草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

悲壮感が漂う文面であった12月8日の大東亜戦争開戦の詔書!

2020年12月08日 | 歴史

山本五十六率いる連合艦隊は昭和16年12月8日、パールハーバーを奇襲攻撃し、我が国は米国と英国に対して宣戦を布告した。79年前の今日である。米国によって追い詰められていたがゆえに、我が国は無謀な戦いに突入せざるを得なかったのである▼その2年前に米国は日本商品への懲罰関税を課したほか、前年には航空用ベンジンや石油一般の供給の停止、さらに開戦の年には米国におけるすべての銀行預金の凍結、最後通牒ともいわれるハル・ノートを突き付けてきたのである。座して死を待つことをよしとせず、乾坤一擲の勝負に我が国は打って出たのである▼開戦の詔書では「朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ回復セシメムトシ、隠忍久シキニ弥リタルモ、彼ハ毫モ交譲ノ精神ナク、徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ、此ノ間却ッテ益々経済上軍事上ノ脅威ヲ増大シ、以て我ヲ屈従セシメムトス」との現状分析を踏まえて、悲壮な覚悟で「事既ニ此ニ至ル。帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為、蹶然起ッテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ」との結論に達したのだった▼東京裁判によって東条英機ら7名が「平和に対する陰謀」という罪で絞首刑に処せられた。そんな国際法はどこにもなかったのであり、事後法によって裁かれたのだ。敗れた者に弁解の余地はないとはいえ、当時の日本の政治指導者が「平和に対する陰謀」を企てたのかどうかは、後世の歴史家の判断に待つ以外にないのである。

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