因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

シンクロ少女#8『性的敗北』

2010-10-17 | 舞台

*名嘉友美作・演出 公式サイトはこちら 王子小劇場 17日まで
 昨年夏、ミナモザ公演の『エモーショナルレイバー』(瀬戸山美咲作・演出)で、名嘉友美は誰かれかまわず関係をもつエンジェルという女性を演じていた。露出の多い服装にけばけばしいメイク、言動すべてが下品で薄っぺらく、役柄とは知っていても苦々しくすら感じたのだった。しかし翌春、オクムラ宅公演『紙風船、芋虫、かみふうせん』では、前半は新劇風のきっちりした造形、後半はまさかのエロスを発し、作品や演出によって大胆に変貌する、ふり幅の大きな女優であることを知った。
 『性的敗北』は、その名嘉友美の作・演出であり、オクムラ宅公演の作・演出の奥村拓、『紙風船』で名嘉の夫を演じた横手慎太郎が出演すると知り、直前になって観劇を決めた。

 客席対面式の舞台で繰り広げられるのは、5人ずつ10人の男女のカップルのあれこれである。上手と下手に別々のカップルがいて会話が始まる。両者は別空間であるが、それぞれの言葉が奇妙に合わさり、また離れながら進んでいく。お互いが好きで好きで、「ずーっと一緒にいようね」と言い合うが、子どもができないこと、兄と妹であることなど、本人同士の努力ではいたしかたない理由で別れに至るものもあれば、つまらない喧嘩ばかりしながら性的相性だけは抜群で、妊娠によってしかたなく結婚するもの、友だちの割り込みによって壊れてしまう関係などなどが描かれていく。

 前述の別空間同時進行会話には、作者の筆が達者であること、入念な稽古があることがわかる。配役も実に適材適所で、兄の妻を小馬鹿にし、「顔が嫌い」とけろりと言い放つ妹の残酷さや、その義妹に嫌われるのがわかるような兄嫁の勘違いぶり、友情をたてに、友だちの恋愛に割り込んでとんでもないことをしでかす悪魔のような女など、当て書きかと思うほどぴったりである。

 しかしこれらの描写において、自分は納得できない印象をもった。酒に酔って友だちの恋人を誘惑し、半裸であられもない嬌声をあげて交わる様子、夫のみている前で、子どもを作るためにその弟と無理やり・・・という場面は、いずれも舞台で表現するにはこのあたりが限界といっていいほど露出の多いものであり、それを迫力があった、見ごたえがあったと肯定する見方もあるだろうが、自分は逆に「ここまでみせる必要があるのだろうか」と冷めた感想をもった。たとえばポツドールやelePHANTMoonでも大胆描写はあるが、それだけが売りではなく、舞台ぜんたいをうねるような物語と、そこでうごめいたりもがいたりする人間の姿がみるものを引きずりこむ力を発するのだ。 

 名嘉友美は女優としても、劇作家、演出家としても、そうとうに腹の据わった、力のある人と察する。人が生きることを性は切り離せないが、自分とその周辺の話に収まらず、もっと大きく深いものを感じさせる作品が生み出されるよう願っている。

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劇団文化座『大つごもり』

2010-10-17 | 舞台

*樋口一葉原作 久保田万太郎脚色 原田一樹演出 公式サイトはこちら 文化座アトリエ 17日まで
 1997年春に文学座の杉村春子が亡くなったとき、追悼として1968年制作のラジオドラマ『大つごもり』が放送された。さまざまな舞台がテレビで特集されたのだが、そのどれよりも、自分はラジオドラマが心に残った。ラジオドラマの脚色も久保田万太郎で、ラジオであることを考慮して地の文の読み手が入る。読み手の坂本和子という方が唸るほど巧く、締めくくりの「後(のち)の事しりたや」のひとことが、聴き手の「それからお峯はどうなったのか」と想像をかきたてると同時に、「物語はこれで終わりなのだ」と告げ知らせる潔さがあって、確かな手ごたえが感じられるのだ。
 舞台上演をみるのはこれがはじめてだ。千秋楽ということもあって、小さなアトリエは満席。それも年配の方が圧倒的に多く、文化座を応援する客層の厚みが感じられる。客席への案内はじめ、若いスタッフの皆さんもきびきびと丁寧で気持ちがよい。

 舞台は上手に井戸や台所のあるお勝手、下手に山村家の茶の間が作られている。家具調度はじめ、天井の梁や井戸までそのまま映画になりそうなほど、どっしりと重厚である。お峯が井戸水を汲む場面ではほんとうに水が汲まれていて、あの井戸の装置は下がどのようになっているのだろうか。
 若手も中堅もベテランも楷書のお習字のようにきっちりとゆるぎない演技で、1時間5分の上演時間は短すぎず長すぎず(←これはものすごく稀なことなのだ)、先日の江森盛夫さんのお話ではないが、「やっぱり自分はこちら側なのでは?」と思わされた。今年3月に観劇した文学座の『女の一生』のときに感じたように、小劇場通いが中心の演劇生活であっても、やはり半年に一度はちゃんと新劇をみて背筋を伸ばそう。それが可能な環境にあることをもっと感謝して励みたい。

 舞台には当然のことながら地の文は読まれない。自分はいつのまにかラジオドラマの坂本和子の語り口で呼吸しながら舞台に見入っていた。終幕、立ち去った石之介を追いかけてお峯が戸口をあけると強い寒風とともに雪が舞い落ちる。「引出しの分も拝借致し候 石之介」と書かれた紙きれを握りしめ、お峯は声もなく拝むような姿勢でかがみこむ。「後の事しりたや」。自分は心のなかでそうつぶやいていた。

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