♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■無理にではなく花の香りのように /村上宣道

2011年01月31日 | Weblog
2011/1/31放送

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 別の番組ですけれどもこんなクイズが出されました。

 「与えられた人を豊かにしながら、与える人は何も失わないものは何でしょうか。」

 お答えをお考えいただく間にちょっと一つの詩を紹介したいと思います。

  微笑み それは一文も元手はかからない。
      しかし 驚くべきものを人に与える。
  微笑み それは人に与えても一向に減りはしない。
      しかし もらった人を限りなく豊かにする。
  微笑み それは人生のあらゆる問題に対して神の与えた妙薬である。
      しかし
      この微笑みは 金で買うことも人から借りることも盗み取ることもできない。

 というのですねえ。

  えー今お読みした中に、人に与えても一向に減りはしない、しかしもらった人を限りなく豊かにする、それが微笑みだ。先ほどの答えにもこれは当てはまるのではないでしょうかねえ。

 そしてですねえ、微笑みについて河野 進さんという方がこういうふうな詩を作っていらっしゃるんですけども、

  微笑みはまばたきと一緒に
      無理にではなく、仕方なしにでなく、
      気づかずに、自然に、花の香りのように

  っていうふうにあるんですね。

 微笑みってのは確かに、じゃあ微笑まなきゃいけないって言って、せーのってがんばってですねえやったらもうかえって顔が引きつっちゃて相手を緊張させてしまうかもしれませんですねえ。ほんとに無理にではなくってまるで瞬(まばた)きを気がつかずにするみたいに微笑みが自然に出てて、花の香りのようにその人からこう出てくると言うようなことであったら素晴らしいなあって思うんですねえ。

 ですからこれは自分の内側にその微笑みを作り出すなんて言いましょうか要素・心の状態になければそれはやっぱり無理するほかなくって、本当にはできないことだろうなと思いますね。必要なのは自分自身の心の中にちゃんと安定感があると言いましょうか、ちゃんと神様から慰めをいただいて力づけられている(ということ)。

 聖書の中に、「気落ちしている者を力づけてくださる神」(参照 2コリント7章6節)ということばがあるんですけれども、私たちも引き込んだりする事があるわけですけども、そんな私たちをも励ましてくださる、慰めてくださる神様を知ることによって微笑みをいつも持ち続けたいと思いますね。

  ( PBA制作「世の光」2011.1.315放送でのお話しより)




     『ほほえみ』     詩 ロバート・バー

  ほほえみ
  それは一文も元手はかからない
  しかし
  おどろくべきほどのものを人に与える
  ほほえみ
  それは人に与えても一向に減りはしない
  しかし
  もらった人を限りなく豊かにする

  ほほえみ
  それを生み出すのに一瞬間もかからない
  しかも
  それを受けた人の記憶の中に
  永久に残ることすらある

  ほほえみ
  これがなくて生きてゆけるほど強い人はこの世にいない
  この人生に
  これがなくてもいいほど豊かな人はいない

  ほほえみ
  それは家庭の中に幸福を作り出し
  職場に善意をつちかい
  友情をやしなう

  ほほえみ
  それは疲れきった魂に安息を
  失望した人に励ましを
  悲しい心に光りをもたらす

  ほほえみ
  それは人生のあらゆる問題に対して
  神の与え給うた妙薬である

  しかしこのほほえみは
  金で買うことも
  人から借りることも
  盗みとることもできない
  それは
  心の奥底から湧き出して
  惜しげもなく与えられた時にだけ
  値打ちが出てくるのである

  ある人は
  あなたにほほえみを与えることができないほど
  疲れている

  だから
  その人にほほえみをあげるは
  あなたです



******

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

***

このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


******

東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-
2196 へ



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■産みの苦しみ /山中直義

2011年01月29日 | Weblog
2011/1/29放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。山中直義です。

 私たちの人生には様々な苦しみがあります。なぜそれらの苦しみがあるのか。聖書はそれを産みの苦しみとしてとらえるようにと教えています。

 新約聖書マルコの福音書13章でイエス様は世の終わりについて語っておられます。目に見えるすべてのものが滅びさる時が必ず来る。そしてその世の終わりの前に人々は必ず多くの苦しみ戦争や地震や飢饉等の苦しみを体験することになる。イエス様ははっきりとそう語られました。

 世の終わりの前にあると言われている苦しみはもちろん私たちが日々体験する苦しみも決して喜ばしいものではありません。私たちはそれを何とかして避けようとするでしょう。しかし実はそれらの苦しみは大切な産みの苦しみになり得るのだとイエス様は言われます(参照 マタイ 24:8、マルコ 13:8)。

 私たちはできるだけ苦しみのない人生を願います。しかし実際には苦しみを通して大切なことに気づかされ深い喜びのある生き方へと導かれていくのではないでしょうか。さまざまな苦しみがまさに産みの苦しみとなって本当に良いものを生み出していくのです。

 では、イエス様が語られた本当に良いこと苦しみを通して産み出されるべき深い喜びとは一体何でしょうか。先ほどの13章13節でイエス様はこう言われました。

 「しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。

 救われるということ、すなわち神様以外の何ものにもしがみつくことも束縛されることもなく神様と本当に親しい関係を持って生きるようになる。それこそが苦しみを通して産み出されるべき本当の喜び、言いようもない深い喜びなのだと聖書は教えています。

 あなたは今、言いようもない苦しみを体験しておられるかもしれません。どうかその苦しみの中で神様に目をとめ、その苦しみを産みの苦しみとしてくださいますように。言いようもない喜び、神と共に生きる喜びをあなたもぜひ見い出してください。

 聖書のことば
  「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。
    旧約聖書詩篇119篇71節

       (PBA制作「世の光」2011.1.29放送でのお話しより )

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■まことのパン、キリスト /岩井基雄

2011年01月28日 | Weblog
2011/1/28放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。

 先週、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」(マタイ 4章4節)という聖書のことばを一緒に学びました。それは旧約聖書の申命記からの引用でしたが、こう書いてあります。

 「あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。」「主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。」 申命記8章2節3節。

 エジプトで奴隷状態であったイスラエルの民は40年間荒野を旅して目的地に向かいました。そしてその間、食べることができたのが神様が与えた不思議なパン・「マナ」というものだったのです。百万人を優に超える人々を神様は、天から降らせるマナという食物でイスラエルの民を導かれました。それは苦しみの中でこそ、人がパンだけで生きるのではなく神様が与えてくださることばによって生きることができることを学ぶためであったというのです。

 そして同じくこの天からのパンであるマナのことについて話題が出た時に、キリストはご自分のことをこう語られました。
 イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」 新約聖書ヨハネの福音書6章35節。

 人が真に生きるために、心が飢えることも渇くこともないために、神が与えてくださったパンはイエス・キリストご自身であると聖書は語っています。どのような困難の中でも、神に信頼し、神のことばに生かされることのできる私たち人間は、何よりも神のひとり子イエス・キリストを心に受け入れることによって満たされ、どんな中にあっても生き生きと生きることができます。天から来られたまことのパン、イエス・キリストを信じる者は決して渇くことがありません。

 あなたもこの天からのパン、イエス・キリストを信じて、真の輝きをご自分のものとなさいませんか。

 それではまた聴いてください。

   (PBA制作「世の光」2011.1.28放送でのお話しより)

******

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書
通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しく
はPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。
日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。
予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。
問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■主にだけ仕えよ /福井 誠

2011年01月27日 | Weblog
2011.1.27放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「主にだけ仕えよ」です。それではマタイの福音書4章10節から読んでみましょう。

 「あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。

 イエス・キリストは公に宣教活動に入る前に荒野でサタンの試みを受けました。既に二つの試みについてお話ししましたが、今日はその最後の試みから教えられていきましょう。

 さて悪魔は非常に高い山にイエスを連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて言いました。
 「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」(マタイの福音書4章9節)

 イエスはこれをどんな思いで聞いていたことでしょうか。イエスは私たちとは違って、この天地をお造りになり、やがてすべての国々を支配されることになる神の子です。何も悪魔に頼まなくても、神に従っていれば悪魔が見せたものはすべて手に入るのです。それなのにどうして悪魔は神よりも自分を拝むようにと勧めたのでしょうか。

 それは神の子であるイエスの支配権が確立するためには十字架の道を通らなくてはならなかったからです。イエスは神の子としてこの地上にお生まれになりましたが、やがて天に上り神の右の座に着座される前に全人類の罪の救い主として十字架で死に、復活しなくてはならなかったのです。

 神に従う栄光の道には苦しみと痛みが伴いました。そこで悪魔は、わざわざ十字架の苦しい道を通らなくても良いではないか、神に従う道は苦しいぞ、しかし私を拝めば楽にその支配権が手に入る、とささやいたのです。

 最後の誘惑、皆さんだったらどう対処されることでしょう。イエスはその誘惑を退けられました。あえて神が定められた苦しみの十字架の道を通られました。神に従って、私たちの罪の赦しのための尊い犠牲となられたのです。

 神はそのイエスをご自分の右の座に着かせられました。

 私たちの心にも悪魔がささやくことがあることでしょう。楽をせよ、近道をせよ、と。しかし真に尊いわざは苦しみや痛みの中で神に従うことで生まれるものです。神のことばにしっかり従う歩みをさせていただきましょう。

  ( PBA制作「世の光」2011.1.27放送でのお話より )

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■人生の旅を安全にする条件 /羽鳥頼和

2011年01月26日 | Weblog
2011/1/26放送

 いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。番組をお聴きくださりありがとうございます。

 イスラエルの民はエジプトを脱出して荒野を40年間も旅しました。その旅の記録が旧約聖書の民数記に記されています。

 その民数記の9章15節16節に
幕屋を建てた日、雲があかしの天幕である幕屋をおおった。それは、夕方には幕屋の上にあって火のようなものになり、朝まであった。いつもこのようであって、昼は雲がそれをおおい、夜は火のように見えた。」とあります。

 ここでの「幕屋」とは神様を礼拝するところです。その幕屋を雲が覆うということは、そこに神様がおられるということを表しています。荒野を旅するイスラエルの民のところに朝から晩まで雲があったということは、一日中いつも神様がイスラエルの民とおられたということなのです。

 そして続く民数記9章の17節には
雲が天幕を離れて上ると、すぐそのあとで、イスラエル人はいつも旅立った。そして、雲がとどまるその場所で、イスラエル人は宿営していた。」とあります。
 イスラエルの民は神様とともに旅をすることができたのです。

 民数記9章18節ではこのことを「主の命令によって、イスラエル人は旅立ち、主の命令によって宿営した。」と表現しています。イスラエルの民は神様の命令に聞き従ったのです。

  このようにイスラエルの民が神とともに、神の言われることに聞き従いながら歩むとき、民は安全に旅をすることができたのです。

 この聖書から分かることは何でしょうか。それは人生という旅を安全にそして安心して歩むための条件です。
 その条件とは第一に、いつも神様がともにいてくださること。そして第ニに、人が神様のことばに聞き従うことであるということです。

 キリスト教会では神様の教えを学んでいます。あなたも神様の教えを聞くために、そして幸せな人生を歩むために、教会にいらしてください。

  ( PBA制作「世の光」2011.1.26放送でのお話より )

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■御国がきますように /関根

2011年01月25日 | Weblog
2011/1/25放送

世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日もさわやかな一日を過ごしていきたいですね。

 イエスキリストが弟子たちに教えてくださったお祈り、「主の祈り」について今考えています。 今日はその中の「御国が来ますように」というお祈りを御一緒に考えましょう。

 「神様の国が来ますように」ということは、それは「神様が私の人生を支配してくださいますように」という祈りでもあるんです。イエス・キリストは公の活動を開始されたとき、ま、開口一番、「悔い改めなさい。天の御国が近づいた」と言われました。

 またある時イエス・キリストはこんな質問を受けられました。 「神の国はいつ来るんですか。」 するとイエス様はこう言われたんですね。 「神の国は人の目で認められるようにしてくるものではありません。 そらここにあるとか、あそこにあるとか言えるようなものではありません。 いいですか神の国はあなたがたのただ中にあるのです。」 このように言われたんです。

 神の国はまず最初に罪を悔い改めることによって近づくのだと言われたんです。 そして神の国は神様を信頼し従う心の中に来るのだ、とも教えられました。 もちろん聖書は心の中に到来する神の国ということとは別に、この世の終わりに神の国が到来する完成があるという事も教えています。

 それではイエス様が教えられたこの「御国が来ますように」という祈りは私たちにとってどんな意味があるのでしょう。

 私たちは誰も弱さを持っています。 自分の心を見るといろいろなものが支配しているなあという事を感じることがありますよね。 時には妬みが支配し、憎しみが心を覆い、空しさが心を覆って、生きる勇気を失わしてしまっている。 また自分勝手な心が支配しているという事もあるし、思い煩いや心配が心を支配しているということもありますよね。

  だからイエス様は「御国が来ますようにと祈れ」と教えられたんです。 それも繰り返し繰り返し祈りなさいと教えられたんです。 「神様、あなたの愛が今日も私の一日を支配し、その愛に生きる事ができますように。神様、あなたの与える安らぎが、私のこの一日を覆っていきますように。 私の行動のすべてに神様の守りが、そして神様の支えが、神様の御手が注がれますように。 私の自分勝手な心が私を支配するのではなく、愛と真実に満ちた神様が、今日も私の心の真ん中にいてくださいますように。」 そんな祈りなんですねえ。そんな祈りが溢れる世界をあなたは想像することできますか? そこには本当の神の国の到来があると思いませんか?

 (PBA制作「世の光」2011.1.25放送でのお話しより)

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■それは、その全身を健やかにする

2011年01月24日 | Weblog
2011/1/24 放送

 世の光の時間です。 お元気でしょうか? 村上宣道です。
 ぇー、今頃から節分にかけてですが、一年で最も寒さの厳しい時期だというふうに言われていますが、風邪をひいていらっしゃる方もおられますでしょうか。 特に受験生などは大事な時ですからひかないようにして健康管理十分気をつけていただきたいものだなと、そう思いますねえ。 まあ受験生に限らず私たちは本当にこう健康を大切にしていかねばならない訳なんですけれども。

 聖書の中にですね、こういうことばがありまして、旧訳聖書の箴言という所なんですけれども、4章という所にですね、ちょっと読んでみますけれども、

わが子よ。私のことばをよく聞け。私の言うことに耳を傾けよ。
 それをあなたの目から離さず、あなたの心のうちに保て。
 見いだす者には、それはいのちとなり、その全身を健やかにする。
 力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。

               (箴言 4章20〜23節)

 こういうことばですね。 その「全身を健やかにする」ということばがあるんですけれども、そのことのために「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」というそのことばがありまして、当然私たちは身体の健康について心を用いていかねばならない訳なんですけれども、しかしながら大事なことは、心の健康管理と言いましょうかね、心をしっかりと守っていくということが全身を健やかにすることにも繋がっていくだろうというふうなことで、よーく神様のことばを聞き、そして聖書に耳を傾け、これから目を離さないようにそれを心の内にしっかり保っていくこと、そういうことがやはり私たちの生活の中では大切なことだ、・・・聞くべきことばではないかなあというふうに思うんですね。 で、他の所でもですね、

 「自分を知恵のある者と思うな。主を恐れて、悪から離れよ。 それはあなたのからだを健康にし、あなたの骨に元気をつける。」(箴言 3章7、8節)

 私たちは、やはり私たちを生かしておってくださる神様を恐れ、その神様を信頼し、神様のみ心にかなうように生きようというふうに心掛けて生きることが身体を健康にし骨を元気づけることなんだという聖書のことばにやっぱり耳を傾けながら、身体の健康とそして心の健康とを大切にしていきたいな、と、そう思います。

  ( PBA制作「世の光」2011.1.24放送でのお話しより)


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■誰を信頼するべきか /山中直義

2011年01月22日 | Weblog
2011/1/22放送


世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、山中直義です。絶体絶命の状況に立たされるとき、あなたは誰を信頼し誰に助けを求めでしょうか。

 ある時イエス・キリストの前に、絶体絶命の状況にあった一人の女性が現れました。貧しいやもめであった彼女には、レプタ銅貨二枚、今で言う百円程度のもの以外には何も残されていなかったと言います。しかし、イエス様がご覧になっていると、この女性は彼女に残されたすべて、そのレプタ銅貨二枚を献金箱に投げ入れたというのです。そしてそんな彼女をイエス様は次のように称賛されました。

 新約聖書マルコの福音書12章43節からのことばです。
 「まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。

 絶体絶命の状況の中、彼女は自分自身でもなくわずかな所有物でもなく、神様を信頼し神様にすべてを委ねた。そしてそれは本当に賢く本当に豊かな報いを受ける決断であった。イエス様はそうおっしゃったのです。

 さて、私たちはいかがでしょうか。番組をお聴きくださってる方の中には、極度の経済的な貧しさを抱えていらっしゃる方もおられるかもしれません。また、経済的にそうでないとしても内面的な貧しさを思い知って苦しんでいる方がおられるのではないでしょうか。

 私たちは皆自分の内面的な貧しさ、私たちを卑しめ、貧しく惨めにさせる罪の問題を自力で解決することはできません。そんな中で聖書は私たちを励ましています。神を信頼しなさい。神に助けを求め、神にあなたのすべてを委ねてみなさい。そうすればあなたは決して恥を見ることはない。神は必ずあなたを救ってくださる。

 どうでしょうか。あなたがもしご自分の貧しさというものを知っておられるなら、神様にご自分のすべてを委ねてみてはいかがでしょうか。神様はあなたの応答を待っておられます。

     (PBA制作「世の光」2011.1.22放送でのお話しより )

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  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
            (自由ケ丘キリスト教会内)

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■有名人の聖書観

2011年01月21日 | Weblog
2011/1/21放送


 世の光の時間です。お変わりありませんか、岩井基雄です。今月と来月の第3金曜日は少し聖書の影響力について考えてみましょう。

 世界で活躍した多くの著名人に聖書を愛読する人たちがいます。彼らの人生感や世界感が聖書によって豊かな影響を受け、人生の転換を経験したと言います。

 18世紀に活躍したドイツの哲学者インマヌエル・カントは、「人間のための書物としての聖書の存在は、人類がかつて経験した中で最大の恵みである。その価値を減らそうとのいかなる企ても人類への罪悪となる。」と語りました。

 またアメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンは、「神と聖書なしにこの世を正しく統治することは不可能である。」と語り、「インドの父」と呼ばれる政治家マハトマ・ガンジーは、「私の生涯に最も深い影響を与えた書物は新約聖書である。」と語っています。

 さらに日本で古代オリエント学会の会長も務められた三笠宮崇仁親王殿下は、「なぜ歴史を学ぶようになったのか」と聞かれた時、「私は戦時中に敵を知ろうとキリスト教を調べ、聖書にぶつかった。始めは、文明を誇る白人がなぜこんなものを信じるのかと笑ったが、聖書が歴史的事実と知ったとき、聖書から離れられなかった。」と語っているのです。

 聖書を多くの人々が調べ、その歴史的な正しさ、人を正しく導く倫理的な確かさに生かされてきました。それはあらゆる分野に及ぶといっても過言ではありません。

 イエス・キリストは次のような表現で聖書すなわち神の言葉の力を表しています。

 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」  新約聖書マタイの福音書4章4節 

 人は肉体的なものだけで満たされるような存在ではありません。真理と愛に生かされ、全てを創造し、愛を与え続けてくださる神のことば・聖書のことばによって私たちは本当に生きる者とされるのです。

 あなたも聖書を読み、神の愛と真実を受け取りませんか。本当にあなたの心が生かされ、輝く道がそこにあるのです。

   (PBA制作「世の光」2011.1.21放送でのお話しより)

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■主を試みてはならない

2011年01月20日 | Weblog
2011/1/20放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井 誠です。 今日のバイブル・メッセージは「主を試みてはならない」です。それではマタイの福音書の4章7節から読んでみましょう。

 あなたの神である主を試みてはならない。

 今日も先週に引き続いて、イエスの荒野での誘惑の物語からお話したいと思います。

 サタンはもう一度イエスを誘惑しようとしました。イエスをエルサレムに連れて行き、一番高いところに立たせてこう語ったのです。「あなたは本当に神の子なのですか。神の子なら、ここから飛びおりてみてはどうですか。 聖書には、神が御使いを送ってあなたを支え守られれるようにしてくださるとはっきり書いています。その通りのことが起こればあなたが神の子であるということも一目瞭然でしょう。」というわけです。

 イエスはこの二度目の誘惑に対しても実に冷静に対処し、私たちが理解すべき大切な教えを説いています。イエスは言いました。

「聖書にはあなたの神である主を試みてはならないとも書いてある。」と。

 サタンはイエスが神の子であることを試すようにそそのかしましたが、イエスはこの機会に神を試みることの愚かさを教え諭すのです。サタンがイエスを誘惑するために用いたのは旧訳聖書詩篇91篇のことばです。その詩篇は実に素晴らしい神の愛と守りを伝えています。少し読んでみましょう。

 主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。(3節) 

 わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。(10節)

 彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。(14節)

 神様はいつも私たちに最善を尽くし守り手・助け手となってくださるお方です。 しかし、神様が本当に私たちを守ってくれるかどうかを試すのは愚かなことだとイエスは言うのです。

 盲信や狂信ということばがあります。 信仰の名のもとに、しばしば極端なチャレンジがなされることがあります。 しかし神は無謀な冒険者の守り手・助け手ではありません。 良識ある聖書の読み方をし、良識のある信仰の歩みの上に主の守りと助けがあることを期待してまいりましょう。

  ( PBA制作「世の光」2011.1.20放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書
通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくは
PBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっ
そり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大
抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なし
でもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹
介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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