♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■知恵のある者に与えよ / 福井 誠

2023年03月31日 | Weblog

2023/1/6放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。
 「継続は力なり」 日々、聖書を手に取り、心の糧とするなら、自然に養われてくるものがあるものです。今日も聖書を開いてまいりましょう。
 今日は、「知恵のある者に与えよ」と題してメッセージをいたします。

 箴言9章9節
  「知恵のある者に与えよ。彼はますます知恵ある者となる。
   正しい人を教えよ。彼は洞察を深める。」

 昨日に続いて今日も9章を読みますが、9章で学ぶもう一つの教訓は、どのような人と関わるかということです。しかも、人を教えることについての関わりです。

 そもそも人は教えたがりの生き物です。つい、おだてられると、とうとうと話し始めるのが人間です。そのような人間の性質には注意しなくてはなりません。そして、誰でもかん(彼)でも教えるというのではなく、教えるべき人がいる、教育すべき対象をよく見極めなさい、と著者は語るのです。もし、あなたが目をかけて教えようとするなら、嘲る者ではなく知恵のある者、正しい人にそうしなさい、と。

 この箴言を書いたソロモンは王様として国家を築き上げるために、やはりそれなりに優秀な人を育てなくてはなりませんでした。多忙な中で、どのような者たちに自分の時間とエネルギーを費やしていくのか、著者は言うのです。教えるなら知恵のある者、正しい人にそうしなさいと。知恵ある人、正しい人をこそ叱り、与え、教えなさいと言います。

 イエスも、「聖なるものを犬に与えてはいけません。また、真珠を豚の前に投げてはいけません。犬や豚はそれらを足で踏みつけ、向き直って、あなたがたをかみ裂くことになります。」と言いましたが、教えたことを大事にする人を教えなさいというわけです。

 そのような意味で、知恵ある人というのは、まず人をよく観察する人、人をよく見抜いていく人なのです。人の時間もエネルギーも無限ではありません。よく物事を見極めていきたいところです。

 では、今日もよき一日となるように祈ります。


    ( PBA制作「世の光」 2023.1.6放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■浅はかな者はみな、ここに来なさい。 / 福井 誠

2023年03月30日 | Weblog

2023/1/5放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。
 「継続は力なり」 日々、聖書を手に取り、心の糧とするなら自然に養われてくるものがあるものです。今日も聖書を開いてまいりましょう。
 今日は「浅はかな者はみな、ここに来なさい」と題してメッセージをいたします。

 箴言9章4節
  「『浅はかな者はみな、ここに来なさい』と。また、良識のない者に言った」

 この9章で、ようやく、知恵を巡る箴言の教えが一段落します。この章が一つの区切りとなって、これ以降は教訓集となって、世渡りの術とも言うべき知恵が取り上げられていきます。その前に、この9章、二つの宴会のたとえ話に注目させられるところです。

 宴会、楽しい場は誰もが好きでしょう。しかし、どのような宴会に出席するか、よく考えることも大事です。ここでは二つの宴会が出てきます。これらの宴会は「浅はかな者」また「良識のない者」に、ぜひ来てください、と誘いかけるのです。

 その一つは、知恵、つまり神様ご自身が主催する宴会、そして、もう一つは愚かな女が主催する宴会です。この二つの宴会、出されるご馳走が違います。神様が準備するご馳走は、よいご馳走。愚かな女が用意するのは盗んだものです。つまり、愚かな女のご馳走には罠があると言うわけです。そして、参列者は、そのような罠に気づかずにいると言います。

 一般に、この愚かな女の宴会は、性的な誘惑を暗示していると言われます。しかし、必ずしも性的なことに限って理解する必要もないでしょう。実際、世間には性のみならず、罠が待ち構えているうまい話、危ない話はいくらでもあるのです。お金に関すること、権力や地位に関すること、様々です。心が躍るようなことがあったなら、思慮深くありなさい。人生の海で座礁しないためには、やはり物事はよく見極めていくことが大切だ、というわけです。

 知恵が主催する宴会は私たちを楽しませるだけではない。私たちに思慮深さ、分別、そして真っすぐな人生を提供します。それは、私たちの人生の歩みを確かに前へと進めさせるものなのです。

 では、今日もよき一日となるように祈ります。


    ( PBA制作「世の光」 2023.1.5放送でのお話しより )


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■神に知恵を求める / 福井 誠

2023年03月29日 | Weblog

2023/1/4放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。
 「継続は力なり」 日々、聖書を手に取り、心の糧とするなら自然に養われてくるものがあるものです。今日も聖書を開いてまいりましょう。
 今日は「神に知恵を求める」と題してメッセージをいたします。

 箴言8章23節
 「わたしは、大昔に、初めに、大地の始まりの前に、立てられていた」

 知恵が、明晰さ、正しさ、そして富をもたらす。聖書は語ります。そんな三拍子そろった素晴らしい知恵は、ぜひいただきたいものだと誰もが思うことでしょう。
 しかし、知恵はどこで探せばよいのか。この章の後半は、知恵のありかについてのお話です。

 著者は言います。知恵は大昔から、創造のはじめから神とともにあった、と。この聖書箇所はキリスト教会の歴史の中で「三位一体」という神についての教理、ことに御父と御子との関係を説明するものだと議論されてきました。

 しかし、そのようにこじつけた議論を展開するよりも、ここは単純に知恵のありかについて語っていると考えた方が良いと思います。つまり、知恵は神によって生み出され、神に与えられていくものだ、と。

 確かに、人生に窮する中でハッとひらめく、思いがけない気づきが与えられる、そのような類の知恵があります。人間が考えあぐねてひねり出す知恵ではなく、上から賜物として与えられる知恵があるのです。
 そして、そのような神からのプレゼントとして与えられる知恵は、全人類と分かち合うことのできる重要なものであったりするのです。

 実際、かのソロモン王も神に知恵を願って、上から与えられています。

 新約聖書のヤコブの手紙には、「あなたがたのうちに、知恵に欠けている人がいるなら、その人は、だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださる神に求めなさい。そうすれば与えられます。」と語られています。

 大切なのは、自分の知恵の足りなさを嘆くのではなくて、むしろ素直に自分の現実を認めて、へりくだって神にこれを求めることです。神が、私たちの人生に光を照らしてくださいます。

 では、今日もよき一日となるように祈ります。


    ( PBA制作「世の光」 2023.1.4放送でのお話しより )


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■わたしはあなた方に呼びかける / 福井 誠

2023年03月28日 | Weblog

2023/1/3放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。
 「継続は力なり」 日々、聖書を手に取り、心の糧とするなら自然に養われてくるものがあるものです。今日も聖書を開いてまいりましょう。
 今日は「わたしはあなた方に呼びかける」と題してメッセージをいたします。

 箴言8章4~6節
 「人々よ、わたしはあなたがたに呼びかける。人の子らに向かって声をあげる。
  浅はかな者たちよ、賢さを身につけよ。愚かな者たちよ、良識をわきまえよ。
  聞け。わたしは高貴なことを語り、わたしの唇からは公正が出るからだ。」

 ここで知恵は、擬人化つまり、まるで人のように扱われています。つまり、知恵が街頭に立って、道行く人々に呼びかけているかのように描かれています。知恵は、「金(かね)ではなく、わたしの訓戒を受けよ。選り抜きの黄金よりも、知識を受けよ。知恵は真珠にまさり、どんな喜びも、これとは比べられないからだ。」(10、11節)と声を張り上げるのです。知恵を得た時の喜びは大きい。それは、金銀では得られない満足だと言います。
 というのも、知恵には「知識と思慮がある」(12節)からだと言います。つまり、知恵があれば、物事を良く理解できるようになり、そして正しい判断をくだすことできるようになると言うわけです。また、高ぶったり、奢ったり、悪の道に迷いこんだり、ねじれたことばから自分を守ることができると言います。
 しかも、「わたしによって、王たちは治め、君主たちは正義を定める。」(15節)と語られているように、それは単に個人的な利益ではなく、公の利益を実現するのです。
 さらに知恵は呼びかけます。「富と誉れはわたしとともにある。」(18節)知恵を愛するなら、繁栄と名誉、そして豊かな富もついてくる。それは、箴言を編集したソロモンの生涯が証しています。
 
 このように、明晰さ、正義、富をもたらす知恵は、どのようにして得られるのか。
 単純です。ただ知恵を愛し、追及し、地道に、熱心に探しだすことだと言います。

 では、今日もよき一日となるように祈ります。


    ( PBA制作「世の光」 2023.1.3放送でのお話しより )


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■瞳のように守れ / 福井 誠

2023年03月27日 | Weblog

2023/1/2放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。2023年最初の「世の光」、今日も聖書を開いてまいりましょう。
継続は力です。日々、聖書を手に取り、心の糧とするなら、自然に養われてくるものがあるものです。今日は「瞳のように守れ」と題してメッセージをいたします。

 箴言7章 1~2節 
 「わが子よ。私のことばを守り、私の命令をあなたのうちに蓄えよ。
  私の命令を守って生きよ。私の教えを、自分の瞳のように守れ。」

 今週一週間、私、福井誠が箴言からメッセージをさせていただきます。今日は7章1節からです。

 箴言の著者は、この書に書かれたことばを記憶に留めよ、そして自分の瞳のように大切にせよ、と言います。聖書を単なる読み物、書物として読むのではなく、あたかも自分の体の一部として受け止め、大事にせよというわけです。

 しばしば、若い人は未熟だと言われます。それは、ある程度人生のことについて分かっていたとしても、分わかったとおりの行動が取れないためです。ですから、分かっているのに多くの危険に陥り、さらに人生でのチャンスを失ってしまうこともあるものです。色々と人の話は聞いていて、あれこれ知っているけれども、知っているとおりに賢く物事を進められない未熟さがあるのです。

 ですから、教えられた知恵は、頭の中だけではなく、目、口、手、足、体のすべてに連動するまでしっかり身に着けていく。つまり、熟成させていくことが大切です。
 
 実際、この箴言はソロモン王が自分の子に、つまり、王家の教え、帝王学として語ったものですが、王様には、必ず守るべき教えが3つありました。王になったら軍事力に執着し過ぎない、多くの妻にうつつを抜かさない、そして最後が重要です。神のみ教えを巻き物に書き写し、自分の手元に置いて、一生の間これを読む、です。人の上に立ち、指導する者であればなおさら、知恵と体が結びつく成熟さを持て、と教えられています。

 では、今年も一年「世の光」をぜひ続けてお聴きください。

    ( PBA制作「世の光」 2023.1.2放送でのお話しより )


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■起き上がった者の幸せな歩み / 水谷 潔

2023年03月25日 | Weblog

2022/9/24放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。今週番組を担当する、愛知県にあります春日井聖書教会協力牧師の水谷潔です。

 新約聖書のヨハネの福音書5章で、イエス様はエルサレムにあるベテスダという名前の池を訪れます。ベテスダの池には「水がかき回されるように動いたとき、最初に入った人は病気が癒やされる」という言い伝えがありました。ですから、池の周囲には病気で苦しむ人たちが多く伏せっていました。その中に38年間も病気にかかっている男性がいて、イエス様はその人が長く横になっているのを知って、こう問いかけます。 「良くりたいか」 

 彼は素直に良くなりたいですとは言えず、こう言います。 「主よ。水がかき回されたとき、池の中に入れてくれる人がいません。行きかけると、ほかの人が先に下りて行きます。」 彼は良くなれない境遇を嘆くばかりでした。 

 しかし、イエス様は「起きて床を取り上げ、歩きなさい」と語りかけます。

 すると彼の病は癒やされ、彼は立ち上がり、歩き始めました。そうです。イエス様は、良くなりたいという思いを失った者でさえも決して見捨てず、無条件で愛してくださる方、そして立ち上がらせてくださる方なのです。自分で自分を諦めてしまっていても、イエス様は決して私たちを諦めません。そして、イエス様とともに歩むようにと私たちを導いてくださいます。

 その後、彼はどんな歩みをしたでしょう。しばらくして、彼は宮でイエス様に出会います。感謝の思いを持って神様に彼は礼拝をささげていたんです。彼が自らの足で歩むようになって初めてしたことは礼拝でした。また、そこで出会ったイエス様から、「これからは罪を犯さないように」と諭されます。彼はこの語りかけを受けて罪から離れた歩みをしていったことでしょう。

 さらにこのあと彼は、イエス様を憎んでいた人たちを恐れることなく、「自分を癒やしたのはイエス様なんだ」と証言しました。

 癒された後の彼の歩みは、礼拝をささげる歩みであり、神様が悲しまれるような罪を離れる歩みであり、イエス様のしてくださったことを証言する歩みでした。

 それは今も変わりません。イエス様と出会ってから始まる新しい歩み、それは神様に礼拝をささげ、罪を離れ、イエス様の素晴らしさを証言する歩みに他なりません。ベテスダの池にいた男性のようにあなたもイエス様と出会い、立ち上がらせていただき新しい歩みを始めませんか?


    ( PBA制作「世の光」 2022.9.24放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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■無条件の愛の力で起き上がる / 水谷 潔

2023年03月24日 | Weblog

2022/9/23放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。今週番組を担当する、愛知県にあります春日井聖書教会協力牧師の水谷潔です。

 新約聖書のヨハネの福音書5章の前半には、イエス様と、ベテスダという名前の池に伏せっていた男性との出会いが記されています。
その男性は38年もの間病気で苦しんでいました。このベテスダの池には水が動くことがあり、その時に「最初に池に入った者は病気が癒やされる」という言い伝えがありました。ですから、その男性は癒やされることを願い、長い間、池の近くで寝床に伏せっていました。

 しかし、池に最初に入ることができずにいて、イエス様から「良くなりたいか」と問いかけられても、「良くなりたい」と答えることができませんでした。

 この池の名前であるベテスダとは「愛の家」という意味です。しかし、その愛は条件つきの愛でした。なぜなら、水がかき回されたとき一番先に入った人だけが癒やされるという愛だったからです。

 そこには、むしろ愛とは正反対の残酷な現実があったでしょう。水が動くたびに、一番に入った一人を除いたすべての人が失望したことでしょう。そこは、一番の人だけが愛を受ける、条件つきの愛の世界だったのです。一番の人だけが、人より先を走る人だけが、頑張った人だけ、優れた人だけが、愛を受けることができる世界。それはまさに私たちが今、生きているこの世界そのものではないでしょうか。

 その中で一番になれない自分がいます。人より優れているわけではない残念な自分を見せつけられることもあります。そして、次第に良くなりたいという本来の思いを失っていきます。

 しかしイエス様は、良くなりたいという思いも失い、人より早く動くこともできないような、この男性を選んでくださいました。まさに無条件の愛です。そして、彼に近づき、問いかけ、最後に語りかけられました。「起きて床を取り上げ、歩きなさい」 

 そのことばは彼の病を癒やしました。彼は自力で起き上がり、歩き始めたのです。そうです。イエス・キリストを迎えた人生は本当の意味でのベテスダ、愛の家になります。イエス様は無条件でありのままの私たちを愛し、立ち上がらせてくださいます。あなたもイエス様の無条件の愛を受け、それに応えて立ち上がりませんか? そして、イエス様とともに新しい歩みを始めませんか?


    ( PBA制作「世の光」 2022.9.23放送でのお話しより )


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■他人との比較をやめて起き上がる / 水谷 潔

2023年03月23日 | Weblog

2022/9/22放送
 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。今週番組を担当する、愛知県にあります春日井聖書教会協力牧師の水谷潔です。

 新約聖書のヨハネの福音書5章の前半は「ベテスダ」という名前の池が舞台です。その池には「水が動いたとき最初に入った者は病気が癒やされる」という言い伝えがありました。そこにいた、38年間病気であった男性はイエス様と出会います。

 彼が長く寝床に伏せっていることを知ったイエス様は「良くなりたいか」と問いかけます。彼は素直に「良くなりたい」と言うことはできず、こう訴えたのです。「主よ。水がかき回されたとき、池の中に入れてくれる人がいません。行きかけると、ほかの人が先に下りて行きます。」

 彼は自分が一番には池に入れないという事実を、人より劣っているという現実を、言い訳にしていました。言い換えるなら、人との比較という寝床に縛られて、立ち上がって自らの足で歩もうとはしなかったのです。あの人はできるけど自分はできない、あの人は持っているけど自分は持っていない、という現実があります。何をさせてもどこをとっても人並み以上なんて人はいないでしょう。誰もが人生の中で、自分は劣っているなあという現実に出会います。

 そこで問われることがあります。それは、その現実を寝床とするかどうかです。劣っている現実があったとしても、比較という寝床から解放されている人にはそれは何の問題にもなりません。劣っている事実が劣等感にならないんです。残念に思うことはあっても、あるがままの自分を受け止めることができます。そして劣った自分のままで、神様がその人に与えておられる本来の人生を歩んでいくことができます。

 この後、イエス様は彼をほかの人より早く池に入れるようにしたわけではありません。劣っていることを変えるのではなく、彼自身を変えたんです。イエス様が「起きて床を取り上げ、歩きなさい」と語りかけると、彼の病は癒やされ、起き上がり、自らの足で歩き始めました。

 今もイエス様は人との比較という寝床を取り上げてくださいます。劣ったままの私たちを立ち上がらせてくださいます。ベテスダの池にいた男性のように、このイエス様と出会い、イエス様とともに新たな歩みをしていきましょう。


    ( PBA制作「世の光」 2022.9.22放送でのお話しより )


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■他人の態度から解放されて起き上がる / 水谷 潔

2023年03月22日 | Weblog

2022/9/21放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。愛知県にあります春日井聖書教会協力牧師の水谷潔です。

 新約聖書のヨハネの福音書5章の前半は、38年間病気であった男性とイエス様との出会いを記しています。彼は「水が動いたとき最初に入った者は病気が癒やされる」という言い伝えのあるベテスダの池の近くで長く寝床に伏せっていました。

 イエス様から「良くなりたいか?」と愛をもって問いかけられた時、彼は素直に「良くなりたい」と言うことはできませんでした。そして、こう訴えます。「主よ。水がかき回されたとき、池の中に入れてくれる人がいません。」

 最初に池に入って癒やされたいのに自分を入れてくれる人がいない。だから良くなれないということでしょう。彼は自分に対しての人の態度を言い訳にして本来の良くなりたいという思いを失っていたんです。

 私たちも同じこと、ないでしょうか。子どもの時は親がしてくれないから、先生が何々してくれないから、・・・、大人になれば上司や部下が何々してくれないから、夫や妻家族が何々してくれないから、・・・だから自分は良くなれないのです。そのように自分に対する人の態度を寝床にして自分の足で立ち上がって歩もうとしない、そうしたことはないでしょうか。

 そこでお尋ねします。願うことをしてくれなかった相手がしてくれるように変わって、そして自分は良くなった、そんな経験あるでしょうか。ほとんどないんじゃないかと思います。そうです。相手や周囲が変わるのを待っていたら、いつまでも良くなることはできません。

 人は変えられませんが、自分は変えられます。イエス様がベテスダの池にいたこの男性になさったのは、まさにそのことでした。イエス様は水が動くのを待ってこの男性を池に入れたのではありません。誰か池に入れてくれる人を探しに行ったのでもありません。彼が願ったこと、何一つしていません。ただただ彼に命じたのです。「起きて床を取り上げ、歩きなさい」
 すると彼の病は癒やされ、彼自身の力で起き上がり、歩いて行ったのです。

 今もイエス様は、人の態度を寝床のようにして立ち上がろうしない、そんな私たちに良くなりたいかと問いかけてくださいます。「起きて床を取り上げ、歩きなさい」と命じ、立ち上がらせてくださいます。ベテスダの池にいた男性のようにイエス様と出会い、新しい歩みを始めましょう。


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■過去の挫折を乗り越え起き上がる / 水谷 潔

2023年03月21日 | Weblog

2022/9/20放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 今週番組を担当する、愛知県にあります春日井聖書教会協力牧師の水谷潔です。

 新約聖書のヨハネの福音書5章の前半には、38年間病気であった男性が登場します。彼は「水がかき回されるように動いたとき、最初に入った者は病気が癒やされる」、そういう言い伝えのあるベテスダの池の近くで長く伏せっていました。

 イエス様が彼に「良くなりたいか。」と問いかけたとき、彼は素直に「良くなりたい」と言えませんでした。自分を池に入れてくれる人がいないから、水がかき回されたとき他の人が先に下りていくから、と嘆きながら良くなれない言い訳をしていました。

 この男性は長い間、ベテスダの池のほとりに横たわりながらどんな思いをしてきたでしょう。最初のころは水が動くたびに希望を抱いたことでしょう。今度こそ自分が最初に入り癒やされるんだ、と期待したことでしょう。しかし、その度ごとに彼の希望は裏切られていきました。やがて、度重なる挫折が彼の心から、「良くなりたい」という本来の思いを奪っていきました。そして、今や彼は過去の挫折を言い訳にして、もはや立ち上がろうとしなくなっていたようです。

 私たちも同じことはないでしょうか。生育歴の中、学校生活の中、仕事で恋愛や結婚の中で、「自分はこんな挫折をしてきた。だから、もう良くなりたいとはとても思えません。」 ・・・ 過去の挫折に縛られて自分の生き方は所詮この程度だ、とベテスダの池に横たわっていた男のように、過去の挫折を寝床にして立ち上がろうとしないということはないでしょうか。

 彼はこの後どうなったでしょう。ヨハネの福音書5章の8節と9節をお読みします。
  「イエスは彼に言われた。『起きて床を取り上げ、歩きなさい』 すると、すぐにその人は治って、床を取り上げて歩き出した。」

 イエス様は過去の挫折という寝床から私たちを立ち上がらせてくださいます。過去の挫折という事実は変えられません。しかし、その挫折が現在と将来にもたらす影響は、イエス・キリストにあって変えることができるのです。「起きて床を取り上げて歩きなさい。」 イエス様のこの語りかけを受けて過去の挫折から立ち上がらせていただきましょう。


    ( PBA制作「世の光」 2022.9.20放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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