シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

お好み焼と芳町

2008-07-03 | 飲んだときに…

「また~!?」と自分でも思いますが、昨夜も人形町へ(先週は2回行った)。事前には私の勤める会社の近くで一杯!の予定だったのだが、Nさん「お好み焼きが食べたくなった」とのこと。何かおかしい?と思いつつ案内された店に行くと、もう一人おりました(よく知っているKさんが)。そのせいなのね。

さて、このお店「さのや」のメニュー(焼き物)はグー!でした。「よし町焼」は、三つ葉と貝柱(小柱)と卵を鉄板で焼くのだが、卵の半熟さ加減が美味さを増します。他にも(丸ではなく)細長い「牛たん焼」、餃子のように焼き上げる「カキ焼」、もちろん定番のお好み焼きもNさんが焼いてくれた焼きそばも美味しゅうございました。

ところで、「ヨシチョウヤキ」とNさんがオーダーした時は、何が出てくるのかまったく分からず、出てきたものを食しても「ヨシチョウ」の意味が分からない。Nさんに聞いたところ、「昔のこの辺りの地名」とのことだった。それを料理名に付けているわけだ。

「日本橋人形町」という町名でさえ「かなり古い」イメージがあったのに、それよりも前の地名があり、それを料理の名前につけるいうことは、この地名への愛着なのだろうか?と思いつつカチャカチャすると、
ヨシチョウ【葭町・芳町】は東京都中央区日本橋にあった一地区で、現在の人形町1~3丁目内にあたる。芳町は日本橋芳町の略で、葭町は芳町の旧地名で堀江六間町の通称。芳町の辺りはそもそも葦の生い茂る湿地帯であったため、葭町→芳町と呼ばれたようだ。

どんな町だったのかというと・・・現在、東京都台東区千束の一帯に広がる風俗街の通称として残っている吉原遊廓だが、遊郭はもともとは各地に点在していた。しかし、江戸の風紀・治安維持を目的に遊女屋は一箇所に集められることになった。その場所に選ばれたのが日本橋人形町2丁目~3丁目から富沢町にかけての一帯、約1万5千坪にも及ぶ広大な土地を埋め立て、人形町の地に周囲を塀で囲んだ“葭(葦)原”遊廓が誕生した。間もなくして縁起を担ぎ“吉”に。吉原遊郭の隣は、歌舞伎小屋や浄瑠璃小屋が立ち並び、江戸城下最大の繁華街になっていた。なるほど、それで料理に…って、これは絶対関係ないな。
また、江戸時代いわゆる遊郭と同じようなシステムで若い男性が春を売る商売があり、一般に陰間茶屋と呼ばれていた。そして、江戸では本郷の湯島天神門前町と日本橋の芳町が有名だったという(京都では宮川町、大阪には道頓堀にあった)…ってこれも関係ないな。

まぁいずれにしても、愛着というか様々な歴史を大事にする表れなのでしょうね。他にも人形町には「よし(芳)」と付く店名や商品があるようですし。
「さのや」さんも創業60年で歴史のある店舗でした(トイレの朝顔も「むか~し見た」レトロなモノだった…)。カチャカチャしてみたら「いかだ焼」「あんこ巻き」っていうメニューもあるようだ。ん~食べてみたい。

コメント
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