田畑ばかりで、夜が明けると朝もやなのか何かを燃やす煙の奥に特徴的な山容の山々が迫りその後ろから朝日が上ってきます。簡単な朝食の後は、村内をトレッキングします。牛、豚それに鶏と主だった家畜がそろっています。トウモロコシの収穫時期だったのか、道路の上にも無造作に干されています。

 
 
 

 村を一回りしてから出発です。バンゾックの滝に行く前にグオムガオ洞窟に行きます。このあたりのや特徴的な山の形から、この周辺は中国南部から続くカルスト地形で鍾乳洞も多いのでしょう。ベトナム中部の世界遺産フォンニャ洞窟ほどではありませんが、なかなか大きくて綺麗な鍾乳洞です。20世紀初頭に発見され観光客が入れるのは全体の半分以下のようで、まだまだ手つかずに近い場所の一つです。中江の由来は、洞窟に住んでいた虎の鳴き声という言い伝えもありますが、中を流れる水の反響音との説が有力です。

 

 
 
 洞窟からしばらく走るとバンゾックの滝の入り口で、駐車場から滝まではちょっと歩かなければならないので、有料のロバで連れて行ってくれるサービスもあるようです。バンゾックの滝は、世界で4番目というのは、ちょっと置いといて、ベトナムでは最大の滝で、落差が50m、滝の端から端までは300mほどあるそうです。筆者が訪れた時は、乾季が始まったころで、滝の姿は優雅といったふうですが、雨季の頃は豪快な姿を見せるようです。滝に向かって右端の滝が最も広く、滝の右側は中国領で、中国側からも観光筏がやってきます。国境は川の中心線のようです。左側には落差や幅の異なるいくつもの滝があって、木々の緑の中からわいてくるような感じです。クロアチアの世界遺産プリトビチェの小さな滝の群れにも似ているようです。プリトビチェもカルスト台地を流れ落ちる滝なので似ているのかもしれません。

 
 
 
 滝を後にして、元来た道を少し戻り、顔版の町を通り抜けて、峠道を上ってちょっと遅い昼食です。峠を下るとバーベ湖のほとりに着きます。このあたりのリゾートのようで、昨夜泊まった田舎とは雰囲気が違います。今晩のホームステイは、バーベ湖を船で渡った対岸で、湖畔の宿といった感じ、ホームステイといっても立派なホテルです。天井の高い部屋は開放感がありましたが、この日も水のトラブルです。お湯がちょっと出てもすぐに水になってしまいます。部屋にはバスタブがありましたが、階下の部屋にあるシャワーで我慢です。夕食は、中庭で火を囲んでバーベキューです。

 カルスト地形の天然水はカルシュウム分の多い硬水だと思いますが、日本の水道水も天然水はほとんどが軟水です。一方、ヨーロッパなどのミネラルウォータは硬水で、日本のミネラルウォータは彼らの基準からはミネラルとは呼べないようです。イギリスでは地方によって水道水の硬度が違うようで、ロンドンでは水道の蛇口にカルシュウムがこびりついて困ります。紅茶の味は水の硬度に影響を受けるため、水道水の硬度に合った紅茶がその土地で売られているのだそうです。硬度はコンピュータで簡単に測れるのかと思って調べましたが、表示がディジタル化されていても、試薬が必要なようです。味覚のセンサーが難しいように、すべての面でコンピュータで置き換えというのはまだ先のようです。

哲学堂には孔子をはじめ多くの思想家が祀られていますが、ブダペストの哲学の庭のコピーの聖人群像には孔子は居ませんでした

2025-02-09 08:00:00 | 日本の町並み
 2件しかない重文指定の孔子廟があるのが足の便が悪い多久聖廟でした。孔子は世界に影響を与えた思想家ですが、東京中野区の哲学堂公園の四聖堂には孔子を含めた4人の思想家が祭られています。

 
 公園の南には哲学の庭があって多くの聖人の像が飾られており、筆者の記憶では孔子も並べられていると思っていました。しかし、先日再訪問して確認したところ、哲学の庭の群像の中に老子は居ましたが孔子は見当たりませんでした。今回は筆者の自宅からも近い哲学堂公園周辺を紹介します。

 
 
 
 
 哲学堂公園は、JR中野駅から中野通を北に2kmほど行った道路の東側に広がる公園です。明治時代の後期に東洋大学の創始者である井上円了が、ソクラテス、カント、釈迦それに孔子を祭る四聖堂を建てたのが哲学堂公園の始まりです。この四聖堂を別名で哲学堂と呼んだことから、現在のような呼び名になったそうです。その後、四聖堂を中心に世界各地の哲学者を祭る堂が建てられて、哲学者の展覧会状態となっています。塔のような形の六賢台は聖徳太子、菅原道真、荘子、朱子、龍樹、迦毘羅の東洋の哲学者が祭られ、三學亭は平田篤胤、林羅山、釈擬然と日本の哲学者を、三祖苑には黄帝、足目仙人、タレスが祭られていった具合です。

 聖堂以外にも、哲理門には天狗と幽霊が居て、図書館の役割の絶対城や、講義を行う宇宙館などがが明正寺妙正寺川の河岸段丘の「上に建っています。公園は、建物群がある丘の上から南斜面二広がっていて、春は桜の名所として、中野区民の憩いの場所になっています。冒頭で紹介した哲学の庭は、妙正寺川を南に渡った所にあって、2009年にハンガリー外交140年を記念してブダペストにある哲学の庭をコピーしたものだそうです。孔子はハンガリーでは、あまり知られていないのでしょうか。

 
 
 
 哲学堂公園を通り過ぎて中野通りを北進すると突き当りに蓮華寺があります。静かなお寺ですが、このお寺の墓所に哲学堂を作った井上円了が眠っています。この墓所のそばには、都内にはあまり多くはない芭蕉の句碑が自然石に刻まれています。「初しぐれ 猿も小蓑を ほしげなり」と刻まれていますが、都会化された風景からは猿の存在は想像できません。付近には、猿ではなく、猿でもよじ登るのが難しそうな円筒の野方配水塔があります。1966年に配水塔としての利用は停車されていますが、中野区の災害貯水槽として使い続けられています。

 AIが全盛で、AIを使えば℃なことでもできるように誤解しがちですが。しかし、AIは膨大なデータベースを頼りに、コンピュータが過去の事例から最適解を求めるにすぎず、あたらしい価値は生みだしません。コンピュータに教えた事柄からは一歩も踏み出せないわけです。一方、哲学の分野は、過去になかった考え方、価値観や世界観など、過去の事例の組み合わせではたどりつけない考えを導き出します。AIは便利ですが、決して人類の進歩に役には立たない道具の一つだと思います。

ハノイからマイクロバスに乗って2泊3日で廻るツアーは、都会の喧騒からは程遠い田舎の雰囲気を味わえるものでした(ベトナム)

2025-02-02 08:00:00 | 世界の町並み
 ラオスの最南端のカンボジア国境近くにメコン川の川幅いっぱいに流れ落ちる滝がコーン滝でした。基地となるパークセーからもかなりの距離があって足の便が悪いのが難点でしたが見ごたえがありました。一方、ベトナムの北部の中国国境に、ベトナム人が主張する世界四大瀑布の一つがあります。こちらも、首都ハノイから半日かけて車を走らせるベトナムでも編境地にあり、個人旅行で公共輸送機関を使っていくのは、かなりの無理があります。筆者は、ハノイから出発して2泊3日でベトナム北部を周回するツアーに参加して訪問しました。世界遺産の紹介は1回休みにして、今回から3回に分けて1日単位で紹介していきます。

 
 初日は、ハノイを早朝に出発して北東にひた走り、ランソンという町で、向きを北西に変えて中国国境近くで中国貿易の拠点となっているドンダンを通りカオバンという町の郊外にあるホームステイで泊まります。ツアーは英語のガイドと運転手が付き、ツアー会社が所有するマイクロバスで廻ります。参加したのは筆者を含めて13人で、日本人は我々だけでした。

 
 
 
 
 一日が移動だけではつまらないので、移動の途中に下車をします。午前中はチーランという所で降りて、農村の風景や古戦場跡をトレッキングしました。ランソンより手前のチーランは、かつて隣国の中国が攻めてきた時の防衛ラインだったそうです。現在はコンクリート製のゲートと記念碑がひっそりと建っているだけ。周りは伸びやかな畑などが広がって、かつてここで戦いが繰り広げられたことは想像しにくい景色です。道路の周りには果物や野菜が実り、周りの山々はカルスト地形なのでしょうか、縦に長い楕円形で連なっています。道路と並行する線路には、兵隊に代わって、中国から直通で乗り入れてくる貨物列車が通り抜けていきます。この列車はハノイ近郊まで直行するのですが、中国の列車のゲージは1435mmでベトナムはメーター・ゲージです。そのため、この区間は3本のレールが敷かれてあります。


 
 ランソンを通り抜けて、ベトナム鉄道の終点で中国と接するドンダンで昼食です。4~6人ずつが一つのテーブルで大皿料理をつつきあいますが、とにかく盛りだくさんで、おなか一杯になります。基本的にはお箸で食べますが、西欧から来た人たちの中内は器用に使う人やぎこちない人など、唯一の橋文化の筆者は橋の使い方を教えてあげました。

 
 
 昼食の場所から近くにあったMother's Templeで下車します。仏教と聖母リューハンをお祭りする寺院で、リューハンお言うのはベトナム人が崇拝する女神の一人だそうです。現役の寺院らしく、線香が香り、花が飾られて多くの参詣者が訪れていました。リューハンは行程の娘で、あちこちを旅して民を助けたそうで、ある時この地に来て廃寺で会った寺を修復して現在のような塔のある寺院としたとの言い伝えです。

 
 
 
 およそ400kmを走って、夕方になり、カオバンの手前のホムステイに到着します。周りは畑が広がって、陣かはまばらな田舎です。ただ、ホームステイといっても、コテッジ風の部屋が3棟あって、宿泊に必要なものはそろています。夏の間は蚊が多いのでしょうか、ベッドの上には束ねられた蚊帳がつるされていました。ただ、訪れたのは10月下旬で、ハノイと比べてずいぶんと涼しいというより、朝晩は肌寒いくらいで、蚊は飛んでいなかったでしょう。母屋で食べた夕食は、昼食同様に盛りだくさんでした。

 ホームステイでは3棟あるコテッジのうち2棟で夜中から水が出なくなってしまい困りました。状況を伝えるにも、英語ではあまり伝わりません。こんな時に重宝するのがグーグル翻訳で、時間がかかりまどろっこしさはありますが、何とか会話にはなり、困った状況を伝えることができます。ただ、ベトナム語は、ホストにあるヴォキャブラリが小さいのか、かなりの頻度で誤訳らしき状況になります。相手から、論理的にありえない答えが返ってくるからです。こちらのメッセージが誤訳されたのか、相手の言葉が誤認もしくは誤訳されたようです。街中でも自動翻訳は頻繁に使うし、タクシーの代わりに使うGRABもスマホが無いと使えません。今やスマホが無いと個人旅行は難しいご時世になりましたが、スマホに頼りすぎて、第六感は衰えたようにも感じます。