戦後の一時期は日本の大学はマルクス主義一辺倒であった。現実の暮らしを論じる経済学までそうであったのだから、とんでもない時代であった。偉そうな肩書の学者の論文は、日本が帝国主義か、それともアメリカの従属にあるか、日本は市民革命を経ていないかどうかをめぐって、それこそ口角泡を飛ばす激論がたたかわされていたのである。現実の世界がどうなっているかよりも、マスクスの文献のどこに何が書いてあるかが重要だったのである▼ソビエトが崩壊したあたりから雲行きが変わってきた。人権とか平和とか環境保護の方に左翼がシフトするようになった。明確なイデオロギーではないので、反論がしにくいから、結構支持者も増えた。共産主義者や無政府主義者が危険な存在であったように、それらを主張する理想主義者もまた、危険な存在なのである▼レイモン・アロンは「夢想に賛成するために現在と未来とを同時に拒否することは、崇高なことではなくて、ばかげたことである」(『歴史哲学入門』服部春彦訳)と書いている。夢想を実現するために暴力を振るうことで、一体何がもたらされるのか、米国で騒いでいる暴徒はその典型である。共産主義という妖怪は姿を消したが、未だに軽薄な理想主義者が跳梁跋扈している。今を真剣に生きるために、どう決断すべきかが問題なのであり、破壊のための破壊は断じて許されないのである。
米国で起きているトランプへの抗議行動を、民主党はバイデン大統領選挙の勝利に結びつけようとしているが、そういった思惑はあまりにも危険である。黒人が白人警察官に殺害されたことへの怒りは、もっと奥深いものがあるのに、民主党が米国の分断を煽ってしまったことで、取り返しがつかなくなっているからだ▼略奪や「警察はいらない」とのスローガンは、過激派の合言葉である。「金持ちは泥棒である」「警察は権力の手先」という言葉によって正当化されてしなうのだ。ソレルが『暴力論』で書いているように、大衆の革命的な暴力行使は「直接的な生」であり、それは議会主義の否定へと結びつくのである。既存の政党が民衆の要望を実現してくれないからとの理由で、白昼堂々と暴徒が乱暴狼藉をするのである。理性的な見方を否定して、むき出しの「生の本能」を爆発させるのだ▼議会主義が危機に瀕しているからこそなおさら、それをぶち壊そうとする者たちを民主党は利用すべきでない。いつの日か自分たちも標的になるのであり、どうしてそれが理解できないのだろう。もっとも戦闘的なのがサンディカリズムやアナーキズムである。一度火が付けば、消すことは容易ではないのだ。民主党のトランプ憎しが米国を混乱させているのである。
https://www.youtube.com/watch?v=NDS5J0S-BHE
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(続)⑤笠井尚氏の会津の本を読む 山口弥一郎の『東北民俗誌会津編』