このままでは小泉進次郎環境相に期待しても無理である。彼は国家観を語らないからである。次代を担う政治家が今やるべきは、国民受けのする「改革」ではなく、日本を取り戻すことである。我が国を貶める特定国家に身構えることなのである▼小泉の父小泉純一郎は改革者を自任していた。首相時代に推進した「構造改革」で、本当に日本をよくなったのだろうか。経済合理性が優先され、生産の拠点は次々と海外に移った。いくらアベノミクスで株が上がっても、もう一つ実感が伴わないのは、日本国内の物づくりが衰退してしまったからなのである▼エリック・ホッファーは『安息日の前に』(中本義彦訳)において、改革なるものの危険性を説いた。「改革に伴う危険とは、治療が病気にもまして症状を悪化させうる危険である。改革は社会という身体に施す手術である。しかし、改革者は手術医とは違い、好ましくない結果へと改革の道筋をそらす、予期せぬ副作用に対する準備ができていない。そのうえ、社会を診断する改革者自身が病気の一部と化していることも多い」▼小泉環境相はこの文章を肝に銘じるべきだろう。そして、国防安全保障に関する考えを明確に打ち出すべきである。アメリカべったりでよいのか、それとも自立に向かって一歩踏み出すべきか、それを語る指導者を今の日本人は求めているのだ。小泉環境相が大成するかどうかは、その一点にかかっているのである。
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