♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■立ち上がりなさい / 福井 誠

2022年09月30日 | Weblog

2022/4/29放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。「継続は力なり」 聖書を日々読み進むなら、不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は士師記4章14節から「立ち上がりなさい」と題してメッセージをお伝えいたします。

 デボラはバラクに言った。「立ち上がりなさい。今日、主があなたの手にシセラを渡される。主があなたに先立って出ていかれるではありませんか。」

 昨日は、神とともに生き戦う人生の素晴らしさがある、というお話しをいたしました。しかし、この士師記に描かれた出来事、そもそも本当のことなのだろうか、『日本昔ばなし』みたいなものではないか、と思われる人もいることでしょう。

 しかし、旧約聖書の世界については、様々に緻密な考古学的発掘調査が行われてきました。それらを記録した書籍を読むと、ここに記されたこともほぼ史実と考えてよい、と私は思っています。

 ともあれ、イスラエル人にとって最新鋭の戦車を900台も揃えた敵軍をどのように撃退するのか、そして自分たちの国の自治を取り戻すのか、実に深刻な問題がここで生じていました。

 そこに女預言者デボラが登場し、バラクと言う人物を呼び寄せ、神のことばを伝えるのです。「立ち上がりなさい。主があなたに先立って出ていかれるではありませんか。」 まさに、神とともに生き戦う人生、神の助けを信頼しながら、自分の全力を尽くす人生へと、彼女は招き入れているのです。

 皆さんでしたらどうされるでしょうか。神とともに生き戦う人生、そこに懸ける。そのように腹を決めることができるでしょうか。バラクは、デボラのことばに励まされて立ち上がり、戦いに出ていくのです。そして「神が彼を助けバラクは勝利した」とあります。
 実際には、この時に季節的な暴風雨が起こり、キション川が氾濫し、そこを渡ろうとした900台の戦車が水で押し流されたのではないかと考えられていますが、神が女預言者デボラを通して約束した通りのことが起こりました。

 大切なのは、この戦いがバラクの信仰による応答をもって機能したことです。信じて踏み出していく、それが信仰です。

 では、今日もよき一日となるように祈ります。


    ( PBA制作「世の光」 2022.4.29放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■戦いを教え、知らせるため / 福井 誠

2022年09月29日 | Weblog

2022/4/28放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。「継続は力なり」 聖書を日々読み進むなら、不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は士師記3章2節から「戦いを教え、知らせるため」と題してメッセージをお伝えいたします。

 「イスラエルの次世代の者、特にまだ戦いを知らない者たちに、戦いを教え、知らせるためであった。」

 「イスラエルの次世代の者」というのは、おそらく第二世代ではなく、第三世代の者です。第一世代が経験した出エジプトの出来事を知らない、また第二世代が経験した約束の地カナンを征服するための戦いも知らない、全く新しい世代です。

 彼らの特徴は先の2章でみたように、神について聞かされていて何となく受け入れている程度の信仰者だということです。まことの神を知らないので、彼らは容易に偶像崇拝も受け入れていきますし、そのために異邦の民との関係で様々な試練を味わうことになりました。

 しかし聖書は、それは神のご計画によるもの、つまり「まだ戦いを知らない者たちに、戦いを教え、知らせるためであった」と言います。彼らが、神が存在して、その神とともに生きることの素晴らしさを理解できるようにするためであったというわけです。

 世の中には、神をあからさまに拒否する人、あからさまではないけれども「そんなのは迷信の類であると思っている人」、いやいや神仏を信じる心は大事だから、「理性的に考えるとどうかな」と思いながらも受け入れている人、「いや、占いやおみくじに支配される人のように、何となくそういう存在は有り」と思っている人、様々な人がいるでしょう。

 聖書は、世にはまことの神がただ一人おられ、その神がこの世界も人もお造りになったことを明らかにしています。

 そして、その神は、苦しんでいるときに叫び求めるならば、助けの手を差し伸べられる方であることをこの章で明らかにするのです。

 神とともに生きる、神とともに戦うことを知らない人々に、そのような人生と勝利があることを伝える、それが聖書なのだ、と言えるでしょう。

 では、今日もよき一日となるように祈ります。


    ( PBA制作「世の光」 2022.4.28放送でのお話しより )


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■わざを知らない別の世代 / 福井 誠

2022年09月28日 | Weblog

2022/4/27放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。「継続は力なり」 聖書を日々読み進むなら、不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は士師記2章10節から「わざを知らない別の世代」と題してメッセージをお伝えいたします。

 「彼らの後に、主を知らず、主がイスラエルのために行われたわざも知らない、別の世代が起こった。」

 昨日もお話しましたが、イスラエルの民は約束の地をことごとく自分のものとせず、中途半端な占領で終えてしまいました。彼らは神のことばに徹底して従うことをしなかったのです。その結果、何が起こったのか。

 彼らは、そこに住んでいた人々の宗教に影響されて偶像崇拝の罪に陥っていくのです。そして彼らは占領したはずの土地で再びその地の住人に支配され、略奪を受けるなど苦しむことになります。

 7節を見ると、「ヨシュアがいた間、また、主がイスラエルのために行われたすべての大いなるわざを見て、ヨシュアより長生きした長老たちがいた間、民は主に仕えた。」とあります。

 つまり、彼らの信仰は、ヨシュアや長老たちに支えられたもので、自立的なものではありませんでした。神と個人的に結びついて、神を崇め、神とともに生きる信仰ではなかったのです。人に支えられる信仰、「人に神はいるのだ」と言われてぼんやり信じているだけの信仰でした。

 そしてさらに10節。「彼らの後に、主を知らず、主がイスラエルのために行われたわざも知らない、別の世代が起こった。」とあります。

 いずれにしても、神、主を体験的に直接的に知らない人々、ただ神様について聞かされている、それでなんとなく家の宗教に繋がっているような人々が描かれていると言えるでしょう。

 新約聖書の中で使徒ヨハネは、イエスとともに歩んだ日々を振り返り、それは神を知り神の力を味わうものであったことを証ししています。

 神は架空の存在ではありません。神は私たちの人生に介入されるお方、そして神に従う人生には恵みがあふれています。大事なことは、神を直接味わう信仰に生きることです。
 では、今日もよき一日となるように祈ります。


    ( PBA制作「世の光」 2022.4.27放送でのお話しより )


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■主は彼らとともにおられた / 福井 誠

2022年09月27日 | Weblog

2022/4/26放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。「継続は力なり」 聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は士師記1章22節から「主は彼らとともにおられた」と題してメッセージをお伝えいたします。

 「ヨセフの一族もまた、ベテルに上って行った。主は彼らとともにおられた。」

 今日から士師記を見てまいります。士師記は、モーセ、ヨシュアに継ぐイスラエル全体を指導する指導者が起こされなかった時代の歴史です。

 モーセやヨシュアの時代、神は彼らを通してイスラエル全体を導かれました。

 しかし、その後、イスラエルに王様が起こされるまでは、イスラエルには無秩序な状況が続いていくのです。しかし、神はそのような状況の中でも、士師もしくは「さばきつかさ」と呼ばれる指導者を召しだし、各地域ごとに、イスラエルの各部族を導かれました。
 それは、現代の教会が置かれた状況と似た面があるかもしれません。神の民とも言うべきキリスト者は、全体として勝利の歩みをしているわけではなく、ここかしこでそれぞれが個々に小さな勝利を収めながら歩んでいるというわけです。

 そこで1章は、ユダ族とシメオン族の同盟軍による南カナンの征服、ヨセフの一族によるべテルの奪回、そして中部北部に定住した部族がカナン人を追い払い得なかった村落のリストなどが書かれています。

 気になるのは、27節以降、イスラエルの民が追い払うことのできなかったカナン人のリストでしょう。

 しばしば繰り返されることば、「完全に追い払うことがなかった」があります。不徹底な占領のために、これ以降の士師記の様々なエピソードが語られることになります。「歴史から学ぶことは、人類が歴史に学ばないことである」と言われますが、聖書のこれらの記事は、「教訓のため」(参照 コリント人への手紙第一 10:11)と言う部分があります。私たちが、今、どうあるか、どうあるべきかを教えるものです。かつての指導者ヨシュアは、「十分に気をつけて、あなたがたの神、主を愛しなさい」と言いました。

 安易な道を進まず、主とともに上って行く者、戦っていく者でありたいものです。

 では、今日もよき一日となるように祈ります。


    ( PBA制作「世の光」 2022.4.26放送でのお話しより )


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■主に心を傾けなさい / 福井 誠

2022年09月26日 | Weblog

2022/4/25放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。「継続は力なり」 聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われるものがあります。
今日も聖書を開いてまいりましょう。

 今日はヨシュア記24章23節から「主に心を傾けなさい」と題してメッセージをお伝えいたします。

 「今、あなたがたの中にある異国の神々を取り除き、イスラエルの神、主に心を傾けなさい。」

 今日から私、福井誠が一週間連続でメッセージをお伝えします。今回はヨシュア記と士師記からお話しをしてまいります。もし、前後のメッセージも合わせて各書全体を通してお聞きになりたいと思われたら、Youtubeで「パスターまこと」と検索をしてみてください。私の聖書通読ブログの音声版を聞くことができます。

 さて、今日はヨシュア記、最後の章を読みます。かつてエジプトで奴隷であったイスラエル(は)、今、新しい指導者ヨシュアのリーダーシップのもと、カナンの中央部、南部、北部で起こった大きな戦いに勝利を収めました。そして、ついに神に約束された土地を、自分たちのものとするのです。

 この偉大な使命を終了し、年老いたヨシュアがシェケムにイスラエルの民を集め、神との契約の更新をしているのがこの最後の章になります。ヨシュアは、イスラエルの歴史において神がなさってくださった素晴らしいみわざを振り返っています。族長たちの召しに始まって、出エジプト、ヨルダン川東側の勝利、そしてヨルダン川を渡った後の約束の地での数々の勝利です。

 そのことばの端々に強調されることは、これらイスラエルの勝利と成功が一つとしてイスラエルの力によるものではないこと、神の助けによるものであったことです。

 そこでヨシュアは、イスラエルの民に神への絶対的な献身を促し、これまでの神の恵みを覚えて主に仕えていく決意を明確にさせていきます。

 しかし、イスラエルの民はヨシュアや長老たちの生きている間主に仕えた、と言います。信仰において大切なのは指導者ではない、指導者が指し示す神にこそしっかりつながって、主に心を傾けることでしょう。

 では、今日もよき一日となるように祈ります。


    ( PBA制作「世の光」 2022.4.25放送でのお話しより )


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■アイデンティティは天にあり / 近藤愛哉

2022年09月24日 | Weblog

2022/4/23放送

 「世の光」の時間です。盛岡聖書バプテスト教会の近藤愛哉(よしや)です。

 私たちが生きる世界では、国と国との間に国境と言う線が引かれています。そして私たちはそれぞれの国籍を持っています。普段の生活の中ではそれほど意識をしないんですけれども、外国に行って異文化に触れたり、他の国出身の人と接するときに、「ああ、自分は日本人なのだなあ。」と強く自覚することがあります。

 新約聖書の時代、ピリピという町がありました。現在のギリシャに位置する町です。このピリピの町には、ローマ帝国の市民権、言うなればローマの国籍を持つローマ人たちが主に住んでいました。

 彼らは、都であるローマからは遠く離れたピリピの町に住みながら、ローマ人としてのアイデンティティを強く持って、ローマの法律に従って生活していました。

 しかし、パウロと言う人が、このピリピの町の教会に宛てた手紙の中で、「私たちの国籍は天にあります」(ピりピ人への手紙3章20節)と書き送りました。

 「私たちの国籍は天にある」 何とも不思議なことばです。国籍が天にあるとはどういうことでしょうか。

 私には思い当たることがあります。数年前、私が牧師をしている盛岡の教会には、色々な国出身の人が集まっていました。日本人、韓国人、中国人、フィリピン人、シンガポール人、ネパール人、アメリカ人、イギリス人、ロシア人。・・・ 確かにそれぞれの国籍は違いました。でもその違いを超えて、国同士の間に生まれた歴史上の様々ないさかいも超えて、私たちは毎週日曜日には一緒に礼拝をささげていました。共通していたのはイエス・キリストを信じる信仰であり、このイエスを信じて生きることの喜びでした。そして共有していたのは、やがてこの地上の生涯を終えたとき、天において与えられた永遠のいのちを生きるようになるという希望でした。

 「私たちの国籍は天にあります」 あなたにもこのことばが向けられています。神は、イエス・キリストにあるいのちの希望を抱いて生きる人生に、あなたを招いておられます。


    ( PBA制作「世の光」 2022.4.23放送でのお話しより )


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■いのちの実を結ぶ / 近藤愛哉

2022年09月23日 | Weblog

2022/4/22放送

 「世の光」の時間です。盛岡聖書バプテスト教会の近藤愛哉(よしや)です。

 私が住んでいる岩手県は自然がとても豊かな所です。海があり、川があり、そして山があります。4月になると、長い冬の間に春の到来を待ちわびていた植物が一斉に芽吹き、やがて花を咲かせます。夏や秋の実りの季節には、たくさんの種類の果物が実ります。私が牧師をしている教会の敷地内にもぶどうの木があり、収穫の季節には甘いぶどうを味わうことができます。

 聖書にこんなイエス・キリストのことばがが残されています。
 「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。」
     新約聖書 ヨハネの福音書15章5節

 面白いことに、イエスは自分と人との関係をぶどうの木と枝にたとえているんです。確かに切り落とされた枝からは実はなりません。木と枝がつながっているからこそ、いのちが通い、実がなります。イエス・キリストを信じ、イエス・キリストとの関係の中に生きるとき、私たちは多くの実を結ぶ、と言われているんです。

 では私たちが結ぶ実とは一体何でしょうか。 色々な実を結ぶようになる中で、最も大きな実は「いのち」という実です。

 人間はどんな生涯を送ろうとも、やがて誰もが死を迎えます。例外はありません。「死んだら一体どうなるのだろうか?」 そんな疑問を抱き、不安や恐れを感じたことはないでしょうか?。 

 これまで私は牧師として何人もの死にゆく方々と時を過ごして来ました。お年を召された方も、若い方も、イエス・キリストを信じていた彼らは、自分の死が間近に迫っている時にも確かな希望を抱いていました。それは「死は終わりではない」という希望。神とともに天国、天の御国で生きる永遠のいのちがイエス・キリストを通して与えられているという希望です。

 イエス・キリストを信じる時、あなたもこのいのちの実を結ぶようになるのです。


    ( PBA制作「世の光」 2022.4.22放送でのお話しより )


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■復活のイエスに出会うなら / 近藤愛哉

2022年09月22日 | Weblog

2022/4/21放送

 「世の光」の時間です。盛岡聖書バプテスト教会の近藤愛哉(よしや)です。

 4月17日の日曜日はイースターでした。世界中のキリスト教会でイエス・キリストの復活をお祝いする礼拝がささげられました。

 聖書には、十字架につけられて死んだイエス・キリストが、それから三日目に死者の中からよみがえった、と記録されています。

 今日は、このイエス・キリストの復活について、私がこれまでに何度もされてきた二つの質問と答えを挙げてみることにします。

 まず一つ目は、「死んだ人が復活しただなんて本気で信じているのですか?」という質問です。
 答えは、「はい。私たち教会は本気でそのことを信じています。」

 二つ目の質問は、「イエスの教えが大切なのであって、復活したことがそんなに重要なことですか?」という質問です。
 答えは、「はい。イエスが復活したことはとても重要なことです。」

 イエス・キリストは、十字架につけられる前から、ご自分が殺されること、そして、それから三日目によみがえることを、はっきりと教えていました。ですから、もしイエスが死んだままだったならば、イエスは嘘をついていたということになり、イエスの教えも信頼できないものということになります。けれども、イエスはそのことばの通りによみがえり、弟子たちの前に姿を現したのです。

 イエスが殺されてしまったという悲しみや恐れから姿を隠したり逃げ出してしまっていた弟子たちも、復活したイエスに会った後には堂々と「イエスは本当に死者の中からよみがえられた!」と伝え続けたのです。

 イエスの復活、それは私たちに与えられた大きな喜び、そして希望です。このイエスを信じるならば、イエスと同じように私たちにも死で終わることのない永遠のいのちが与えられる。これが聖書の約束です。死からよみがえったイエス・キリストからあなたにも、この永遠のいのちの希望と喜びが差し出されているのです。


    ( PBA制作「世の光」 2022.4.21放送でのお話しより )


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■いのちのパン / 佐々木真輝

2022年09月21日 | Weblog

2022/4/20放送

 「世の光」の時間です。北上聖書バプテスト教会の佐々木真輝(まさき)です。

 私は週に何度か夕飯を作ります。結婚して以来30年以上続けてきたことなので苦になるということは滅多にありませんが、時には夫婦二人共に疲れ切っていて、今日は作りたくないなあと思う事があります。そんなとき、誰かが食事を作って運んで来てくれたらどんなに良いだろうかと思います。

 イエス様がたくさんの人々を相手に病気を癒やし、お話をしていたある日、ずいぶん時間が遅くなってしまいました。その時、五つのパンと二匹の魚を大勢の人たちに分けるという奇跡を行いました。皆が満腹になり、しかも残りもたくさん出るという驚くような奇跡でした。
 これを見た人々は、ぜひイエス様に王様になって欲しいと思い、「俺たちの王になってくれ」と詰め寄ります。なんて浅はかなことと思われるでしょうか。

 よくよく考えれば私たちだって、政治家や国のリーダーに期待する一番の関心事は経済問題です。景気を良くし、失業率を下げ、賃金があがるような政策を期待します。どんなに良心的で人権や平和を重視するリーダーでも、経済政策がダメだとすぐ支持率が下がります。食べないと生きていけないのですから、それはそれで仕方がありません。

 イエス様はもちろん私たちが仕事を失ったり飢えることを望んだりはしません。それでもイエス様は人々のためにパンの奇跡を何度も繰り返すことはしませんでしたし、人々の期待に応えて国の指導者になるということもありませんでした。

 ただ、イエス様は「わたしはいのちのパンです。」と言い、キリストは私たちに食べ物や経済的な豊かさではなく、いのちそのものを与える方であると教えてくださいました。
 食べることは生きることです。パンはもちろん必要です。でも、戦争や災害によって愛する者と引き裂かれたり、安心して暮らせる場がなくなった人たちが、食べ物だけあっても決して心が満たされず、生きる意味や喜びをどこに見出したら良いか分からなくなってしまうように、食べるもの、経済的な保証があれば幸せになれるとは言えないのは明らかです。

 しかしイエス様は私たちのいのちのパンです。私たちに生きる意味と喜びを見つけさせ、神様に愛されている安心と、他の誰かを愛する喜びに生きることができるようにさせてくださいます。

 元気を与えてくれると信じて目の前の食べ物を口にするように、いのちのパンであるイエス様を信じ、あなたの心と人生に受け入れるなら、イエス・キリストのいのちによってあなたの心と生活、人生は満たされたものとなるのです。


    ( PBA制作「世の光」 2022.4.20放送でのお話しより )


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■死んでも生きる / 佐々木真輝

2022年09月20日 | Weblog

2022/4/19放送

 「世の光」の時間です。北上聖書バプテスト教会の佐々木真輝(まさき)です。

 ディケンズというイギリスの作家をご存じでしょうか。ディケンズが書いた『二都物語』という小説があります。フランス革命前後のロンドンとパリを舞台に、顔かたちのよく似た二人の青年と、彼らがともに想いを寄せる女性が織りなす物語です。

 ロンドンで自堕落な生活をしていたカートンという青年が、一人の女性と出会い、心に光を得ます。彼女に心を寄せつつも自分は彼女にふさわしくはないと考え、彼女と彼女が愛した人のために何でもすると心に決めます。やがてパリの友人がその女性と結婚するのですが、フランス革命の嵐の中で断頭台送りになってしまいます。その時カートンは、顔かたちのよく似た友の身代わりになり、愛する人々を脱出させることを決意し、自らは断頭台に露と消えるのです。そうした中で、青年が繰り返し一つの聖書のことばをつぶやきます。

「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」
  新約聖書 ヨハネの福音書11章25節のことばです。

 これから断頭台に向かって命を散らそうとしている人が、どうしてこのことばを思い出し、繰り返し口にしたのでしょうか。自堕落で生きる意味を持てなかった青年が、生きる喜びや希望を取り戻させてくれた人のために、友の身代わりとなることによって自分の命に意味を見いだせると信じたのです。

 私たちは確かに避けられない死に向かっています。肉体的に死に行く者であるというだけでなく、時には二都物語に出てくる青年のように、生きる意味や喜びを見いだせない、心が死んだような者であるかもしれません。

 しかし、イエス様はこの聖書のことばを通して、人が死んで終わるのものではなく、死の向こうに復活の希望があることを語ってくださっています。

 「死んでも生きるのです」ということばは「いつの日かよみがえる」という未来の話しであるだけではありません。今まさに死に行く者、死んだような者であっても、とことんダメだった人間であっても、イエス様によって今、生きた者とされ、イエス様によって新しく生きる者にされます。イエス様がその復活のいのちを私たちに与えるからです。

 さあ、この新しい命をあなたもイエス・キリストから戴いて、生きる意味を確信し、生きる喜びに溢れる者として歩み始めませんか?


    ( PBA制作「世の光」 2022.4.19放送でのお話しより )


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