草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

未だに「平和憲法」を口にする曲学阿世の徒の東大教授を嗤う!

2020年06月19日 | 学問

危機に向き合うことなく、言葉遊びに興じることが許されるのが日本のアカデミズムなのである。東京大学教授である森政稔の『迷走する民主主義』を読んで、なおさらその思いを強くした。とくに今の憲法を語るときの言説は、あまりにも幼稚である▼森は「平和憲法の思想が、いまただちに実現されるものだと考えることは困難がある」と述べながら、その一方で「戦争を放棄するということが究極的には正しいことを言っているのもその通りであると思う」と述べるのである。森にとっての結論は単純で「他国の人々と自分たちの利益が一致することを展望すること」こそが重要なのである▼森には、理想を求めながらも、現実を直視した永井陽之助のような厳しさはない。中共の軍事的な膨張も、内向きになってきている米国の現状も、まったく触れられていない。共産主義国家を平和勢力と言っていた者たちと比べてはましではあるが、思考のパターンはそこから一歩も抜け出せないのである▼「平和憲法」を口にすることで、憲法を神聖なものに仕立て上げてしまっているのだ。まさしく学歴エリートの限界である。迷走しているのは森自身なのである。戦後の言論空間が壊れつつあるのに、未だに縋りつこうとする者たちがアカデミズムには多い。そんなことだから、虎ノ門ニュースに出演する評論家に簡単に論破されてしまうのである。

https://www.youtube.com/watch?v=EByZK57ItPQ

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(続)⑨笠井尚氏の会津の本を読む。井出孫六の『秩父困民党群像』

コメント (1)
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