因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

世田谷パブリックシアター『ハーベスト』

2012-12-13 | 舞台

*リチャード・ビーン作 平川大作、小田島恒志翻訳 森新太郎演出(1,1',2,3,3',4,5,5',6,7,8,9,10,11,12,13,14,15)公式サイトはこちら 世田谷パブリックシアター 24日まで
 本作は2005年にロンドンで初演されて多くの賞を獲得、話題をさらったという。日本では初の上演であり、よくわからないものの「何かありそう」な期待を抱かせる。「―神が田園を創り、人が町を作った―ハリソン家、百年の物語」という長いサブタイトルのとおり、第一次世界大戦中の1914年主人公ウィリアム(渡辺徹)が19歳のときにはじまり、つい最近の2005年、ウィリアム109歳までを場所は一貫してハリソン家の台所のみで展開する。ウィリアムほどではないが、ほかの人物も結構な年齢幅を演じることになり、ウィリアムとその義妹モーディ役の七瀬なつみ以外の俳優は複数役を演じることもあってどうしても無理があり、しかしなぜかそこは気にならない。芝居なんだから少々のことはわかるだろうと言わんばかりの強引なところ、開き直ったかのような雰囲気がおもしろいのだ。

 確かな手ごたえを得たかといえば、残念ながらそうではなかった。しかしながら今日はじめて出会ったリチャード・ビーンという劇作家は、パンフレットによれば彼の人生じたいがお芝居のように波乱万丈で、一筋縄ではいかないお人のようだ。まとまった劇評どころか、感想にもならない状態だが、とにかく見おわってすぐの気持ちを書きだしてみることにする。

 およそ100年間の物語が時間の流れにそって7つの場で描かれる。最初の1,2場が集中できなかった。いちばんの理由は、台詞がじゅうぶんに聞き取れなかったためである。俳優の声がばらけるというのか、劇場の音響の問題なのか、俳優が台詞を発するタイミングやリズムに自分がついてゆけなかったのか、同時多発会話とまでは言わないまでも、輪郭のはっきりした対話としてこちらに届いてこないところが多々あった。それだけでなく、同道の友人のことばを借りれば、「どこからはいっていけばよいのかわからない」とまどいがあったのだ。舞台のどこに視点を向ければいいのか、集中の方向が決められないのである。

 第3場からは何とか持ち直したものの、最初のつまづきは舞台ぜんたいに対する期待を色濃い困惑に変容させてしまうにはじゅうぶんで、聞き落とした台詞、そのために把握できなかったことがおそらくたくさんありそうだ。

 しかしながら、本作じたいが基本的にリアリズムの現代劇の外枠をもっていながら、どこか寓話風の様相を呈していることもあり、話の展開や人物の背景や心象、作者が何を訴えたいか等などをあまり理詰めで生真面目に考えないでもよいのではないか。
 先週みた『トップドッグ/アンダードッグ』とは内容も雰囲気も大きく異なる舞台だが、本作もまた翻訳、演出、演技のバランスや、それを受けとめる客席との関係において、日に日に変化してゆくと想像される。可能ならばもう一度じっくりみたいものであるし、戯曲もぜひ読んでみたい。まずは病気回復され、これが舞台復帰第一作となった渡辺徹さんに祝福を贈りたい。今回の『ハーベスト』では2場からずっと座りどおしだったので、つぎは舞台の立ちすがたをたっぷりと。

コメント   トラックバック (1)