シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

中越地震から2年が経った(2)~旅行~

2006-10-24 | 家族・帰省・イベント

(写真:国道は所々でこのような…)

2年前、私は前の会社で業界の視察旅行が催され、会社の代表として参加することになった。行き先はタイで工場や研究所を訪ねるのが目的。

朝、成田を出発し、現地のホテルにつきTVをまわしていたらNHKが映る。衛星放送なのだろう「さすがNHKだな~」と関心していたら、震災のニュースだった…「エッ!」。

実家には何度電話しても繋がらない。嫁さんに電話したら連絡があったという。人は大丈夫だと分かり一安心した。ただ、被害状況が分からないし、地元には親戚や友人もいる。どうなっているんだ~?
…電話は繋がらない。

徐々に人の安否や建物・道路の状況が分かってきた。
国道は寸断されしばらく通れないし、他の道はどうなっているのか分からない、余震は続いているのでまだ危ない、来ないほうがよい…という。

気持ちは焦っていたが、家(埼玉)にいても何もできないのは同じ。気落ちしてもしかたない…。

旅行中、一人でいる時に「どうですか?」と聞いてくれる人もいれば、その話をあえてしないで、声をかけてくれる人もいる。中には阪神で震災にあった方もいて、二人で話す時には特に気遣ってもらった。

この時に一緒に行動してくれた方達のおかげで、旅行中は有意義に過ごすことができた。本当に感謝している…今でも。

震災はもちろんだが、この旅行も私にとって忘れられない出来事となった。

(続きは「巷のニュース」のカテゴリーになります)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中越地震から2年が経った(1)~実家~

2006-10-24 | 家族・帰省・イベント

我が家ではないが、私の実家は2年前の中越地震で被災した。

地震の中心地からは少し離れているため、町全体での災害は少ない方だが、私の実家は国道を作るために盛土をした場所の斜面にかかっており、地震で建物が1mくらい沈下?し、少し傾いた形で止まった。

写真は実家の近くの道路ですが、道路の左側に建物があったと想像してみて下さい。店の前に亀裂がはしり高い基礎ごとそのままの形で下に落ちたような感じでした。

周りの家では壁にひびが入ったとか、窓ガラスが割れたようですが、実家は物は落ちたようですが建物自体はなんともない。地盤が弱かったため建物の揺れを吸収したのでしょう。

間もなく避難所の生活となった。実家は商売をしているが、もちろんそれはできない。
道路など公共の工事が優先となるため、なかなか家の工事までまわってこない。
それでなくても冬の生活は大変なのに、いつ商売が再開できるのか、それともできないのか…この頃は精神的につらい日々が続いていた。
その後、なんとか翌年のGW前に再開できた。

県内では未だ仮設住宅に1600世帯の方が暮らしている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする