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2010/6/30放送
世の光の時間です。 いかがお過ごしですか。 板倉邦雄です。
今日は「義のために迫害されている者は幸いだ」という題でお話ししましょう。
いよいよキリストの八福の最後になりました。 全文をお読みします。
「義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである。天国は彼らのものである。わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」
マタイの福音書の5章の10節から12節 (口語訳聖書)
キリストのためではなくても、この世では互いに苦しみ苦しめられるものです。 私たち人間はお互いに傷つけあいながら生きていくしかないようですねえ。 ののしりあったり、様々な悪口を言ったり、中傷を言い合いながら生活してゆくのでしょうか。 そして互いに傷つけ合って生きて行くのです。 どこに幸いがありますか?
しかしイエス・キリストのために苦しめられる、ののしられる、偽って様々な悪口や中傷を言われたら幸福なのだ、とイエス様は言うのです。
私たちは実際に傷つきますか? その傷はやがて栄光に輝くのです。 受けた傷は誇りにさえなります。 喜びに変わる、と言うのです。
なぜなら、イエス・キリストを自分の救い主として信じているからです。 イエス・キリストは、人を傷つけないでは生きていけないこの私のために傷ついてくださった。 罪のないお方がののしられ、悪口を言われ、中傷されて、実際十字架の上で肉を裂かれ、血潮を流されたからです。
このイエス・キリストのために私が苦しめられ、ののしられ、中傷されるとき、それは私たちにとって勲章となるのです。 私もキリストの弟子の一人となった、という誇りです。 昔の預言者たちの仲間に加えられた、という誇りです。
やがて私たちの受けた傷はイエス・キリストによって癒され、栄光の輝きと変えられていくでしょう。
聖書のことばです。
「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。それによって私は神のおきてを学びました。」 詩篇 119篇71節(参照)
キリストのために苦しみにあったことが私にとってしあわせでした、そのような告白ができる人生とさせてくださいますように。 アーメン。
( PBA制作「世の光」2010.6.30放送でのお話より )
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