因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

演劇集団円『田中さんの青空』

2008-05-26 | 舞台
*土屋理敬作 森新太郎演出 公式サイトはこちら 田原町ステージ円 公演は25日で終了
 公演チラシには「五人の女優が、”一人芝居”に挑む」とあり、いつもの土屋作品と違う予感がした。土屋作品を初めてみたのは2002年ステージ円公演の『栗原課長の秘密基地』(松井範雄演出)で、一時も気が緩まずからだが前のめりになった。登場人物の誰にも言葉に言い尽くせない重苦しい現実があり、しかしそれでも生きていく。人生を変える芝居もあるが、土屋理敬の作品は人生をみつめる目を変えさせる力があることを確信した(因幡屋通信13号に劇評掲載)。2005年上演の『梅津さんの穴を埋める』は楽しんだことは確かであるが、どうしても『栗原課長~』の上を行くものを求める気持ちがあって、いささか物足りない印象が残った。

 劇作家にはそれぞれ持ち味や個性がある。土屋理敬なら登場人物たちがやや特殊な設定の中で右往左往する日常会話が急変し、予想外に重苦しい展開をみせはじめるときであり、胸が痛む結末ではあってもしみじみと優しい気持ちにさせるところであろうか。しかし持ち味や個性はうっかりするとマンネリを生む。演劇集団円公演の場合も土屋作品の常連俳優がいて、実力のある俳優陣が安定した演技をみせるものの、どこか「いつものパターンかな」と先読みしてしまうのである。

 それが今回は「五人の女優による一人芝居」だという。最初からまったく予想がつかない。一人芝居というのもなかなかに難しいもので、俳優の存在、演じる俳優のエゴが全面に出てしまうといくら達者な演技であっても鼻につくし、かといってやはり俳優の独壇場になるのは致し方ない。土屋理敬は五人の女優に何をさせようとしているのだろう?

 五人の女の事情はさまざまであるが、皆「田中さん」という女性から何かしらの影響を受けているようである。田中さんを含めた女性たちに関わりをもつ二人の男性も登場する。中盤まで話の展開がまったく読めない。しかし気がつけば話のひとつひとつが交わり、繋がっていくさまに唸る。「謎解き」に終始せず、作劇の巧さを際立たせる説明台詞やあざとい展開にならないところがすごい。そうか、こういう話だったのか…!

 これは劇作家が作風を変えたというより、筆の力が強くなったことだと思う。さらに、当日リーフレットに記された演出の森新太郎の文章によれば、五人の女優さんたちは新作が一人芝居であることに大変悩み、苦しんだそうである。これが「一人芝居?待ってました」と張り切ったなら、この作品は成立しなかったかもしれない。女優が演技の巧さを披露できる作品ではなく、むしろ一人で演じていることの不自然さや不自由、きごちないところやわざとらしい嘘くささ(あら短所ばかり)があってこそ、物語に奥行きがでて観客をその世界に引き込むのである。

 数年前NHK朝の連続テレビ小説で、シングルマザーの奮闘を描いた『私の青空』が放映された。作者の内館牧子が「皆がお互いの生き方を認めあったら、誰の頭上にも青空が広がると思う」と語っていたことを思い出す。舞台から受けたものが非常に重く痛いので、『田中さんの青空』についてまだ深い考察はできないのだが、今はただひたすら祈りたい。登場した人々の頭上に、舞台をみた客席のひとりひとりの頭上に、どうか大きな青空よ、広がれと。

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