♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して66年の
「世の光」を文字で 

■イエスの沈黙 / 羽鳥頼和

2018年09月29日 | Weblog
2018/8/25放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今日は新約聖書マルコの福音書15章で語られているピラトによるイエスの裁判についてお話しします。
 
 祭司長たちはイエスを殺すためにローマ総督ピラトにイエスを訴えました。ピラトはイエスに、「あなたはユダヤ人の王なのか?」と尋ねました。イエスはただ、「あなたがそう言っています。」とだけ答えました。すると祭司長たちは多くのことを並べ立ててイエスを訴えました。しかしイエスは何も弁明をされませんでした。イエスはこの後もずっと沈黙したままでした。ピラトはイエスが黙ったままであることに驚きました。そして何とかイエスを釈放しようとしました。ピラトは祭司長たちが妬みからイエスを訴えていることを知っていたのです。しかし祭司長たちはイエスを十字架で殺そうと群衆を扇動しました。祭司長たちは人々がピラトに向かって「イエスを十字架につけろ。」と叫ぶようにし向けました。「あの人がどんな悪いことしたのか?」とピラトは言いましたが、人々はますます激しく「十字架につけろ!」と叫び続けたのです。結局ピラトは群衆を満足させるためにイエスを十字架につけることにしてしまいました。このようにイエスを十字架につけて殺そうとする悪巧みが成功して行きます。

 しかし実はこの十字架は神の救いの計画だったのです。ピラトも祭司長たちもその事を知りませんでした。イエスだけがこのことを知っておられました。そして神の計画に黙って従われたのです。聖書はその事を預言しています。旧約聖書イザヤ章53章7節と10節で、このように言われています。「彼は痛めつけられ、苦しんだ。だが、口を開かない。屠り場に引かれて行く羊のように、・・・、彼は口を開かない。」 そして10節では、「彼を砕いて病を負わせることは主のみこころであった。彼が自分のいのちを代償のささげ物とするなら、・・・、主のみこころは彼によって成し遂げられる。」 イエス・キリストは十字架にかかることによって、私たちの身代わりとなってくださったのです。神はこのキリストの十字架によって救いを与えることを、この裁判のずっと前から計画しておられました。この十字架こそ私たちの確かな救いです。明日は日曜日です。お近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2018.8.25放送でのお話より )
 
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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■あなたの罪は赦された / 関根弘興

2018年09月28日 | Weblog
2018/8/24放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

新約聖書のマルコの福音書2章に、こんな出来事が書かれています。イエス様が家の戸口まで溢れる人が押しかけてきた家で説教されているとき、何と屋根がバリバリと剥がされて、天井から病気で寝たきりになってしまった人が吊り降ろされてきたんですねえ。するとイエス様はまずその人に向かって「子よ。あなたの罪は赦されました。」(マルコ 2章5節)と言われたんです。

 人は罪の赦しを確信したときに初めて心の奥底にある不安が癒され、安心して生きることができるんですね。イエス・キリストが来られた目的は、私たちの罪を赦すためでした。でも考えてください。罪の赦しというのは口先だけで済むような話ではありません。

 例えば、今私の目の前にはマイクが置いてありますが、私が故意にこのマイクを壊してしまったとしましょう。あとで私がスタジオの責任者に、「すいません。悪いことしました。」とお詫びしたとしましょう。すると寛容なスタジオの責任者は、「あ、大丈夫ですよ。赦しますよ。」って言ってくれるんです。嬉しいですねえ。ホッとしますね。でも、その責任者が「赦します。」と言った途端、壊れたマイクは元通りになりますか? 決してそうはなりません。口先だけで「赦します。」と言っても、壊れたマイクは元に戻りません。元通りにするためには修理をお願いして、その代金を支払わなければならないんです。つまり、赦しとは口先だけではなく、そのために何らかの犠牲が伴うということなんですね。

 イエス様が私たち一人ひとりに「あなたの罪は赦されました。」と宣言してくださるとき、それは口先だけのことばではありません。ではイエス様はなぜ「あなたの罪は赦された。」とはっきり宣言することがお出来になるのでしょうか。それはイエス様が私たちを愛するがゆえに、私たちのすべての罪を背負って十字架にかかり、私たちに代わり、私たちが負うべきすべての罰をご自分で受けてくださったからなんです。

 この病気の人に、「あなたの罪は赦された。」と語り、癒された出来事は実はすべての人の罪の対象をご自分が背負い、支払う覚悟をしておられることのさきがけの出来事でもあったんです。イエス様はただ綺麗ごとだけの口先だけのことばではなく、ご自分の自らのいのちを懸けて、「あなたの罪は赦されました。」と宣言なさるために来てくださったんです。

     (PBA制作「世の光」2018.8.24放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

■十戒 -自由への励まし 73 / 大嶋重徳

2018年09月27日 | Weblog
2018/8/23放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。
 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒第六戒には「殺してはならない。」(出エジプト記20章13節 新改訳2017)とあります。

第六戒は殺そうとしない社会を形成することを励ます戒めでもあります。私たちが殺人への道を開いていく怒りの感情でなく、平和を生み出す笑顔を作ることを求めます。また人を殺すことばではなく、人を生かすことばとは何かを思い巡らすように第六戒は導いてくれます。

 では殺そうとしない社会形成のために私たちはどのようにすればよいのでしょうか。世界で最初の殺人が記されている旧約聖書のアベルとカインの兄弟殺しの物語があります。そこで自分の兄弟を殺してしまったカインに神様は、誰も彼を殺すことのないように、カインに一つのしるしをくださった、とあります。殺人をしてしまった自分も誰かから復讐されて殺されるのではないかと恐れるカインに対して、誰も彼を殺すことが無いようにと神は復讐の殺人を防ごうとされたのです。私たちは殺し合わない社会を形成するために復讐を防ぐことを目指していく必要があります。

 では復讐を防ぐために必要なことは一体何でしょうか。さらに新約聖書にはこう記されています。「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。』」(ローマ 12章19節 新改訳第三版 ) 聖書は復讐を主にお委ねしなさいと語ります。

 私の知り合いの牧師が、言われのない批判を受けて本当に苦しかった時に、この聖書のことばに出会ったと話してくれました。どのように言い返そうか、どのようにやりまかそうか、とあれこれ考えていた自分にハッとしたというのです。むしろ神様は悪を放って置かれる方ではないと、神様のさばきにお任せし、自分はこの復讐の感情に飲み込まれないようにしようと心を堅く決めたそうです。確かに自分の小さな仕返しの画策よりも、正義の神様のさばきにお任せする方が実はもっと怖いことですよね。永遠に至る神様は、永遠に至るさばきを神様はなさいます。むしろ私たちは復讐に加担することなく、「殺してはならない」という罪を犯すことからも守られ、何より正しく義の神が私たちの味方でいてくださるならば私たちは怖いものがありません。私たちはきちんと正義の神に裁きをお委ねしていく信仰を神様から受け取っていきたいと思います。

    ( PBA制作「世の光」2018.8.23放送でのお話しより )

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■主に祈った / 福井 誠

2018年09月26日 | Weblog
2018/8/22放送


世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「主に祈った」です。 出エジプト記8章30節から読んでみましょう。
モーセはファラオのもとから出て行って、主に祈った。」(新改訳2017)

 先週もお話ししましたが、イスラエルがいざエジプトの国を出て行こうとすると、エジプトの王はそれを阻止しようとしました。そこに神は様々な災いを送られ、エジプトの王が困り果ててイスラエルの奴隷を手放すようにし向けていくのです。しかもその災いは、エジプトの王にイスラエルを諦めさせるための神の嫌がらせではなく、意味のある災いでした。

 たとえばエジプト人の家にはナイル川のカエルが群がり、死に絶え、山と積み上げられてその腐敗臭に悩まされる災いが起こりましたが、エジプトでカエルは豊穣のシンボル・女神ヘクトとして崇められていたものです。たくさんの女神ヘクトが死骸となって積み上げられ腐敗臭を放っているのですから、それはエジプト人が間違ったものを信じていることを明らかにし、まことの神はこの災いを起こされたイスラエルの神だけであることを教え諭していたのです。

 またアブがエジプト人に襲いかかる災いでも、アブは太陽神の象徴である特殊なカブト虫を意味していたと言われます。つまりエジプト最強の神である太陽神も、イスラエルの神によって操られ、無力な存在であることを示していたのです。

 こうしてエジプト人が追求していたエジプトの神が無力なただの偶像であることがエジプト人に思い知らされていきます。日本人も多くのものを神としています。しかし、果たしてそれらの神は本当に私たちが信頼し、祈るべき存在なのかを考えてみたいところではないでしょうか。日本人の約70%は御利益信仰的な宗教心を持っていると言います。つまり信仰の対象は余り問わず、信じる態度を大事にし、信じるものが何であれ、うやうやしく信じていれば何か御利益があると考えているという訳です。しかし信仰においては信じる態度のみならず、何を信じているかという信仰の対象も大事でしょう。木や石でできた偶像ではなくて、確かにいのちを与えるまことの神にこそ心を開いて祈っていきたいものですね。

(PBA制作「世の光」2018.8.22放送でのお話より )

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■初代教会の姿 -2 / 板倉邦雄

2018年09月25日 | Weblog
2018/8/21放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は「初代教会の姿-その2」と題してお話ししましょう。
 
 今週も先週に続いて初代のキリスト教会の姿をお話したいと思います。
 
 まず第一に、イエス・キリストの直弟子で「キリストの使徒」と呼ばれた人々が指導にあたっていたということです。ですから信徒全員に、神を敬い、神への畏敬の念が生じました。多くの奇跡としるしが使徒たちによって次から次へと行われていったからです。教会堂は無く、礼拝用の用具は揃ってはいませんでした。

 次に、信徒たちはみな一緒にいて一切のものを共有にし、資産や持ち物を売っては必要に応じてみんなの者に分け与えていた、とあります。この時は一切のものを共有しなくてはならない状況にありました。信徒になった人々は諸外国から祭のために巡礼に来ていた人々たちでした。エルサレムの都でペテロたちに会い、聖霊降臨という大事件に遭遇しました。そしてキリスト信徒になり、共同生活を始めたからです。自然災害で避難生活を強いられた状況を考えたらよいでしょうね。ですから共有財産生活は一時的なものだったのです。

 そして第三に、日々心を一つにして、絶えずエルサレム神殿へ宮詣でをなし、家ではパンを裂く聖餐を守り、食事を共にし、神を賛美し、すべての人に好意を持たれていたのです。そして、主なる神様は救われる者を日々仲間に加えてくださった、とあります。
 「心を一つにして」とありますが、人はみな心で考えること思うこと決断することは異なるでしょう。しかしそのような私たちの心が一つにしてとはどういうことでしょうか。それは天の父なる神への畏敬すなわち尊敬の念と主イエス・キリストへの信仰という点で一つになったのではないでしょうか。一つのパンを食べ、一つの杯から飲むということにおいて一つの心となりました。この一つの心から喜びと真心が流れて出て祈りとなり、他者への愛となり、神への賛美が生まれていったのです。このようなキリストの教会としてくださるように祈って行きたいものです。

  (PBA制作「世の光」2018.8.21放送でのお話より )

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■何を優先していくのか / 岩井基雄

2018年09月24日 | Weblog
2018/8/20放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
 第三週の月曜日はマルコの福音書から学んでいます。

 神の民イスラエルの指導者やパリサイ人たちは神様が恵みとして与えてくださった律法の周りに人々が守るべき様々な規定を定め、それを人々の重荷・枷としてしまっていました。最初は律法を守るための規定だったのですが、次第に本来の目的は失われ、人々に自分たちの権威を示すためにそれを用いたのです。

 キリストはそんな彼らを偽善者と呼び、彼らの罪を示し、悔い改めへと招かれたのです。キリストは彼らの具体的な罪として、「父と母を敬う」という大切な律法をないがしろにしていることを取り上げました。

 本来は父や母に与えるべき資産をもコルバンすなわち神への捧げものとなったと宣言し、神に捧げた人々に彼らはもうそれを両親のためには用いなくて良いと告げました。特に両親と喧嘩をした時などにそのようなことが宣言されたようです。そしてあとで後悔し、その宣言を取り消したいと申し出た人にも、パリサイ人たちや律法学者たちは、神の前に誓ったことを守れ、と両親を敬うことよりもコルバンの宣言を重要視させ、より大切な神の律法をないがしろにさせたのです。キリストは彼らにこう語りました。

 「あなたがたは、『もし人が、父または母に向かって、私からあなたに差し上げるはずの物は、コルバン(すなわち、ささげ物)です、と言うなら──』と言って、その人が、父または母のために、何もしないようにさせています。
  新約聖書 マルコの福音書7章11節、12節 (新改訳2017)

 本末転倒とはこのようなことでしょう。神の恵みの律法よりも自分たちの決まりごとを優先したのです。私たちの心にも、神の義や真理や愛よりも自分のルールや希望や願いを優先しようとする誘惑があるのではないでしょうか。何に価値を置き、どこに人生の目標を置いて歩むかは私たちの人生に大きな影響を与えます。人の目や評価また自分の願いやルール以上に、神様にある真実や愛、誠実や義を目指し、優先してその歩みを進めていきませんか? 天の宝を積む人生を神は豊かに祝福してくださるのです。

 聖書のことば
 「まず神の国と神の義を求めなさい。」 
       (新約聖書 マタイの福音書 6章33節 新改訳2017)

 PBA制作「世の光」2018.8.20放送でのお話しより)

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こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
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■キリストの再臨 / 羽鳥頼和

2018年09月22日 | Weblog
2018/8/18放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今日は新約聖書マルコの福音書13章14節から27節でイエスが教えられたエルサレムの滅亡とキリストの再臨についてお話しします。
 
 イエスは弟子たちに、エルサレムの神殿が破壊されることと、この世の終わりの時代つまり終末の時代に起こることを教えられました。イエスは、「『荒らすいまわしい者』が神殿に立っているのを見たら、ユダヤにいる人たちは山へ逃げなさい。大きな苦難が来ます。」と言われました。このことばはエルサレムの神殿が破壊されることと終末の時代に起こる大きな苦難を重ね合わせて預言しています。実際に紀元70年、ローマ軍によってエルサレムの神殿は破壊され、イエスのことばの一部が実現しました。しかしイエスは更に大きな苦難が来ることをも預言しているのです。

 イエスは言われました。「それらの日には今までなかったような、また今後も決して無いよな苦難が起こります。そしてそんな時に偽キリストたちが現れて、できれば信者たちを惑わそうと、しるしや不思議を行います。気をつけなさい。『わたしがキリストだ』と言う者が現れるが、彼らは偽者なのです。そのような大きな苦難に続いて、太陽は暗くなり、月は光を放たなくなり、星は天から落ち、天変地異が起こります。しかしその時に、わたしは偉大な力と栄光と共に再び来るのです。」とイエスは言われました。これがキリストの再臨です。

 その時キリストは全ての信者たちをご自分のもとに集めてくださいます。この世の終わりに大きな苦難が来ます。しかしキリストはすぐに来て、悪をさばき、信じる者を救ってくださるのです。

 イエスはこれらのことを話された後で言われました。「天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。」 キリスト教会ではこの消え去ることのないキリストのことばである聖書からお話をしています。

 明日は日曜日です。キリストのことばを聞くために、お近くのキリスト教会へいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2018.8.18放送でのお話より )
 
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■子よ、安心しなさい / 関根弘興

2018年09月21日 | Weblog
2018/8/17放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

新約聖書のマルコの福音書2章に、こんな出来事が書かれています。イエス様が家の戸口まで溢れる人が押しかけてきた家で説教されているとき、何と屋根がバリバリと剥がされ、上から病気で寝たきりの人が吊り降ろされてきたんです。するとイエス様はその病気の人に「子よ。あなたの罪は赦されました。」と言われたんです。

 普通、病気の人なら「治りなさい。」とか「起き上がりなさい。」ということばを期待したでしょうねえ。ところがイエス様は、「あなたの罪は赦されました。」と言われたんです。なぜでしょうか。

 あるお医者さんの話ですが、「診察を受けに来る患者さんの中には薬も手術も要らない人がいる。」と言われました。「彼らに必要なのは赦しだ。」と話されたんです。どういうことかというと、赦されていないという心の奥底の不安が病気の原因となっているっていうんですねえ。今日登場したこの病気の人のことを少し考えてみてください。長い間、病のために伏せっていました。辛く寂しかったでしょう。何が悪かったんだろう、どうして自分だけこんな病になってしまったんだろう、と色々と過去を考え、後悔することもあったでしょう。自分が病気なったのは罪を犯した罰ではないだろうか、そう考えたかもしれません。そうしたことを考えれば考えるほど、人生はますます不自由になっていったのではないかと思います。でもこうしたことは私たちの日常にも度々ありますよね。悪いことが起こったり病気になると私が何か悪いことしたせいで罰を受けてるんではないか、そんなふうに考えてしまうんです。人は自分の内側の罪が赦されているという確信を持つことができなければ本当の意味で立ち上がることができないんですね。ですからイエス様はまず最初に、「安心しなさい。あなたの罪は赦されました。」と宣言されたんです。人は罪の赦しを確信した時に、初めて心の奥底から癒され、安心して生きることができるんです。
 イエス様が来られた目的は、私たちのために罪を赦すために来てくださいました。だから私たちは、恐れたり不安になったりすることがあっても、イエス様の「安心しなさい。あなたの罪は赦された。」と約束されることばによって強められ、立ち上がることができるんですねえ。

     (PBA制作「世の光」2018.8.17放送でのお話しより)

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■十戒 -自由への励まし 72 / 大嶋重徳

2018年09月20日 | Weblog
2018/8/16放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。
 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒第六戒には「殺してはならない。」(出エジプト記20章13節 新改訳2017)とあります。

十戒第六戒は、殺さなかったら良いのかというと、私たちの個人的な小さい苦々しい感情に対してもきちんと顧みるように光を当てます。新約聖書には父親たちに、子どもたちを怒らせてはいけない、という教えがあります。親たちは第六戒の教えを実践するために怒りを生まない家庭を形成するためにどうしたらよいのかと思いを巡らす必要があるのです。もちろん子どもをきちんと叱る事は親に重要なことです。叱ることのできない親に育てられた子どもは、何が正しく何が間違っているのかを学ぶことができません。そのため、他の同世代の子どもにしてはいけないことをしてしまい、そこにも争いを生む原因を作ってしまうこととなるでしょう。

 しかし、叱ることと怒りに任せて怒鳴りつけることは違います。私たちは愛と平和に満ちた家庭や職場を築くために、その助けを神様から受け取っていかなければなりません神様こそ怒りに任せて人間を怒鳴りつけるような方ではありません。

 聖書の中には、「わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。」(黙示3章19節 新改訳第三版)と言うことばがあります。更にそのあとのことばはこう続きます。「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(黙示3章20節 新改訳第三版) 

 つまりイエス様はきちんとしかって懲らしめられる神様です。しかし叱ったあと私たちが悔い改めて戸を開けてイエス様をお迎えするならばイエス様はそこで私たちと一緒に食事をする、とおっしゃるのです。ご飯を食べよう、と声を懸けてくださるのです。このご飯はどれだけ赦しに満ちた温かいご飯でしょうか。

 我が家もこのイエス様に倣って、子どもを叱った後きちんとごめんなさいができたら、抱き上げて何度も何度も「高い、高い」と高く放り上げて遊んであげました。すると泣き続けていたあの子どもの顔に少しずつ笑顔が戻ってきました。続けて部屋に布団を敷き詰めてお馬さんごっこをすると、「もっと。もっと。」と楽しそうにするのです。妻はお馬さんごっこではなく甘ーいお菓子を一緒に子どもたちと食べる時間を持っていました。

 神様が怒り続ける方ではないように、私たちは叱ったあとは笑顔になる責任と笑顔を作り出す責任を持っているのです。十戒第六戒は笑顔を作り出すことを励ます戒めでもあるのです。

    ( PBA制作「世の光」2018.8.16放送でのお話しより )

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■神はよくしてくださった / 福井 誠

2018年09月19日 | Weblog
2018/8/15放送


世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「神はよくしてくださった」です。 出エジプト記1章20節から読んでみましょう。
神はこの助産婦たちによくしてくださった。それで、イスラエルの民はふえ、非常に強くなった。
                 (新改訳 第三版)

今日から出エジプト記です。創世記の終わりにはヨセフという人物が描かれていましたね。出エジプトの最初の章では、そのヨセフを知らない王がエジプトに現れた所から始まっています。一体それは実際の歴史ではいつ頃で、誰であったのか、聖書の研究者の間でも意見は分かれています。一つは、紀元前1450年頃のアメン・ホテプ2世の時代。もう一つは、紀元前1200年頃のラメセス2世の時代です。どちらとも決めがたく、250年の誤差はあるものの、だいたい紀元前1200年から1450年の間、エジプト史上では新王国時代の出来事でした。つまりエジプトと言えばピラミッドやスフィンクスのイメージを思い浮かべる人が多いと思いますが、出エジプトの出来事はあの歴史よりも更に1000年ほど新しい新王国時代の出来事であったということですね。

 さて、この新しい王は増え広がるイスラエル人を国外に追放せず、倉庫の町々を建設する奴隷にしようと考えました。また人口を抑制するため、男子のイスラエル人が生まれると即座に殺すことを命じています。しかし、神を恐れる二人の助産婦シフラとプアの知恵ある抵抗によって子どもたちのいのちは守られていきます。彼女たちは目に見えるエジプトの支配者よりも目に見えない天地万物の創造主であり支配者である神の方を恐れたのですね。人は目に見える権威を恐れ易いものです。しかし目に見えない、世のどんな権威にも勝る神の権威というものがあります。それを信仰の目ではっきり認められるかどうかが私たちの行動や生活の仕方に大きな違いをもたらすものですね。神はご自身を認め正しいことをする二人の助産婦に良くし、彼女たちの家を栄えさせたと言います。神を信じるなら当然神に期待すべきです。疑い深くだらだらと歩むよりは、本当に心から信じて神の祝福に与る者でありたいものですね。

(PBA制作「世の光」2018.8.15放送でのお話より )

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