♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して70年、
PBA『世の光』を文字で 

■終末の時代の対策 / 羽鳥頼和

2021年02月27日 | Weblog

2020/9/5放送

世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。

 毎年のように大きな災害が起きています。キリスト教会でも災害対策を行っています。私がいる名古屋では東海地方に大地震が起きると言われて、2000年の東海豪雨の後に東海地域の牧師の有志によって対策委員会が立ち上げられました。今、世界中で新型コロナウイルスの世界的な感染拡大が起こり、私たちはその渦中にいます。災害やコロナ禍の中で私たちは不安と恐怖にとらわれています。

 イエス・キリストは、この世の終わりの時代に大きな地震があり、ほうぼうに飢饉や疫病が起こる、とおっしゃいました。そしてそのような中で、諸国の民が不安に陥って苦悩する、とおっしゃっています。

 まさに今私たちが経験していることについてイエス・キリストは語り教えておられます。キリストは終わりの時代に恐ろしいことが起こっている中でもっとすごいことが起こるとおっしゃいました。人の子が雲の内に偉大な力と栄光とともに来る、と言うのです。人の子とはキリストのことです。キリストがこの世に来られるのです。これを「再臨」と言います。キリストの再臨は神の国が来ることであり、キリストが全ての悪を裁かれる時です。そしてその再臨の時までどのように生きたら良いのか、キリストは教えられました

 「これらのことが起こり始めたら身を起こし頭をあげなさい。なぜなら神の国・救いが近づいているからです。そしてギャンブルや深酒をするような自堕落な生活をしてはいけません。わたしがいつ来ても良いように、気をつけて祈りつつ生活しなさい。」と言われました。

 どのように生きたら良いのかについては聖書に更に詳しく書かれています。聖書は消え去ることのない神の御言葉です。キリスト教会は災害などに備えると共に、この世の終わりの時代に、祈りつつ聖書を読みキリストが来られるのを待ち望んでいます。あなたもご一緒にキリストを待ち望みませんか?

   ( PBA制作「世の光」 2020.9.5放送でのお話より )
 
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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■イエスへの審問 / 関根弘興

2021年02月26日 | Weblog

2020/9/4放送
 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。

 イエス様は当時の宗教指導者たちの妬みによって捕らえられてしまいました。弟子たちは皆イエス様を見捨てて散り散りに逃げて行ってしまったんです。イエス様が逮捕されたのは真夜中でしたが、すぐにイエスさまに対する審問が始まりました。
 ユダヤの社会においては重要な決定や裁判はサンヒドリンという最高議会が行なっていました。この議会は律法学者や長老、祭司長たちなどの70人で構成されていました。ただイエス様が逮捕されたのは真夜中だったので正式な議会の招集は明け方まで待たねばなりませんでした。そこでまず大祭司カヤパと議会の主な人々が集まって予備審問が行われたのです。

 当時の宗教指導者たちは何としてもイエスを死刑にしたいと思っていました。そこでイエス様を死刑にする証言を求めるのですが、実際にはイエス様は何の偽りもありませんから偽証に頼るしかありません。偽りの証人を呼んできて、イエス様に対する不利な証言をさせたのです。彼らが最も大切にしているモーセの律法には「偽りの証言をしてはならない」と厳しく戒められているのに、それを無視してまで何とかイエス様を殺そうとしたんです。妬みとは本当に恐ろしいことを引き起こすものですね。

 さて、証言する者がたくさん出てきましたが、なかなか決定的な証拠になるものがありませんでした。それは二人以上の証言が一致する必要がある、と旧約聖書の律法に定められているからです。しかしイエス様はその間、ただ黙っておられました。いろいろな偽りの証言が次から次へと繰り広げられましたが、それらはみな途中で自己崩壊してしまうようなものにすぎませんでした。偽りの証言が矢のように飛んできましたが、イエス様のもとに届くことはありませんでした。

 実はこのことはかえってイエス様が正しく罪のない方であることを明らかにすることになって行ったんです。イエス様はご自分が神の子つまり神と同等の存在であり、キリストつまり旧約聖書に預言されている救い主である、とはっきり宣言なさる以外は沈黙されたのです。

      (PBA制作「世の光」2020.9.4放送でのお話しより)
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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■ルカの福音書31 - 素直になって / 大嶋重徳

2021年02月25日 | Weblog

2020/9/3放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。

 イエス様の誕生物語から時が動いて、イエス様が生まれてから40日後、ヨセフとマリヤ夫婦は赤ちゃんのイエス様を抱いて神殿に行きました。

 そこで出会ったのが、イエス・キリストに会うまでは死なない、という神様からのお告げを受けていたシメオンです。

 聖書には、「聖霊がシメオンの上にとどまっていた」と記され、シメオンはこの日、神様の導きに従って神殿に来ていたのです。シメオンは日々、聖霊なる神様の働きを感じる人、神様からの語りかけに敏感である人物でした。

 私たちの人生には神のお働きだとしか言いようのない不思議な経験というものが実は一人一人持っているのだと思います。不思議と、あの時に死んでいてもおかしくはなかった。しかし神様が私を生かしてくださった。ある日、神様の導きとしか言いようのないひらめき・気づきを得るということがあります。

 しかしそのような神様からの語りかけ導きをなかなか認めようとしない私たちがいるようにも思います。シメオンのような神の語りかけに敏感な存在は、素直に神の導きを信じない、待ち望もうともしない、諦めてしまっている私たちを浮き彫りにしてきます。果たして私たちはシメオンのようにキリストを見るまで死なないという約束を神様から不思議な形で受け取ったならば、そのことを信じて私たちは待っていられるでしょうか。いやいやこういう人は特別な人だ、と今日も片付けたくなるのではないかと思います。私たちは聖霊の導きよりも自分の経験、自分の感覚の方をより信じやすいものです。そして熱心に祈り続ける人を見て、あるいは神の御心を純粋に待ち望む人を見て、あの人は熱心だからね、と冷ややかに見てしまうことがあります。神様のくださる導きを待つことを子供っぽい恥ずかしいかのように生きているということがあるのではないかと思うのです。

 しかしもっとシミオンのように素直になれば見えてくることがあるのです。私たちが素直さを失ったために、本当の意味で神と出会うことを失ってしまっているならば、今朝もっと素直に、もっと純粋に、信じてみていただきたいと思います。今朝も神様は、シメオンに導かれたように、あなたに神様からの語りかけを与えて下さっています。その語りかけに従うとき、神様はシメオンのようにキリストと出会う機会を必ず与えてくださるのです。

    ( PBA制作「世の光」2020.9.3放送でのお話しより )

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■意味もなく、苦しめ悩ませることはない / 福井 誠

2021年02月24日 | Weblog

2020/9/2放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。継続は力なり。聖書を一日一日と読み進むなら不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。哀歌3章33節から、「意味もなく、苦しめ悩ませることはない」と題してメッセージをお伝えいたします。

  「主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。」

 ヘブル語の旧約聖書をギリシャ語に翻訳した七十人訳聖書というものがあります。その聖書の哀歌の序文には、「イスラエルが捕囚となり、エルサレムが荒廃して後、エレミヤは座して泣き、エルサレムのために哀歌を歌っていった。」と記されています。そこでこの哀歌は伝統的にエレミヤによって書かれたと考えられてきました。

 先に長いエレミヤの預言書をご一緒に読んで来た方はよくわかると思いますが、エルサレムの滅亡を預言し、イスラエルの民に警告と悔い改めを勧めてきたエレミヤにとって実に無念極まりのない背景があります。エレミヤは自ら預言した通りに事が成就してしまった現実と向かい合いながら哀しみの歌を歌っている、という訳ですね。

 しかしそれは単なる嘆き、後悔の歌ではないので、イスラエルの人々に繰り返し読まれ愛される一書とされてきました。つまりそれは当時のイスラエルの民に新しい気づきと決意、行動を促した悔い改めの書、立ち返りの書なのです。

 実際、エレミヤは言いました。
  「主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。」
 エレミヤは失意の中にある者たちに追い討ちをかけるようなことを言わず、むしろ悲しみがやがて祝福に変えられていく希望を語ります。

 なぜなら、私たちが信じる神は恵み深くあわれみ深いお方だからです。そして一度バビロンに滅ぼされたイスラエルが、やがて神の助けによって再びその国家を建て直すことになる希望のメッセージを伝えました。

 そして確かにこの書は国家を再建するイスラエルの人々の希望の書となったものです。哀歌を読むときに、どのような事態にあっても希望を捨ててはいけないことを教えられます。意味のない悲しみはない。いのちある限り希望はある、と信じましょう。

 では良き一週を祈ります。

 (PBA制作「世の光」2020.9.2放送でのお話より )

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■この道についての騒動(その二)/ 板倉邦雄

2021年02月23日 | Weblog

2020/9/1放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。今日は「この道についての騒動 その2」と題してお話ししましょう。

 騒動の発端は小アジア・エペソでの宣教活動にありました。エペソ市の守護神大女神アルテミス神殿の模型を作って商売をし儲けていた銀細工人たちの売り上げが落ちてきたからです。アルテミスを崇拝していた多くの人々が「この道」であるキリスト教徒になったからです。

 さてエペソ市の2万人以上集まることのできる講堂は溢れかえりました。集会は大混乱です。集まった人々は勝手に叫び続け怒鳴り続け、大多数の者は何のために集まった集会だかわかりませんでした。しばしば騒動とか暴動とはやじ馬の集まりになってしまうのですねえ。

 「大いなるかなエペソ人のアルテミス!」と群衆は2時間ばかり叫び続けました。

そこで 遂にエペソ市の書記官が登場し、人々の叫びを押し静めて言いました。
 「エペソの諸君。エペソ市が大女神アルテミスと天から降った御神体との守護役であることを知らない者が一人でもいるだろうか。これは否定できない事実であるから諸君はよろしく静かにしているべきで乱暴な行動は一切してはならない。諸君は「この道」の人たちをここに引っ張ってきたが、彼らはアルテミス神殿を荒らす者でも私たちの女神をそしる者でもない。だから、誰かに対して訴え事であるなら正式な裁判の日もあるしローマ総督もいるのだから、それぞれ訴え出るが良い。今日の事件についてはこの騒ぎを弁護できるような理由は全くない。だから、私たちは治安を乱す罪に問われる恐れがある。」

 こう言って彼はこの集会を解散させたのです。

 このエペソ市の書記官の説得からいくつかの大切なことがわかりますねえ。第一に、誰にでも宗教を信じる自由があり、他の宗教を非難したり相手の心を侵害してはならないという点です。第二に、いかなる理由があろうと暴力や暴動の行動に訴え出て社会を乱すことは罪に問われるということです。第三に、何か不当なことや不満があれば正式な裁判に訴え出ることですねえ。そしてこの書記官は大切な心の問題である宗教を金儲けの手段にするな、と痛烈に非難しているのではないでしょうか。

  (PBA制作「世の光」2020.9.1放送でのお話より )


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■「敬天愛人」のルーツ 中村正直② / 岩井基雄

2021年02月22日 | Weblog

2020/8/31放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 最終月曜日は歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいます。今日は先週に引き続き、西郷隆盛が愛したことば「敬天愛人」のルーツであり明治六大教育家の一人、中村正直(まさなお)を学びましょう。

 「敬天愛人」ということばは18世紀の中国、清の康熙帝(こうきてい)が最初に用いました。中国に進出していた宣教団体の中で康熙帝はイエズス会だけ宣教活動を認め、その認定として「敬天愛人」の文字を刻み贈呈しました。イギリスに留学生を連れて渡英していた正直は、イギリスの教会でこのことばと出会っていたようです。明治になり日本に戻ってきた正直は同じ静岡学問所の教授であったクラーク宣教師からも聖書を深く習びます。そしてサムエル・スマイルズの『自助論』を翻訳した時、正直はキリスト教精神を要約したことばとしてこの、天の神を敬い、人を心から愛する、という意味を持つ「敬天愛人」を使ったのです。西郷(隆盛)がこの「敬天愛人」ということばを最初に聞いたのは静岡学問所の学生で薩摩藩士・最上五郎だったようです。そして隆盛は友人でもあった正直に聖書についてまた「敬天愛人」の意味について詳しく聞いたに違いありません。当時すでに中国語の聖書を読んでいた西郷は聖書が語る神との出会いによって「敬天愛人」のことばを大切にし、晩年は神と人を愛する者として歩んだのです。

 西郷にも深い感化を与えた中村正直は、多くの人々に聖書に基づいた人間教育の重要性を説きました。そして個人の尊厳や個性と自由の大切さを強調したのです。

 後に彼は東京大学の教授となり、女子教育や聾唖教育にも力を注ぎ、明治の教育の重要な働きを担います。

 明治8年、43歳の時に正直は横浜の教会でコクラン宣教師から養子の一吉と共にキリスト教の洗礼を受けました。58歳で地上の生涯を終えるまでキリスト者として神と人とを愛する真の教育に携わり続けたのです。

 聖書のことば
 
 「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」
     新約聖書 ヨハネ第一の手紙 4章10節

 私たちも信仰の歩みをさせていただきたいと願います

  (PBA制作「世の光」 2020.8.31放送でのお話より ) 
 
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■聖書が語るバビロン捕囚 / 羽鳥頼和

2021年02月20日 | Weblog

2020/8/29放送
世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。

 バビロン捕囚をご存知でしょうか。高校の世界史の教科書には、「ユダ王国は新バビロニアに征服されて、紀元前586年、住民の多くはその都バビロンに連れ去られた。これをバビロン捕囚と言う。」と記されています。今日は聖書に記されているバビロン捕囚についてお話しします。


 旧約聖書の列王記第2の24章がバビロン捕囚についてこのように語っています。

 「ユダの王・・・は、・・・バビロンの王に降伏したので、バビロンの王は、・・・彼を捕虜にした。バビロンの王は、【主】の宮の財宝と王宮の財宝をことごとく運び出し、・・・た。彼はエルサレムの・・・高官、すべての有力者一万人、それに職人・・・もみな、捕囚として捕らえ移した。」(12~14節)

 このように聖書には歴史の事実が語られているとともに、バビロン捕囚がどうして起こったのかということについても語っています

 「実にこのようなことがユダに起こったのは神によることであった。それはユダの王が犯した罪のためであり、ユダの王が多くの咎なき者を殺したからであった。そのために神はユダを赦そうとはされなかったのである。」(参照 3、4節)

 神はユダの王の罪を知っておられ、罪を犯してはならない、悔い改めて神に従うように、繰り返し警告しておられました。そして神に聞き従うなら人々を救う、と約束しておられました。それなのに王は神のことばを聞かなかったのです。王の罪が国を滅ぼしたのです。

 罪の結果は滅びです。聖書は人の罪はその人を滅ぼすと警告しています。そして聖書は神が警告とともに救いの道を備えてくださっていることを教えています

 神はイエス・キリストを信じる者に永遠のいのち命を与えてくださるのです。

 聖書のことば

 「罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」
    ( 新約聖書 ローマ人への手紙 6章23節 )

  イエス・キリストを信じる人に神は永遠のいのちを与えてくださいます。

   ( PBA制作「世の光」 2020.8.29放送でのお話より )
 
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■一人も失わないため / 関根弘興

2021年02月19日 | Weblog

2020/8/28放送
 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。

 イエス様はユダの裏切りの手引きによって捕らえられてしまいました。その時ペテロは剣を抜き、大祭司の下僕の耳を切り落としてしまいました。するとイエス様は「「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。」(マタイの福音書 26:52 新改訳聖書 第三版 )と言われました。そしてルカの福音書には「そのしもべの耳に触って彼を癒された。」(参照 ルカの福音書22:51)と書かれています。

 イエス様はなぜペテロにこう言われたのでしょう。それは一人も失わない為にだったんです。考えてみてください。もしここでペテロが剣で戦ったら無力な弟子たちはすぐにローマ兵たちに殺されてしまったでしょう。イエス様は逮捕される前にヨハネの福音書17章で祈りの中で、「わたしは彼らといっしょにいたとき、あなたがわたしに下さっている御名の中に彼らを保ち、また守りました。」(ヨハネの福音書17:12 )と祈っておられました。そしてご自分を捕らえにきた人々に向かって、「もしわたしを捜しているのなら、この人たちは」----つまり弟子たちは---「このままで去らせなさい。」(ヨハネ 18:8 )とも言われました。

 後にヨハネの福音書の中に、「それは、『あなたがわたしに下さった者のうち、ただのひとりをも失いませんでした。』とイエスが言われたことばが実現するためであった。」(18:9 )と記されています。つまりイエス様は弟子たちを守るために剣を取ってはならないと言われたのです。そしてご自分の身を差し出すけれど弟子たちは剣の災禍に飲まれることなく無事に去ることができるように、と願っておられたのですね。

 そしてもしここでペテロが剣で戦ったらその責任はリーダーであるイエス様が受けることになりますよねえ。公務執行妨害、傷害致死罪、反逆罪、色んな罪状がつけられ、そしてそれらの罪のために処刑されてもおかしくはありません。しかし神様の救いを全ての人にもたらすために大切なのは、罪のないイエス様がすべての人の罪を背負って十字架に着くということです。イエス様の側では全く罪がなく無抵抗で捕らえられていく、それが救い主としてのあり方だったのです。イエス様が十字架につけられることは神様のご計画でした。剣を使って抵抗する必要など全くなかったのです。

      (PBA制作「世の光」2020.8.28放送でのお話しより)
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■ルカの福音書30 - 神のしてくださったことを書き出す / 大嶋重徳

2021年02月18日 | Weblog

2020/8/27放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。

 「マリヤはこれらのことをすべて心に納めて思いを巡らしていた」とマリヤの思い巡らした時間について考えています。

 (私が)思い巡らすためにさらに大切にしていることは書き留めた自分の気づきを一年の最後の日に読み返すことです。12月31日にその時間を取り分けます。最初はその気付きを記したノートと一年の自分の予定帳を開きません。1月からずっと思い返していくのです。すると思い出せないことだらけです。しかし時間をかけると少しずつ思い出して行くことはできます。そして何があったのか、真っ白な紙に書き留めていくのです。実は深く傷つくことであったのに思い出せなくなっている事柄もあります。早く忘れてしまいたいと思い、心の奥深くにしまい込んでいる。しかし時間をかけてそれらのことを神様がどのように取り扱って下さったのかを考えるのです。思いをつなぎ合わせていく。過去のノートを読むと実はその時に神様が語っていてくださった恵みのことば、慰めのことばが語られていたことを思い出します。

 何もこの作業するのは一年の終わりまで待つ必要はありません。今日も8月の終わりを迎えようとしています。一年の半分以上が過ぎました。あなたにとってこの半年で深く傷ついたことは何だったでしょうか。悲しみと痛みを覚えたことは何だったでしょうか。あるいは喜びにあふれたことは何だったでしょうか。心に納めた事を一つ一つ取り出す時を持つんです。マリヤのごとくに思いを巡らして行く。ああ神様が私をよくしてくださったんだと思える時間をとっていただきたいと思います。

 マリヤはこの作業を人生をかけてしたのだと思います。
 キリストの誕生物語をルカはどこで誰から聞いたのかと言うと、母マリヤがキリストの弟子たちに繰り返し語ったからルカはこれを書き記すことができたのです。マリヤは自分の心に納めたこの出来事を何度も心から取り出して弟子たちに繰り返し分かち合ったのです。誰かに分かち合いながら癒されていくということがあります。私たちも他の人の分かち合いを聞いてハッとします。ああ自分とは違う教えられ方をされたんだなと思う。すると今の自分に語られている神様のことばの響きを味わい直すことができるのです。そして神様が自分を心にかけて励ましてくださっていることに気づき、ストンと受け取ることができるでしょう

    ( PBA制作「世の光」2020.8.27放送でのお話しより )

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■モアブを回復させる / 福井 誠

2021年02月17日 | Weblog

2020/8/26放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。継続は力なり。聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。エレミヤ書48章47節から「モアブを回復させる」と題してメッセージをお伝えいたします。

 しかし終わりの日に、わたしはモアブを回復させる。──主のことば。」
  ここまでがモアブへのさばきである。

 エレミヤはエジプト、ペリシテと様々な国々に神の警告のことばを伝えてきました。48章はモアブに対する神の警告のことばです。

 モアブは民族的に創世記に出てくるアブラハムの甥ロトの子孫ですからイスラエルとは非常に近い関係にあります。しかしモアブはそれほどイスラエルに友好的な民族ではありませんでした。彼らはしばしばイスラエルに好戦的で二国間には争いが絶えなかったのです。

 そのモアブに警告のことばが語られています。その警告のことばは長いですね。ですからエレミヤ書には希望を与えることばもありますが、どうもこういう裁きのことばが続くと何となく早く読み飛ばして先へ進みたいような気もしてきます。

 けれども少し忍耐を持って読み続けたいところです。というのは、聖書のメッセージは単純ですがいつも核心をついたことを語っているからです。

 モアブがなぜ神の警告を受けたのか、それは人々の拝金主義、物質主義的な生き方のためでした。お金があること物があることを良しとし、お金を与え物を整えてくださる神を認めない心のためでした。人間はいつも何も持たない裸の者で、全ては天からの授かりもので生きているものです。しかしそんなことを忘れて自分の力を過信し、力のない者を見下し、誇り高ぶってしまう実に愚かな者であったりします。

 そこで神様は警告を発せられるのですが、注意したいのはその警告のことばにも愛情があることです。神様はただモアブに警告を発せられるのではなく、悔い改めたときの回復の保証も語っておられるのです。神は正しいだけのお方ではありません。愛をもって人の人生に関わってくださるお方です。そのような神様を大事にしたいものですね。

 では良き一週を祈ります。

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