♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して66年の
「世の光」を文字で 

■十戒 -自由への励まし 72 / 大嶋重徳

2018年09月20日 | Weblog
2018/8/16放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。
 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒第六戒には「殺してはならない。」(出エジプト記20章13節 新改訳2017)とあります。

十戒第六戒は、殺さなかったら良いのかというと、私たちの個人的な小さい苦々しい感情に対してもきちんと顧みるように光を当てます。新約聖書には父親たちに、子どもたちを怒らせてはいけない、という教えがあります。親たちは第六戒の教えを実践するために怒りを生まない家庭を形成するためにどうしたらよいのかと思いを巡らす必要があるのです。もちろん子どもをきちんと叱る事は親に重要なことです。叱ることのできない親に育てられた子どもは、何が正しく何が間違っているのかを学ぶことができません。そのため、他の同世代の子どもにしてはいけないことをしてしまい、そこにも争いを生む原因を作ってしまうこととなるでしょう。

 しかし、叱ることと怒りに任せて怒鳴りつけることは違います。私たちは愛と平和に満ちた家庭や職場を築くために、その助けを神様から受け取っていかなければなりません神様こそ怒りに任せて人間を怒鳴りつけるような方ではありません。

 聖書の中には、「わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。」(黙示3章19節 新改訳第三版)と言うことばがあります。更にそのあとのことばはこう続きます。「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(黙示3章20節 新改訳第三版) 

 つまりイエス様はきちんとしかって懲らしめられる神様です。しかし叱ったあと私たちが悔い改めて戸を開けてイエス様をお迎えするならばイエス様はそこで私たちと一緒に食事をする、とおっしゃるのです。ご飯を食べよう、と声を懸けてくださるのです。このご飯はどれだけ赦しに満ちた温かいご飯でしょうか。

 我が家もこのイエス様に倣って、子どもを叱った後きちんとごめんなさいができたら、抱き上げて何度も何度も「高い、高い」と高く放り上げて遊んであげました。すると泣き続けていたあの子どもの顔に少しずつ笑顔が戻ってきました。続けて部屋に布団を敷き詰めてお馬さんごっこをすると、「もっと。もっと。」と楽しそうにするのです。妻はお馬さんごっこではなく甘ーいお菓子を一緒に子どもたちと食べる時間を持っていました。

 神様が怒り続ける方ではないように、私たちは叱ったあとは笑顔になる責任と笑顔を作り出す責任を持っているのです。十戒第六戒は笑顔を作り出すことを励ます戒めでもあるのです。

    ( PBA制作「世の光」2018.8.16放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■神はよくしてくださった / 福井 誠

2018年09月19日 | Weblog
2018/8/15放送


世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「神はよくしてくださった」です。 出エジプト記1章20節から読んでみましょう。
神はこの助産婦たちによくしてくださった。それで、イスラエルの民はふえ、非常に強くなった。
                 (新改訳 第三版)

今日から出エジプト記です。創世記の終わりにはヨセフという人物が描かれていましたね。出エジプトの最初の章では、そのヨセフを知らない王がエジプトに現れた所から始まっています。一体それは実際の歴史ではいつ頃で、誰であったのか、聖書の研究者の間でも意見は分かれています。一つは、紀元前1450年頃のアメン・ホテプ2世の時代。もう一つは、紀元前1200年頃のラメセス2世の時代です。どちらとも決めがたく、250年の誤差はあるものの、だいたい紀元前1200年から1450年の間、エジプト史上では新王国時代の出来事でした。つまりエジプトと言えばピラミッドやスフィンクスのイメージを思い浮かべる人が多いと思いますが、出エジプトの出来事はあの歴史よりも更に1000年ほど新しい新王国時代の出来事であったということですね。

 さて、この新しい王は増え広がるイスラエル人を国外に追放せず、倉庫の町々を建設する奴隷にしようと考えました。また人口を抑制するため、男子のイスラエル人が生まれると即座に殺すことを命じています。しかし、神を恐れる二人の助産婦シフラとプアの知恵ある抵抗によって子どもたちのいのちは守られていきます。彼女たちは目に見えるエジプトの支配者よりも目に見えない天地万物の創造主であり支配者である神の方を恐れたのですね。人は目に見える権威を恐れ易いものです。しかし目に見えない、世のどんな権威にも勝る神の権威というものがあります。それを信仰の目ではっきり認められるかどうかが私たちの行動や生活の仕方に大きな違いをもたらすものですね。神はご自身を認め正しいことをする二人の助産婦に良くし、彼女たちの家を栄えさせたと言います。神を信じるなら当然神に期待すべきです。疑い深くだらだらと歩むよりは、本当に心から信じて神の祝福に与る者でありたいものですね。

(PBA制作「世の光」2018.8.15放送でのお話より )

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■初代教会の姿 -1 / 板倉邦雄

2018年09月18日 | Weblog
2018/8/14放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は「初代教会の姿-その1」ということでお話ししましょう。
 
 ペテロの説教を聞いた人々は心を刺されました。更にペテロは人々に、「この曲がった時代から救われなさい。」と言って勧めをしました。そこでペテロの勧めのことばを受け入れた人々はイエス・キリストの名によってバプテスマ・洗礼を受けて教会の信徒たちの仲間に加わったのです。そして彼ら信徒たちの教会生活が始まります。時々電話で「教会ってどんなことをする所ですか?」とか、「どのような教会へ行ったらいいですか?」という質問を受けます。そのようなとき初代教会の姿を思い出して答えるようにしているのです。

 では使徒の働き2章42節をお読みします。
 「彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。」(新改訳2017)と聖書は初代キリストの教会の姿を表しています。

 そこでここからキリストの教会のしるしが四つ描かれているのではないでしょうか。まず第一に、キリストの教会のしるしは使徒たちの教えを聞き、教えを守ることです。使徒たちの教えとはイエス・キリストの教えです。イエス・キリストの教え、それは旧約聖書の神の教えでもあります。信徒たちはそのイエス・キリストの教えを聞きました。そして教えを実践したのです。ですからキリストの教会は聖書が語られ教えられ実践されている所です。

 第二に、信徒の交わりがなされている所でしょう。それがキリストの教会のしるしです。

 そして第三に、キリストの教会のしるしは共にパンを裂くことです。これは食事のことではなく、イエス様が弟子たちとの最後の晩餐の時、制定されたパンと杯をいただく聖餐式、いわゆる主の聖晩餐のことです。聖餐式と洗礼式が行われている所、それが教会のしるしの一つです。

 そして最後に、キリストの教会は祈りをする家です。一人で祈りのではなく家ですので、家族みんなで祈る。それがキリストの教会のしるしではないでしょうか。私たちが出席している教会はどうでしょうか。もしあなたが教会を探しておられるなら、このような四つのしるしを持っている教会へ出席してくださいね。

  (PBA制作「世の光」2018.8.14放送でのお話より )

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■不思議な神のご計画 / 岩井基雄

2018年09月17日 | Weblog
2018/8/13放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。
 
第二週の月曜日は旧約聖書に登場するヨセフの人生について学んでいます。私たちの人生は時に様々な状況に翻弄されますね。聖書の中に登場する人物も波乱万丈な人生を歩みまますが、その中でもこのヨセフの人生は特に葛藤の多いものでした。兄弟の11男として生まれたヨセフは父ヤコブから溺愛され、兄弟から妬まれ憎まれ、エジプトに奴隷として売られたのです。しかも誠実さが誤解され、牢獄への囚人ともなったヨセフでした。そこでも彼は神と人との前を真実に歩み、遂にはエジプトの大臣となり、大飢饉に備えて大量の食糧を蓄えたのです。その食糧を求めてイスラエルから兄たちがエジプトに下ってきました。大臣がヨセフであることに気がつかない兄たちを幾度も試したヨセフでした。しかし真実にへりくだり、誠意を表す兄たちの姿を通しヨセフは遂にすべてを兄たちに話すことになるのです。自分が兄たちの弟ヨセフであることを明かしたヨセフは、自分をエジプトに売ったことを互いに責めないようにと配慮し語ります。ヨセフはあらゆる試練の中で神様の不思議な導きと神の御手を見ていました。そして自分がエジプトにいて大飢饉に備えて食料を、周りの国々に与えるようになった経緯を次のように語ったのです。
 「ですから、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、神なのです。神は私を、ファラオには父とし、その全家には主人とし、またエジプト全土の統治者とされました。」 
              旧約聖書 創世記45章8節

 奴隷として売られ、誤解され、囚人とされても、それらのすべてを働かせて益としてくださり、恵みに変えてくださる神様の愛にヨセフは信頼を置き続けたのです。もちろんヨセフにも葛藤や涙や苦悩があったに違いありません。しかし兄たちを赦し、神様に自分の人生のすべてを委ね、その神様のご計画を受け入れることによって、ヨセフは内側から変えられていったのです。神様はすべてのことを恵み・祝福へと変えてくださることができるのです。

 聖書のことば
 「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」 
       (新約聖書 ローマ人への手紙 8章28節 新改訳2017)

 PBA制作「世の光」2018.8.13放送でのお話しより)

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こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■枯れたいちじくの木 / 羽鳥頼和

2018年09月15日 | Weblog
2018/8/11放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今日はマルコの福音書11章12節から25節で語られている、エルサレムでイエスがなさったことについてお話しします。

 エルサレムに向かっている時、イエスは空腹を覚えられました。葉の茂ったいちぢくの木が見えたので、いちぢくの実を食べようと木に近づきましたが実がなっていませんでした。イエスはその木に向かって、「今後いつまでも、誰もお前の実を食べることが無いように。」と言われました。弟子たちは不思議に思いながらこのことばを聞いていました。その後イエスは神殿に入り、その中で商売をしている人たちを追い出されました。そして人々に教えて言われました。「わたしの家はあらゆる民の祈りの家と呼ばれる、と神は言われているではないか。それなのにお前たちはここを強盗の巣にしてしまった。」 神殿は世界の全ての人々の祈りの家なのです。そこが強盗の巣となってしまっていたのです。
 さて次の日の朝、通りがかりに弟子たちがあのいちぢくの木を見ると、それは根元から枯れてしまっていました。一晩の内に枯れてしまったのです。葉が茂っているが実がついていないいちじくの木はその頃のエルサレムの人々の状況を表しています。一見すると繁栄しているように見えるのですが、神を信じる信仰は人々にありませんでした。神殿は悪徳商売をする所、強盗の巣となってしまっていたのです。祈りの家である神殿で祈りが捧げられていなかったのです。そこでイエスは弟子たちに、信仰と祈りについて教えられました。「神を信じて祈りなさい。また祈る時、誰かに対し恨んでいるなら、まず赦しなさい。そうすれば神もあなたがたの過ちを赦してくださいます。」 神を信じて祈ることとそして人を赦してから神に祈ることをイエスは教えられました。

 現在の神の祈りの家はキリスト教会です。私たちはそこで神を信じて祈っています。

 明日は日曜日です。お近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2018.8.11放送でのお話より )
 
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■互いが大切 / 関根弘興

2018年09月14日 | Weblog
2018/8/10放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

新約聖書のマルコの福音書2章に記されている出来事ですが、イエス様がカペナウムという町のある家におられた時でした。多くの人が集まり、家の戸口の所まで隙間もないほど人が一杯になっていました。イエス様が説教をされている時でした。屋根がバリバリと剥がされ、何と天井から病気で寝たきりになってしまった人が吊り下げられてきたんです。するとイエス様はその寝床を吊り降ろした友人たちの信仰を見て、その病んでる人を助けてくださいました。

 では彼らの信仰とは一体どのようなものだったのでしょう。前回は第一に、期待する信仰を持っていたということと、第二に、諦めずに求め続ける信仰を持っていたということをお話をしました。

 しかしそれだけではありません。第三に、彼らは協力しあうという信仰の姿を持っていたんです。この四人の友人の姿には麗しいチームワークを見ることができます。病気の人を床に寝かせたまま運ぶために四人が必要でした。床の四隅を持つ役割を担ったんです。一人では運べません。二人でも重すぎたでしょう。三人ではバランスが崩れたかもしれません。四人いたからこそ病人をイエス様のもとにまで運ぶ事ができました。

 信仰に生きるということは、互いが大切で必要な一人ひとりなんだということを自覚しながら生きることなんです。時には助け、時には助けられながら、また共に祈り、重荷を分かち合いながら歩んで行く、そんな仲間が必要なんですね。

 パウロという人は、ガラテヤ人への手紙6章の2節 
 「 互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。」(新改訳第三版)と記しています。「キリストの律法」とは互いに愛し合いなさいということです。互いの重荷を負いあうとき、互いに愛し会うことが具体的に行われていくんですね。とはいっても私たちはいつも一緒にいられるわけではありません。親しくしている人もいれば顔も名前もよく分からない人もいます。すべての人に対して同じように接することができません。でも他人の重荷をどれだけ担えるかもみな人によって違いますけれど、自分のできる範囲で他の人の重荷の一端を担うことはできます。互いの重荷を負い合い、互いに協力し、信仰に生きていく。そこにイエス様のみわざを見ることができるんですね。

  (PBA制作「世の光」2018.8.10放送でのお話しより)

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■十戒-自由への励まし 71 / 大嶋重徳

2018年09月13日 | Weblog
2018/8/9放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。
 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。 十戒を初めとした聖書のことばは人間を縛りつけるものではなく、自由へと導くためのことばなのです。
 十戒第六戒には「殺してはならない。」(出エジプト記20章13節 新改訳2017)とあります。

この十戒第六戒を解説した文章に、「この戒めは殺すことについてだけ語っているのでありませんか?」という問いに、「神は殺人の禁止を通して私たちに教えようとしておられること、それは妬み、怒り、憎しみ、復讐心のような殺人の芽は一種の隠れた殺人であるということです。」とあります。ここでは第六戒が、殺さなかったらそれでいいと教えているのではなく、妬み・憎しみ・怒り・復讐心は殺人の根っこであると指摘し、それは神の前の「一種の隠れた殺人」とまで言うのです。

 『氷点』や『銃口』など有名な小説を書かれた三浦綾子さんという方がおられます。北海道には三浦綾子記念館があるのですが、そこに訪れた時、「不機嫌は罪だ」という三浦綾子さんのことばに出会ったことがあります。自分の心にグサッと刺さる思いがしたことを思い出します。私もよく不機嫌になることがあります。とりわけ家族の前では甘えがあるのでしょう。私たちは不機嫌になりやすいものです。そして自分のこの小さな不機嫌の感情が起こることは当然だとどこかで思っています。自分は受けるべきではない不当な思いをしたことへの不満が湧いているからです。しかしこの小さな「面白くない」という不機嫌の感情はやがて誰かを殺してしまう道へずっと先の方で続いていることを十戒第六戒は気づかせようとしているのです。親の不機嫌な感情に曝されながら育てられた子どもはいつもビクビクしながら過ごす事となります。あるいはそのように育てられたならば自分もまた不機嫌な表情をすることを何も悪いことではないかのように思い、周りの人にも不機嫌を撒き散らすようになっていきます。不機嫌の連鎖はその人間関係に不穏な空気感をもたらします。当然、愛や平和や暖かい空気感とは違うものを生み出すのです。

 十戒第六戒はこのような不機嫌の連鎖ではなく、人を生かし、生き生きとした愛と平和に満ちた温かい感情や空気をもたらす人間関係を形成することを求めているのです。

 今朝、あなたに出会う人が平和な気持ちになるなら、どれほど素晴らしいことでしょうか。神様があなたに持っておられる感情はまさに愛と平和です。この神様から愛と平和をいただきながら、笑顔で一日を始めていきたいと思います。

    ( PBA制作「世の光」2018.8.9放送でのお話しより )

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■すると、ユダが近づいて言った / 福井 誠

2018年09月12日 | Weblog
2018/8/8放送


世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「すると、ユダが近づいて言った」です。 創世記44章18節から読んでみましょう。
すると、ユダが彼に近づいて言った。「ご主人様。どうか、しもべが申し上げることに、耳をお貸しください。どうか、しもべを激しくお怒りにならないでください。
                 (新改訳2017)

 先週はヤコブのあからさまな兄弟差別やヨセフの嫌味な性質など、様々な要因が絡んで家族が崩壊していったお話をしました。このエピソードにはもう一つ重要なサブエピソードがあります。

 ヨセフが羊を飼う兄弟たちを訪れた時にヨセフは殺されかけましたが、最終的には奴隷として売り飛ばされる結果になりましたね。その時に、奴隷として売り飛ばそうと提案したのが今日の箇所に登場するユダという人物でした。殺しても得にはならない。奴隷にしようと。そして父親には、野の獣に食い殺された、と報告したのです。その後、家族はどうなったのでしょう。父親のヤコブは悲嘆に暮れました。慰められることを拒んで、自分も死にたい、と泣きわめくのです。

 どうでしょう。本当に気まずいを通り越した何とも言えない空気が家族に充満したことでしょう。当然責任感のない兄弟たちは奴隷に売り飛ばそうと言ったユダに対しても冷たくなった事でしょうね。ユダはその後家族から離れて一人で暮らすようになったと聖書は記録しています。

 それから20年後、ヨセフと再会した兄弟たちは、ヨセフの弟ベニヤミンを人質に取られそうになったのですが、そこでベニヤミンを守ろうと必死に、ヨセフとは知らずエジプトの大臣を説得したのがユダでした。実に感動的な場面です。

 かつては兄弟の苦しみに全く無関心で、真っ先に売り飛ばそうと語った冷酷なユダが、ここでは兄弟の守りのために真っ先に事情を説明し、身代わりになることすら提案しているのです。20年の歳月の間にもう一人の心の成熟がありました。

 人生の苦しみはそれ自体喜ばしいものではないですね。ユダもこんな人生は無駄、無意味だと思いつつ、いや無駄なことなど何一つない、と考え直す葛藤の時を過ごしたことでしょう。人生の出来事の点と点が結びついて線になり、その輪郭が見えて来る時間を大事にして行きたいものですね。

(PBA制作「世の光」2018.8.8放送でのお話より )

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■心を刺され / 板倉邦雄

2018年09月11日 | Weblog
2018/8/7放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は「心を刺され」という題でお話ししましょう。
 
 ペテロの説教を聞いた人々は心を刺されました。救世主イエスを自分たちが十字架につけたからです。人々は思わずペテロや他の人たちに尋ねました。「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか。」 

 するとペテロは人々に答えました。「悔い改めなさい。」 自分たちの犯した罪と過ちを理性で認め、心から罪を告白し、意思において神に立ち帰ることでした。

 次にペテロは人々に言いました。「それぞれ、罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマ・洗礼を受けなさい。」 すなわち謝罪と主イエス・キリストへの信仰が求られたのです。イエス・キリストへの信仰の告白が罪の赦しをいただくイエス・キリストの名による水のバプテスマ・洗礼だったのです。水のバプテスマ・洗礼には、一 キリストと繋がり一つになること、二 罪の穢れを洗いきよめること、三 神の家族の一員になること、を意味していました。

 そしてペテロは神への悔い改めと主イエスを信じてバプテスマを受ける人々に次のような約束を与えたのです。「そうすれば賜物として聖霊を受けるでしょう。なぜなら、この約束はあなたがたとその子どもたち並びにすべての遠くにいる人々、すなわち私たちの神である主がお召しになった人々に与えられているからです。」 

 神に対して悔い改めましょう。そして私の罪の赦しを得るために救い主イエス・キリストを信じてバプテスマを受けましょう。そうすれば賜物として聖霊を受けるのです。そして聖霊からの賜物も受けるのです。信じたあなたもそしてあなたの子どもや孫たちもです。神とキリストから来る聖霊の賜物とは愛・喜び・平安ではないでしょうか。

 私も今から52年前、18歳の春に聖書からのメッセージを聞き、心を刺されました。私の罪がイエス様を十字架につけたことが分かったからです。神様に「ごめんなさい。」と言い、十字架のイエス・キリストを信じ、洗礼を受けました。

  (PBA制作「世の光」2018.8.7放送でのお話より )

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■孤独と痛みの中での祈り / 岩井基雄

2018年09月10日 | Weblog
2018/7/30放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
 
第一の月曜日は詩篇から学んでいますが、今日は詩篇109篇の前半から、「孤独と痛みの中での祈り」と題してご一緒に考えてみましょう。

 先月は、「あなたの救いを待ち望みます」と題し、葛藤の中にあってこそ神様に信頼し、自分の思いをそのまま祈りとし、救いを待ち望む心の平安を学びました。今日の詩篇には更に詩篇の作者の深い孤独や葛藤が歌われています。早速お読みします。

 私の賛美である神よ。沈黙しないでください。
 彼らは 邪悪な口と欺きの口を私に向けて開き
 偽りの舌をもって私に語るからです。
 彼らは 憎しみのことばで私を取り囲み ゆえもなく私に挑んできます。
 私の愛に代えて 彼らは告発で応じます。私は祈るばかりです。


  旧約聖書 詩篇109篇1節から4節

 この詩篇はイスラエルの王ダビデが歌っています。王の孤独というのは分りにくいかもしれませんが、責任の重いリーダーゆえの孤独や葛藤があります。神様が沈黙されているかのような悲しみをダビデは通りました。自分のいのちが狙われたり、彼の真実さや愛が踏みにじられ、告発を受けるという痛みを通ったのです。しかし、ダビデのすごさは、そのような中になっても神様に信頼し、すべての思いを神様に祈りとしてささげ、そして祈りを歌にしたことでした。

 「私の賛美である神よ。・・・私は祈るばかりです。」と、彼は深い葛藤の中で神様への信頼を捨てず神様への祈りをささげているのです。このダビデの正直な祈りのことばにどれほど多くの人々が慰められ励ましを受けてきたでしょうか。私たちのすべてを御存知の神様の前に、私たちは取り繕う必要がありません。祈りは私たちを内側から変えていくのです。そして、人知をはるかに超えた平安を神様は私たちに、そしてあなたに与えるのです。あなたもどんな中にあっても、そのままの心を神様に祈ってみませんか?

 聖書のことば
 「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
        新約聖書 ピリピ人への手紙 4章6節、7節

 PBA制作「世の光」2018.8.6放送でのお話しより)

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