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シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

横浜中華街:牌楼(門)、関帝廟、媽祖廟/元町通り

2025-03-01 | お出かけ

横浜観光散歩の初日(2月7日)は、シーバスで山下公園に着いてから中華街~元町~港の見える丘公園などをまわって、ホテルニューグランドに着いた。
事前に中華街のことを調べた際に、街の東西南北に門があることを知ったので、それを見ることも目的にした。(漠然と見て回るよりも良いだろうと)

なるべく一筆書きで行けるよう考えたが、ランチ探しの市場通りと元町通りは行って来いになってしまった。
実際に歩いた経路をWeb「YOKOHAMAP中区のマップ」をベースに記録してみた。


中華街のシンボルともいえるのが、各所にある10基の門「牌楼(パイロウ)」。
街の東南西北の方向には、風水思想でそれぞれの方角を表す色と神獣を配した牌楼を設けて街を守るとともに、中国文化を紹介し、観光資源としても活用されている。

牌楼上部の額に門名があり、街の外側はいずれも「中華街」で、内側がそれぞれの名前になっている。
東:朝暘門(ちょうようもん)…青色で、守護神は「青龍」。間口が広く大きな門だった。


北:玄武門(げんぶもん)…玄(黒)色で、守護神は「玄武」。道路の向いはスタジアム。


西:延平門(えんぺいもん)…白色で、守護神は「白虎」。高校と中学校の間の角にある。


南:朱雀門(すざくもん)…朱(赤)色で、守護神は「朱雀」。見た目、スマート。

 

朝暘門から西へ進む中華街大通りは賑やかな雰囲気で、平日の昼間のわりに人出があった。


善隣門(ぜんりんもん)は、その先の五差路のところにあり、街のシンボルとして最初にできた門(1995年)で豪華な感じ。

親仁善隣(周囲の国や人と仲よくする)」を掲げた善隣門は中華街の象徴。反対側には「中華街」と書かれ、中華街という呼び名の起源だという。門の完成以前は南京町(なんきんまち)と呼ばれていた。


横浜 関帝廟は、道路から階段を上がって楼門がある。見上げる門はきらびやか。

関帝廟は、多くの人々から尊敬される武将、関聖帝君が祀られている。三国志の英雄として有名な実在の関羽将軍は、後世神格化され、関帝廟における崇拝の中心像となっている。
本殿も凄い。建物は中国から工匠を招き伝統建築工芸の粋を駆使して建造されたという。

楼門も本殿も、屋根の極彩色で細かな彫刻は否が応でも目を見張る。

楼門は裏から見ても装飾が素晴らしい。

参拝の仕方が分からなかったが、楼門をくぐった右側に受付があり教えてもらう。まずは中国式の線香を5本購入し、5つの香炉に供える。次に本殿に入り、係りの方から参拝の仕方を教えてもらい、順に参拝した。


関帝廟通り(関帝廟の前の通り)は、東端に「天長門」、西端に「地久門」の牌楼がある。崇められているんだな~と感心する。こちらは天長門。横浜大世界の看板が目立つ。


ランチ先を探しに市場通りへ入った。幅の狭い道だが、この通りにも北端と南端に牌楼があった。
焼小籠包は食べ歩き(立ち食い)で、台湾揚げと青島ビールは座れる店でいただいた。


横濱 媽祖廟(横浜大天后宮)は、道教の神様を祀る廟で、媽祖は道教の神々の中で位の高い女神であり、最も人気のある崇拝神の一人。航海・漁業の守護神として知られる。
大きく重厚感のある楼門。


本殿は上から見ると八角形になっているようだ。

 


中華街を朱雀門から出て、前田橋(下は川、上は首都高)を渡り、元町通りを歩く。


元町通りは、1970年代から80年代に流行した「ハマトラ」の発祥地だが、当時は田舎にいたし男なので、情報は少なくブランドで知っているのはキタムラくらい。妻の方が詳しい。小綺麗な通りだった。


この後、階段を使って港の見える丘公園に上がったが、階段はけっこう堪えた。

ところで、いわゆる「中華街」と呼ばれている街は、日本全国に幾つもあるようだが、中でも「日本三大中華街」といわれているのが、横浜中華街、神戸の南京町、長崎新地中華街。長崎は昨年歩いてきた。横浜は今回。神戸は・・・まだ。

 

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『ホテル ニューグランド』約100歳のクラシックホテル

2025-02-24 | お出かけ

2月7日~8日に横浜観光散歩へ行くことになったのは、まず宿泊先を『ホテル ニューグランド』に決めたことによる。実際に宿泊し併せて情報も得て、歴史の一端を知ると共にホテルという存在意義について考えさせられた・・・ような気がしている。

ホテルニューグランドは、横浜の定番観光地・山下公園の通りを挟んだ向かいにある。
関東大震災で甚大な被害を受けた横浜市の復興計画の一環で建設された。石造りの重厚な建物で、1927年(昭和2)に開業。なお、山下公園は関東大震災の瓦礫を埋め立て1930年に完成。ホテルとともに同じ地で歴史を刻んでいる。

山下公園から見るホテル。本館(地上5階)屋上のホテル名のサインも異国情緒がある。右側は1991年(平成3)に新築されたタワー館(地上18階・地下5階)。


本館の角に立てば、往時を偲ばせる。壁面に「AD1927」と開業年が刻まれた装飾がある。
1992年に横浜市認定歴史的建造物となり、2007年には経済産業省の近代化産業遺産に認定された。


開業当時に正面玄関として利用していた本館入口から入ると直ぐに、ホテルのシンボル的な大階段と直面する。ニューグランドブルーの絨毯が敷き詰められ、結婚式の記念写真にも利用されるようだ。


大階段の手すりに使われているタイル、フルーツバスケットのモニュメントは、開業当時からのもの。時計の上には綴織。照明は和洋折衷。アートが散見。


2階ロビーは、高い天井に趣のある設え。ゆったりとした時の流れを感じさせる場所・・・とのこと。


マホガニーの太い柱が並ぶ重厚感のある雰囲気。西洋から輸入され家具を模して作り始めたという歴史を持つ横浜家具の椅子が配されている。


特に、いかにも年代物の“キングスチェア”と呼ばれる椅子は、開業当時からのアンティーク。肘かけに天使が棲んでいる(彫刻)。


中庭も綺麗だった。歴史のある噴水を中心に白・緑・赤が配され、シンプルだけど華やか。
夜はイルミネーション・ライトアップされていた。薄着の子供に父親が「そろそろ入ろうよ」と。


以前は、本館2階フロアにフロントはあったが、今はタワー館1階でチェックイン。
大きなシャンデリアと季節の花が飾られ、記念写真を撮るカップルがいて・・・。


カタログギフトからの予約の段階では「グランドクラブフロア ツイン」としか分からなかったが、Webサイトで「みなとみらい側」と「マリンタワー側」があると知り、どっちに?も楽しみになった。
チェックインしキーを受け取り説明もあった。15階の「みなとみらい側」ビューだった。


また、グランドクラブフロア専用のラウンジが16階にあり、こちらは「マリンタワー側」ビューだったので、図らずも両方のビューを堪能できた。
ティータイムとカクテルタイムの両方で利用し、ティー&お酒&ビューをいただいた。


キーは暗証番号やカードキーではなく、昔ながらのシリンダー錠だった。さらに高層階(15~17階)を占めるグランドクラブフロアの行き来は、エレベーター内で鍵を差し込んで回さないと利用できない仕様になっている。ちょっと手間だが、特別感がないわけではない。
鍵自体も真ちゅう製のロゴ入りキーホルダー付きで、クラシックホテルらしい味わい。

ディナーでは当ホテル発祥の料理をいただいた。初代総料理長考案の「シーフード ドリア」、2代目総料理長考案の「スパゲッティ ナポリタン」、当時のパティシエ考案の「プリン・ア・ラ・モード」を各1つ注文しシェアしていただいた。味は言うまでもない。

部屋からの眺望が良く、みなとみらい側=ベイサイドエリアを夜となく朝となく眺めた。
左側にランドマークタワー、中央にインターコンチネンタルホテル、右側の青い灯は大桟橋。


よこはまコスモワールドの大観覧車「コスモクロック21」は、ライトアップされ様々なイルミネーションの動きを見せてくれた。


朝6時半頃、朝日に染まり始めたところを記録。夜に輝いていた景色が朱にそまった。


こちらは、大桟橋からのホテル全景。中央に本館、右隣はタワー館。左側のマリンタワーは64歳。


約100歳のホテルは、今では低層建物になったが、偉大なことには変わりないだろう。

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(へ~そうなんだ!と感心することが多く、取り上げていたらきりがないので、このへんにしておく)

ところで、サザンオールスターズの昔の歌で、歌詞に横浜のスポットが出てくるのを思い出した。当時は「何のこっちゃ?」と聞き流していたと思うが、今回答え合わせができた。

♪マーリンルージュで 愛されて
 大黒埠頭で 虹を見て   
 シーガーディアンで 酔わされて・・・

・マリーンルージュ → クルージング船名。ランチやディナークルーズなどあり。赤レンガ倉庫の岸壁に停泊していた。
・大黒埠頭 → 名前だけは知っていた。横浜ベイブリッジ外側にある埠頭。ランドマークタワー69F展望フロアから確認。
・シーガーディアン → ホテルニューグランド内にある英国調の正統派バー。ここにあるのか~とプチ感動。

 

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“横浜”観光散歩へ行ってきた

2025-02-21 | お出かけ

ホテル・旅館を選べるカタログギフトを頂き、あれこれ検討した結果、歴史的建造物の特集に載っていた横浜の『ホテル ニューグランド』に決めた。さらに横浜なら車ではなく電車で行くことにした。上野東京ラインができて通勤時の遅延が増えたマイナス印象はあるけど、横浜まで乗り換えなしで行けるメリットを享受したいとも思った。

ただ、観光しようにも「横浜」ほぼ初心者夫婦なので、良い機会になるけど、聞いたことがある地名でも、どこにあるのか距離感などまったく不案内。
そこで、Webで「おすすめ」とか「外せない」という観光スポットを下調べ。あと会社で横浜出身の方を発見したので意見を聞いてみたり。それとホテルの所在地や、電車で行く経路を併せてざっくりと行き先を考えた。

2月7日(金): JR横浜駅に午前10時前に着き、東口からショッピングセンター「横浜ベイクォーター」へ行く。
ここから10:30発のシーバス山下公園:氷川丸の隣へ。約30分のクルージング
中華街をぐるっとまわって、牌楼(門)で主要な東西南北や善隣門関帝廟媽祖廟を見学。ランチは焼小籠包と台湾揚げ・青島ビール。
そこから元町へ行って“ハマトラ”を思いだし、階段を上って港の見える丘公園から眺め、庭園など見学。

その後、ホテルニューグランドへ(ここまで歩き)。荷物をほどき、フロア専用ラウンジでティータイム。ホテル内を見学し、夕方は再度専用ラウンジで(無料の)生ビールとワインの赤・白で計3杯飲んでから、レストランでホテル発祥料理(シーフードドリア、スパゲッティナポリタン、プリンアラモードを各1つ)を注文しシェアしていただいた。
フロア専用ラウンジ(16F)や部屋(15F)からは、夜景を楽しんだ。

 

2月8日(土): 9:20頃チェックアウトし、山下公園で「赤い靴はいてた女の子」を見て、大桟橋(くじらのせなか)~塔を眺める~象の鼻赤レンガ倉庫。それからランドマークタワー69F展望フロアで下界を眺め、1Fでランチ(ここまで歩き)。
みなとみらい線で1区間乗車して横浜駅。JR横浜駅14時半頃の電車で帰路についた。

 

横浜までは、自宅最寄りのJR高崎線の駅から東海道線直線でJR横浜駅まで行く。途中までは私の通勤経路で、窓を背にした横向きロングシートやボックス席は、いつもの通勤感を味わうことになるので、今回は奮発してグリーン車に乗ることにした。
妻はSuicaカードを使って、券売機で乗車賃+グリーン券1,000円を購入。
私は貯まったJRE POINTからグリーン券(600Pt=600円分)を交換してモバイルSuicaで受取る。このJRE POINTの使い方は初めて経験した。

横浜観光散歩については、次回からもとりあげていく。

 

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東京スカイツリーは唯一無二のタワーだな~

2025-02-10 | お出かけ

東京スカイツリーは、東京都墨田区押上にある電波塔で、高さは634m。2012年5月22日開業。
大河ドラマ『天地人』で有名になった(?)新潟県南魚沼市の坂戸山と同じ高さになるというニュースにもなっていた…のを覚えているのは、私が新潟県人だからかな。

スカイツリーの南西側から見上げる。縦の鋼材がねじれているように見える。
断面の形は、足元では三角形だが、徐々に膨らんだ三角になり、展望デッキ(340~350)下では円くなる。そのため、三角の頂点は反り、間の部分は膨らんで見えるようだ。


揺れに強い三角形状のトラス構造で、垂直・斜め・水平方向に鋼管を接合している。また、タワー中央部にある心柱(しんばしら)と呼ばれる鉄筋コンクリート造の円筒により、五重塔のような制振構造になっているという。


展望デッキ(フロア340、345、350)と展望回廊(フロア445、450)を遠目からズームで。


フロア445から450まで上がる緩やかな回廊は、建物から飛び出ており、日が当たるところは温室状態だった。


フロア450になってからも緩い坂道があり、最高到達点451.2mに至る。


展望デッキの最下層フロア340にはガラス床が設けられ、真下を眺めることができる。

 

前々回もスカイツリーからの展望を少し載せたが、ここでしか見られない景色なので幾つかとりあげておく。
都庁など新宿の高層ビル方面。


それより距離的には手前の、大手町から六本木方向は高層ビルが多数ニョキニョキしてきた。


北側を見る。遠くの中央左が男体山、そこらか右に日光連山。さすがに遠く、霞んで見える。


さいたま市方面を見る。手前の水平線は首都高速中央環状線~江北JC。その次に東京外かく環状道路。その奥の中央左はさいたま新都心で右は大宮。


隅田川の桜橋方向に影を落とす東京スカイツリー。午前11時前

 

川沿いの「東京ミズマチ」を歩き、橋の上から全景を眺める。


隅田川にかかる鉄道橋の脇に据え付けられた歩道橋「すみだリバーウォーク」で、浅草側に着いたところで、川越しの全景。


初めて東京スカイツリーだけど、行けて良かった~。一度は行く価値のある観光スポットと思えた。今回の観光発案者のSに感謝。

 

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浅草寺:門、龍、弁天山、影向堂、懸魚、五重塔、神社など

2025-02-06 | お出かけ

1月18日(土)の浅草観光から、目にとまったアレコレ。(巡った順は無視している)

浅草寺の山号は「金龍山」で、雷門にも山号額がある。雷門は浅草寺の総門であり、「風雷神門」が正式名称のようだ。(※浅草寺Webサイトの説明より。以下同様)記念写真撮影者がいなくなった隙にカシャっと。

大提灯の雷門通り側=正面に「雷門」、背面には「風雷神門」と書かれている。また、提灯下部の飾りり金具には、正面に「松下電器」、背面に「松下幸之助」と記した銘板が付けられている。
雷門は昔からあるものと思っていたが、慶応元年(1865)に焼失した後、95年間も雷門はなかった。松下幸之助氏の寄進により再建できたのは、昭和35年(1960)のこと。

仲見世の先に立ちはだかる二階造りの宝蔵門(ほうぞうもん)は、名前の周知こそ雷門に劣っている感じはするが、高さ・幅とも倍の大きさがあり立派な門だ。
左右に仁王像がされ、もともと仁王門と呼ばれていたが、戦火で焼失し再建後に経典や寺宝を収蔵するようになり、仁王門から宝蔵門と改称された。


宝蔵門の裏側の左右には、山形県村山市有志より奉納された(仁王様の)大わらじ。高さ4.5mある。これを履くものが寺を守っているのかと驚いて、魔が去ると云われている。

 

雷門、宝蔵門、本堂(観音堂)には、それぞれ大提灯が吊るされており、その底には龍の彫刻が施されている。
[左] 雷門の大提灯は、高さ3.9m・幅3.3m、重さ約700kg。底には勇壮な龍の彫刻。
[右] 宝蔵門の「小舟町」と書かれた大提灯は、高さ3.75m・幅2.7m、重さ450kg。雷門の龍よりスマートで色味や構図が異なる。


本堂の「志ん橋」と書かれた大提灯は、高さ4.5m・幅3.5m、重さ約600kg。底の龍は1体ではないようだ。

浅草寺の山号は「金龍山」で龍に関わる故事がある。龍は雨を降らす水神様として崇められ、火の手から守るという意味で祀ったともされている。

本堂に入った所(本堂外陣)の天井にも龍の絵が描かれていた。

 

宝蔵門の手前右側に小高い丘(弁天山)があり、弁財天を祀る弁天堂鐘楼がある。

鐘は「時の鐘」で江戸の市中に時を告げていた鐘のひとつ。現在も毎朝6時につかれており、年末には除夜の鐘が鳴らされるそうだ。

 

宝蔵門の手前左側、参道沿いに伝法院の門と浅草寺幼稚園があった。幼稚園があることは知らなかった。隙間から。


本堂の左斜め後ろにある、寄棟造りの屋根は影向堂(ようごうどう)で、観音様をお助けする十二支生まれ年守り本尊のお堂。浅草寺の御朱印はここでいただける。


影向堂近くの池は、何故か水の色が青く、錦鯉も青く見える。青い理由は分からなかった。

後に知ったことだが、池に架けられた石橋は、元和4年(1618)に架設されたもので都内最古の橋という。橋長7.16m・橋幅2.165m。

本堂の屋根の妻側を見上げる。「懸魚」は神社やお寺の屋根の破風板部分に取り付けられた妻飾り。水と関わりの深い魚を屋根に懸ける=「水をかける」という意味に通じ、木造の建物を火災から守るために、火伏せのまじないとして取り付けられた物と伝えれれている・・・ということを知ってから、ついつい見るようになった。これは、かなり大きそうだ。

 

参道の両側に朱塗りの店舗が並ぶ仲見世はほとんど開店前で、インバウンドの方が本堂側に向かって歩いていた。

参道の途中で横切る伝法院通り。朱塗りの支柱の行燈(?)の絵は全部異なり、当時の言葉遊びが描かれてるそうだ。

 

五重塔は基壇状の建物(塔院)の上に建っており、塔高48.32m(地上53.32m)。
浅草寺の最初の塔は西暦942年に遡る。慶安元年(1648)に徳川家光が五重塔を再建し「江戸四塔」の一つとして親しまれた。現在の塔は、昭和48年(1973)に塔院とともに再建されたもの。

周囲から塔院や1階部分は見えないが、上から(スカイツリーから)は確認できた。(トリミング)手前は宝蔵門。左側の青緑色の屋根は幼稚園。

 

本堂の右側には浅草神社(あさくさじんじゃ)がある。御祭神は3柱おられ、その神様たちを総称して「三社様」と呼ばれ、5月例大祭が「三社祭」。


三社祭はニュースにもなり、名前は知っているけど見に行ったことはない。
なお、浅草神社は明治の神仏分離以降、浅草寺とは別法人になっているので、Webサイトも別になっている。

 

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遠来のSと浅草寺&東京スカイツリー観光へ

2025-02-02 | お出かけ

本州の北の方から元同僚Sが上京するというので、数年振りに会うこととなった。朝から夕方まで時間がとれるそうで、ならば行ってみたい所?行ってない所?を聞くと、幾つかあげていたが、現実的には埼玉県の川越と台東区浅草の2地域が候補になる。さらに、もう一人こちらから参加するMに聞くと浅草が良いとのことで行き先は決まった。

1月18日(土)、まずは朝8時に私とSが上野駅で合流し、地下鉄で浅草駅に移動。
朝人出の少ない時間帯で浅草寺散歩と目論んでいた。確かに日本人はかなり少なかったもののインバウンド観光の方は行動的・・・。

Sの希望でとしているが、浅草は三十数年前にチラッと寄っただけなので、記憶はかなり薄い・・・真観光客だ。
雷門」は、地下鉄出口から近っ!道路に近っ!あれ?もう少し大きいイメージだった。向かって右に風神、左に雷神。大提灯は高さ3.9m。


雷門をくぐると参道の両側に朱塗りの店舗が並ぶ「仲見世」だが、ほとんど開店前。
参道の途中、伝法院通りが横切る。この通りも面白そうだ。ここから参道の左側は伝法院の門と浅草寺幼稚園。右側の弁天山を見て、喫煙所で一服。

さらに進むと大きな二階造りの「宝蔵門(ほうぞうもん)」が目の前に。左側には「五重塔」がある。宝蔵門と五重塔の光景は、観光案内などでよく目にする構図ではないかと思う。


宝蔵門をくぐれば「本堂(観音堂)」で、既に参拝客がそこそこ。入母屋の大屋根は威厳がある。縦坪は約415坪もあるそうだ。


向かって左側にある幾つかの堂宇や庭を通り、右側の浅草神社を眺めて引き返す。
横断歩道を渡って「浅草文化観光センター」に入る。隈研吾氏の設計で2012年にリニューアル。8階の展望テラスで町並みを眺める。


雷門から本堂までが一望できた。参道を歩いている時は気付かなかったが、仲見世の左側は屋根を改修中。五重塔の1階部分も確認。


東側に目をやると、金色のアサヒグループ本社ビルと墨田区役所の間に、この後向かう「東京スカイツリー」がニョキっと。


歴史のありそうな東武の浅草駅から電車で一駅。表に出てチケット売場のある4階に上がり、まずは見上げる。


チケット売場でもう一人と合流。前売券は「展望デッキ+展望回廊セット券」を10時で購入しておいた。並んでチケットと交換し、さらに並んでエレベーターを待つ。
エレベーターは高さ350mの展望台まで約50秒。40人乗りで分速600mは国内最速とのこと。メートルの表示を見ていると、ホントに速っ!と実感する。

エレベーターを降りると、大きなガラスが一面に広がり、東京の街から遠方まで見渡せる。
先ほどまでいた浅草寺を探し、ズームで記録。本堂の屋根はやはりとても大きい。
造った大工さんは、まさか将来この角度から見られるとは考えも及ばなかっただろう。見せてあげたいものだ。


こちらは西側、中央に富士山をおき、右側に新宿の高層ビル群、左側は東京駅から六本木までの高層ビル群。


ここからフロア445までエレベーターで上がり、そこからフロア450まで展望回廊(窓際にそった緩やかな坂道)を上る。
南側:手前に東京ゲートブリッジ、東京湾の右側に風の塔、左に東京湾アクアラインが見える。その先は房総半島。


最高到達点451.2mを確認した後、フロア340まで下りてガラス床を楽しむ(?)。
名残惜しいが、このフロアからエレベーターで5階まで下りる。オフィシャルショップでお土産購入。

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ここから浅草に戻るため、まずは「東京ミズマチ」を歩く。川沿いで東武線の高架下を利用したおしゃれなショップやスポーツも楽しめる施設がある。


さらに進むと隅田川になり、鉄道橋の脇に据え付けられた歩道橋「すみだリバーウォーク」で隅田川を歩いて渡る。橋上から下流側が見渡せる。斜め上は間近の電車。浅草側でゆっくりのスペーシアXが見られた!

浅草寺の境内を抜け、ホッピー通りに。ついでにSの希望で(その昔)ビートたけしが出演していた浅草フランス座・東洋館を見に行く。

居酒屋から突き出たビニールシートで覆われたところで乾杯!それからもんじゃ焼き屋さんに行く。

Sは新宿へ18時過ぎに行く用があり、ならば見送りがてら移動しようとなり、地下鉄乗り換えで新宿駅に。でも時間はまだあるので、M意見でカラオケに1時間半。その後にSと別れ、家に帰った。
浅草観光は有意義だった。家を出発してから帰るまで約12時間半、長い一日だった。

 

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南魚沼市:雨の中~関興寺の味噌なめた…

2024-12-17 | お出かけ

宿泊先を石内の旅館に決めるに際しては、天気が良ければ「ザ・ヴェランダ石打丸山」に行こうと考えたが、既にグリーンシーズンの営業は終了していた。
天気予報が雨だったので、どこか立ち寄る所はないかと調べたところ、旅館近くに『関興寺』という古刹があり、当地域では珍しい枯山水の庭園があるとのこと。そこで、一目見てみようと思った。
 
11月30日(日)、南魚沼市石打(旧:塩沢町)の最上山 関興寺へ。
駐車場に着くが、雨が強く躊躇した。隣にシートで囲われた建物がある。それが総門だった。正面にまわって入ろうとしたら声を掛けられた「拝観料が必要です」と。えっ堂内ではなく、ここから必要なの?と思わず聞きかえす。ついでに、シートは雪囲いと確認。作業中ですみませんと言われる。でもその光景の方が珍しいし、雨も降っているし・・・。

ここで素敵な情報を得た。ちょうど「新米まつり」を開催中で、関興寺味噌おにぎりと関興寺味噌汁がサービスで頂けるという。階段を上がったところにテントがあるけど、雨なので中かも・・・と。早速、階段を上がるがやはりテントは出てない。枯山水は見えるけど、中ってどこ?と探す。プレハブの平屋があったので、行ってみると作業事務所だったが、お堂の手前の入り口からと教わる。

この時季で強めの雨で、お寺の方も参拝客を期待していないだろう。お経の声は聞こえるけど、誰もいない。靴を脱ぎ誰かいないかな〜と右往左往。来られた方に用向きを伝え、こちらにどうぞと案内された。ファンヒーターがありがたい。
通常、喫茶コーナーになっているようだ。庭を眺めながらしばし待って、おにぎりとみそ汁がやってきた。旅館の朝食でお腹は空いてないけど寒さもあって美味しくいただいた。


せっかくなので関興寺味噌を買っていこうかと売り場を聞くと、隣の和室の一画に味噌やお守りなどが置かれていた。ちょうど法事が終わった方々が退出中で、お寺の方は片付け中。バタバタ。
ここで、関興寺味噌と交通安全のお守りを購入。お守りは新車用に。


臨済宗円覚寺派『最上山 関興寺』は、関東管領上杉家・上田長尾家ゆかりの禅寺で、御利益味噌で知られる。
その昔、禅寺の生活に味噌は欠かせないと、たくさんの味噌を作り蓄えていた。戦国時代に戦火に遭った際、上杉家寄進の大般若経典を味噌桶の中に入れて守り、無事だったと伝えられる。以来、この味噌をいただくとご利益が授かるとされ「関興寺の味噌なめたか」という言葉が生まれたという。

本堂内の見学および撮影可と承諾をえる。鏡のような廊下、極彩色の欄間や梁にも彫刻が施されている。

ご本尊に手を合わせる。

上杉家の像。右は千手観音像。


屋久杉の戸板は、樹齢千年以上の屋久杉を一枚板にし、虎・鶏などが描かれている。江戸時代安永年間の作で現在でも色褪せずに残っている。


廊下には駕籠が吊るされていた。約二百年以上前、関興寺住職が徳川幕府より十万石の格式を与えられた際に寄進されたもので、江戸城登城の際にも使用されていた。朱色に塗られ、寺紋の五七の桐が刻まれている。


廊下の戸を開けていただき濡れ縁に出て、枯山水の石庭(臥龍の庭)を眺める。(画では分かり難いが雨降り)


表に出て、雪囲い作業中の本堂と石庭。(過去の写真を見ると、庭園の縁の辺りが変わってきているようだ)


経蔵の中には、六角輪蔵と呼ばれる一切経が収蔵された回転式の書架がある。


大きな池(白崖池)には、「登龍の滝」という滝が注ぎ、睡蓮に鯉が泳ぐ。


駐車場に戻りながら門を記録。「三門」の上階部分はシートで見えず。


受付のある最初にくぐった「総門」の外観。武家屋敷らしい造りになっているとのことだが、ご覧の通り囲われている。

「また来るように」と言葉を投げかけられたような感じを受けつつ、関興寺を後にした。
この後、『外山康雄 野の花館』で「野の花だより2025カレンダー」を購入し、関越道の石打塩沢ICから帰路につく。


◎関興寺味噌もう一つの謂われ『雲洞庵の土踏んだか、関興寺の味噌なめたか

室町時代の昔から、越後・北陸地方において臨済宗の関興庵(現在の関興寺)と曹洞宗の雲洞庵*(南魚沼市)は「二大禅道場」だった。優秀な人材が多く訪れ、雲洞庵や関興庵で修行しなければ一人前ではないという評判になり、どちらで修行したのかを修行僧同士で確認し合っているうちに、「雲洞の土ふんだか?関興の味噌なめたか?」という言葉が生まれたという。
「もう三年土踏んでる」「ワシなんか5年も舐めてる」などと話していた・・・かもしれない。

*雲洞庵の本堂に続く参道の石畳の下には、一石一字ずつ法華経が認められて埋められており、この石畳を踏みしめてお参りするとご利益があるという。

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南魚沼市石打(旧:塩沢町)の温泉旅館でゆったり

2024-12-13 | お出かけ

11月29日(金)に、振替休日をとることになり、公的手続き+新潟県での病院面会予約もした。
この週は、私のバースデーウィークでもあり、心身の癒しに温泉へ行きたいと思っていた。そんな時にYahoo!トラベルからメールが届き、クーポン+αで4,990円割引になるという。タイミングが良い。せっかくなので利用することにして、宿を探し南魚沼市の温泉旅館『丸山温泉 古城館』に予約した。

丸山温泉 古城館は、関越自動車道の塩沢石打ICから5分。客室数20ほどの旅館。温泉は築百年の蔵に温泉を引き込んだ「蔵ぼちゃ」、座敷風の内風呂と石をちりばめた露天「石ぼちゃ」があり、男女入れ替え制。他に屋上に貸切露天風呂「星ぼちゃ」がある。

チェックイン後、荷物を置き、選べる枕から好みを選ぶ。女性は浴衣も選べるようだが、妻は寒いからと遠慮。部屋は屋根裏風の洋室。


部屋には、前掛け風の丈夫で粋なトートバッグが用意されていた。蔵ぼちゃと石ぼちゃが表・裏面に描かれている。これにタオルや着替えを入れて温泉へ行く。この時は男性が蔵ぼちゃ、女性は石ぼちゃ。築100年の土蔵内は落ち着く。


夕食はお食事処でいただく。格子で区切られた半個室になっていた。(画は翌朝撮影)

4人席テーブルなので我々には余裕のスペース(画は隣のテーブル)。


夕食は田舎会席料理ということで、「本日のごっつぉ」と題された品書きには11種類書かれていた。
飲み物のおすすめを聞くと飲み比べセットがあるという。純米大吟醸特選地酒が3種類飲み比べできる。では、それで。


髙千代、鶴齢、湊屋藤助(白龍)それぞれ旨い。肴によっても違う。鶴齢が私好み。
岩魚は熱々、鍋は優しく、越後もち豚角煮は味わい深い。ご飯は日本一と言われる魚沼産コシヒカリ、みな美味しかった。


最後の甘味は、手作り杏仁豆腐に“さるなしジャム添え”で、さるなしは初めてかも。
お酒は、飲み比べの後(銘柄忘れたけど)熱燗をいただく。ゆっくり食べて飲んでイイ感じ。

その後、一休みしてから事前に予約していた貸切露天風呂「星ぼちゃ」へ。屋上にあるというので雨を心配したが、雨は止んで雲間には星が見える箇所もあった。しばらくすると、さらに雲間は広がり星がオリオン座の一部と分かった。名前の通り星ぼちゃでラッキーだ。

翌日は、朝一に温泉へ。男女で蔵と石が入れ替えで、男性は石ぼちゃに。露天には石が配され、内風呂の周りは畳風。この時は私のみで独占だった。
朝食もしっかり食べれて満足。


飲み物(コーヒー)持ってラウンジへ。テーブルが素敵。ソファも座りやすい。

こちらは前日夜の様子で外は暗い。


窓から見下ろす庭は冬囲い。豪雪地域なので必要な準備だが、観賞対象にもなる。


エントランス正面の掛け軸は「一期一会」で、お互いに・・・と独りごちる。


ラウンジの隣に喫煙室あり。屋外ではなく部屋だ。椅子もある。優しい~。今どき贅沢な部屋かも。


私は加熱式タバコだけど紙巻きタバコもOKのようで、臭いはするが仕方ない。エアコンはあるけど利用者は少ない?ので切ってある。徐々に寒さを感じるが、エアコンを入れても暖まるまで時間がかかるだろうからそのまま我慢。喫煙室からも庭が見下ろせ、遠くにはゲレンデも見える。冬の景色も良さそうだ。

温泉や食事に満足。共用スペースなど気取った感じがなく良かった。
ちなみに「古城館」の名前の由来は分からないが、見た目では特に“古城”のイメージを感じない。♪松風騒ぐ 丘の上~ でもないし西洋の城っぽくもない。由来を聞いとけばよかった。

この後、雨だったけど近くの古刹『関興寺』へ行くことにした。

 

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鬼怒川温泉:護国神社と鬼怒川温泉神社

2024-10-24 | お出かけ

10月6日(日)、鬼怒川温泉一泊の二日目。朝風呂~朝食を終えた後、チェックアウトまで少し時間があるので、近くの神社まで散歩に行く。

近くまで行くと立派な鳥居が現れて驚いた。銅板?で覆ってあるのだろうか。正面右側の石柱に「護国神社」の文字あり。桜の樹が多いので、花見の頃は賑わうのだろう。


前方の階段を上がると二の鳥居がある。くぐるとそこは、広い境内。少し右側に移動して神社を見る。左側が護国神社、右側が温泉神社だった。


階段下から真正面にある拝殿を見上げる。鈴が3本あり、参拝者の多さを窺わせる。


藤原町護国神社は、地元藤原町より日清・日露・太平洋戦争に出征し護国のため亡くられた英霊256柱をお祀りしている。



鬼怒川温泉神社は、建物の階段を上った先にある。四角柱の灯篭は社殿と統一感あり。下部に「温泉大権現」と彫られている。


由緒書によると「温泉の霊力を神格化し崇拝され温泉神社が建立された」という。


2階建ての造り。1階部分のシャッターを見ると「倉庫?」のようでもある。
この場所が雪だまりになるようなら、社殿を上げたのは有効であろう(雪国生まれの感想)。


この地の人達と大事な温泉を見守っているように思える2つの神社だった。鬼怒川温泉郷に対する造詣も少し深まったかな。訪れて良かった。

神社地の隣には「鬼怒川温泉ロープウェイ」があった。ロープウェイの先は霧の中。


Web検索によると、山の上では温泉街を一望できる展望台や「おさるの山」、温泉神社(末社?)もあるようだ。

ホテルへの帰路、宿泊したホテルの入口がよく見えた。


こちらの温泉神社は、ホテルの隣にある。ホテル専用の社であろう。お世話になりました。


鬼怒川温泉には何度か訪れているが、ロープウェイのことは気に留めてなかった。またいつか来た時には、寄ってみようと思う。

 

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鬼怒川温泉:「滝見橋」へ散歩

2024-10-20 | お出かけ

10月5日(土)、鬼怒川温泉一泊の初日。ホテルに着いてから少し時間があるので、近くの滝見橋というところに行ってみることにした。天気は霧雨というより雨量が少ないから(何て言うのか調べたら)小糠雨(こぬかあめ)か。ホテルの出入口で傘を借りてテクテクと。

位置的には鬼怒川温泉街の北側。歩いて行くと、まず公園のような広場に行き着いた。看板には「滝見公園」とある。川側に展望場所あり、紅葉時はキレイだろうと思われた。(画は戻りに記録)


橋は道路の位置(標高)からけっこう下る。


滝見橋は吊り橋で、路面は木材、構造材は鋼材、それをケーブルで吊っている。画は渡って戻る際に。(先の公園側を見る)


橋上から下流を眺める。穏やかな渓谷美。右岸の先にホテルはある。


橋上から上流を眺める。渕の先は荒々しい感じ。渓谷好きなので嬉しい眺め。でも、滝は見えず・・・。

某Webサイトに、滝見橋は鬼怒川の「絹」の面(下流)と「鬼怒」の面(上流)を同時に楽しめるという記載があった。なるほどな~と。

下流左岸に並ぶ建物は、有名(?)な廃墟群のようだ。歴史だな~。


せっかく見るならと正面から見られる場所を戻りに探したが無かった。鬼怒川温泉郷には川面まで降りれるところとか、川沿いの散策路なども無いようだ。


滝見公園では、鬼怒川温泉のキャラクター「鬼怒太」がいて、タイトルに「思惟鬼」とある。そこには「さらに豊かな鬼怒川温泉の未来を考える」と記されていた。鬼怒太えらいぞ。

なお、鬼怒川には「鬼怒太」の妹「鬼怒子」もいる。下流側の「くろがね橋」の左岸側には「鬼怒子の湯」があり、鬼怒子が寝転んで出迎えてくれる。4年前に見た。

他にも彫刻家の作品が点在し、アート鑑賞をしながらの散策も楽しめる。こちらの作品名は「想」。物思いに耽る女性。


ホテルに戻り、出入口にいたスタッフに「滝見橋に行ったけど滝は見えなかった」と伝えたところ「名前は上流側の川の流れが滝に見えることから」と教えられた。
でも後日、Webで検索したら「結いの滝が見えるということが滝見橋の由来」とあった。・・・正解は今のところ分からない。

〔次回は、翌日の朝散歩から〕

 

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