♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■米国で人生の転機を得た河辺貞吉 / 岩井基雄

2017年03月31日 | Weblog
2017/3/31放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。
 月の最後の金曜日は歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいますが、今日は河辺貞吉について学んでみましょう。

 海外で聖書が語る神様と出会い、新しい人生を始める方は少なくありませんねえ。1864年、文久4年に現在の福岡で生まれた河辺貞吉は16歳で大阪に移り、貿易の仕事に従事し、英語を勉強します。21歳の時渡米し、出会ったハリス宣教師によってイエス・キリストを信じる信仰に導かれていきます。そして23歳の時に、サンフランシスコの日本人メソジスト教会で洗礼を受けました。24歳になった河辺貞吉は仕事を辞め、自分の生涯を救い主イエス・キリストを伝えるために捧げるのです。そして日本人メソジスト教会の牧師に就任します。その教会には笹尾鉄三郎たちも導かれ、貞吉は彼らと共に「小さき群れ」を結成しました。それは神様の前に自分の小ささを認め、小さな存在をも愛される神様の愛に生かされて共に歩む群れだったようです。

 河辺は33歳の時に、この「小さき群れ」のメンバーたちと共に日本に帰国し、最初は東京の本郷で共同生活をすることになります。後にこの群れは、松江市のバックストン宣教師のもとで神の恵みと愛の訓練を受けることになっていきます。共に生活をすることには様々な困難があります。しかし、その中でこそ自分の罪深さや自己中心さを教えられていくのです。神様の前の謙遜やきよさを求め続けた河辺貞吉は、そのあと日本自由メソジスト教会の指導者になると共に、大阪伝道館 -今の大阪キリスト教短期大学- を設立し、愛ときよさを求める人たちをも育てていったのです。

 キリストはあなたにも語られています。
 「だれでも、このような子どもを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れる者です。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わされた方を受け入れる者です。あなたがたすべての中で一番小さい者が一番偉いのです。
         新約聖書 ルカの福音書 9章48節

 あなたも自分の弱さを認め、心ヘリくだって日々の歩みを送っていきませんか? 神様の前で自分の小ささを認める者こそが神の恵みと祝福を受け取っていくことができるのです。

 PBA制作「世の光」2017.3.31放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■あなたの暗闇は真昼のようになる / 福井 誠

2017年03月30日 | Weblog
2017/3/30放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「あなたの暗闇は真昼のようになる」です。それではイザヤ章58章10節から読んでみましょう。
 「飢えた者に心を配り、悩む者の願いを満足させるなら、あなたの光は、やみの中に輝き上り、あなたの暗やみは、真昼のようになる。」」

 58章はイスラエルの民に悔い改めを求めるメッセージとなっています。イザヤはもう一度読者の心を神に向かわせようとしています。しかも宗教的儀式への熱心さへの回復ではなく、正しい心の回復を訴えているようですね。実際、石や木でできた偶像を拝まないからといって正しい信仰を持っているとは限りません。イザヤがここで取り上げているのは、ユダヤ人がよく宗教的な行為として行う断食です。断食は食を絶ちながら神に祈りを捧げ信仰的な熱意を感じさせるような行為です。しかし神はそんなことは喜ばない。むしろ神が期待する断食は、日常生活の中で悪を行わないこと、虐げられている人を自由にしてあげる心を持つこと、飢えた人貧しい人々裸の人々に憐れみの心を持つこと。つまり信仰的な熱意が人間に対する優しさとなり、思い遣りとなって現れることだと言うのですねえ。

 私たちは信仰的な熱意をどうしても祈りや奉仕のあり方で判断しやすいものです。しかし、より重要なのは私たちの日常生活の生き方そのものです。信仰的に熱心になればなるほど、周囲に対する配慮や思いやり心遣いが豊かになる。愛に満ちた言動が成熟していくことが大事なのです。

 そのためには私たちは自分の現実をよくよく理解する必要があると思いますねえ。自分自身の罪深さや愚かさを素直に認めていく。そして自分は誰に勝るものではない、と謙虚になっていく。他の人々と同じ弱さ・未熟さをもった者で、助け合い支え合いを必要とする者だと認めていく。そしてその心の闇を真昼のように変えてくださる神が自分には本当に必要なのだと認めていく。そこにこそ信仰的な熱意をもっていきたいものです。信仰は愛と敬虔さに満ちた真昼のような生涯となって成熟していくものです。

(PBA制作「世の光」2017.3.30放送でのお話より )

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■魔術師バラム / 板倉邦雄

2017年03月29日 | Weblog
207/3/29放送

  世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「魔術師バラム」という題でお話ししましょう。

 昔も今も、人様を占い、呪い倒すことを商いとする魔術師がいるようですね。今日から民数記の22章から24章を見て参りますが、魔術師バラム事件です。

 さてイスラエルの人々は荒野の旅を続けてエリコの城壁に近いヨルダン川の東側、モアブの平野にたどり着き、宿営しました。その人口たるや150万から200万と言われ、野営テントの数は数えきれません。

 モアブ人の王様バラクと国民はイスラエル民族を大いに恐れていました。その数の多いことも恐れの原因だったのです。不安になったバラク王作は長老たちに相談しました。「この群衆は牛が野の草を舐め尽くすように私たち周囲の者を皆舐め尽くそうとしている。」 こう言ったあとモアブの王様バラクはユーフラテス川のほとりにあるペトルに使者を遣わしたのです。ペトルに住む占いを商いとするバラムを招こうと決意したのでした。(22章5節参照)

 さて王様に遣わされた使者は占い師バラムに言いました。「実はエジプトから出てきた民族がいまして、地の表を覆って私たちの領土の前にいます。どうか今すぐ来ていただいて私たちのためにこの民たちを呪ってください。あなたが呪ってくだされば私たちは彼らを打ち負かすことができます。そして私たちの国から彼らを追い払うことができるかもしれません。」

 さてバラムがモアブの王様バラクに雇われた事件はモアブの平野に宿営していたイスラエルの人々の知らないことだったのです。それは思いもよらぬことでした。モアブの王様と国民の憎しみを買い、その代表者としての魔術師バラムの呪いです。万物の支配者であり、人の心の支配者である主なる神様の導きが楽しみですね。

 聖書のことばです。
 「からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかた(神)を恐れなさい。
             マタイの福音書10章28節

  (PBA制作「世の光」2017.3.29放送でのお話より )

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■十戒 - 自由への励まし 8 / 大嶋重徳

2017年03月28日 | Weblog
2017/3/28放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。
聖書には十戒と呼ばれる、神と人との間に結ばれた愛の約束があります。
 十戒第一戒は「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」(出エジプト記 20章3節)と続きます。

 「わたしのほかに」ということばは「わたしの目の前に」という意味があり、神様の目の前に他の神々を置いてはならない、と語られているのです。私たちが神様の目の前を生きているのだと自覚する時、今までの自分自身のしてきた判断や選択が実は神の喜ばれるものから程遠いものであったのではないかと顧みることができます。つまり神様以上の他の神々を神としていなかったのか?、と振り返ることとなります。

 一日を終えた時に、自分が神様の眼差しの前でどんな過ちを犯してしまったのか、その事を思い起こし、悔い改め、向きを変えることができるのです。そしてもし大きな判断の間違いをその日にしたとしても、大きな罪を犯したとしても、何より神様以外のものを第一にしてしまった歩みがあったとしても、私たちはその日の内にやり直して生きることができるのです。

 なぜなら、私を見つめておられる神はエジプトから救い出してくださる赦しの神である、と言うことを私たちはもう既に知っているからです。神の前で生きるとは、神の赦しと憐れみの中でやり直しのきく人生への招きです。むしろ問題は、一日を終えても自分の歩みを振り返らず、悔い改めもせず、やり直すこともせずに開き直って生きていくことではないかと思います。あるいは今日も自分は神様を第一にして歩んできたと誇っているなら、その歩みは第一戒の放つ鋭い響きに耳を傾けていない、傲慢な歩みをしている証拠なのではないかと思います。

 私たちはこの地上を歩む限り、エジプトの地すなわち奴隷の地にすぐにでも戻りたがっって神様以外のものを第一にしてしまう罪人です。この悔い改めの招きを十戒第一戒が語っているのは、これから続く九つの戒めを受け取っていくためです。第一戒が赦しの神の前で生きることを語っている意味は非常に大きいのです。

 十戒は十字架のもとで赦されながら聞くのだと言った人がいます。今朝もわたしたちはやり直しを与えてくださる神様の赦しの中で神様と共に歩んでいきたいと思います

  ( PBA制作「世の光」2017.3.28放送でのお話しより )

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■あなたのものです / 関根弘興

2017年03月27日 | Weblog
2017/3/27放送

世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
イエス・キリストはご自分と共に生活していた弟子たちに、どのように祈ったらいいのかを教えられました。教会では「主の祈り」として毎週礼拝で祈られているものです。

 この祈りの最後は、「国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン」(マタイ 6章13節)という、神様への賛美で終わっているんです。

 人は国と力と栄えを求めたがりますよね。自分が所有するものが欲しい。支配する力が欲しい。権力や栄誉が欲しいと願います。もちろん何かの働きの結果として力ある立場や栄誉を受けることはあります。それは喜んで受けたらいいんですね。しかし国と力と栄えを受けるに相応しい方は神様ご自身なのだということを私たちはいつも心に留めておくことは大切なことです。

 私たちは弱くても栄誉がなくても構いません。なぜなら天のお父様がおられるからです。私たちに特別な力がなくても大丈夫です。なぜなら「国と力と栄えはあなたのもの」と語られる神様は全能なるお方なんですから。

 讃美歌の中に、「主、我を愛す」という賛美がありますが、その歌詞の中には、「主は強ければ我弱くとも恐れはあらじ」と歌われているんです。その通りですね。イエス・キリストを信じる一人ひとりは、すべてを治めておられ力と栄光の源である神様の子どもとされているんです。それだけで十分ではありませんか。

 またイエス様は、「わたしは・・・あなたを離れず、・・・あなたを捨てない。」(ヘブル 13章5節)と約束してくださっています。

 ところで、この「国と力と栄えは、とこしえにあなたのもの・・・です。」というこの部分は、最古の写本・・・まあ聖書の写しですね、最古の写本ではこの句は欠けていたそうです。つまり、このことばは途中から付け加えられたようなんですねえ。当時、ローマ帝国の支配下にありました。ローマ市民は、国と力と栄えはとこしえにローマ皇帝のものです、と告白しなければなりませんでした。しかしクリスチャンは主の祈りの最後に、敢えて、「国と力と栄えは、とこしえに神様、あなたのもの・・・です。」ということばを付け加えて祈っていったのです。ローマ皇帝ではなく神様こそすべての支配者なる方だという勇気ある告白ですね。そしてこの告白が今も続けられているられているんですねえ。

 どうでしょうか。あなたもイエス様が教えられた主の祈りをご一緒に祈っていきませんか?

 (PBA制作「世の光」2017.3.27放送でのお話しより)

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■750年前のメシヤ預言 / 羽鳥頼和

2017年03月25日 | Weblog
2017/3/25放送


 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。
今日は先週に引き続きゼカリヤ書からお話しします。ゼカリヤ書はゼカリヤに与えられた神のことばが記されている預言書です。今日はそのゼカリヤ書の11章からお話しします。
 ゼカリヤ書の前半では、ユダヤ人がバビロンによって破壊されたエルサレムの神殿の再建に取りかかるように励ます神のことばが語られていました。今日お話する11章を含むゼカリヤ書の後半では、神殿再建後の未来のことが預言されています。そこには今読むと分るのですが、アレクサンダー帝国のことやその帝国の後に出て来るセレウコス朝シリヤのことなどが語られています。その中でも特別なのがメシヤ預言と言われるイエス・キリストについての預言です。

 9章にはキリストがロバに乗ってエルサレムに来られることが預言されています。実際にキリストは十字架に架けられる一週間ほど前に、ロバに乗ってエルサレムに入られました。

 さて、11章で語られている預言は、神がご自分の民のために羊飼いを遣わされるが民は彼を拒否してしまう、ということが言われているのですが、これもメシヤ預言の一つです。新約聖書のマタイの福音書は、この予言が成就したのがキリストの十字架の出来事の時であると教えています。キリストは良い羊飼いとしてこの世に来られましたが、世の人々はキリストを受け入れず、拒否して十字架につけて殺してしまったのです。しかこのことは神の救いの計画でした。キリストは全ての人々の罪のための身代わりとなって十字架で死なれたのです。そして神は、死んだキリストをよみがえらされました。そして、このキリストを神の御子・救い主と信じる人を神は救って神の子とする、と約束されました。

 ゼカリヤ書の神の預言はキリストが誕生する750年以上も前に語られたことです。預言がその通りなったことは、聖書に書かれているキリストによる救いが神のご計画であり間違いのない確かなことであることを示しています。

 明日は日曜日です。本当の救いであるキリストによる救いを知るために、ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください

 (PBA制作「世の光」 2017.3.25放送でのお話より )
 
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■日本の最初の音楽伝道家 三谷種吉 / 岩井基雄

2017年03月24日 | Weblog
2017/3/24放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。
 月の第四金曜日は歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいます。

 キリスト教会で歌う讃美歌が好きだという方は少なくありませんね。神様を賛美する音楽は私の心や人生に力を与えますね。今日学ぶ三谷種吉は音楽を通して神様の愛を伝える日本で最初の音楽伝道家となった人物です。

 三谷種吉の父佐介は神戸でブリキ屋の元祖となった人でした。そしてクリスチャンであった白洲退蔵の勧めと導きでイエス・キリストを信じ、妻と7才の長男種吉また次男寅之助と共にデービス宣教師より洗礼を受けました。そのうち種吉は15歳で同志社英学校に入学。自覚的にイエス・キリストを信じます。そして16才の時に再びラーネッド宣教師から洗礼を受けるのです。卒業後は教員を経て神戸で英国商社に勤めながらイタリア人女教師リゼッティから音楽を学びます。そしてバイオリンやアコーディオンの演奏も深めていきました。26歳の時に商社をやめて、人生を神様のために捧げ教会を建て上げていきました。また岡山の孤児院で音楽を教えたり、バックストン宣教師のもとで修養を受け、神様によって信仰を育まれていったのです。そして音楽の賜物を生かし、北海道から沖縄までドイツ製のアコーディオンを片手に賛美をし、神様の愛と福音を宣べ伝えていきました。また彼は多くの讃美歌をも作成しました。「神は独り子を賜うほどに」(聖歌392番、新聖歌89番)という有名な讃美歌も彼が作詞し、全国に神様の愛を伝えていったのです。

 その讃美歌の原点となった聖書の箇所をお読みしましょう。
 「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
      新約聖書 ヨハネ第一の手紙4章9節

 神様の愛に触れ、独り子イエス・キリストの十字架によって自分の罪が赦されたということを深く味わった種吉は自分の心に湧き上がる喜びを賛美と演奏を通して多くの人々に届けていったのです。

 あなたの人生も賛美と喜びに満ちる人生へと変えられていくことができます。あなたも神様に愛され、イエス・キリストの十字架によって罪赦される道が開かれているからです。

 PBA制作「世の光」2017.3.24放送でのお話しより)

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■砂漠を主の園のようにする / 福井 誠

2017年03月23日 | Weblog
2017/3/23放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「砂漠を主の園のようにする」です。それではイザヤ章51章3節から読んでみましょう。
 「まことに主はシオンを慰め、そのすべての廃墟を慰めて、その荒野をエデンのようにし、その砂漠を主の園のようにする。そこには楽しみと喜び、感謝と歌声とがある。」」

 イザヤは言いますねえ、「まことに主はシオンを慰め、そのすべての廃墟を慰めて、その荒野をエデンのようにし、その砂漠を主の園のようにする。

 この預言に飢え渇きをもって耳を傾けたのはちょっと後の時代の人、イスラエルの国の滅びを経験した後で囚われの身から解放されて廃墟となったイスラエルに戻ってきた人たちです。彼らが目の当たりにしたのは戦火の深い傷跡を残した廃墟のエルサレム。どこからどうやって再建してよいものか、当方に暮れるような場所でした。けれども彼らはそこでこのイザヤのことばに支えられて再建を成し遂げていく訳です。

 イザヤは、イスラエルの父と言われたアブラハムに神が何をしてくださったか覚えよ、と言っていますねえ。アブラハムは年を重ねた跡継ぎもない老人でした。しかし、75歳になった時に神は、自分に従うなら空の星のように多くの子孫を与えよう、と約束されました。アブラハムは老いた自分の身体で何を期待できようかと考えたと思います。けれども神は約束通り、アブラムに子ども授け、その子孫を増やし、今日のイスラエルの国をお作りになりました。神は無から有を生み出すお方です。実に神に不可能はありません。廃墟と化したシオン、エルサレムを建て直そうと捕囚の地から帰ってきたイスラエルの人たちもこのイザヤのことばに支えられながらその苦労を乗り越えたことは間違いありません。
 考えてみるとアブラハムが主の約束を確かに受けて平安の内に満ち足りた生涯を終えたのは175歳。ある意味で100年かけて彼は祝福に満たされていくのです。廃墟を建て直したイスラエル人も実は長い年月と苦闘の日々を乗り越えています。あなたの荒野も砂漠もエデンとなり主の園となる。あなたの労苦は決して無駄にはならない。そのように信じて時間がかかっても、すべき事を積み重ねて参りたいものですね。

(PBA制作「世の光」2017.3.23放送でのお話より )

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■あなたの暗闇は真昼のようになる / 福井 誠

2017年03月23日 | Weblog
2017/3/23放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「あなたの暗闇は真昼のようになる」です。それではイザヤ章58章10節から読んでみましょう。
 「飢えた者に心を配り、悩む者の願いを満足させるなら、あなたの光は、やみの中に輝き上り、あなたの暗やみは、真昼のようになる。」」

 58章はイスラエルの民に悔い改めを求めるメッセージとなっています。イザヤはもう一度読者の心を神に向かわせようとしています。しかも宗教的儀式への熱心さへの回復ではなく、正しい心の回復を訴えているようですね。実際、石や木でできた偶像を拝まないからといって正しい信仰を持っているとは限りません。イザヤがここで取り上げているのは、ユダヤ人がよく宗教的な行為として行う断食です。断食は食を絶ちながら神に祈りを捧げ信仰的な熱意を感じさせるような行為です。しかし神はそんなことは喜ばない。むしろ神が期待する断食は、日常生活の中で悪を行わないこと、虐げられている人を自由にしてあげる心を持つこと、飢えた人貧しい人々裸の人々に憐れみの心を持つこと。つまり信仰的な熱意が人間に対する優しさとなり、思い遣りとなって現れることだと言うのですねえ。

 私たちは信仰的な熱意をどうしても祈りや奉仕のあり方で判断しやすいものです。しかし、より重要なのは私たちの日常生活の生き方そのものです。信仰的に熱心になればなるほど、周囲に対する配慮や思いやり心遣いが豊かになる。愛に満ちた言動が成熟していくことが大事なのです。

 そのためには私たちは自分の現実をよくよく理解する必要があると思いますねえ。自分自身の罪深さや愚かさを素直に認めていく。そして自分は誰に勝るものではない、と謙虚になっていく。他の人々と同じ弱さ・未熟さをもった者で、助け合い支え合いを必要とする者だと認めていく。そしてその心の闇を真昼のように変えてくださる神が自分には本当に必要なのだと認めていく。そこにこそ信仰的な熱意をもっていきたいものです。信仰は愛と敬虔さに満ちた真昼のような生涯となって成熟していくものです。

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■十戒 - 自由への励まし7 / 大嶋重徳

2017年03月21日 | Weblog
2017/3/21放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。
聖書には十戒と呼ばれる、神と人との間に結ばれた愛の約束があります。
 十戒第一戒は「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」(出エジプト記 20章3節)と続きます。

 この「わたしのほかに」ということばは「わたしの顔の前で」という意味があります。つまり、あなたは他の誰かの目の前で生きるのではなく、神の目の前に生きていきなさい、と語られているのです。このことばに応答していくとき、私たちは自分の生きている生活の全ての領域を神の眼差しの前において生きることを選ぶことになります。

 今年はドイツで始まった宗教改革500年の年なのですが、宗教改革者たちはこのような生き方を「コーラム デオ Coram Deo 「神のみ前で」 と表現しました。それは神の前で、隠された所のない生き方をする、ということです。

 私は結婚の誓約の時、妻だけを愛することを誓約しましたが、それは妻には言えないことはしない、ということを意味しています。妻の前には置くことのできない秘密の時間を自分は持たないし、妻に言えない所には自分は行かない、ということを意味しています。
 愛とは相手に隠すことのない生き方をすると言うことです。十戒第一戒は、この神の眼差しの前で全領域全部の時間を生かされていくことの祝福を語るのです。

 しかしこの「神の前に生きる」という生き方は神に見張られているという窮屈な思いになるかもしれません。しかし本当はそうではありません。

 私たちが普段さらされている他人の目はいつだって移り変わり安いものです。私たちの判断基準が、変わりゆく人間の評価、称賛や一部分しか見ることなく判断されてしまうときに、私たちはそこで深く傷つきますし、報われない思いに落ち込むこととなります。

 しかし、あなたはわたしのものだ、と言われる神様が今日も変わることなく愛の眼差しをもって私の生きているすべてをきちんと見ていてくださっているならば、どれだけの安心感が私たちを包んでくれるでしょうか。そして私たちはもはや移りゆく人の評価に縛りつけられた不自由さを感じることなく、あるいは流行に振り回されず、揺ぎ無い人生の価値判断を手にすることができるのです。

 今日もわたしたちは神様の目の前で大胆に力強く一日を始めていきたいと思います。

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