関西における迎賓館として、国内外の賓客を迎えたのが奈良ホテルでした。現在では、ツアーの団体客の姿も見かけるようで、やや品格が下がったようにも思えますが、本館の気品のある建物はさすがに味があります。この建物は、東京駅を設計したことで有名な辰野金吾ですが、多くの金融機関の建物を設計した中に、少し軽みのある建物として武雄温泉の楼門があります。今回は重々しい建築が多い辰野の軽みの和風建築の遺構が残る武雄温泉周辺を紹介します。




武雄温泉の象徴となっている楼門は新館とともに大正期の初めに作られて重文に指定されています。釘を一本も使わない純和風建築で竜宮城を思い起こします。新館はかつての浴用使節で、現在は資料館となっていて、大正天皇の浴室なども残されています。楼門と新館の近くには共同浴場があって、、その中の元湯は楼門より古い日本最古の温泉施設で明治初期の建物だそうです。たしか、各浴場の入り口には温泉の温度が表示されていたように思いますが、どれも40℃をはるかに超えるもので、入るのが辛そうです。温泉施設から見上げるのが蓬莱山で、地元の人々のハイキングコースになっているようですが、頂上にある奇岩が特徴があって、岩に空いた三角形の穴は武雄の窓と呼ばれるそうです。





武雄温泉は、現在では温泉町として知られていますが、江戸時代には長崎街道の塚崎宿として本陣も置かれた宿場町でした。武雄温泉駅から楼門のある共同浴場までの間には、温泉旅館の間に宿場町であった町並みの風情が残されています。要所要所には、町のいわれなどを開設したパネルが設置されていて、分かりやすくなっていますが、温泉に入りに来ただけの観光客はほとんど気が付いていないのではと思います。高札の掲示場であった札の辻、外敵の侵入を阻む鍵型道路、源為朝が打ち取った大蛇のうろこを運ぶ牛車の牛が地面に鼻を着いて動かなくなったという牛の鼻町など面白い内容の掲示が続きます。絞るとに学んでわが国初の種痘を行ったという中村諒庵の旧宅跡という表示もありました。武雄温泉は焼き物県の佐賀にあるからでしょうか、旅館の入口の柱が陶板巻きになっち増した。道端にある石仏にかけられた前垂れの色合いが、この陶板の色に似ていたのは偶然でしょうか。また、古い和風建築に混じってレトロな洋館が残っているのも町並みに変化を与えています。
武雄温泉というと、長崎新幹線の起点駅を思い起こします。きわめて政治的なにおいのする路線ですが、軌道幅の異なる路線を直通できる列車を走らせるといった技術的な試みも挫折してしまい、税金の無駄遣いだけが残りました。せっかく研究した軌道幅が変わる列車は電車にこだわりすぎて失敗したように思います。日本では電車が幅を利かせていますが、ヨーロッパなどでは機関車けん引の列車が多く走っていて、フランスのTGVも前後が動力を持つ機関車です。機関車けん引の方式は、効率面では不利かもしれませんが、乗客の立場からはきわめて乗り心地の良い列車になります。高速で走る軌道幅を変える動力を持たない客車はすでにスペインで走っているのですから、機関車けん引の客車を作って、博多ー長崎間を走らせ、軌道幅が変わる駅で機関車だけを付け替えれば乗り換えのわずらわしさは無くなるはずです。でも、これだけやってもどれほどの需要があるのでしょうね。








武雄温泉の象徴となっている楼門は新館とともに大正期の初めに作られて重文に指定されています。釘を一本も使わない純和風建築で竜宮城を思い起こします。新館はかつての浴用使節で、現在は資料館となっていて、大正天皇の浴室なども残されています。楼門と新館の近くには共同浴場があって、、その中の元湯は楼門より古い日本最古の温泉施設で明治初期の建物だそうです。たしか、各浴場の入り口には温泉の温度が表示されていたように思いますが、どれも40℃をはるかに超えるもので、入るのが辛そうです。温泉施設から見上げるのが蓬莱山で、地元の人々のハイキングコースになっているようですが、頂上にある奇岩が特徴があって、岩に空いた三角形の穴は武雄の窓と呼ばれるそうです。










武雄温泉は、現在では温泉町として知られていますが、江戸時代には長崎街道の塚崎宿として本陣も置かれた宿場町でした。武雄温泉駅から楼門のある共同浴場までの間には、温泉旅館の間に宿場町であった町並みの風情が残されています。要所要所には、町のいわれなどを開設したパネルが設置されていて、分かりやすくなっていますが、温泉に入りに来ただけの観光客はほとんど気が付いていないのではと思います。高札の掲示場であった札の辻、外敵の侵入を阻む鍵型道路、源為朝が打ち取った大蛇のうろこを運ぶ牛車の牛が地面に鼻を着いて動かなくなったという牛の鼻町など面白い内容の掲示が続きます。絞るとに学んでわが国初の種痘を行ったという中村諒庵の旧宅跡という表示もありました。武雄温泉は焼き物県の佐賀にあるからでしょうか、旅館の入口の柱が陶板巻きになっち増した。道端にある石仏にかけられた前垂れの色合いが、この陶板の色に似ていたのは偶然でしょうか。また、古い和風建築に混じってレトロな洋館が残っているのも町並みに変化を与えています。
武雄温泉というと、長崎新幹線の起点駅を思い起こします。きわめて政治的なにおいのする路線ですが、軌道幅の異なる路線を直通できる列車を走らせるといった技術的な試みも挫折してしまい、税金の無駄遣いだけが残りました。せっかく研究した軌道幅が変わる列車は電車にこだわりすぎて失敗したように思います。日本では電車が幅を利かせていますが、ヨーロッパなどでは機関車けん引の列車が多く走っていて、フランスのTGVも前後が動力を持つ機関車です。機関車けん引の方式は、効率面では不利かもしれませんが、乗客の立場からはきわめて乗り心地の良い列車になります。高速で走る軌道幅を変える動力を持たない客車はすでにスペインで走っているのですから、機関車けん引の客車を作って、博多ー長崎間を走らせ、軌道幅が変わる駅で機関車だけを付け替えれば乗り換えのわずらわしさは無くなるはずです。でも、これだけやってもどれほどの需要があるのでしょうね。